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姻戚
涌谷も松山も、雅楽頭と一ノ関との
姻戚関係をにらんでいた。すなわち、兵部の子の
東市正の許婚者が、雅楽頭の夫人の妹であること。
重喜のすぐ先代をみても、一女は花山院
大納言の正室に、また
鷹司家、
醍醐大納言、
中院中将などとも浅からぬ
姻戚の仲であった。
勘次は
近所と
姻戚との
外には一
飯も
出さなかつたがそれでも
村のものは
皆二
錢づゝ
持つて
弔みに
來た。さうしてさつさと
歸つて
行つた。
勘次は
其の
頃からお
品のいふなりに
成るのであつた。
二人は
遠くは
行けないので、
隣村の
知合へ
身を
投じた。
兩方の
姻戚が
騷ぎ
出した。