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渡
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わたし
ふりがな文庫
“
渡
(
わたし
)” の例文
干すと
窄
(
すぼ
)
まる木場辺の渋蛇の目、死んだ
頭
(
かしら
)
の火事見舞は、ついおもだか屋にあった事。品川沖の姪の影、
真乳
(
まっち
)
の
渡
(
わたし
)
の
朧蓑
(
おぼろみの
)
、
鰻掻
(
うなぎかき
)
の
蝮笊
(
まむしざる
)
。
吉原新話
(新字新仮名)
/
泉鏡花
(著)
この
渡
(
わたし
)
を渡つて寒川といふ部落へ行くのである。函館の町の中に、こんな未開のところが一ヶ所残つてゐるのだからめづらしい。
函館八景
(新字旧仮名)
/
亀井勝一郎
(著)
お品さんは浪花屋の天水桶へ目印の
栞
(
しおり
)
を書いて、ここへ入りましたと教えておきながら、霊岸橋を渡って
鎧
(
よろい
)
の
渡
(
わたし
)
の方へ行ったことになるぜ
銭形平次捕物控:029 江戸阿呆宮
(新字新仮名)
/
野村胡堂
(著)
人家の
珊瑚木
(
さんごのき
)
の
生籬
(
いけがき
)
を廻って太田君の
後姿
(
うしろすがた
)
は消えた。残る一人は淋しい心になって、西北の空を横眼に見上げつゝ
渡
(
わたし
)
の方へ歩いて行った。
みみずのたはこと
(新字新仮名)
/
徳冨健次郎
、
徳冨蘆花
(著)
然し
渡場
(
わたしば
)
は
未
(
いま
)
だ
悉
(
こと/″\
)
く東京市中から其の跡を絶つた訳ではない。
両国橋
(
りやうごくばし
)
を
間
(
あひだ
)
にして其の
川上
(
かはかみ
)
に
富士見
(
ふじみ
)
の
渡
(
わたし
)
、その
川下
(
かはしも
)
に
安宅
(
あたけ
)
の
渡
(
わたし
)
が残つてゐる。
水 附渡船
(新字旧仮名)
/
永井荷風
(著)
▼ もっと見る
近所
(
きんじよ
)
の
女房
(
にようばう
)
が
見
(
み
)
に
來
(
き
)
て
呉
(
く
)
れたのを
幸
(
さいは
)
ひに
自分
(
じぶん
)
も
後
(
あと
)
から
走
(
はし
)
つて
行
(
い
)
つた。
鬼怒川
(
きぬがは
)
の
渡
(
わたし
)
の
船
(
ふね
)
で
先刻
(
さつき
)
の
使
(
つか
)
ひと
行違
(
ゆきちがひ
)
に
成
(
な
)
つた。
船
(
ふね
)
から
詞
(
ことば
)
が
交換
(
かうくわん
)
された。
土
(旧字旧仮名)
/
長塚節
(著)
新「
何卒
(
どうか
)
亀有まで
遣
(
や
)
って、亀有の
渡
(
わたし
)
を越して
新宿
(
にいじゅく
)
泊りとしますから、四ツ木通りへ出る方が近いから、吾妻橋を渡って小梅へ遣ってくんねえ」
真景累ヶ淵
(新字新仮名)
/
三遊亭円朝
(著)
此外▲
有明
(
ありあけ
)
の
浦
(
うら
)
▲
岩手
(
いはで
)
の
浦
(
うら
)
▲
勢波
(
せば
)
の
渡
(
わたし
)
▲
井栗
(
ゐくり
)
の
森
(
もり
)
▲
越
(
こし
)
の松原いづれも古哥あれども、
他国
(
たこく
)
にもおなじ名所あればたしかに越後ともさだめがたし。
北越雪譜:06 北越雪譜二編
(新字旧仮名)
/
鈴木牧之
、
山東京山
(著)
それから駈け足で二、三軒まわって途中で
午飯
(
ひるめし
)
を食って、
御厩河岸
(
おんまやがし
)
の
渡
(
わたし
)
に来たのは、八ツ(午後二時)少し前であった。
半七捕物帳:05 お化け師匠
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
鮎川から
山雉
(
やまどり
)
の
渡
(
わたし
)
に行く間の峠道は、私の心を惹き寄せるには十分であつた。いかにも感じがラスチツクで好かつた。
旅から帰つて
(新字旧仮名)
/
田山花袋
、
田山録弥
(著)
さては
渡
(
わたし
)
の狐であつたのかと、旅人は合点して、小判を火にあてましたところ、めらめらと焼け
失
(
う
)
せてしまひました。
狐の渡
(新字旧仮名)
/
土田耕平
(著)
今戸
(
いまど
)
の
渡
(
わたし
)
と云う名ばかりは
流石
(
さすが
)
に
床
(
ゆか
)
し。
山谷堀
(
さんやぼり
)
に上がれば雨はら/\と降り来るも場所柄なれば面白き心地もせらる。
半日ある記
(新字新仮名)
/
寺田寅彦
(著)
ゆっくりと近江路へ入って
越川
(
こしかわ
)
泊り、翌日、越川を立って
守山
(
もりやま
)
でおひる、湖へかかって矢橋から大津まで
渡
(
わたし
)
、その日のうちに京へ着くのは楽なもの。
大菩薩峠:32 弁信の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
僕の家というのは、松戸から二里ばかり下って、
矢切
(
やぎり
)
の
渡
(
わたし
)
を東へ渡り、小高い岡の上でやはり矢切村と云ってる所。
野菊の墓
(新字新仮名)
/
伊藤左千夫
(著)
水源地附近のありさまは予が著はしゝ『秩父紀行』、ならびに『新編武蔵風土記』等を読みて知るべし。荒川の東京に近づくは豊島の
渡
(
わたし
)
あたりよりなり。
水の東京
(新字旧仮名)
/
幸田露伴
(著)
金方
(
かねかた
)
の役所へ
廻
(
まは
)
し金方にて
拂
(
はらひ
)
を渡す事なり
今
(
いま
)
吉兵衞が差出たる
書付
(
かきつけ
)
も役人が
改
(
あらた
)
め
添書
(
そへしよ
)
に右の通り
認
(
したゝ
)
め
調印
(
てういん
)
して
渡
(
わたし
)
ける此勘定部屋と
金方役所
(
かねかたやくしよ
)
とは其間三町を
大岡政談
(旧字旧仮名)
/
作者不詳
(著)
軟派の生徒で出くわした奴は災難だ。白足袋がこそこそと横町に曲るのを見送って、三人一度にどっと笑うのである。僕は分れて、
今戸
(
いまど
)
の
渡
(
わたし
)
を向島へ渡った。
ヰタ・セクスアリス
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
家康は、わずか十里の浜松にありながら後詰せず、信長は今切の
渡
(
わたし
)
まで来たが、落城と聞いて引き返した。
長篠合戦
(新字新仮名)
/
菊池寛
(著)
「先月の
二十日
(
はつか
)
にお払ひ下さるべきのを、
未
(
いま
)
だにお
渡
(
わたし
)
が無いのですから、
何日
(
いつ
)
でも御催促は出来るのです」
金色夜叉
(新字旧仮名)
/
尾崎紅葉
(著)
「お光ちょう、
爺
(
ちゃん
)
が居ねえからお客さま方を牛堀までお伴して来う」と母が云った。此れは東京あたりの猟組で、後の山を越えて来たので、
渡
(
わたし
)
を頼むのだと思われる。
漁師の娘
(新字新仮名)
/
徳冨蘆花
(著)
それは
尾久
(
おく
)
の
渡
(
わたし
)
あたりでもあったろうか、のんどりした
暗碧
(
あんぺき
)
なその水の
面
(
おも
)
にはまだ真珠色の空の光がほのかに差していて、静かに
漕
(
こ
)
いでゆく
淋
(
さび
)
しい舟の影が一つ二つみえた。
あらくれ
(新字新仮名)
/
徳田秋声
(著)
向島
(
むこうじま
)
も明治九年頃は、寂しいもので、
木母寺
(
もくぼじ
)
から水戸邸まで、土手が長く続いていましても、花の頃に
掛茶屋
(
かけぢゃや
)
の数の多く出来て
賑
(
にぎわ
)
うのは、
言問
(
こととい
)
から
竹屋
(
たけや
)
の
渡
(
わたし
)
の辺に過ぎませんでした。
鴎外の思い出
(新字新仮名)
/
小金井喜美子
(著)
どこということは別に明白ではありませんが、仮に
近江
(
おうみ
)
の
矢走
(
やばせ
)
の
渡
(
わたし
)
とでもしましょうか。どこか降りそうな空合でもありましたが、また明るくなって持ちなおすらしい模様でありました。
俳句とはどんなものか
(新字新仮名)
/
高浜虚子
(著)
一瓢
(
いっぴょう
)
を橋
渡
(
わたし
)
にして、
吉原丁字屋
(
よしわらちょうじや
)
の
雛鶴太夫
(
ひなづるたゆう
)
に挿させたまでの苦心の段が水の泡。
平賀源内捕物帳:萩寺の女
(新字新仮名)
/
久生十蘭
(著)
その士官は、ルイ十六世が断頭台にのぼせられてお亡くなりになった後、その
紙片
(
かみきれ
)
を女王マリー・アントワネットにお
渡
(
わたし
)
した。しかしその時はもはやその巨万の
宝物
(
ほうもつ
)
は何にもならなかった。
奇巌城:アルセーヌ・ルパン
(新字新仮名)
/
モーリス・ルブラン
(著)
河水はさまで氾濫していなかったが、
渡
(
わたし
)
船に乗って向うの岸に着き
本州横断 癇癪徒歩旅行
(新字新仮名)
/
押川春浪
(著)
「僕は舟には
渡
(
わたし
)
舟にしか乗ったことがありません」
苦心の学友
(新字新仮名)
/
佐々木邦
(著)
雨
(
あめ
)
の
渡
(
わたし
)
に
孔雀船
(旧字旧仮名)
/
伊良子清白
(著)
何百年か
解
(
わか
)
らない
古襖
(
ふるぶすま
)
の正面、板の
間
(
ま
)
のような
床
(
ゆか
)
を
背負
(
しょ
)
って、
大胡坐
(
おおあぐら
)
で控えたのは、何と、
鳴子
(
なるこ
)
の
渡
(
わたし
)
を
仁王立
(
におうだち
)
で越した
抜群
(
ばつぐん
)
なその
親仁
(
おやじ
)
で。
薬草取
(新字新仮名)
/
泉鏡花
(著)
御厩河岸
(
おうまやがし
)
の
渡
(
わたし
)
を越して
彼方
(
かなた
)
に
横
(
よこた
)
わる
大川橋
(
おおかわばし
)
の橋間からは、遠い
水上
(
みなかみ
)
に散乱する
夜釣
(
よづり
)
の船の
篝火
(
かがりび
)
さえ数えられるほどになると
散柳窓夕栄
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
村入して間もなく、ある夜
先家主
(
せんやぬし
)
の大工がポインタァ種の小犬を一疋抱いて来た。二子の
渡
(
わたし
)
の近所から貰って来たと云う。
みみずのたはこと
(新字新仮名)
/
徳冨健次郎
、
徳冨蘆花
(著)
此外▲
有明
(
ありあけ
)
の
浦
(
うら
)
▲
岩手
(
いはで
)
の
浦
(
うら
)
▲
勢波
(
せば
)
の
渡
(
わたし
)
▲
井栗
(
ゐくり
)
の
森
(
もり
)
▲
越
(
こし
)
の松原いづれも古哥あれども、
他国
(
たこく
)
にもおなじ名所あればたしかに越後ともさだめがたし。
北越雪譜:03 北越雪譜初編
(新字旧仮名)
/
鈴木牧之
、
山東京山
(著)
旧
(
もと
)
は
渡
(
わたし
)
で
対岸
(
むかう
)
に大きな柳の
樹
(
き
)
が
有
(
あ
)
つて、
其処
(
そこ
)
に
脱衣婆
(
ばあさん
)
が
居
(
ゐ
)
て、
亡者
(
まうじや
)
の
衣服
(
きもの
)
をふん
奪
(
ばい
)
て、六
道銭
(
だうせん
)
を取つて
居
(
ゐ
)
ましたが、
渡
(
わた
)
しはいけないといふ
議論
(
ぎろん
)
がありました
明治の地獄
(新字旧仮名)
/
三遊亭円朝
(著)
ただ小荷駄の直江大和守は北国街道を北進して犀川を
小市
(
こいち
)
の
渡
(
わたし
)
にて渡り善光寺へと退却せしめた。甘粕隊は遠く南方小森に於て妻女山から来るべき敵に備えた。
川中島合戦
(新字新仮名)
/
菊池寛
(著)
お高へ
渡
(
わたし
)
種々
(
しゆ/″\
)
源八が
戀慕
(
こひした
)
ふ樣子を物語りければお高は大に
憤
(
いか
)
り文を
投付
(
なげつけ
)
一言も云はず
直
(
すぐ
)
に母へ右の事を
話
(
はな
)
せしにぞ父も此事を
聞
(
きゝ
)
然樣
(
さやう
)
の者は
暇
(
いとま
)
を
遣
(
つかは
)
すに
如
(
しく
)
はなしと與八へは
永
(
なが
)
の暇を
大岡政談
(旧字旧仮名)
/
作者不詳
(著)
文政四年五月十日の朝、五ツ(午前八時)を少し過ぎた頃に、奥州街道の栗橋の関所を無事に通り過ぎた七、八人の旅人がぞろぞろ
繋
(
つな
)
がって、
房川
(
ぼうかわ
)
の
渡
(
わたし
)
(利根川)にさしかかった。
半七捕物帳:33 旅絵師
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
おつぎもしをらしく
俯向
(
うつむ
)
いた。
島田
(
しまだ
)
に
結
(
ゆ
)
うたおつぎの
頭髮
(
かみ
)
が
明
(
あ
)
かるいランプに
光
(
ひか
)
つた。おつぎは
特
(
とく
)
に
勘次
(
かんじ
)
に
許
(
ゆる
)
されて
未明
(
みめい
)
に
鬼怒川
(
きぬがは
)
の
渡
(
わたし
)
を
越
(
こ
)
えて
朋輩同志
(
ほうばいどうし
)
と
共
(
とも
)
に
髮結
(
かみゆひ
)
の
許
(
もと
)
へ
行
(
い
)
つたのであつた。
土
(旧字旧仮名)
/
長塚節
(著)
一、
寒川
(
さむかは
)
の
渡
(
わたし
)
。——函館山の西端、即ち湾の入口にのぞんだところに、寒川といふ小部落がある。こゝは町の西端ではあるが、全く町から孤立して、置き忘れられてゐるやうな淋しい部落である。
函館八景
(新字旧仮名)
/
亀井勝一郎
(著)
それから
猿若町
(
さるわかちょう
)
を通って、橋場の
渡
(
わたし
)
を渡って、向島のお邸に帰った。
ヰタ・セクスアリス
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
岩も水も真白な
日当
(
ひあたり
)
の中を、あの
渡
(
わたし
)
を渡って見ると、二十年の昔に変らず、
船着
(
ふなつき
)
の岩も、
船出
(
ふなで
)
の松も、
確
(
たしか
)
に覚えがありました。
薬草取
(新字新仮名)
/
泉鏡花
(著)
しかし渡場はいまだ
悉
(
ことごと
)
く東京市中からその跡を絶った訳ではない。両国橋を間にしてその川上に
富士見
(
ふじみ
)
の
渡
(
わたし
)
、その川下に
安宅
(
あたけ
)
の渡が残っている。
日和下駄:一名 東京散策記
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
引受
(
ひきうけ
)
られよと折入て
頼
(
たのみ
)
しにより九郎兵衞は
漸々
(
やう/\
)
承知
(
しようち
)
して入夫となり六石三斗の
田地
(
でんち
)
を
質入
(
しちいれ
)
なし金十兩
借請
(
かりうけ
)
條七に
渡
(
わたし
)
ければ條七は是非なく
金毘羅參
(
こんぴらまいり
)
と云箱を
首
(
くび
)
に
懸
(
かけ
)
數年
住馴
(
すみなれ
)
し
故郷
(
こきやう
)
を
大岡政談
(旧字旧仮名)
/
作者不詳
(著)
と
直
(
すぐ
)
に墓場から
駈落
(
かけおち
)
をして、其の晩は遅いから
松戸
(
まつど
)
へ泊り、翌日宿屋を立って、あれから
古賀崎
(
こがざき
)
の
堤
(
どて
)
へかゝり、流山から
花輪村
(
はなわむら
)
鰭ヶ崎
(
ひれがさき
)
へ出て、鰭ヶ崎の
渡
(
わたし
)
を越えて
水街道
(
みずかいどう
)
へかゝり
真景累ヶ淵
(新字新仮名)
/
三遊亭円朝
(著)
玉川の
渡
(
わたし
)
を渡って、また十丁ばかり、
長堤
(
ちょうてい
)
を築いた様に川と共に南東走する低い連山の中の唯有る小山を
攀
(
よ
)
じて百草園に来た。もと松蓮寺の
寺跡
(
じせき
)
で、今は横浜の某氏が
別墅
(
べっしょ
)
になって居る。
みみずのたはこと
(新字新仮名)
/
徳冨健次郎
、
徳冨蘆花
(著)
勘次
(
かんじ
)
は
鬼怒川
(
きぬがは
)
の
渡
(
わたし
)
を
越
(
こ
)
えて
土手
(
どて
)
を
傳
(
つた
)
ひて、
柄
(
え
)
のない
唐鍬
(
たうぐは
)
を
持
(
も
)
つて
行
(
い
)
つた。
土
(旧字旧仮名)
/
長塚節
(著)
思い思いに雨の宮の
渡
(
わたし
)
猫ヶ瀬等から川を渡り北進した。
川中島合戦
(新字新仮名)
/
菊池寛
(著)
三十一日は
利根
(
とね
)
の
渡
(
わたし
)
を越えて、中田の駅を過ぎる。
寄席と芝居と
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
と
優
(
やさ
)
しい
聲
(
こゑ
)
も
時々
(
とき/″\
)
聞
(
き
)
く。
手
(
て
)
から
手
(
て
)
へ
直接
(
ちよくせつ
)
に、つかひの
用
(
よう
)
のうけ
渡
(
わたし
)
もするほどなので、
御馳走
(
ごちそう
)
は
目
(
め
)
の
前
(
まへ
)
に、
唯
(
たゞ
)
お
預
(
あづ
)
けだ、と
肝膽
(
かんたん
)
を
絞
(
しぼ
)
りつつ
悶
(
もだ
)
えた。
二た面
(旧字旧仮名)
/
泉鏡花
、
泉鏡太郎
(著)
やがて橋場の
渡
(
わたし
)
に至るに、
渡小屋
(
わたしごや
)
の前(下巻第五図)には
寮
(
りょう
)
にでも行くらしき
町風
(
まちふう
)
の女づれ、農具を肩に
煙管
(
きせる
)
銜
(
くわ
)
へたる農夫と茅葺屋根の軒下に行きちがひたり。
江戸芸術論
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
お釈迦さまから
渡
(
わたし
)
を越えると
直
(
すぐ
)
に向うが下矢切村でございますけれども、江戸へとては十六の時に来た
切
(
ぎり
)
で、浅草の観音さまを其の時初めて拝んだという人で、供に附いて来た男は
粟田口霑笛竹(澤紫ゆかりの咲分):02 粟田口霑笛竹(澤紫ゆかりの咲分)
(新字新仮名)
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三遊亭円朝
(著)
渡
常用漢字
中学
部首:⽔
12画
“渡”を含む語句
鳥渡
渡船
渡世
沢渡
古渡
渡舟
世渡
申渡
譲渡
渡口
見渡
渡頭
渡船場
手渡
渡辺
渡渉
渡御
渡島
大渡
渡瀬
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