“頼”のいろいろな読み方と例文
読み方割合
たの59.7%
たよ21.8%
4.0%
たのみ3.4%
たより3.2%
より1.2%
らい1.2%
たのん1.0%
たのま0.6%
たのも0.6%
だん0.4%
たのむ0.2%
さいはひ0.2%
さいわ0.2%
さいわい0.2%
0.2%
たぬ0.2%
たのめ0.2%
たよっ0.2%
たゞ0.2%
だの0.2%
ねが0.2%
0.2%
ほお0.2%
よる0.2%
0.2%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
三十七十四幻翁望生二人馬籠き、茶店荷物着物けてき、息子人夫んで、遺跡つた。
小僧さんの三郎といって、田舎から、この叔父さんをってきたのです。そして、いまの製菓工場見習小僧ったのでした。
波荒くとも (新字新仮名) / 小川未明(著)
遂に望みを達し得ざるのみならず、舎弟は四肢凍傷り、剥落して久しくこれに悩み、ち大学の通学に、車にりたるほどなりしという。
汝のたかく汝の譽また聞けるものゝ譽なるをとし、祝福の座を離れてこゝに下れるわがはやさには若かじ 一一二—一一四
神曲:01 地獄 (旧字旧仮名) / アリギエリ・ダンテ(著)
他に身寄はなし死ぬより他に仕方がございません、お家主さん貴方何卒筆がおしに成って帰れる様にお願いなすって下さいまし
政談月の鏡 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
死骸の側に身も世もあらぬ姿で泣いているのは、十八九の娘、——これは、殺された主人福島嘉平太の一粒種で、おという美しいの。
「橋本とは幕にりてったももなれども、飯泉喜内を斬ったは無益の殺生、それはとまれ喜内を斬るほどでは、回も斬られずとも遠島は免れずと覚悟致し候」
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
もしも小山さんが自分の責任をれるような工風をするとかあるいは和女で家へ金を借りに来るような意気地のない人であったら
食道楽:冬の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
其方儀出家として淺草阿部川町了源寺にて盜賊に及び其上京都日野家に於て惡人共に荷擔なし又此度嘉川主税之助にれ島が死骸を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
祖母は自分の身内のものの様な、しい様な気がして居るのだろうなどと思って私は見て居る。
農村 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
これと毫厘寸法の違はぬ女が、昨日の午過、伯母の家の門に來て、『おのまうす、おのまうす。』と呼んだのであつた。
葬列 (旧字旧仮名) / 石川啄木(著)
終了とお光の方に至り萬事の相談買物なんどに深切せば親子は喜び親類りに當日はお金も其所のみよろしくと此者の衣類へやりしにお金はいよ/\嬉しさ自慢たらだら此事を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
頼破臥龍夢 に臥竜の夢を破れ
閉戸閑詠 (新字旧仮名) / 河上肇(著)
荒芽山畔路を成す 馬を駆て帰来る日き易し 虫喞凄涼夜月に吟ず 蝶魂冷澹秋花を抱く 飄零暫く寓す神仙の宅 禍乱早く夫婿の家 ひに舅姑の晩節を存するあり 欣然を守つて生涯を
八犬伝談余 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
に加賀町の名主田中平四郎がこれを知って、に竜池に告げた。竜池は急に諸役人に金をって弥縫し、妾に暇をし、別宅を売り、遊所通を止めた。
細木香以 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
ジョージせえ見付かれあ、あとは彼奴に用なんかねえんだからな。……あとには身よりよりのねえが一人残る。こいつをサヤマの贋手紙で大連あたりへ呼び出させる。
暗黒公使 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
葬式はアにうで来た。もう死んどろ、死んどるかも知れん。わしはこの胸ん中が張り裂きゅごたる。先生、えたっちゃよかろ。
フレップ・トリップ (新字新仮名) / 北原白秋(著)
收穫時なきも、吾はいそしみて種を播かむ。
海潮音 (旧字旧仮名) / 上田敏(著)
おおかたそんなたろうと思ってた。実あ、もあの隠居さんをて来たんですよ。——なにね、あの隠居が東京にいた時分、わっしが近所にいて、——それで知ってるのさ。いい人でさあ。
草枕 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
黄生『香玉かしまだちて後は寝食倶に廃しぬ。卿しばしとどまりて、この物憂き思ひを慰めてもあるべきに、何ぞふり放て行くや』
『聊斎志異』より (新字旧仮名) / 蒲原有明(著)
あいなみのみて
白羊宮 (旧字旧仮名) / 薄田泣菫薄田淳介(著)
知つての通りの私の身体、身寄りといふては、外になし。やうやくこの邸の旦那様が、乳兄妹といふ御縁にて。この春母さんが亡くなる時、ふて置いて下さんした。
したゆく水 (新字旧仮名) / 清水紫琴(著)
母君にキスしてき給ふ愛らしさ、傍目にも子を持たぬ人の覚えはぬ快さを覚え申し巴里とははや三時間も時の違ひふらん。味気なくふかな。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
太い涙が彼のに流れた。彼女はごく低く言った。
大阪博愛社の社長小橋実之助氏はべのない孤児を教育し、教養するのを自分の天職として働いてゐる人である。
「我レ東ヲチシヨリ、茲ニ六年ニナリヌ、又天皇ノリテ、兇徒サレヌ。」と、後世つくられた、いわゆる「建国の詔」に、その事が明らかにされてある。