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た
と
言葉やさしく
愛兒の
房々せる
頭髮に
玉のやうなる
頬をすり
寄せて、
餘念もなく
物語る、これが
夫人の
爲めには、
唯一の
慰であらう。
ハイ、
御覽の
通り、
村では
大きな
建物です。しかしこのお
寺は
村中の
人達の
爲めにあるのです。
私はこゝに
御奉公して
居るのです。
責任といふ
事に
重を
置きたいのもこれが
爲め、
依頼心が
多いのも
是が
爲め、
又意志の
強固でないといふのも
是が
爲めであらうと
思ひます。
因て
齊に
家せり。
世の・
老子を
學ぶ
者は
則ち
儒學を
絀け、
儒學も
亦老子を
絀く。『
道、
同じからざれば、
相爲めに
謀らず』とは、
豈是を
謂ふ
邪。
本當に
考へて
見れば、
一寸した
機會、また一
秒間の
時の
爲めに、
未來のどんな
運命が
湧き
出ないともかぎらないのだ。
姻戚といつてもお
品の
爲めには
待たなくては
成らぬといふものはないので
勘次はおつぎと
共に
筵を
捲つて、
其處へ
盥を
据ゑてお
品の
死體を
淨めて
遣つた。
この作の
表現形式や
構圖の不統一な事を
擧げて、作のテエマの
效果が
薄いと云ひ、私は作の
構圖や
形式に對する
缺點を
蔽ふ丈けに、作の内容が
深い
爲めに
私達はどんなにその
爲めに
悶えたでせう!その頃の
風潮からは、たゞ
破壞をのみ
會得して、
建設については
一部一厘だにも
學ぶことが
出來なかつたのです。
一
ト廻りして
愛ちやんが
他の
方へ
現れた
時に、
犬ころはモ一
度枝を
目蒐けて
跳びかゝり、それに
掴まらうとして
餘り
急いだ
爲め、
過つて
筋斗返りを
打ちました。
が、
其の
顏も
覺えず、
惜むらくは
苗も
聞かなかつたのは、
父のなくなつた
爲めに
血迷つたばかりでない。
口では
意志の
自由だとか、
個人の
權威だとか
立派なことは云ツてゐるものゝ、
生活の
爲めには
心にもない
業務を取ツたり、
下げなくても可い頭も下げなければならない。
序だから
伺ひたいが、
台州には
逢ひに
往つて
爲めになるやうな、えらい
人はをられませんかな。
夫れが
爲めに
大邊危險が
有るとの
事ですが、
私が
田舍に
居りまする
時分、
之れに
就て
實見した
事が
有りますから、
夫れをば
申し
上げ
樣と
存じます、
夫れは二
歳斗りの
子供が
枕の
下や、
寐臺の
何處かに、
何かをそツと
隱して
置く、
其れは
盜まれるとか、
奪はれるとか、
云ふ
氣遣の
爲めではなく
人に
見られるのが
恥かしいのでさうして
隱して
置く
物がある。
玄竹は
町醫であるけれども、
夙に
京都の
方へ
手を
廻して、
嵯峨御所御抱への
資格を
取り、
醫道修業の
爲めに
其の
地に
遣はすといふ
書付に、
御所の
印の
据わつたのを
持つてゐるから
もう
斯うなつて
來ると、
取るべき
金を
取らうと
云ふ
最初の
考へもなくなるし、
又それが
爲めに
葉書代を
費すのは
損だといふ
樣な
考へもなし、
只だ
是非とも
仕なければならない
日課として
廣き
園生は
我が
爲めに
四季の
色をたゝかはし、
雅やかなる
居間は
我が
爲めに
起居の
自由あり、
風に
鳴る
軒ばの
風鈴、
露のしたゝる
釣忍艸、いづれをかしからぬも
無きを、
何をくるしんでか
考古學のお
話しをする
爲めには、どうしても
實物をお
見せするか、せめて
寫眞や
繪をお
目にかけなくてはよくわかりかねます。それで、この
本にもわりあひにたくさん
繪を
入れて
置きました。
併し、
今も
言つた
通り、どういふ
書物と
云つたところが、
誰でも
夫れを
讀みさへすれば、
必ず
爲めになるといふ
書物は、
出版書肆の
廣告以外に
存在する
筈はないのだから、
甚だ
頼りのないものである。
其證據には
曾て
戀の
爲めに
苦み
悶えた
人も、
時經つて、
普通の
人となる
時は、
何故に
彼時自分が
戀の
爲めに
斯くまで
苦悶したかを、
自分で
疑がう
者である。
則ち
彼は
戀の
力に
觸れて
居ないからである。
そしてまち
子は
自分が
何の
爲めに、いつとも
知れずこんな
足になつたのだらうか、といふ
事を
考へてると、いつの
間にか
涙が
浮んで
來てならなかつた。
劇烈な
病苦の
爲めに
其力ない
死體はげつそりと
酷い
窶れやうをして
居た。
卯平は
只ぽつさりとしてそれを
見て
居た。
死體は
復其の
穢い
夜具へ
横へられた。
(三六)亢を
批ち
虚を
擣き、
(三七)形格き
勢禁ずれば、
則ち
自ら
爲めに
解けん
耳。
今梁・
趙・
相攻む。
輕兵鋭卒、
必ず
外に
竭き、
(三八)老弱内に
罷れん。
時に、
長野泊りの
其の
翌日、
上野へついて、
連とは
本郷で
分れて、
私は
牛込の
先生の
玄關に
歸つた。
其年父をなくした
爲めに、
多日、
横寺町の
玄關を
離れて
居たのであつた。
最初の
問題は、
云ふまでもなく
何うして
再びそれを
乾燥さうかと
云ふことで、その
爲め
皆なで
相談會を
開きました、
暫くして
愛ちやんは、
宛で
前から
皆なを
知つてでも
居たやうに
こぼれるほどに
乘つた
客は
行商の
町人、
野ら
歸りの
百姓、
乳呑兒を
抱へた
町家の
女房、
幼い
弟の
手を
引いた
町娘なぞで、一
度出かゝつた
舟が、
大きな
武士の
爲めに
後戻りさせられたのを
生徒の
爲めに
時間を
送つて
居らるゝのです。
一時は
病の
爲めに
待命中と
聞いた
其大佐が、
今は
却て
健康に、
此新しき
軍艦「
日の
出」の
廻航中とか——さては、と
私は
忽ち
思ひ
當つたのでわる。
君之を
聞きて
之を
賢として
曰く、「
孝なるかな、
母の
爲めの
故に
刖罪を
犯せり」と。
君と
果園に
游ぶ。
彌子、
桃を
食うて
甘し。((彌子))
盡さずして
君に
奉る。
お
品はそれから
膨れた
巾着の
爲めに
跳ねあげられた
蒲團の
端を
手で
抑へた。それから
又横になつた。
まち
子は、その
時その
足の
爲めに
未來がどうなるかとも
考へなかつた。
自分がその
足の
爲めに
世の
中にどんな
心持で
生きなければならないかと、いふ
事も
考へなかつた。
鮑叔、
我を
以て
貪と
爲さず、
我が
貧しきを
知れば
也。
吾嘗て
鮑叔の
爲めに
事を
謀り、
而して
更に
窮困す。
鮑叔、
我を
以て
愚と
爲さず、
時に
利と
不利と
有るを
知れば
也。
三日にして
後兵を
勒す。
病者も
皆行かんことを
求め、
爭ひ
奮つて、
出でて
之が
爲めに
戰に
赴けり。
晉の
師之を
聞き、
爲めに
罷め
去り、
燕の
師之を
聞き、
水を
度つて
解く。
夫の
穰苴の
區區として
小國の
爲めに
師を
行るが
若き、
何ぞ
司馬の
兵法の
(三九)揖讓に
及ぶに
暇あらんや。
世既に
司馬の
兵法多し、
故を
以て
論ぜず、
穰苴の
列傳を
著す。
起爲めに
(七二)之を
吮ふ。
卒の
母之を
聞いて
哭す。
人曰く、『
子は
卒にして
將軍自ら
其疽を
吮ふ。
何ぞ
哭するを
爲す』と。
母曰く、『
然るに
非ず。
往年、
呉公、
其父を
吮ふ。 ...
非、
終に
韓の
爲にして、
秦の
爲めにせず、
(一一六)此れ
人の
情也。
今、
王、
用ひず、
久しく
留めて
之を
歸さば、
此れ
自ら
患を
遺す
也。
(一一七)過法を
以て
之を
誅するに
如かず
其の
諫説して
君の
顏を
犯すに
至つては、
此れ
所謂進みては
忠を
盡すを
思ひ、
退いては
過を
補ふを
思ふ
者なる
哉。
(七三)假令晏子にして
在らば、
余之が
爲めに
鞭を
執ると
雖も
忻慕する
所なり。