“所以”のいろいろな読み方と例文
読み方(ふりがな)割合
ゆえん73.5%
ゆゑん20.2%
ゆえ1.4%
いわれ1.2%
ユエン1.0%
ゆゑ0.7%
いはれ0.5%
せい0.5%
いわく0.2%
このゆゑ0.2%
(他:2)0.6%
(注)作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
“所以”を含む作品のジャンル比率
歴史 > 地理・地誌・紀行 > 日本15.9%
文学 > 日本文学 > 日本文学7.5%
歴史 > 伝記 > 個人伝記6.3%
(注)比率=対象の語句にふりがなが振られている作品数÷各ジャンルの合計の作品数
されど元義の歌はその取る所の趣向材料の範囲余りに狭きに過ぎて従つて変化に乏しきは彼の大歌人たる能はざる所以ゆえんなり。
墨汁一滴 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
人生がただ動くことでなくて作ることであり、単なる存在でなくて形成作用であり、またそうでなければならぬ所以ゆえんである。
人生論ノート (新字新仮名) / 三木清(著)
思ふに前記の諸篇の如き、布局法あり、行筆本あり、変化至つて規矩きくを離れざる、能く久遠にるべき所以ゆゑんならん。
既に彼を存するの風をおとし俗をみだ所以ゆゑんなるを知り、彼を除くの老をたすけ幼を憐む所以なるを知る。
開化の殺人 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
所以ゆえあるかな、主税のその面上の雲は、河野英吉と床の間の矢車草……お妙の花を争った時から、早やその影が懸ったのであった。
婦系図 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
シューベルトの優しく美しき音楽は、この小児の如き心根に胚胎はいたいしたのである。春のの如く、聴く者の心を和めずにおかないのも、また所以ゆえありと言うべきである。
楽聖物語 (新字新仮名) / 野村胡堂野村あらえびす(著)
婦燭をりて窟壁いわ其処此処そこここを示し、これは蓮花の岩なり、これは無明の滝、乳房の岩なりなどと所以いわれなき名を告ぐ。
知々夫紀行 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
「土人の女がこの俺のような支那の若者をこう熱心に保護してくれる所以いわれがない」
沙漠の古都 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
コレ本品ノ高温ニ於テ最モ強劇ノ酸化薬タル所以ユエンナリ………………又本品ニ二倍量ノ庶糖ヲ混和シ此ノ混和物ニ強硫酸ノ一滴ヲ点ズルトキハ已ニ発火ス云々
琥珀のパイプ (新字新仮名) / 甲賀三郎(著)
築造チクザウルハ都下トカ繁昌ハンジヤウシテ人民ジンミン知識チシキヒラ所以ユエン器械キカイナリ」と叫んだ如きわざと誇張的に滑稽的に戯作の才筆を揮つたばかりではなからう。
虫干 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
この意富多多泥古といふ人を、神の子と知れる所以ゆゑは、上にいへる活玉依いくたまより毘賣、それ顏好かりき。
この太子ひつぎのみこの御名、大鞆和氣おほともわけの命と負はせる所以ゆゑは、初め生れましし時に、鞆なすしし御腕みただむきに生ひき。
胸に湛へに湛へし涙の一時に迸り出でしがため御疑を得たりしなり、其所以いはれは他ならぬ娘の上、深く御仏の教に達して宿命しゆくみやう業報を知るほどならば、も亦煩ひとするに足らずと悟りてもあるべけれど然は成らで
二日物語 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
それが有つたからといふのも一つの事情か知らぬが、又貞盛縁類といふことも一ツの理由か知らぬが、又打つてかゝつて来たからといふのも一の所以いはれか知らぬが、常陸介を生捕り国庁を荒し、掠奪焚焼りやくだつふんせうを敢てし、言はず語らず一国を掌握しやうあくしたのは、相馬小次郎も図に乗つてあばれ過ぎた。
平将門 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
「煎豆」「紅梅焼」「雷おこし」の繁栄の、むかしをいまにするよしもなくなったのは、ひとえに「時代」の好みのそれだけ曲折に富んで来た所以せいである。
雷門以北 (新字新仮名) / 久保田万太郎(著)
その所以せいでもあろうか。
絶景万国博覧会 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
出したいから出した迄だ、別に所以いわくのある筈は無え。親が己れの阿魔を、救主に奉ろうが、ユダに嫁にやろうが、お前っちの世話には相成ら無え。些度物には理解わかりを附けねえ。当世は金のある所に玉がよるんだ。それが当世って云うんだ。篦棒奴、娘が可愛ければこそ、己れだってこんな仕儀はする。
かんかん虫 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
所以このゆゑに幽と顯とに出で入りて、日と月と目を洗ふにあらはれたまひ、海水うしほに浮き沈みて、神と祇と身を滌ぐにあらはれたまひき。
すなはち夢にさとりて神祇をゐやまひたまひき、所以このゆゑに賢后とまを一〇
己が此危険を御身に予告するのは、己が嘗て御身に禍を遺した罪をあがな所以ゆゐんである。
復讐 (新字旧仮名) / アンリ・ド・レニエ(著)
三唖は紅葉の世話になったという条、『石倉新五左衛門』を認められて『新著百種』に推薦されたというだけであったが、この一篇の原稿の斡旋を永久に徳として弟子の礼を執らなかったのが忘恩者として紅葉の勘気に触れた所以わけで、三唖はこれがために紅葉の勢力圏の新聞社や雑誌社からボイコットされてしまった。