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れい
もお
厭ひ無くて
態々と娘の
勤め先までも御連れ下さる御心切御
禮の申上樣も御座らぬ迄に有難う存じますると云ふを
聞三次はかぶりを
『お
絹さん!』と
僕は
思はず
手を
擧げた。お
絹はにつこり
笑つて、さつと
顏を
赤めて、
禮をした。
人と
車との
間は
見る/\
遠ざかつた。
ハヾトフは
其間何故か
默した
儘、さツさと六
號室へ
這入つて
行つたが、ニキタは
例の
通り
雜具の
塚の
上から
起上つて、
彼等に
禮をする。
下女は「
左樣で
御座いましたか、どうも」と
簡單に
禮を
述べて、
文庫を
持つた
儘、
板の
間の
仕切迄行つて、
仲働らしい
女を
呼び
出した。
エドガーアセリングと
共に、
行きてウィリアムに
面謁し、
王冠を
捧げたのは
當然のことです。ウィリアムの
行動は
最初禮に
適ふたものでした。
またこの
本を
書くにあたつて、
松本龍太郎さんにいろ/\
御厄介になつたことを、こゝで
厚くお
禮を
申しあげて
置きます。
お
禮も
何といひかぬるを、よう
似合のうと
笑ひながら、
雪灯手にして
立出給へば、
蝋燭いつか三
分の一ほどに
成りて、
軒端に
高し
木がらしの
風。
晏子が
莊公の
尸に
伏し、
之を
哭して
禮を
成し
然る
後去るに
方つて、
豈に
所謂(七二)義を
見て
爲さざるは
勇無き
者邪。
ロミオ マーキューシオーどの、
恕して
下され、
實は
是非ない
所用があったからぢゃ。あんな
際には、つい、その、
禮を
曲ぐることがある
習ひぢゃ。
漸く
癒してやつた
其の
禮が、たつた五
兩であつたのには、一
寸一
兩の
規定にして、
餘りに
輕少だと、
流石淡白な
玄竹も
少し
怒つて、
其の五
兩を
突き
返した。
實はモールスの
署名は、
僕ばかり
貰つたのだと
思つて、
先日杉村氏に
會つた
時に、
實に
天下一品だ、
完全の
土器を百
貰つたより
嬉しいと
禮を
云つたのだつたが
一
本づつ
眼をくぎつて
行くプラットフォオムの
柱、
置き
忘れたやうな
運水車、それから
車内の
誰かに
祝儀の
禮を
云つてゐる
赤帽——さう
云ふすべては、
窓へ
吹きつける
煤煙の
中に
路で
出合ふ
老幼は、
皆輿を
避けて
跪く。
輿の
中では
閭がひどく
好い
心持になつてゐる。
牧民の
職にゐて
賢者を
禮すると
云ふのが、
手柄のやうに
思はれて、
閭に
滿足を
與へるのである。
一
時は
拳鬪のお
禮に
眞劍勝負でも
申込んで
呉れんかとまで
腹立つたのだが。
「どうも
有難う、お
孃さん。いつかお
禮はいたします」
彼女はそこで
輕く
禮を
言つて
傘を
受取つた。
早々申上
御安堵させ奉つらんと一※に存じ
込君臣の
禮を失ひ候段恐入奉つり候
依て兩人は是より
差控仕つる可と座を
退かんとするを
宗助は
老師の
此挨拶に
對して、
丁寧に
禮を
述べて、
又十日前に
潛つた
山門を
出た。
甍を
壓する
杉の
色が、
冬を
封じて
黒く
彼の
後に
聳えた。
其上で
若し
物になりさうだツたら
何卒怠惰屋の
弟子といふことに
願ひたいものです。さうなると
私の
方でも
出來るだけのお
禮は致します積りで……
此の
人ばかりには
限らない。
靜岡でも、
三島でも、
赤帽君のそれぞれは、
皆もの
優しく
深切であつた。——お
禮を
申す。
景公、
諸大夫と
郊に
迎へ、
師を
勞ひ
禮を
成し、
然る
後反つて
(三二)寢に
歸る。
既にして
穰苴を
見、
尊んで
大司馬と
爲す。
田氏日に
以て
益〻齊に
尊し。
お
禮を
申て
頂いてお
出でと
蒔散らせば、これを
此娘の十八
番に
馴れたる
事とて
左のみは
遠慮もいふては
居ず、
旦那よろしいのでございますかと
駄目を
押して
玄竹の
藥箱は
可なり
重いものであつた。これは
玉造の
稻荷の
祭禮に
御輿擔いだ
町の
若い
衆がひどい
怪我をした
時玄竹が
療治をしてやつたお
禮に
貰つたものであつた。
何と
云つて
可いか
解らぬので、
愛ちやんは
只一
禮し、
成るべく
嚴格な
容貌をして
指環を
取出しました。
閭はかう
見當を
附けて
二人の
傍へ
進み
寄つた。そして
袖を
掻き
合せて
恭しく
禮をして、「
朝儀大夫、
使持節、
台州の
主簿、
上柱國、
賜緋魚袋、
閭丘胤と
申すものでございます」と
名告つた。
けれど、
私は
大佐の
今の
境遇に
就いては、
一言も
問を
發しなかつた。
差當つて
尋ねる
必要も
無く、また
容易ならざる
大佐の
秘密をば、
輕率に
問ひかけるのは、
却て
禮を
失すると
思つたからで。
さし出し城富に遣はして此後折々我が
屋敷へも參るべしとて
厚く
禮を
述ければ是よりして
味岡の方へも出入をなせしが
鍼術に於ては大いに
妙を
「
御早う」と
慇懃に
禮をした。「
先刻御誘ひ
申さうと
思ひましたが、よく
御寢の
樣でしたから、
失禮して
一人參りました」
老子は
楚の
苦縣の
厲郷、
曲仁里の
人也。
姓は
李氏、
名は
耳、
字は
伯陽、
諡を
聃と
曰ふ。
周の
(一)守藏室の
史也。
孔子、
周に
適き、
將に
禮を
老子に
問はんとす。
音信して、
恩人に
禮をいたすのに
仔細はない
筈。
雖然、
下世話にさへ
言ひます。
慈悲すれば、
何とかする。
旦那や
御新造に
宜くお
禮を申て
來いと
父さんが
言ひましたと、
子細を
知らねば
喜び
顏つらや、まづ/\
待つて
下され、
少し
用もあればと
馳せ
行きて
内外を
見廻せば
暫くして
其男は
丁寧にお
辭儀を
爲て、
校長も
至極丁寧に
禮をして、そして
二人は
別れました。
滅多に
笑つたこともない
但馬守、
今日は
殊に
機嫌のわるい
主人が、にツこりと
顏を
崩したのを、
侍女紀は
不思議さうに
見上げて、『
畏まりました。』と、うや/\しく一
禮して
立ち
去らうとした。
「
寸志のお
禮がいたしたいのですが。」
「
別嬪でござんした。」たゞでもこの
役はつとまる
所をしみ/″\
禮をいはれた
上に、「たんまり
御祝儀を。」とよごれくさつた
半纏だが、
威勢よく
丼をたゝいて
見せて
何うしてもお
前には
逢はないよ、
長々御世話さま
此處からお
禮を
申します、
人をつけ、もう
誰の
事も
當てにするものか、
左樣なら、と
言つて
立あがり
沓ぬぎの
草履下駄足に
引かくるを
己を
知るものにして
而も
禮無くば、
固より
縲紲の
中に
在るに
如かず
確に
驛の
名を
認めたのは
最う
國府津だつたのである。いつもは
大船で
座を
直して、かなたに
逗子の
巖山に、
湘南の
海の
渚におはします、
岩殿の
觀世音に
禮し
參らす
習であるのに。
藤本は
坊主のくせに
女と
話をして、
嬉しさうに
禮を
言つたは
可笑しいでは
無いか、
大方美登利さんは
藤本の
女房になるのであらう、お
寺の
女房なら
大黒さまと
言ふのだなどゝ
取沙汰しける
靜かに
進んで
禮をする
時、
牡丹に
八ツ
橋を
架けたやうに、
花の
中を
𢌞り
繞つて、
奧へ
續いた
高樓の
廊下づたひに、
黒女の
妼が
前後に三
人屬いて、
淺緑の
衣に
同じ
裳をした……
面は
千葉は
御恩のあたゝかく、
口に
數々のお
禮は
言はねども、
氣の
弱き
男なれば
涙さへさしぐまれて、
仲働きの
福に
頼みてお
禮しかるべくと
言ひたるに、
渡り
者の
口車よく
廻りて、
斯樣/\しか/″\で
その
前夜のあの
暴風雨をわすれたやうに、
朝から
晴れ/″\とした、お
天氣模樣で、
辻へ
立つて
日を
禮したほどである。おそろしき
大地震、
大火の
爲に、
大都は
半、
阿鼻焦土となんぬ。
何やらん
大袋を
兩手に
抱へて
母さん
母さんこれを
貰つて
來たと
莞爾として
驅け
込むに、
見れば
新開の
日の
出やがかすていら、おや
此樣な
好いお
菓子を
誰れに
貰つて
來た、よくお
禮を
言つたかと
問へば
「
風が
出ました、もう
霽りませう。」「これはありがたい、お
禮を
言ふよ。」「ほほほ。」ふつくり
色白で、
帶をきちんとした
島田髷の
女中は、
白地の
浴衣の
世話をしながら
笑つたが
奇なる
哉、
更に
一時間いくらと
言ふ……
三保の
天女の
羽衣ならねど、
身にお
寶のかゝる
其の
姉さんが、
世話になつた
禮かた/″\、
親類へ
用たしもしたいから、お
差支へなくば
御一所に
……なか/\に
稼ぐ
所ではないから、いきつぎに
表へ
出て、
近所の
方に、たゞ
今の
禮を
立話しでして
居ると、
人どよみを
哄とつくつて、ばら/\
往來がなだれを
打つ。
小兒はさけぶ。
犬はほえる。
道者は、
杖を
地から
離して、
手を
高く
上げて
禮したのである。