“らい”のいろいろな漢字の書き方と例文
カタカナ:ライ
語句割合
68.8%
11.7%
10.4%
3.9%
2.6%
0.6%
0.6%
羅衣0.6%
0.6%
(注)作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
雨中うちゅうのすき間から、一瞬間、サッと青白い光が射し込んで、畳の目をくっきり描きだすのは、らいが、ちょうど頭の上へ来ているらしい。
丹下左膳:03 日光の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
◎お乙女あねさんはお仁王と綽名あだなされた丈け中々元気で、らいが鳴る時などは向鉢巻をして大鼓を叩いてワイ/\と騒ぐ様な人でした。
すると一陣の風が吹き起つて、墨のやうな黒雲が一面にあたりをとざすや否や、うす紫の稲妻がやにはに闇を二つに裂いて、凄じくらいが鳴り出しました。
杜子春 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
伯牛はくぎゅうらいを病んで危篤に陥った。先師は彼をその家に見舞われ、窓から彼の手をとって永訣された。そして嘆いていわれた。——
現代訳論語 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
彼の全身はことごと腐爛ふらんし、口も眼も鼻もらい患者のようにただれ、彼より発するえ難い悪臭が恐ろしく鼻をつく。
雲仙岳 (新字新仮名) / 菊池幽芳(著)
わしは早速試みて見た。長江美作みまさかが気の毒にも、らいを病んで命旦夕たんせき、そこで一粒を投じてやった。ところがどうだ。ところがどうだ!」
神州纐纈城 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
孟達の首が洛陽の市にさらされて、その罪状と戦況が知れわたるや、蜀軍らいにおびえていた洛陽の民は、にわかな春の訪れに会ったように、
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「あれは君、有島君兄弟ぢやないか。毛唐と見違ふなんて随分だね。」皆は声を立てて笑つた。「ぢや、一つ紹介ひきあはせをしよう。こつちへ来たまへ、五らい君。」
彼が二階へ持って上がった、らい了戒りょうかいを仕込んである白木の杖——それが、金吾の左の手に招き寄せられたので、
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
鴻儒かうじゆきこえ高きらい先生(名襄、字子成、山陽と号、通称頼徳太郎)へもとむらひ、坐談ざだん化石の事におよび
鴻儒かうじゆきこえ高きらい先生(名襄、字子成、山陽と号、通称頼徳太郎)へもとむらひ、坐談ざだん化石の事におよび
これは彼の持物であるが、彼のおもわくを見るとあんまりいいものでもないらしく、彼は「らい」という言葉を嫌って一切「らい」に近いおんまでも嫌った。
阿Q正伝 (新字新仮名) / 魯迅(著)
往時むかしから仏像の創作には、一とうらいとか、精進潔斎とかやかましく言ひ伝へられてゐるが、まんざらさうばかりでもないのはこの楽書がよく証拠立ててゐる。
口のうちで唱えていた観音経の声が、我を忘れて次第に大きな声になってゆく、気がつくと急に声を落し、また、っては、一刀三らいのこころを像に向ってらした。
宮本武蔵:05 風の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そして筮竹ぜいちくをひたいにあてて、祈念三らい、息をつめて、無想境に入ったと思うと、その相貌はまったく人間の肉臭を払って、みるみる聖者のごとき澄みきったものに変った。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
幾百千年いくひやくせんねんらいつもつもつて、あだか小山こやまのやうになつて落葉おちばうへんだり
數年すうねんらいなみまくらわた水夫すゐふども未曾有みそういうかう航海かうかいだとかたつたほど
詩。「巻金村。離信已来濃。行行少峻峰。望原莎径坦。臨谷稲田重。五瀬雲辺嶺。七株山畔松。炊烟人語近。半睡聴村舂。」五らいはいせである。「此地遠望勢州之諸山、翠黛於雲辺」と註してある。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
丸い肩から流れる線の末端を留めて花弁をそろへたやうな——それも自然に薄紅の肉色を思はせる指、なよやかな下半身に打ちなびく羅衣らいひだの、そのひとつ/\の陰にも言ひ知れぬ濃情を潜めてゐるのであつた。
老主の一時期 (新字旧仮名) / 岡本かの子(著)
書中に又「尾道に順迪じゆんてきの墓をらいす」と云ふことがある。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)