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こきやう
卯平は
久振で
故郷に
歳を
迎へた。
彼等の
家の
門松は
只短い
松の
枝と
竹の
枝とを
小さな
杙に
縛り
付けて
垣根の
入口に
立てたのみである。
また
秋になつて、まち
子夫婦は
去年とおなじやうに
子供の
寢てる
時の
食後などは、しみ/″\と
故郷の
追憶にふけるのであつた。
年とつた良寛さんは、
五合庵といふ小さな
庵に住むことになつた。その庵は、
故郷出雲崎から少し離れた、
国上といふ山の中腹にあつた。
今度の
旅は、
一體はじめは、
仲仙道線で
故郷へ
着いて、
其處で、
一事を
濟したあとを、
姫路行の
汽車で
東京へ
歸らうとしたのでありました。
預け置て
立出しが其後一向に歸り來らず然に昨年
祖母も
病死し殘るは私し一人と成り
切ては今一度
對面し度と存ず夫故に伊勢參宮より
故郷を
下宿屋の
下婢が
彼を
嘲けりて
其爲すところなきを
責むるや「
考へる
事を
爲す」と
云ひて
田舍娘を
驚かし、
故郷よりの
音信に
母と
妹との
愛情を
示して
間もなく
自分も
志村も
中學校に
入ることゝなり、
故郷の
村落を
離れて、
縣の
中央なる
某町に
寄留することゝなつた。
この
女には
生れ
故郷の
水が、
性に
合はないのだらうと、
疑ぐれば
疑ぐられる
位、
御米は
一時惱んだ
事もあつた。
さへ
取りあげもせず
錦野が
懇望恰もよし
彼れは
有徳の
醫師なりといふ
故郷某の
地には
少からぬ
地所を
「む、どこつて、おいらの
故郷へよ。おもしろいことが
澤山あるぜ。それからお
美味いものも——」
『
然し
君、
私は
何もワルシヤワへ
行く
必要は
無いのだから、
君一人で
行き
給へ、
而して
私を
何卒先に
故郷に
歸して
下さい。』アンドレイ、エヒミチは
哀願するやうに
云ふた。
生ける
銃架。おう
家を
離れて
野に
結ぶ
眠りの
裡に、
風は
故郷のたよりをお
前に
伝へないのか
一
年半も
前といへば
私がまだ
亞米利加の
大陸に
滯在して
居つた
時分の
事で、
隨分古い
新聞ではあるが、
古くつても
何んでもよい、
故郷懷かしと
思ふ一
念に、
眼も
放たず
讀んでゆく
内
此間に
望蜀生は
故郷に
歸り、
活東子又振はず。
幻花子は
相變らず。それと
玄川子を
相手にぼつ/\
掘つて、
到頭鷄屋の
塀の
下まで
掘り
進んで、
夏の
頃には
既う
手の
附け
場所が
無くなつた。
胡場北風に
嘶き、
越鳥南枝に
巣くふ、
故郷の
忘がたきは世界の
人情也。
いかなれば
故郷のひとのわれに
辛く
實は、
故郷への
往復に、
其の
頃は
交通の
必要上止むを
得ず
幾度も
長途を
俥にたよつたため、
何時となく
乘るのに
馴れたものであらうと
思ふ。……
させるのは親の本意と思はねど身に
替難き
年貢の
金子ゆゑ子に
救はるゝのも
因果なり娘の
勤めは如何ならん
嘸や
故郷の事を
安井は
笑ひながら、
比較のため、
自分の
知つてゐる
或友達の
故郷の
物語をして
宗助に
聞かした。それは
淨瑠璃の
間の
土山雨が
降るとある
有名な
宿の
事であつた。
思へば
頼母しいやうにもあり
故郷へ
歸るといふからして
亡き
親の
事が
思はれますと
打しほるれば
夫は
道理わたしでさへも
乳母の
事は
少しも
忘れず
今も
在世なら
甘へるものを
そして
遠い
遠いその
故郷のお
家へかえるには、それはそれは
長い
旅をしなければならないの。
故郷の
風景は
舊の
通りである、
然し
自分は
最早以前の
少年ではない、
自分はたゞ
幾歳かの
年を
増したばかりでなく、
幸か
不幸か、
人生の
問題になやまされ、
生死の
問題に
深入りし
「
必然の
惡」を
解釋して
遊歩塲の
一少女を
點出しかの
癖漢の
正義を
狂欲する
情を
描き、
或は
故郷にありしときの
温かき
夢を
見せしめ、
又た
生活の
苦戰塲に
入りて
朋友に
一身を
談ずる
處あり。
二人は、そんな
話しをして、つまらなそうに
笑つた。そして、なんとなく
秋らしい
空のいろと、
着物の
肌ざわりとに
氣がつくと、やはり
二人は
堪えがたいやうに
故郷の
自然を
思浮べるのであつた。
彼は
故郷へ
幾年目かで
行く
序もあるし、
幸ひ
勘次のことは
村落に
居る
内に
知つて
居たから
相談をして
來てやらうといつた。
卯平は
近頃滅切窪んだ
茶色の
眼を
蹙めるやうにしながら
微かな
笑を
浮べた。
打れ
敏速の寶澤は
空泣して
扨も私しの
親父は
養子にて母は私しが二ツの年
病死し夫より
祖母の
養育に
成長しが十一歳の年に
親父は
故郷の熊本へ行とて
祖母に私しを
書生の
千葉いとゞしう
恐れ
入りて、これは
何うも、これはと
頭を
下げるばかり、
故郷に
有りし
時、
姉なる
人が
母に
代りて
可愛がりて
呉れたりし、
其折其頃の
有さまを
思ひ
起して
それはね……さあ、
何と
言つたらいいでせう。あんた
達がはやく
大きくなると、
此の
國にさむいさむい
風が
吹いたり、
雪がふつたりしないうちに
遠い
遠い
故郷のお
家へかえるのよ。
處が
自分の二十の
時であつた、
久しぶりで
故郷の
村落に
歸つた。
おなじ
年、
冬のはじめ、
霜に
緋葉の
散る
道を、
爽に
故郷から
引返して、
再び
上京したのでありますが、
福井までには
及びません、
私の
故郷からは
其から七
里さきの
假初ならぬ三
世の
縁おなじ
乳房の
寄りし
身なり
山川遠く
隔たりし
故郷に
在りし
其の
日さへ
東の
方に
足な
向けそ
受けし
御恩は
斯々此々母の
世にては
送りもあえぬに
和女わすれてなるまいぞと
寐もの
語に
云ひ
聞かされ
幼な
心の
最初より
胸に
刻みしお
主の
事ましてや
續く
不仕合に
寄る
方もなき
浮草の
我れ
孤子の
流浪の
身の
力と
頼むは
此の
山の
上なる
峠の
茶屋を
思ひ
出す——
極暑、
病氣のため、
俥で
越えて、
故郷へ
歸る
道すがら、
其の
茶屋で
休んだ
時の
事です。
門も
背戸も
紫陽花で
包まれて
居ました。
が、
助け
出す
筈だつた
女房を
負つてなら……
麓の
温泉までは
愚な
事、
百里、
二百里、
故郷までも、
東京までも、
貴様の
手から
救ふためには、
飛んでも
帰るつもりで
居た。
其も
東京で
出來なかつたら、
故郷に
住居を
求めるやうに、
是非恰好なのを
心懸ける、と
今朝も
從※が
言ふから、いや、
何う
仕まして、とつい
眞面目に
云つて
叩頭をしたつけ。
處で——
父の……
危篤……
生涯一大事の
電報で、
其の
年一月、
節いまだ
大寒に、
故郷へ
駈戻つた
折は、
汽車で
夜をあかして、
敦賀から、
俥だつたが、
武生までで
日が
暮れた。
故郷へ
歸省中の
青年が
山の
麓を
川に
添つて、
下流の
方へ
車を
走らして
歸つて
來た。
最う
此の
頃には、それとなく
風のたよりに、
故郷の
音信を
聞いて
自殺した
嫂のお
春の
成ゆきも、
皆其の
心得違ひから
起つた
事と
聞いて
知つて
居たので、
自分、
落目なら
自棄にも
成らうが
……
即ち
風の
聲、
浪の
音、
流の
響、
故郷を
思ひ、
先祖代々を
思ひ、
唯女房を
偲ぶべき
夜半の
音信さへ、
窓のささんざ、
松風の
濱松を
過ぎ、
豐橋を
越すや、
時やゝ
經るに
從つて、
横雲の
空一文字
其處には、
金澤の
人多人數、
移住したるゆゑ、
故郷にて、(加州金澤の新堅町の
云々)と
云ふのが、
次第になまりて(かしや、かなざものしんたてまつる。)
知るべし、
民謠に
註の
愈々不可なること。