“十分”のいろいろな読み方と例文
読み方割合
じゅうぶん27.5%
じふぶん20.0%
じっぷん15.0%
じゆうぶん12.5%
じふゞん5.0%
じつぷん5.0%
いっぱい2.5%
したたか2.5%
したゝか2.5%
じゅうぶ2.5%
じゅっぷん2.5%
じゆつぷん2.5%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
チタではことに支那人が多く、満洲まんしゅう近い気もち十分じゅうぶんであった。バイカルから一路上って来た汽車は、チタから少し下りになった。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
如何いかなるくはだてか、内證ないしようはずわざ打明うちあけて饒舌しやべつて、紅筆べにふで戀歌こひうた移香うつりがぷんとする、懷紙ふところがみうや/\しくひろげて人々ひと/″\思入おもひいれ十分じふぶんせびらかした。
二た面 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
のみならずからかいでもしなければ、活気にちた五体と頭脳を、いかに使用してしかるべきか十分じっぷんの休暇中てあまして困っている連中である。
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
かくてこれ展望てんぼうをほしいまゝにしたわが郵船ゆうせんはナポリこう到着とうちやくし、ヴェスヴィオを十分じゆうぶん見學けんがく機會きかいとらへられるのである。
火山の話 (旧字旧仮名) / 今村明恒(著)
我等われら學校がくかう何時いつかはまこと詩人しゞんづることあらん。そのときまでは矢張やはり『ろ』で十分じふゞんかと存候ぞんじさふらふ
日の出 (旧字旧仮名) / 国木田独歩(著)
おもはず慄立よだてたのは、さく十四年じふよねん五月ごぐわつ二十三日にじふさんにち十一時じふいちじ十分じつぷん城崎きのさき豐岡とよをか大地震おほぢしん大火たいくわ號外がうぐわいると同時どうじであつた。
城崎を憶ふ (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
などとわめく。赫燿かくやくたる大蟹を篝火かがりびは分ったが、七分八分は値段ではない、の多少で、一貫はすなわち十分いっぱいの意味だそうである。
卵塔場の天女 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
あすここそ頂上に相違ないと、余りの嬉しさに周章あわてたものか、吾輩は巌角いわかどから足踏み滑らして十分したたか向脛むこうずねを打った。
本州横断 癇癪徒歩旅行 (新字新仮名) / 押川春浪(著)
見て清三郎にたのみし事手筈てはずちがひたりと思ひ又々玄柳方げんりうかたへ行きて相談さうだんすべしと其翌日そのよくじつ三人玄柳方へぞいたりけるかくて又清三郎は四日市にて長助に十分したゝかうたかほきず
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
力なげ首悄然しおしおおのれがひざ気勢いきおいのなきたそうなる眼をそそぎ居るに引き替え、源太郎は小狗こいぬ瞰下みおろ猛鷲あらわしの風に臨んで千尺のいわおの上に立つ風情、腹に十分じゅうぶの強みを抱きて、背をもげねば肩をもゆがめず
五重塔 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
「すぐそこ、ほんの十分じゅっぷんかそこらだから、まっててね。お母さんの教え子の墓まいりなんだから。いっしょに、きてもいいけど」
二十四の瞳 (新字新仮名) / 壺井栄(著)
なるたけ長くかけて、十分じゆつぷん以上、云ふ必要がある。ぎゆつと押へつけて、それから、すこし優しい調子で、かう云へばいい。
四人 (新字旧仮名) / 芥川多加志(著)