“習”のいろいろな読み方と例文
読み方割合
なら37.0%
ならい19.0%
まな14.1%
ならひ9.8%
そよ4.9%
なろ2.7%
ならは2.2%
ナラハ1.6%
ならはし1.6%
しふ1.1%
ならわ1.1%
1.1%
ならっ0.5%
おそ0.5%
さら0.5%
0.5%
ならわし0.5%
なれ0.5%
ナラ0.5%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
といわれるので、長吉落第してはならないとって、ってからも、その学校ってきた算術はかならず復習いたしました。
残された日 (新字新仮名) / 小川未明(著)
こころ合はでもまむよしなきに、日々にあひ見てむこころくまでりたる時、これに添はするさりとてはことわりなの世や。
文づかひ (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
十数年の長いあいだ、陶器の技術をぼうため、景徳鎮に渡り、かの地にとどまるうち、異国の一女を妻として子まで生ました。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
私の祖父を里正津下市郎左衛門と云つた。旧家に善くあるで、祖父は分家で同姓の家の娘をつた。祖母の名は千代であつた。
津下四郎左衛門 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
との風も無い。最中過の八月の日光が躍るが如く溢れ渡つた。氣が附くと、畑々には人影が見えぬ。丁度、盆の十四日であつた。
赤痢 (旧字旧仮名) / 石川啄木(著)
「では。……すみませんが、そこの琵琶をお取りくださいませぬか。大原御幸も、まだみなは覚えませぬが、うたくだりだけを、いてみましょう」
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
婚姻は秋山十五ヶ村をかぎりとして他所にもとめず。婦人他所にて男をもてば親族不通して面会せざるを、むかしよりのせとす。
何時からとも知らぬ、しである。春秋の、日と夜と平分する其頂上に當る日は、一日、日の影を逐うて歩く風が行はれて居た。
死者の書 (旧字旧仮名) / 折口信夫(著)
ふ、宗桂のあしらひより、番太郎桂馬が、さうにえるで、お感心したらしかつた。もさうずと千助益々附入る。
片しぐれ (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
芭蕉の盆石が孔夫子の泰山に似たるをいふなり。芭蕉駔儈軽薄少しもなかりしは吟咏文章にてもしらる。此翁は其角がいひしごとく人の推慕する事今に於も不可思議奇人なり。
の中にはいている二人の召使の外には誰もいない筈だった。夫人はフロリダ地方へ行っているし、主人は土曜日の夜はいつも日曜版が刷上るまで新聞社にいるしだった。
赤い手 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
客「然うでしょう、少し声がしゃがれてるし、一中節ったろう、あのーなにを唄ったろう……あれは端物だがいゝねえ、其角をしたという、吉田の兼好法師の作の徒然草を」
左伝通読十一偏その中、塾も二度か三度かえた事があるが、最も多く漢書をたのは、白石と云う先生である。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
だからわる方になってもこの習わり方がかえって近道なので、急がば廻れで、遠国から出て来て、三年の修業というようにあらかた日限を切って自分の仕事を物にしよう
「市子ちゃん、米子ちゃん、店にいるの。こっちへ来ておいをしないこと?」
地上:地に潜むもの (新字新仮名) / 島田清次郎(著)
学芸にれず、奥妙なる宗教に養はれざる平民の趣味には、謡曲は到底応ずることを得ざるなり。故に彼等の中にから新戯曲の発生熟爛するありて、巣林子の時代に於て其盛運を極めたり。
徳川氏時代の平民的理想 (新字旧仮名) / 北村透谷(著)
まあ聞いてくれ、パーシウス、わしは美しいヒポデイミヤ姫と結婚しようと思っている。ところが、こうした場合、花嫁に対して何か遠い国から持って来た美事な珍品を贈るというになっている。
「そんなこと言ったって、つあまや。何しろまだ十六だもの……裁縫えにもやんねえのだもの、えで見ればこのわらしも……」
緑の芽 (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
それでも、春の旅と言へば、まづ櫻を思ふはしから、大臣は薄い望みを懸けてゐた。若し、高野や、吉野の奧の花見られることのありさうな、靜かな心踊りを感じて居たのであつた。
死者の書 続編(草稿) (旧字旧仮名) / 折口信夫(著)