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しゆじん
それから
數日間は
主人の
家に
姿を
見せなかつた。
内儀さんは
傭人の
惡戯を
聞いて
寧ろ
憐になつて
又こちらから
仕事を
吩咐けてやつた。
隨分厭味に
出來あがつて、いゝ
氣の
骨頂の
奴ではないか、
己れは
親方の
息子だけれど
彼奴ばかりは
何うしても
主人とは
思はれない
あの
時は
愚老も
不審に
思ひました。
岸和田藩のお
武士が
夜分内々で
見えまして、
主人美濃守急病で
惱んでゐるによつて
診てくれとのお
話。
實に
雲を
掴むやうな
話だが、
萬が一もと
旅亭の
主人を
呼んで
聽いて
見ると、
果然!
主人は
私の
問を
終まで
言はせず、ポンと
禿頭を
叩いて
實の
親の如く
敬ひ給ひしが其後は將監々々と
御呼なさるゝ
故加納將監も是よりして徳太郎君を
主人の如くに
敬まひ
侍づき
養育なし奉つりける
でね、
此を
聞くと、
人の
好い、
氣の
優しい、
哥太寛の
御新姐が、おゝ、と
云つて、
袖を
開く……
主人もはた、と
手を
拍つて
「
平常の
樣に
犬がゐると
好かつたんですがね。
生憎病氣なので、四五
日前病院へ
入れて
仕舞つたもんですから」と
主人は
殘念がつた。
宗助も
ところが
家來たちは
主人の
愚なことを
謗り、
玉を
取りに
行くふりをして、めい/\の
勝手な
方へ
出かけたり、
自分の
家に
引き
籠つたりしてゐました。
もしこの
家扶が
下座敷にゐたまゝであつたならば
無論壓死したであらうが、
主人思ひの
徳行のために
主人夫妻と
共に
無難に
救ひ
出されたのであつた。
(三)
第二の
横穴に
數人を
合葬したるは
主人及び
殉死者を
入れたりと
解釋せず。
身分に
格別の
隔絶なき
武人の、
同日の
戰死者を
合葬したる
者と
考證す。
自分の
主人は
慾張で、ろくなものを
自分にも
自分の
子ども
等にも
食べさせません、よく
王樣の
御威嚴をもつて
叱つて
頂きたい。と、それから
次には……
天下の
寶といふものは
總てこれを
愛惜するものに
與へるのが
當然じや、
此石も
自ら
能く其
主人を
選んだので
拙者も
喜しく
思ふ、然し此石の出やうが
少し
早すぎる
伯孫はゆうべの
應神天皇の
御陵の
所へ
行つて
見ましたら、
自分の
乘つてゐた
馬は、
御陵の
前にある
埴輪の
土馬の
間にをつて、
主人をまつてゐたので、またびっくりしましたが
へえ
今日は。先「
何だ、人が
書物をして
居る所へどうもバタ/″\
開けちやア困るぢやアないか。小「へえ、
宅の
主人が先生へ
是を
上げて
呉れろと
申ましたから
持つて
参りました。 ...
ニャン君 ご
主人の おへやで
仕事だ 仕事だ 早くきて手
伝つておくれよ
彼の
容貌はぎす/\して、
何處か
百姓染みて、
※鬚から、ベツそりした
髮、ぎごちない
不態な
恰好は、
宛然大食の、
呑※の、
頑固な
街道端の
料理屋なんどの
主人のやうで、
素氣無い
顏には
青筋が
顯れ
が
時々、もっとよい
暮しがしたいといふ
氣持ちが
起らなくもありません。それは
多くは
家族のものたちが、
主人に
訴へる
場合、
或はさういふ
心持ちを
顏に
現してゐる
場合に
起つて
來る
氣持ちなのです。
勘次には
主人の
家が
愉快に
能く
働くことが
出來た。
彼の
體躯は
寧ろ
矮小であるが、
其きりつと
緊つた
筋肉が
段々仕事を
上手にした。
「
是から
又例の
通り
出掛けなければなりませんから」と
切り
上げると、
主人は
始めて
氣が
付いた
樣に、
忙がしい
所を
引き
留めた
失禮を
謝した。
其方儀
主人妻何程申付候共又七も主人の
儀に
付致方も
有之べき處主人又七に
疵を
付剩さへ
不義の申
掛を致さんとせし段
不屆至極に付
死罪申
付る
向ふの
主人もお
前の
姿を
褒めて
居るさうに
聞いたぞと、
録でもなき
根すり
言、
懶怠者だ
懶怠者だ、
我れは
懶怠者の
活地なしだと
大の
字に
寐そべつて
他に
布袋屋と
言ふ——
今もあらう——
呉服屋があつたが、
此の
濱野屋の
方の
主人が、でつぷりと
肥つて、
莞爾々々して
居て、
布袋と
言ふ
呼稱があつた。
馬鹿だな、
苟且にも
主人が呼んだら、
何か
御用でも
有りますかと手を突いて
云ふもんだ、チヨツ(
舌打ち)大きな
体躯で、
汚え手の
垢を手の
掌でぐる/\
揉んで出せば
何の
位の
手柄になる
滅多に
笑つたこともない
但馬守、
今日は
殊に
機嫌のわるい
主人が、にツこりと
顏を
崩したのを、
侍女紀は
不思議さうに
見上げて、『
畏まりました。』と、うや/\しく一
禮して
立ち
去らうとした。
從者も
主人も
同じ
樣なのだ。いよ/\
怪しい、
今度は
又余に
向つて。
主人の
挨拶は
兎に
角明日のことにするからといつた
丈だといふ
返辭である。
勘次はげつそりとして
家へ
歸ると
蒲團を
被つて
畢つた。
「
夫は
惜い
事でした」と
答へた。すると
主人は
其犬の
種やら
血統やら、
時々獵に
連れて
行く
事や、
色々な
事を
話し
始めた。
正午頃の
大ホテル、
秋冷かに
寂とした
中へ、
此の
騷々しさ。
病人の
主人、フト
窓から
下を
覗くと、
急に
眉を
顰めて
踏むに
冷めたき
板の
間を
引裾ながく
縁がはに
出でゝ、
用心口より
顏さし
出し、
玉よ、
玉よ、と二タ
聲ばかり
呼んで、
戀に
狂ひてあくがるゝ
身は
主人が
聲も
聞分けぬ。
其方儀
主人庄三郎養子又七
妻熊と密通致し
其上通り
油町伊勢屋三郎兵衞方にて
夜盜相働き金五百兩
盜み取り候段
重々不屆に
付町中引廻しの上
淺草に於て
獄門申付くる
私は
大笑ひに
笑つてやらうと
考へたが、
待てよ、たとへ
迷信でも、
其主人の
身の
上を
慮ふこと
斯くまで
深く、かくも
眞面目で
居る
者を、
無下に
嘲笑すでもあるまいと
氣付いたので
それは
瓢簟山の
地形である。
此地形が
主墳の
周圍に
陪塚を
造るをゆるさぬ。
即ち
主人を
葬つた
塚の
近くに、
殉死者の
塚を
造るだけの
餘地が
無いので、
已むを
得ず
山麓に
横穴を
造つたといふの
説である。
と
又退治るのを、「
頼もしいわ、
私たちの
主人にはそれが
出來ないの。」と
感状に
預つた
得意さに、
頭にのつて
料理人の方では最上の料理を
食はして、
叱られたものだから、
其次からは二流もしくは三流の料理を
主人にあてがつて、始終
褒められたさうだ。此料理人を見給へ。
心は
變化するものなり、
雪三が
徃昔の
心裏を
覗はゞ、
糸子に
對する
觀念の
潔白なること、
其名に
呼ぶ
雪はものかは、
主人大事の
一ト
筋道、
振むくかたも
無かりし
物の
黒人の
給仕に
導かれて、
燈籠の
影へ
顯れたつけね——
主人の
用に
商賣ものを
運ぶ
節は、
盜賊の
用心に
屹と
持つ……
穗長の
槍をねえ、こんな
場所へは
出つけないから
廿歳といふも
今の
間なるを、
盛りすぎては
花も
甲斐なし、
適當の
聟君おむかへ申し
度ものと、一
意專心主おもふ
外なにも
無し、
主人大事の
心に
比らべて
世上の
人の
浮薄浮佻
余が
知つてからも三四
代主人が
變つたのであつた。
眞個、
其の
言に
違はないもんですから、
主人も、
客も、
座を
正して、
其のいはれを
聞かうと
云つたの。
書けと
仰しやれば
起證でも
誓紙でもお
好み
次第さし
上ませう、
女夫やくそくなどと
言つても
此方で
破るよりは
先方樣の
性根なし、
主人もちなら
主人が
怕く
親もちなら
親の
言ひなり
此の
備中、
一時越前の
領土巡検の
役を、
主人義景より
承り、
供方二十
人ばかりを
連れて、
領分の
民の
状態を
察せんため、
名だゝる
越前の
大川、
足羽川のほとりにかゝる。
お
民は
此家に十
年あまり
奉公して
主人といへど
今は
我が
子に
替らず、
何とぞ
此人を
立派に
仕あげて
我れも
世間に
誇りたき
願ひより、やきもきと
氣を
揉むほど
何心なきお
園の
体のもどかしく
總じて
主人が
内にある
時と、
外に
出でし
後と、
家内の
有樣は、
大抵天地の
違あるが
家並に
候なり。
その
主人に一
年の
馴染、
氣に
入りの
奉公人が
少々の
無心を
聞かぬとは申されまじ、
此月末に
書かへを
泣きつきて、をどりの一
兩二
分を
此處に
拂へば
又三
月の
延期にはなる、
斯くいはゞ
欲に
似たれど
白井さんの
家族が
四人、——
主人はまだ
燒けない
家を
守つてこゝにはみえない——
私たちと、……
濱野さんは
八千代さんが
折紙をつけた、いゝ
男ださうだが、
仕方がない。
實は
何です。
私の
主人と
言ひますのが、
身分柄にも
似合はない、せゝツこましい
人でしてね。
あと四
人は
本道を
休茶屋へ
着くと、
和井内の
主人は
股立を
解いて、
別れを
告げたのであつた。