ならい)” の例文
こころ合はでもいなまむよしなきに、日々にあひ見てむこころくまでつのりたる時、これに添はするならいさりとてはことわりなの世や。
文づかひ (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
雪国のならいとして、板屋根には沢山の石が載せてあるので、彼は手当てあたり次第に取って投げた。石のつぶてと雪の礫とが上下うえしたから乱れて飛んだ。
飛騨の怪談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
これは湯宿の込合う折は、いつでも手伝いにならい。給仕に出た座敷の客の心づけたものであろう、その上に、白金巾しろかなきんの西洋前垂まえだれ
わか紫 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
青空を見るたび、しばし胸の苦痛を忘れて、昔の夢を見るのがならいとなった。今、この苦しみを忘れるものは、青空を見るより他にない。
悪魔 (新字新仮名) / 小川未明(著)
どうもそれにしても、ポルジイは余り所嫌わずにそれを連れ歩くようではあるが、それは兎角そうなりやすならいだと見れば見られる。
手首は触れやすいためにならいとなったのに過ぎぬと論ぜられたので、列座の人々は驚きあきれ、首肯する者、否定する者、暫く騒然としたそうです。
鴎外の思い出 (新字新仮名) / 小金井喜美子(著)
ただ武門のならいとして一死もって二百五十年の恩にむくいるのみ、総督もし生を欲せば出でて降参せよ、我等われらは我等の武士道にたおれんのみとて憤戦ふんせんとどまらず
瘠我慢の説:02 瘠我慢の説 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
たちましたしみ、忽ちうとんずるのが君のならいで、み合せた歯をめったに開かず、真心を人の腹中に置くのが僕の性分であった。
昔は六十を超えたる老人はすべてこの蓮台野へ追い遣るのならいありき。老人はいたずらに死んでしまうこともならぬ故に、日中は里へ下り農作して口をぬらしたり。
遠野物語 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
しかし一方、ならい、性となった・あの文字を連ねることの霊妙な欣ばしさ、気に入った場面を描写することの楽しさが、自分を捨去るとは、ゆめゆめ思えない。
光と風と夢 (新字新仮名) / 中島敦(著)
素足すあしも、野暮な足袋たびほしき、寒さもつらや」といいながら、江戸芸者は冬も素足をならいとした。粋者すいしゃの間にはそれを真似まねて足袋をかない者も多かったという。
「いき」の構造 (新字新仮名) / 九鬼周造(著)
そんな事はねえが武士さむらいの果は外に致方いたしかたもなく、旨い酒も飲めないから、どうせ永い浮世に短い命、斬りり強盗は武士ぶしならいだ、今じゃア十四五人も手下が出来て
真景累ヶ淵 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
虫けらの死んだの草木の枯れたのまでに悲しみを起し、是非ぜひに生老病死がこの世のならいなれば、この世をでねばすまぬと志を立て、年二十五の時位を棄てて山へ入り
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
毎年のならいで、ことしも稲荷いなり様の境内から町内の掛行燈かけあんどんの絵は、みんな街子まちこの父親がいたのです。
最初の悲哀 (新字新仮名) / 竹久夢二(著)
春院しゅんいんいたずらにけて、花影かえいおばしまにたけなわなるを、遅日ちじつ早く尽きんとする風情ふぜいと見て、こといだいてうらみ顔なるは、嫁ぎおくれたる世の常の女のならいなるに、麈尾ほっすに払う折々の空音そらね
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
即ち不良性はただちに人間性で、逆に云えば人間として不良性を備えざるなしという事になる。孔子の「ならい」、基督キリストの「罪」、釈迦の「ごう」等いう言葉は、この意味を含んでいはしまいかと思われる。
東京人の堕落時代 (新字新仮名) / 夢野久作杉山萠円(著)
汝心をきよめて良き日の来るを待て、変り易きは世のならいなり
基督信徒のなぐさめ (新字新仮名) / 内村鑑三(著)
兎角そんな時のならい
当時道家には中気真術と云うものを行うならいがあった。毎月朔望さくぼうの二度、予め三日のものいみをして、所謂いわゆる四目四鼻孔云々うんぬんの法を修するのである。
魚玄機 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
立去りあえずたたずむのがならいであったが、恋しさもしたわしさも、ただ青海あおうみの空の雲の形を見るように漠然とした、幻に過ぎなかった。
湯島詣 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
日本の演劇しばいで蛙の声を聞かせる場合には、赤貝をり合せるのが昔からのならいであるが、『太功記たいこうき』十段目の光秀が夕顔棚ゆうがおだなのこなたよりあらわでた時に
二階から (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
昇平しょうへい百年にして奢侈しゃしならいとなり、費用いにしえに十倍せり。窮せざることを欲すとも得べからず。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
四九 仙人峠は登り十五里くだり十五里あり。その中ほどに仙人の像を祀りたる堂あり。この堂のかべには旅人がこの山中にて遭いたる不思議の出来事を書きしるすこと昔よりのならいなり。
遠野物語 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
心は何処どこか余所になってしまっていて、とうとい熱も身をあたためず、貴い波も身を漂わさず、ほかの人が何日いつか出会って、一たびは争って、ついには恵みを受けるならいの神には己は逢わずにしまった。
物おほくいはぬ人のならいとて、にわかいだししこと葉と共に、顔さとあかめしが、はや先に立ちていざなふに、われはいぶかりつつも随ひ行きぬ。
文づかひ (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
北国のならいであろう、大池の橋を渡って、真紅まっかに色を染めた桜の葉の中に、細滝ほそたきを見て通る頃から、ぽつりと雨がかかった。
卵塔場の天女 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
昔から世間にくあるならいで、田舎のお大尽だいじんを罠に掛ける酌婦の紋切形であろう位に、極めて単純に解釈していた。
飛騨の怪談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
目見はかくの如く世の人に重視せられるならいであったから、この栄をになうものは多くの費用を弁ぜなくてはならなかった。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
見る見る、目の下の田畠たはたが小さくなり遠くなるに従うて、波の色があおう、ひたひたと足許に近づくのは、海をいだいたかかる山の、何処いずこも同じならいである。
春昼 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
ここらの町家まちやは裏手に庭や空地あきちっているのがならいであるから、巡査等は同家どうけ踏込ふみこんでず裏庭を穿索せんさくした。が、縁の下にも庭の隅にも重太郎の姿は見えなかった。
飛騨の怪談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
いかんせん世のならいである。いずれは身のつまりで、げて心中の覚悟だった、が、華厳けごんの滝へ飛込んだり、並木の杉でぶら下ろうなどというのではない。
開扉一妖帖 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
出羽でわの山形は江戸から九十里で、弘前に至る行程のなかばである。常の旅にはここに来ると祝うならいであったが、五百らはわざと旅店を避けて鰻屋うなぎやに宿を求めた。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
死人に六文銭ろくもんせんを添へてほうむるのが古来こらいならいである。その六文銭のある間、母はわが子を養育するために毎日一文づつの飴を買つてゐたのであるが、けふは六日目でその銭も尽きた。
小夜の中山夜啼石 (新字旧仮名) / 岡本綺堂(著)
天は蒼々そうそうとしてかみにあり。人は両間りょうかんに生れて性皆相近し。ならい相遠きなり。世の始より性なきの人なし。習なきの俗なし。世界万国皆其国々の習ありて同じからず。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
舞台にあらわす……しゃ、ならいよ、芸よ、術よとて、胡麻ごまの油で揚げすまいた鼠のわなに狂いかかると、わっと云うのが可笑おかしさをはやすので、小児こどもは一同、声を上げてどつと笑う。
白金之絵図 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
た不思議がらつしやるが、目に見えぬで、どないな事があらうも知れぬが世間のならいぢや。
二世の契 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
こう云う時のならいとして、最初は一同遠慮をして酒肴に手を出さずに、只にらみ合っていた。
百物語 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
辺幅へんぷくを修めない、質素な人の、住居すまいが芝の高輪たかなわにあるので、毎日病院へ通うのに、この院線を使って、お茶の水で下車して、あれから大学の所在地まで徒歩するのがならいであったが
売色鴨南蛮 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
先づ二人がおもてつはたばこのけぶりにて、にわかに入りたる目には、なかなる人をも見わきがたし。日は暮れたれど暑き頃なるに、窓ことごとくあけはなちはせで、かかる烟の中に居るも、ならいとなりたるなるべし。
うたかたの記 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
すくなからず悩まされて、自分にお蔦と云う弱点よわみがあるだけ、人知れず冷汗がならいであったから、その事ならもう聞くまい、と手強く念を入れると、今夜はズボンの膝をかしこまっただけ大真面目。
婦系図 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
わか世捨人よすてびとな、これ、坊さまも沢山たんとあるではないかいの、まだ/\、死んだ者に信女しんにょや、大姉だいし居士こじなぞいうて、名をつけるならいでござらうが、何で又、其の旅商人たびあきうど婦人おんな懸想けそうしたことを
二世の契 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
黒ずんだが鬱金うこんの裏の附いた、はぎ/\の、これはまた美しい、せては居るが色々、浅葱あさぎあさの葉、鹿子かのこ、国のならいで百軒からきれひとツづゝ集めてぎ合すところがある、其のちやん/\を着て
二世の契 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
窓を開けたままで寝ると、夜気に襲われ、胸苦しいは間々あるならいで。
沼夫人 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
印半纏しるしばんてん股引ももひき、腹掛けの若いものが、さし心得て、露じとりの地に据えた床几に、お珊は真先まっさきに腰を掛けた。が、これは我儘わがままではない。ねりものは、揃って、宗右衛門町のここに休むのがならいであった。
南地心中 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
回生剤きつけとして、その水にしたたらして置くがならいじゃ。
草迷宮 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)