わたし)” の例文
干すとすぼまる木場辺の渋蛇の目、死んだかしらの火事見舞は、ついおもだか屋にあった事。品川沖の姪の影、真乳まっちわたし朧蓑おぼろみの鰻掻うなぎかき蝮笊まむしざる
吉原新話 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
このわたしを渡つて寒川といふ部落へ行くのである。函館の町の中に、こんな未開のところが一ヶ所残つてゐるのだからめづらしい。
函館八景 (新字旧仮名) / 亀井勝一郎(著)
お品さんは浪花屋の天水桶へ目印のしおりを書いて、ここへ入りましたと教えておきながら、霊岸橋を渡ってよろいわたしの方へ行ったことになるぜ
人家の珊瑚木さんごのき生籬いけがきを廻って太田君の後姿うしろすがたは消えた。残る一人は淋しい心になって、西北の空を横眼に見上げつゝわたしの方へ歩いて行った。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
然し渡場わたしばいまこと/″\く東京市中から其の跡を絶つた訳ではない。両国橋りやうごくばしあひだにして其の川上かはかみ富士見ふじみわたし、その川下かはしも安宅あたけわたしが残つてゐる。
水 附渡船 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
近所きんじよ女房にようばうれたのをさいはひに自分じぶんあとからはしつてつた。鬼怒川きぬがはわたしふね先刻さつき使つかひと行違ゆきちがひつた。ふねからことば交換かうくわんされた。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
新「何卒どうか亀有までって、亀有のわたしを越して新宿にいじゅく泊りとしますから、四ツ木通りへ出る方が近いから、吾妻橋を渡って小梅へ遣ってくんねえ」
真景累ヶ淵 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
此外▲有明ありあけうら岩手いはでうら勢波せばわたし井栗ゐくりもりこしの松原いづれも古哥あれども、他国たこくにもおなじ名所あればたしかに越後ともさだめがたし。
それから駈け足で二、三軒まわって途中で午飯ひるめしを食って、御厩河岸おんまやがしわたしに来たのは、八ツ(午後二時)少し前であった。
半七捕物帳:05 お化け師匠 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
鮎川から山雉やまどりわたしに行く間の峠道は、私の心を惹き寄せるには十分であつた。いかにも感じがラスチツクで好かつた。
旅から帰つて (新字旧仮名) / 田山花袋田山録弥(著)
さてはわたしの狐であつたのかと、旅人は合点して、小判を火にあてましたところ、めらめらと焼けせてしまひました。
狐の渡 (新字旧仮名) / 土田耕平(著)
今戸いまどわたしと云う名ばかりは流石さすがゆかし。山谷堀さんやぼりに上がれば雨はら/\と降り来るも場所柄なれば面白き心地もせらる。
半日ある記 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
ゆっくりと近江路へ入って越川こしかわ泊り、翌日、越川を立って守山もりやまでおひる、湖へかかって矢橋から大津までわたし、その日のうちに京へ着くのは楽なもの。
大菩薩峠:32 弁信の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
僕の家というのは、松戸から二里ばかり下って、矢切やぎりわたしを東へ渡り、小高い岡の上でやはり矢切村と云ってる所。
野菊の墓 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
水源地附近のありさまは予が著はしゝ『秩父紀行』、ならびに『新編武蔵風土記』等を読みて知るべし。荒川の東京に近づくは豊島のわたしあたりよりなり。
水の東京 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
金方かねかたの役所へまはし金方にてはらひを渡す事なりいま吉兵衞が差出たる書付かきつけも役人があらた添書そへしよに右の通りしたゝ調印てういんしてわたしける此勘定部屋と金方役所かねかたやくしよとは其間三町を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
軟派の生徒で出くわした奴は災難だ。白足袋がこそこそと横町に曲るのを見送って、三人一度にどっと笑うのである。僕は分れて、今戸いまどわたしを向島へ渡った。
ヰタ・セクスアリス (新字新仮名) / 森鴎外(著)
家康は、わずか十里の浜松にありながら後詰せず、信長は今切のわたしまで来たが、落城と聞いて引き返した。
長篠合戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
「先月の二十日はつかにお払ひ下さるべきのを、いまだにおわたしが無いのですから、何日いつでも御催促は出来るのです」
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
「お光ちょう、ちゃんが居ねえからお客さま方を牛堀までお伴して来う」と母が云った。此れは東京あたりの猟組で、後の山を越えて来たので、わたしを頼むのだと思われる。
漁師の娘 (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
それは尾久おくわたしあたりでもあったろうか、のんどりした暗碧あんぺきなその水のおもにはまだ真珠色の空の光がほのかに差していて、静かにいでゆくさびしい舟の影が一つ二つみえた。
あらくれ (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
向島むこうじまも明治九年頃は、寂しいもので、木母寺もくぼじから水戸邸まで、土手が長く続いていましても、花の頃に掛茶屋かけぢゃやの数の多く出来てにぎわうのは、言問ことといから竹屋たけやわたしの辺に過ぎませんでした。
鴎外の思い出 (新字新仮名) / 小金井喜美子(著)
どこということは別に明白ではありませんが、仮に近江おうみ矢走やばせわたしとでもしましょうか。どこか降りそうな空合でもありましたが、また明るくなって持ちなおすらしい模様でありました。
俳句とはどんなものか (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
一瓢いっぴょうを橋わたしにして、吉原丁字屋よしわらちょうじや雛鶴太夫ひなづるたゆうに挿させたまでの苦心の段が水の泡。
平賀源内捕物帳:萩寺の女 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
その士官は、ルイ十六世が断頭台にのぼせられてお亡くなりになった後、その紙片かみきれを女王マリー・アントワネットにおわたしした。しかしその時はもはやその巨万の宝物ほうもつは何にもならなかった。
河水はさまで氾濫していなかったが、わたし船に乗って向うの岸に着き
本州横断 癇癪徒歩旅行 (新字新仮名) / 押川春浪(著)
「僕は舟にはわたし舟にしか乗ったことがありません」
苦心の学友 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
あめわたし
孔雀船 (旧字旧仮名) / 伊良子清白(著)
何百年かわからない古襖ふるぶすまの正面、板ののようなゆか背負しょって、大胡坐おおあぐらで控えたのは、何と、鳴子なるこわたし仁王立におうだちで越した抜群ばつぐんなその親仁おやじで。
薬草取 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
御厩河岸おうまやがしわたしを越して彼方かなたよこたわる大川橋おおかわばしの橋間からは、遠い水上みなかみに散乱する夜釣よづりの船の篝火かがりびさえ数えられるほどになると
散柳窓夕栄 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
村入して間もなく、ある夜先家主せんやぬしの大工がポインタァ種の小犬を一疋抱いて来た。二子のわたしの近所から貰って来たと云う。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
此外▲有明ありあけうら岩手いはでうら勢波せばわたし井栗ゐくりもりこしの松原いづれも古哥あれども、他国たこくにもおなじ名所あればたしかに越後ともさだめがたし。
もとわたし対岸むかうに大きな柳のつて、其処そこ脱衣婆ばあさんて、亡者まうじや衣服きものをふんばいて、六道銭だうせんを取つてましたが、わたしはいけないといふ議論ぎろんがありました
明治の地獄 (新字旧仮名) / 三遊亭円朝(著)
ただ小荷駄の直江大和守は北国街道を北進して犀川を小市こいちわたしにて渡り善光寺へと退却せしめた。甘粕隊は遠く南方小森に於て妻女山から来るべき敵に備えた。
川中島合戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
お高へわたし種々しゆ/″\源八が戀慕こひしたふ樣子を物語りければお高は大にいかり文を投付なげつけ一言も云はずすぐに母へ右の事をはなせしにぞ父も此事をきゝ然樣さやうの者はいとまつかはすにしくはなしと與八へはながの暇を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
文政四年五月十日の朝、五ツ(午前八時)を少し過ぎた頃に、奥州街道の栗橋の関所を無事に通り過ぎた七、八人の旅人がぞろぞろつながって、房川ぼうかわわたし(利根川)にさしかかった。
半七捕物帳:33 旅絵師 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
おつぎもしをらしく俯向うつむいた。島田しまだうたおつぎの頭髮かみかるいランプにひかつた。おつぎはとく勘次かんじゆるされて未明みめい鬼怒川きぬがはわたしえて朋輩同志ほうばいどうしとも髮結かみゆひもとつたのであつた。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
一、寒川さむかはわたし。——函館山の西端、即ち湾の入口にのぞんだところに、寒川といふ小部落がある。こゝは町の西端ではあるが、全く町から孤立して、置き忘れられてゐるやうな淋しい部落である。
函館八景 (新字旧仮名) / 亀井勝一郎(著)
それから猿若町さるわかちょうを通って、橋場のわたしを渡って、向島のお邸に帰った。
ヰタ・セクスアリス (新字新仮名) / 森鴎外(著)
岩も水も真白な日当ひあたりの中を、あのわたしを渡って見ると、二十年の昔に変らず、船着ふなつきの岩も、船出ふなでの松も、たしかに覚えがありました。
薬草取 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
しかし渡場はいまだことごとく東京市中からその跡を絶った訳ではない。両国橋を間にしてその川上に富士見ふじみわたし、その川下に安宅あたけの渡が残っている。
引受ひきうけられよと折入てたのみしにより九郎兵衞は漸々やう/\承知しようちして入夫となり六石三斗の田地でんち質入しちいれなし金十兩借請かりうけ條七にわたしければ條七は是非なく金毘羅參こんぴらまいりと云箱をくびかけ數年住馴すみなれ故郷こきやう
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
すぐに墓場から駈落かけおちをして、其の晩は遅いから松戸まつどへ泊り、翌日宿屋を立って、あれから古賀崎こがざきどてへかゝり、流山から花輪村はなわむら鰭ヶ崎ひれがさきへ出て、鰭ヶ崎のわたしを越えて水街道みずかいどうへかゝり
真景累ヶ淵 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
玉川のわたしを渡って、また十丁ばかり、長堤ちょうていを築いた様に川と共に南東走する低い連山の中の唯有る小山をじて百草園に来た。もと松蓮寺の寺跡じせきで、今は横浜の某氏が別墅べっしょになって居る。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
勘次かんじ鬼怒川きぬがはわたしえて土手どてつたひて、のない唐鍬たうぐはつてつた。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
思い思いに雨の宮のわたし猫ヶ瀬等から川を渡り北進した。
川中島合戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
三十一日は利根とねわたしを越えて、中田の駅を過ぎる。
寄席と芝居と (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
やさしいこゑ時々とき/″\く。から直接ちよくせつに、つかひのようのうけわたしもするほどなので、御馳走ごちそうまへに、たゞあづけだ、と肝膽かんたんしぼりつつもだえた。
二た面 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
やがて橋場のわたしに至るに、渡小屋わたしごやの前(下巻第五図)にはりょうにでも行くらしき町風まちふうの女づれ、農具を肩に煙管きせるくわへたる農夫と茅葺屋根の軒下に行きちがひたり。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
お釈迦さまからわたしを越えるとすぐに向うが下矢切村でございますけれども、江戸へとては十六の時に来たぎりで、浅草の観音さまを其の時初めて拝んだという人で、供に附いて来た男は