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たうじ
しのぐ事あたはざるもの
飢餲にうれふるものには其金銀を與へてくるしみを
除き給ひしが
當時のありさまを見るにさしてこゝ一日人を
余は既に頭巾と
覆面との事に付きて言ひしが如く遮光器の
存在に關しても
當時の
氣候寒冷なりしならんとの事を
想像するなり。(續出)
清潔好な
彼には
派手な
手拭の
模樣が
當時矜の
一つであつた。
彼はもう
自分の
心を
苛めてやるやうな
心持で
目欲しい
物を
漸次に
質入した。
それも
一つだが、
其の
當時は、
今も
大錢お
扱ひの
方はよく
御存じ、
諸國小貨のが
以てのほか
拂底で、
買ものに
難澁一方ならず。
そこで
今迄の
問題は
其所に
据ゑつきりにして
置いて、
自分が
當時小六の
學資として
叔父に
預けて
行つた千
圓の
所置を
聞き
糺して
見ると、
叔母は
家名相續は
何ともすべしと
言ひ
寄る
人一人二人ならず、ある
時學士が
親友なりし
某、
當時醫學部に
有名の
教授どの
人をもつて
法の
如く
言ひ
込みしを
所がその主人からは、四五日前に
暇を
出された。前にも書いたやうに、
當時京都の町は一通りならず
衰微してゐた。
云ふまでもなく、
如何なる作家にとつても
處女作を書いた
當時の思ひ出ほど
懷しく、忘れ
難いものはあるまい。
『イヤそう
眞面目に
問はれては
困る。
僕は
小兒の
時を
回想して
當時の
學校を
懷しく
思ふだけの
意味で
言つたのです』とハーバードは
罪のない
微笑を
浮べて
言譯した。
(
舞踏室又は
客室の
床上に
刈り
集めたるばかりの
燈心草(
藺)を
敷きしは
當時の
上流の
習はしなり。)
〔評〕南洲
嘗て東湖に從うて學ぶ。
當時書する所、今猶民間に
存す。曰ふ、「
一寸の
英心萬夫に
敵す」と。
蓋し
復古の
業を以て
擔當することを爲す。
維新征東の
功實に此に
讖す。
其方儀嘉川家
嫡子の身分を以て常々
不行跡の由沙汰有之の處
當時病氣にて存命も
量り難き由是に
因て全快まで
親類へ御預仰付らる
お
品の
病氣を
案ずる
外彼の
心には
何もなかつた。
其當時には
卯平に
不平をいはれやうといふやうな
懸念は
寸毫も
頭に
起らなかつたのである。
宗助は
當時を
憶ひ
出すたびに、
自然の
進行が
其所ではたりと
留まつて、
自分も
御米も
忽ち
化石して
仕舞つたら、
却つて
苦はなかつたらうと
思つた。
しかし、
其の
當時、
風は
荒かつたが、
眞南から
吹いたので、
聊か
身がつてのやうではあるけれども、
町内は
風上だ。
差あたり、
火に
襲はるゝ
懼はない。
忽ち
聽く
盤上玉を
轉ばすが
如き
響、ピアノに
神宿るかと
疑はるゝ、
其妙なる
調べにつれて
唱ひ
出したる
一曲は、これぞ
當時巴里の
交際境裡で
大流行の『
菊の
國の
乙女』
美登利の
眼の
中に
男といふ
者さつても
怕からず
恐ろしからず、
女郎といふ
者さのみ
賤しき
勤めとも
思はねば、
過ぎし
故郷を
出立の
當時ないて
姉をば
送りしこと
夢のやうに
思はれて
彼は
其當時お
品の
家へは
隣づかりといふので
能く
出入つた。
一つには
形づくつて
來たお
品の
姿を
見たい
所爲でもあつた。
當時は
町を
離れた
虎杖の
里に、
兄妹がくらして、
若主人の
方は、
町中の
或會社へ
勤めて
居ると、
此の
由、
番頭が
話してくれました。
一昨年の
事なのです。
自分は
在學當時の
舊友に
逢ふのを、
特に
避けたい
理由を
持つてゐたので、
彼の
旅館を
訪ねる
氣は
毛頭なかつた。
其方
寺へ
葬りし趣きなるが右は
當時無縁なるか又は
印の
石塔にても
建ありやと尋けるに此祐然
素より
頓智才辨の者故參候
若君澤の井の
石塔は御座候も
香花を
胸を
抱きて
苦悶するは
遣る
方なかりし
當時のさまの
再び
現にあらはるゝなるべし。
末は
何となる
身ぞ、
兩親ありながら
大目に
見てあらき
詞をかけたる
事も
無く、
樓の
主が
大切がる
樣子も
怪しきに、
聞けば
養女にもあらず
親戚にてはもとより
無く、
姉なる
人が
身賣りの
當時
其の
山が
崩れたので、
當時大地震の
觸頭と
云つた
場所の、
剩へ
此の
四五日、
琅玕の
如き
蘆ノ
湖の
水面が
風もなきに
浪を
立てると、うはさした
機であつたから。
こゝに、
一寸斷つておくのは、
工學士は
嘗て
苦學生で、
其當時は、
近縣に
賣藥の
行商をした
事である。
角はまは、
名古屋通で
胸をそらした
杉野氏を
可笑しがつて、
當時、
先生が
御支配人を
戲れにあざけつた
渾名である。
御存じの
通り(
樣)を
彼地では(はま)といふ。……
……
當時のもの
可恐さは、われ
等の
乘漾ふ
地の
底から、
火焔を
噴くかと
疑はれたほどである。
然うした
折よ、もう
時雨の
頃から、
其の一二
年は
約束のやうに、
井戸の
響、
板の
間の
跫音、
人なき
二階の
襖の
開くのを
聞馴れたが、
婦の
姿は、
當時又多日の
間見えなかつた。
然るにても
其の
餘りの
美しさに、ひととなりて
後國を
傾くる
憂もやとて、
當時國中に
聞えたる、
道人何某を
召出して、
近う、
近う、
爾よく
此の
可愛きものを
想せよ、と
仰せらる。
當時寫眞を
見た——
湯の
都は、たゞ
泥と
瓦の
丘となつて、なきがらの
如き
山あるのみ。
谿川の
流は、
大むかでの
爛れたやうに……
其の
寫眞も
赤く
濁る……
砂煙の
曠野を
這つて
居た。
「
媼さん、
又豆府か。そいつを
食はせると
斬つ
了ふぞ。」で、
豫てこのみの
長船の
鞘を
拂つて、
階子段の
上を
踏鳴らしたと……
御自分ではなさらなかつたが、
當時のお
友だちもよく
話すし
さて
其夜こゝへ
來るのにも
通つたが、
矢來の
郵便局の
前で、ひとりで
吹き
出した
覺えがある。
最も
當時は
青くなつて
怯えたので、おびえたのが、
尚ほ
可笑い。まだ
横寺町の
玄關に
居た
時である。
唐の
玄宗、
南の
方に
狩す。
百官司職皆これに
從ふ
中に、
王積薪と
云ふもの
當時碁の
名手なり。
同じく
扈從して
行いて
蜀道に
至り、
深谿幽谷の
間にして
一軒家に
宿借る。
其の
家、
姑と
婦と
二人のみ。
唯吉が
雇つておく、お
媼さんの
説では、
何うも
人の
妾、かくし
妻であらうと
云つた……
其が
引越して
來た
當時、
女主人と
云ふにつけて、
其の
庭の
片隅に
植わつた
一本の
柳の
樹、これが
散ると
屋根
むかし
宋の
武帝の
女、
壽陽麗姫、
庭園を
歩する
時梅の
花散りて
一片其の
顏に
懸る。
其の
俤また
較ふべきものなかりしより、
當時の
宮女皆爭つて
輕粉を
以て
顏に
白梅の
花を
描く、
稱して
梅花粧と
云ふ。