-
トップ
>
-
心得
>
-
こゝろえ
私はその
前刻から
何となく
此婦人に
畏敬の
念が
生じて
善か
悪か、
何の
道命令されるやうに
心得たから、いはるゝままに
草履を
穿いた。
もし
右のような
火の
性質を
心得てゐると、
心の
落着も
出來るため、
危急の
場合、
機宜に
適する
處置も
出來るようにもなるものである。
ミハイル、アウエリヤヌヰチも
猶且、
初中終、アンドレイ、エヒミチを
訪問ねて
來て、
氣晴を
爲せることが
自分の
義務と
心得てゐる。
塾は
家族的の
組織であるから
各人共同の
物である、
塾生は
此處を
自分の
家と
心得て
何事も
自分に
責任を
持つて
遣らねばなりません。
尤も、
支那人は
麻雀を
親しい
仲間の
一組で
樂しむといふやうに
心得てゐるらしいが、
近頃の
日本のやうにそれを
團隊的競技にまで
進めて
來て
宗助の
頼んだ
産婆も
可成年を
取つてゐる
丈に、
此位のことは
心得てゐた。
然し
胎兒の
頸を
絡んでゐた
臍帶は、
時たまある
如く
一重ではなかつた。
私が見て
居ねえでは
歯骨や
何か
分るまい。金「ナニ知つてるよ、ちやんと
心得てるんだ、
彼方へ
行け、
行かねえと
撲り
附けるぞ、
行かねえか
畜生。 ...
「新吉原江戸町二丁目丁字屋半藏抱遊女ふみ事丁山
富事小夜衣 其方共主人へ右之通り申渡し
置候間
心得として
聞置」
水車は
川向にあつて
其古めかしい
處、
木立の
繁みに
半ば
被はれて
居る
案排、
蔦葛が
這ひ
纏ふて
居る
具合、
少年心にも
面白い
畫題と
心得て
居たのである。
それも
時と
場合によつたもので、のべつに
勝氣を
振廻しても
成りますまい、
其うちにも
女の
勝氣、
中へつゝんで
諸事を
心得て
居たら
宜いかも
知れませぬけれど
カピ妻
心得ました、
女の
心は
明日早う
質しましょ。
今宵は
悲嘆に
囚はれて、
閉籠めてのみ
居まする。
こは
心得ぬ事也とて心あたりの処こゝかしこへ人を
走らせて
尋させけるにその
在家さらにしれず。
不意に
馳せ加はつたものの中に、砲術の
心得のある
梅田源左衛門と云ふ彦根浪人もあつた。
エモンを字の
如くイモンと読んで
衣に
附けた
紋と
心得て
居た
小説家があつたさうだが、
或若い
御新造が
羽織を
幾枚こしらへても、
実家の
紋を附けるのを隣の
老婢が
怪んでたづねると
硯友社の
沿革に
就いては、
他日頗る
詳しく
説く
心得で
茲には
纔に
機関雑誌の
変遷を
略叙したので、それも
一向要領を
得ませんが、お話を
為る用意が無かつたのですから、
這麼事で
御免を
蒙ります
彌次連の
其中から
第一に
私に
飛掛つて
來た一
人は、
獨逸の
法學士とかいふ
男、
隨分腕力の
逞ましい
人間であつたが、
此方は
多少柔道の
心得があるので、
拂腰見事に
極つて
私の
勝、つゞいて
來る
奴
空想で
作りながらこれまでに
作り
上げたのだから、その
作者に
力の
十分あつたことがわかります。この
人は
學者であり
文學者ですから、
言葉のあやを
十分に
心得て、
少しのむだもしないでゐます。
われは
己が
生涯のあまり
清くない
事を
心得てゐる、
路の
傍の
菩提樹下に
誘惑に
負けた
事も
知つてゐる。
偶われに
酒を
呑ませる
会友たちの、よく
承知してゐる
如く、さういふ
物は
滅多に
咽喉を
通らない。
殿よツく
聞し
召し、
呵々と
笑はせ
給ひ、
余を
誰ぢやと
心得る。コリヤ
道人、
爾が
天眼鏡は
違はずとも、
草木を
靡かす
我なるぞよ。
わが
國の
如き
地震國に
於ては、
地震に
出會つたときの
適當な
心得が
絶對に
必要なるにも
拘らず、
從來かようなものが
缺けてゐた。
其外
双方付添の役人共
右の通り申
渡せしにより其
旨心得よと申渡されける實にや大岡殿の
裁斷明鏡に物を
移すが如く
後世其
才量を
稱へるも
宜なる
哉
へえー
是は
驚き
入つた、
左様とは
心得ず
甚だ
御無礼の
段々何ともどうも、
是は
恐縮千萬……
何卒是れへ/\
速かにお
通りを願ひます、
何卒是れへ
是れへ。
此方は
眞から
盡す
氣でも
取りやうに
寄つては
面白くなく
見える
事もあらう、
勇さんだからとて
彼の
通り
物の
道理を
心得た、
利發の
人ではあり
隨分學者でもある
學問は
社會へ
出るための
方便と
心得てゐたから、
社會を一
歩退ぞかなくつては
達する
事の
出來ない、
學者といふ
地位には、
餘り
多くの
興味を
有つてゐなかつた。
湯原の
温泉宿中西屋の
女中である!
今僕の
斯う
筆を
執つて
居る
家の
女中である!
田舍の
百姓の
娘である!
小田原は
大都會と
心得て
居る
田舍娘! この
娘を
僕が
知つたのは
昨年の
夏
○
杤の(本字は橡なり)
実の
食方翁に
聞しをこゝに記して
凶年の
心得とす。
乳母 はい/\、
心得ました。それこそ
賢い
御分別ぢゃ。
此頃は
体がだるいと
見えてお
惰けさんになんなすつたよ、
否、
宛で
愚なのではございません、
何でもちやんと
心得て
居ります。
地震に
出會つた
一瞬間、
心の
落着を
失つて
狼狽もすれば、
徒らに
逃げ
惑ふ
一方のみに
走るものもある。
平日の
心得の
足りない
人にこれが
多い。
すれば師匠感應院の
後住にせんと村中相談一
決したり左樣に
心得べしと申渡せば
寶澤は
謹んで承はり答へけるは師匠感應院の
跡目相續致し候樣と
貴殿を
何うかすると、お客さまに
腰の
物を出されるかも知れねえ、
然うしたら
私は
小道具の
方とは違ひますゆゑ
刀剣の
類は
流違ひでございますから
心得ませんが
私のやうに
身の
廻りは
悉く
心得ちがひばかりで
出來上つて、
一つとして
取柄の
無い
困り
者でも、
心として
犯した
罪が
無いほどに、これ
此樣な
可愛らしい
美くしい
宗助から
見ると、
主人は
書にも
俳句にも
多くの
興味を
有つてゐた。
何時の
間に
是程の
知識を
頭の
中へ
貯へ
得らるゝかと
思ふ
位、
凡てに
心得のある
男らしく
思はれた。
赤蟻は
彼のモヂヤ/\した
髯の中を
草場かと
心得て
駈け
廻るといふ
行體。
さあ、
之からが
名代の
天生峠と
心得たから、
此方も
其気になつて、
何しろ
暑いので、
喘ぎながら、
先づ
草鞋の
紐を
締直した。
イヤ
先日は
癇が
起つて
居つた
処へ、
其方が
逆らつたものだから、
詰らん事を
申して気の毒に
心得、
出牢をさした、
其方が
入牢中に一
詩作つたから見て
呉れ。シ
火山の
噴火鳴動を
神業と
考へたのは
日本ばかりではないが、
特に
日本においてはそれが
可なり
徹底してゐる。まづ
第一に、
噴火口を
神の
住み
給へる
靈場と
心得たことである。
代助は固より
夫より
先へ
進んでも、猶
素知らぬ
顔で
引返し
得る、会話の方を
心得てゐた。
鐵拳に
撲倒す
勇氣はあれど
誠に
父母いかなる
日に
失せて
何時を
精進日とも
心得なき
身の、
心細き
事を
思ふては
干場の
傘のかげに
隱れて
大地を
枕に
仰向き
臥してはこぼるゝ
涙を
呑込みぬる
悲しさ
心得て
置く
事で……はさんでは
棄てる
蛇の、おなじ
場所に、おなじかま
首をもたげるのも、
敢て、
咒詛、
怨靈、
執念のためばかりではない
事を。
是は
怪しからん、
無礼至極の
奴だ、
何と
心得て
居る、
是ほどの
名作の詩を、詩になつて
居らんとは
案外の
何うも
失敬な事を
申す
奴だ、
其分には
捨置かん、
入牢申附ける。
身分は
高からずとも
誠ある
良人の
情心うれしく、六
疊、四
疊二
間の
家を、
金殿とも
玉樓とも
心得て、いつぞや四
丁目の
藥師樣にて
買ふて
貰ひし
洋銀の
指輪を
大事らしう
白魚のやうな、
指にはめ
幾度か
越前街道の
往來に
馴れて、
賃さへあれば、
俥はひとりで
驅出すものと
心得て
居たからである。しかし、
此の
上下には、また
隨分難儀もした。
ヘヽー
成程、
何日の
間に、
何うも
恐れ
入りましたことで、
併し
私一人で
拝見いたしますのも
些と
惜いやうで、
彼所に
詰合て
居る
者共にも一
応見せてやりたく
心得ますが……。
何とせん
扨も
人妻となりての
心得は
娘の
時とは
異なる
物とか
御氣に
入らば
宜けれど
若し
飽かれなば
悲しき
事よ
先それよりも
覺束なきは
彼の
文の
御返事なり
御覽にはなりたり
共其まゝ
押まろめ
給ひしやら
却りて
御機嫌を
北八心得たる
顏はすれども、さすがにどぎまぎして
言はむと
欲する
處を
知らず、おかみさん
歸にするよ。
唯々。お
邪魔でしたと
兄さんは
旨いものなり。
エー
若春の事で、
却つて
可笑みの
落話の
方が
宜いと
心得まして一
席伺ひますが、
私は誠に
開化の事に
疎く、
旧弊の事ばかり
演つて
居りますと、
或る
学校の
教員さんがお
出でで
要するに——
俥は
落ちるものと
心得て
乘るのである。
而して、
惡道路と、
坂の
上下は、
必ず
下りて
歩行く
事——
えへゝゝ
御冗談ばかり、おからかひは
恐入ります、えゝ始めまして……(
丁寧に
辞儀をして)
手前は
当家の
主人五左衛門と
申す
至つて
武骨もので、
何卒一
度拝顔を
得たく
心得居りましたが