“以”のいろいろな読み方と例文
読み方(ふりがな)割合
もっ62.9%
もつ19.1%
14.5%
もって1.0%
モッ0.4%
おも0.2%
おもんみ0.2%
とも0.2%
0.2%
もち0.2%
(他:5)1.1%
(注)作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
“以”を含む作品のジャンル比率
芸術・美術 > スポーツ・体育 > 戸外レクリエーション33.8%
芸術・美術 > 演劇 > 大衆演芸27.4%
歴史 > 地理・地誌・紀行 > 日本25.3%
(注)比率=対象の語句にふりがなが振られている作品数÷各ジャンルの合計の作品数
それは澪でもってうまく食わなかったりなんかした時に、魚というものは必ず何かの蔭にいるものですから、それを釣るのです。
幻談 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
われながらあきれて、再び日頃の汚濁の心境に落ち込まぬよう、自戒の厳粛の意図をもって左に私の十九箇条を列記しよう。
花吹雪 (新字新仮名) / 太宰治(著)
私には政治上の位地を占有した婦人は比較的深い注意と興味とをもつて婦人自身の義務につくす事が出来ない様に見えます。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
柔順をもつて女子が最良唯一の美徳とせられる間は、人間の道徳はいまだ低く、世界の文明はいまだ高度に達して居ない。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
証書は風早の手に移りて、遊佐とその妻と彼とむつの目をて子細にこれを点検して、その夢ならざるをあきらめたり。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
南無薬師瑠璃光如来なむやくしるりくわうによらい、お庇陰かげちまして両眼りやうがんともあきらかになりまして
心眼 (新字旧仮名) / 三遊亭円朝(著)
彼等の記録に、「今夕こんせき討死、きずを蒙る輩数を知らず。もっての外のことなり。之を為すこと如何」と放心の状である。
四条畷の戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
トいってまだ年端としはも往かぬに、ことにはなまよみの甲斐なき婦人おんなの身でいながら、入塾などとはもっての外、トサ一旦いったんは親の威光で叱り付けては見たが
浮雲 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
巧言令色足恭コウゲンレイショクスウキョウウラミカクシテノ人ヲ友トスルハ、丘コレヅ とか、生ヲ求メテモッテ仁ヲ害スルナク身ヲ殺シテ以テ仁ヲ成スアリ とか、狂者ハ進ンデ取リ狷者ケンジャサザル所アリ とかいうのが、それだ。
弟子 (新字新仮名) / 中島敦(著)
例年当寺ニテ執行シュギョウ阿波アワ丈六寺代印可ノ儀ナラビニ遍路人ヘンロニン便乗ノ扱イ等ニワカ阿州家アシュウケヨリ御差止オサシト有之候コレアリソウロウモッテ中止イタシソウロウナオ秋船アキブネノ遍路ハ其折ソノオリ再告申サイコクモウスベキコト
鳴門秘帖:03 木曾の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しておもう、混淪こんりんの二気、初めて天地の形を分つや、高下三歳、鬼神の数を列せず。
令狐生冥夢録 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
けだおもふに、群生昏墊ぐんせいこんてん衆類冥頑しゅうるいめいがん、或は悪を長じて以てあらためず、或は凶を行うて自らほしいままにす。
令狐生冥夢録 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
伏しておもんみれば諸寺の年分ねんぶん及び臨時の得度は、一年の内に或は二三百人に及ぶなり。
而るを誰とともにか之をえん。
論語物語 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
子曰く、吾一日なんじたちに長ぜるを以て(対えずして)むことなかれ、(なんじたち)つねに則ち(人皆)吾を知らずという、なんじたちを知りて(用うる)あらば則ち何をかさん。
孔子 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
〔譯〕自らつとめてまざるは天道なり、君子のもちゐる所なり。
朝廷之参与を殺害仕候は不容易、勿論厳刑に可被処しよせらるべく候へ共、右様天下衆人之能存候よくぞんじそろ罪状有之者を誅戮ちゆうりく仕候事、実に報国赤心之者に御座候間、非常之御処置をもつて手を下し候者も死一等を被減候様仕度げんぜられそろやうつかまつりたく
津下四郎左衛門 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
一人にりくせられ候へば、自ら元気をそこなひ候。自ら元気を戕候へ、性命も随而したがつて滅絶仕候。此理を能々よく/\御考被為在あらせられ候而、何卒なにとぞ非常回天之御処置をもつてくわいたる者も死一等をゆるされ、同志と申自訴者は一概に御赦免に相成候様と奉存候。もつとも大罪に候へ共
津下四郎左衛門 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
穢貊わいばくの人虎を祭りて神将とするはゆえあるなり、また天宝中巴人はじん太白廟前の大松を伐る、老人ありて止むれど聴かず、老人山に登り斑子はんしと呼ぶと群虎出で巴人をんだ
倭人傳によれば難升米が景初三年(二年とあるは誤なり説下に見ゆ)に始めて使を奉じ魏に赴きしより、中間歸國の事明らかならず、其の確かに歸りしは正始八年以後魏の使張政等と偕にせし時に在り、而して其時卑彌呼スデに死せりとあり、其の往來に九年乃至十年を費せるは明かなり。
卑弥呼考 (旧字旧仮名) / 内藤湖南(著)
「ひゝらぎの八尋桙ね底つかぬ国。をとめのマヨひきの国。たまくしげ輝く国。こもまくらあるタク新羅の国を、丹波ニナミけ給ひマツロへ給はむ。」とかうした文句でヲシへて
「事ノ利ト云フハ、我一ヲモツテ敵ノ二ニ応ズル所也。タトヘバ、撃チテケ、外シテ斬ル。是レ一ヲ以テ二ニ応ズル事也。請ケテ打チ、外シテ斬ルハ、一ハ一、二ハ二ニ応ズル事也。一ヲ以テ二ニ応ズル時ハ必ズ勝ツ」
血曼陀羅紙帳武士 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)