“わたし”のいろいろな漢字の書き方と例文
カタカナ:ワタシ
語句割合
66.2%
19.6%
4.6%
渡舟2.7%
渡船2.2%
作者0.8%
0.4%
0.3%
渡頭0.3%
0.2%
渡口0.2%
演者0.2%
筆者0.2%
小生0.2%
渡場0.2%
0.2%
渡船場0.2%
吾儕0.1%
拙僧0.1%
遞與0.1%
0.1%
吾女0.1%
吾子0.1%
壮士0.1%
壮子0.1%
壯子0.1%
0.1%
0.1%
息子0.1%
我知0.1%
本官0.1%
渡舟場0.1%
0.1%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
わたしが十一か二の年の冬の夜だつたと覚えてゐる。お父さんは役所の宿直番で、私はお母さんと二人炬燵こたつにさしむかひにあたつてゐた。
お母さんの思ひ出 (新字旧仮名) / 土田耕平(著)
主人も行くがいいと勸め、我々兩人ふたりもたつてと言つたのだが、わたしはそれよりも自宅うちで寢て居る方がいいとか言つてつひに行かなかつた。
一家 (旧字旧仮名) / 若山牧水(著)
このわたしを渡つて寒川といふ部落へ行くのである。函館の町の中に、こんな未開のところが一ヶ所残つてゐるのだからめづらしい。
函館八景 (新字旧仮名) / 亀井勝一郎(著)
扨も忠八は馬喰町なる旅宿りよしゆくかへりてお花夫婦に打對うちむかひ今日向島の渡舟わたしにて斯々かく/\の事ありしと告げれば夫婦は悦ぶ事大方ならず只行方を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
「アッ。月島の渡船わたしに乗ったんだね。成る程成る程。その時にアンタと一緒に乗っていた二人の男の風体ふうてい記憶おぼえているかね」
近眼芸妓と迷宮事件 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
しかし作者わたしは万事につけて几帳面なことが非常に好きで、この点では元来ロシア人であるにも拘らず、ドイツ人のように綿密でありたいと希うのである。
釧路の西幣舞町にしぬさまいまちです。葬儀屋そうぎやをやってます。エ、エ、わたしとはごく懇意こんいで、つい先月も遊びに往って来ました
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
嗚呼私が馬鹿でござりました、のつそりは何処迄ものつそりで馬鹿にさへなつて居れば其で可い訳、溝板でもたゝいて一生を終りませう、親方様堪忍かにして下されわたしが悪い
五重塔 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
少年あり、わらを積み重ねし間より頭を出して四人の者が余念なく仕事するを余念なくながめいたり。渡頭わたしを渡りて広き野にず。野は麦まきに忙しく女子みな男子と共に働きいたり。
小春 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
縦令たとへ旦那様だんなさま馴染なじみの女のおびに、百きんなげうたるゝともわたしおびに百五十きんをはずみたまはゞ、差引さしひき何のいとふ所もなき訳也わけなり
もゝはがき (新字旧仮名) / 斎藤緑雨(著)
翌日、曹操は、襄陽へ入城すると布令ふれて来た。蔡夫人は劉琮をつれて、こう渡口わたしまで出迎え拝礼して、城内へみちびいた。
三国志:07 赤壁の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
こうずけずけ判り切ったことを云われては、彼女の同情者の立場にある演者わたしとしては困る。が、長屋の独身男子たちは、演者よりも困ったらしい。
長屋天一坊 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
筆者わたしは、あの時以来、一本松へはまだ行って見ないで居る。恐れて毛並は見定めなかった、坂を駆出したのは、残った獅子だったかも知れません。
雪柳 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
イエ、小生わたしは他殺でもなく自殺でも無い、変死と思います、過失の為の火傷死でしょう。
越後獅子 (新字新仮名) / 羽志主水(著)
義民木内宗五郎で有名な甚兵衛の渡場わたしのある処は、印西いんせいという処であるが、その印西の渡場から西へ十町ばかり往った処に、位牌田いはいだと云う田がある。
位牌田 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
わたし(聊斎志異の著者、蒲松齢)の姉の夫の祖父に宋公、諱をとうといった者があった。それは村の給費生であったが、ある日病気で寝ていると、役人がつうちじょうを持ち、ひたいに白毛のある馬をいて来て
考城隍 (新字新仮名) / 蒲 松齢(著)
折ふし向岸の諏訪下の渡船場わたしより早船にて、漕ぎ渡し来る数十人の捕吏とりての面々を血刀にてさし招きつゝ、悠々として大文字山に登り隠れ、の大判小判の包みと
白くれない (新字新仮名) / 夢野久作(著)
ふり何の用かと思ひましたら今日も亦花見のおとも吾儕わたし昨日きのふ若旦那につれられて行き懲々こり/\したれば何卒なにとぞ之は長松どんか留吉どんに代らせてと言を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
まかして朝暮あさゆふ仕へんと思ひし事も空頼そらだのみ仇しえにしに成ることゝ知ば年頃貧苦の中にも失ひ給はで吾儕わたしの爲に祕置ひめおかれたる用意金を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
... からにいたしましたので、箪笥にはもう何も御座いませんのです』——大玄和尚は言った『宜しい、では、今夜拙僧わたしが御宅へ上り、その部屋で番を ...
葬られたる秘密 (新字新仮名) / 小泉八雲(著)
拙僧わたし貴女あなたのお助けをするために、ここに来たもので御座る。定めしその箪笥の中には、貴女の心配になるのも無理のない何かがあるのであろう。貴女のために私がそれを
葬られたる秘密 (新字新仮名) / 小泉八雲(著)
させるがよきゆゑ箇樣々々かやう/\結納ゆひなふつくり明日遞與わたし變改へんがいなき樣致してと云れて忠兵衞こゝろ主個あるじが前を退まがると其まゝ長三郎が部屋へき先方がこと兩親りやうしんがこと萬事上首尾じやうしゆびなるよしを
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
仕つりぬ只今たゞいま藥研やげんに掛ますあひだ霎時しばらくお待ち下されと云つゝ夫を和吉に遞與わたし製造せいざう方へ廻させしは多少をろんぜぬ商個あきうどの是ぞ實に招牌かんばんなるさて細末さいまつの出來る間と元益に四方八方よもやまの話しを
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
しばらくすると、そっとまたその着物を取り上げて、一ツずつ壁の際なる衣桁いこうわたし
註文帳 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
かはせし後にてあれば同衾ひとつねなさねど已に夫婦で有ると今故なく離縁されては吾女わたしは世間へ此顏が向られませねば如何なる越度をちど如何なる粗想そさうで離縁されしか其趣きを
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
斷りしはいとわらふ可き事なりと世間の人の口の端にかゝりし時は我身と父母のはぢのみならず小西屋の暖簾のれんきずの附ことならずや故に縁談破談はだんの事は吾子わたしは決して承引うけひき難し然れども其實病あつて父母がお光を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
天地の間、見わたすかぎり、心を傷ませてゐるのは風来の壮士わたしひとりであるかのやうな島の真昼時である。わたしは当今、ひとりで小さな島の崖ふちに住んだ。
浪曼的月評 (新字旧仮名) / 牧野信一(著)
雨は降ることもなく、塁々たる磯の起伏に、たゞ見る一面なるひかりがあふれて、風来の壮子わたしのふかす莨の煙りが、ゆらゆらとして陽炎と見えるばかりであつた。
城ヶ島の春 (新字旧仮名) / 牧野信一(著)
雨は降ることもなく、壘々たる磯の起伏に、たゞ見る一面なるひかりがあふれて、風來の壯子わたしのふかす莨の煙りが、ゆらゆらとして陽炎と見えるばかりであつた。
城ヶ島の春 (旧字旧仮名) / 牧野信一(著)
わたしと手を携へて怖る/\訪れた赤坂辺のダンスホールを訪れたところが、そこで、案外にも平気で踊ることが出来たので、自信を得てしまつて
川蒸気は昔のまゝ (新字旧仮名) / 牧野信一(著)
野面のづら御影みかげに、乾かぬ露が降りて、いつまでも湿しっとりとながめられるわたし二尺の、ふちえらんで、鷺草さぎそうともすみれとも片づかぬ花が、数を乏しく、行く春をぬすんで、ひそかに咲いている。
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
息子わたしのために贈つて寄す洋服を着せ、どうせ途中で歩くのだからとボタンの長靴を穿かせようとするし、爺さんは
熱海線私語 (新字旧仮名) / 牧野信一(著)
仕舞しまひには、そのどつちがほんとの自分じぶん區別くべつ出來できなくなつた。そして、時時ときどき我知わたしらずぐらぐらとひよろけ自分じぶんからだをどうすることも出來できなかつた。
一兵卒と銃 (旧字旧仮名) / 南部修太郎(著)
「もし、検事さん。本官わたしはこれからすぐに玉屋総一郎の邸に行ってみますわ。そやないと、あの玉屋の大将は、ほんまに蠅男に殺されてしまいますがな。手おくれになったら、これは後から言訳がたちまへんさかいな」
蠅男 (新字新仮名) / 海野十三(著)
もう渡舟場わたしに近い裏門を出て、先に川原の方へ降りて行った。命松丸がよく自由自在に雀を飼うごとく、彼と命松丸との関係もそれに似ている。
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
わたしの寺に生りましたので。」と天海はたちい小僧を見る折のやうな眼つきをして柿を見た。柿は小僧よりも行儀が善かつたので、別にくつ/\笑出わらひだしもしなかつた。