“我”のいろいろな読み方と例文
| 読み方 | 割合 |
|---|---|
| われ | 26.4% |
| わ | 23.1% |
| が | 22.4% |
| わが | 16.5% |
| わし | 2.1% |
| お | 1.4% |
| おれ | 1.3% |
| あ | 1.0% |
| ア | 0.7% |
| あれ | 0.6% |
| ワレ | 0.6% |
| おい | 0.4% |
| おら | 0.4% |
| おの | 0.4% |
| わたし | 0.4% |
| ひと | 0.3% |
| わたくし | 0.3% |
| を | 0.3% |
| ワ | 0.3% |
| おいら | 0.1% |
| てまえ | 0.1% |
| アートマン | 0.1% |
| エゴー | 0.1% |
| ガ | 0.1% |
| プライド | 0.1% |
| ワガ | 0.1% |
| ワゴ | 0.1% |
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
“我”の解説
仏教用語の我(が)とは、サンスクリット語のアートマン(Ātman)に由来する概念。我については、仏教とヒンドゥー教で最も見解の異なる点の一つである。
ヒンドゥー教では世俗的な我意識のみを否定してニラートマン(nirātman、無我)といい、自我意識(ahaṅkāra)のない純粋な実体としての真我(paramātman)を否定しないが、仏教は、永遠に存続し、自主独立して存在し、中心的な所有主として、コントロール・支配能力を持つ我の存在、すなわちな我を否定して無我説を立てた。
(出典:Wikipedia)
ヒンドゥー教では世俗的な我意識のみを否定してニラートマン(nirātman、無我)といい、自我意識(ahaṅkāra)のない純粋な実体としての真我(paramātman)を否定しないが、仏教は、永遠に存続し、自主独立して存在し、中心的な所有主として、コントロール・支配能力を持つ我の存在、すなわちな我を否定して無我説を立てた。
(出典:Wikipedia)