“路”のいろいろな読み方と例文
読み方(ふりがな)割合
みち90.3%
4.3%
3.1%
1.1%
0.5%
みちに0.2%
ノミチ0.2%
0.2%
ルー0.2%
(注)作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
みちの二三丁も歩いたが、桂はその間も愉快に話しながら、国元くにもとのことなど聞き、今年のうちに一度故郷くにに帰りたいなどいっていた。
非凡なる凡人 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
今日こんにち、君を送る、すべからく酔いを尽すべしイ……明朝、相憶あいおもうも、みち、漫々たりイ……じゃないか、アハハハハ……」
爆弾太平記 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
住民は、天然の地勢によって山間に閉めこまれているのみならず、トロッコみちへ出るには、必ず、巡査上りの門鑑に声をかけなければならなかった。
土鼠と落盤 (新字新仮名) / 黒島伝治(著)
あそぶに屈強くつきやうなる年頃としごろなればにやれをはじめに一しゆうには二三かよ
にごりえ (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
午後四時過ヸクトリア・ホテルの前に馬を下る。今日の行程七里。エルサレムよりナザレまで約二十七里。急げば二日
初君が哥に「ものおもひこしうら白浪しらなみも立かへるならひありとこそきけ」此哥吉瑞きちずゐとなりてや、五年たちてのち嘉元かげん元年為兼卿皈洛きらくありて
「国の広さは、南北八といわれています。大国の証拠には、日々、街道すじの往還、荷駄千匹ずつありと申す。以て、御推量がつくでしょう」
上杉謙信 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
中世の記録を見ればいくらでも実例が出ているが、京都から奈良へというほどの一日の旅でも、前以まえもって通知があって、昼の用意をする者がある。
母の手毬歌 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
智深と九紋龍は、それから二日ほどの旅をともにし、やがて華州と開封路かいほうじの追分けにかかるや、再会をちぎって、たもとわかった。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
曠野こうやにさまよう子供と見て、その足軽は、さきへ青竹をつんでいった車やつれの人数からひとりおくれて、こまごまと、十方角ほうがく里数りすうをおしえてくれている。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
獄関ごっかん梁山泊りょうざんぱくへ通じること
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ほらざれば家の用ふさ人家じんかうづめて人のいづべきところもなく、力強ちからつよき家も幾万斤いくまんきんの雪の重量おもさ推砕おしくだかれんをおそるゝゆゑ、家として雪をほらざるはなし。
空行く雲のカヨと、昇り立つて祈りました。
死者の書 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
空行く雲のカヨと、昇り立つて祈りました。
死者の書 (旧字旧仮名) / 折口信夫釈迢空(著)
空行く雲のカヨと、昇り立つて祈りました。
死者の書 (旧字旧仮名) / 折口信夫(著)
一本榎上御領村下御領村平野村を経て一里廿七町神辺駅。菅茶山を訪。みちに横井敬蔵に逢ひ駅長の家にして細井磯五郎に逢。みな撫院の応接にいづるとなり。茶山の廬駅に面して柴門あり。門に入て数歩流渠あり。圯橋いけうを架て柳樹茂密その上を蔽ふ。茅屋瀟灑夕陽黄葉村舎の横額あり。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
○あまとぶや……カルノミチ……領巾片敷ヒレカタシき……鳥
どこまでも、尾行のように、あとについてきた。館駅コアンイチエ街に出た。ウイへ曲る角にきた。山崎の右の手は、前後左右に眼をやったかと思うと、大褂児タアコアルのポケットに行った。
武装せる市街 (新字新仮名) / 黒島伝治(著)
カーキ服の兵士達は、着剣した銃をさげ、ばらばらとそのあとへ現われた。豆をはぜらすような、小銃の発射は、方々ではげしくなった。ウイへさしかゝると、俥夫は、おじけづいて、しりごみした。
武装せる市街 (新字新仮名) / 黒島伝治(著)
福州路フーチャオルー広東路カントンルーなどの素晴らしく壮麗なルーがあり、南北に通じている路筋には、四川路スーチュンルーだの河南路ホーナンルーだの
いろいろのルーがあるのでした。