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ひやうばん
留守の
細君——(
評判の
賢婦人だから
厚禮して)——
御新造が
子供たちを
連れて
辛うじて
火の
中をのがれたばかり、
何にもない。
甚麼話を
爲るので
有らうか、
彼處へ
行つても
處方書を
示さぬでは
無いかと、
彼方でも、
此方でも、
彼が
近頃の
奇なる
擧動の
評判で
持切つてゐる
始末。
圖らず
迷信家の
信仰心を
喚起し、
或は
又山師輩の
乘ずる
處となつて、
忽ちの
間に
評判大評判『お
穴樣』と
呼び『
岩窟神社』と
唱へ、
參詣人引きも
切らず。
する
桝屋久藏と云者と尋ねしに其頃新店なれども
評判よきにや直に知ければ吾助は大いに
悦び
先見世に行て樣子を
或日學校で
生徒の
製作物の
展覽會が
開かれた。
其出品は
重に
習字、
※畫、
女子は
仕立物等で、
生徒の
父兄姉妹は
朝からぞろ/\と
押かける。
取りどりの
評判。
お
雛の
父親の
名は
數衛と
言つて
村でもきたないので
評判な
髮結ですとは、
前にもお
話して
置いたと
思ひます。
子心にも
義理に
引かれてか
中に
立ちて
胡亂胡亂するを、
敏いろ/\に
頼みて
此度は
封じ
文に、あらん
限りの
言葉を
如何に
書きけん、
文章の
艶麗は
評判の
男なりしが。
無邪氣なる
水兵等の
想像するが
如く、
其時の
光景はまあどんなであらう。
電光艇の
評判、
櫻木大佐の
榮譽、
各自の
胸にある
種々の
樂み、それ
等は
管々しく
言ふに
及ばぬ。
画も少しは
遣ると
云つたやうな
多芸の
才子で、
学課も
中以上の
成績であつたのは、
校中評判の少年でした、
私は十四五の
時分はなか/\の
暴れ者で、
課業の時間を
迯げては
運動場へ出て
御米が
床へ
這入つてから、
約二十
分許の
間、
宗助は
耳の
傍に
鐵瓶の
音を
聞きながら、
靜な
夜を
丸心の
洋燈に
照らしてゐた。
彼は
來年度に
一般官吏に
増俸の
沙汰があるといふ
評判を
思ひ
浮べた。
すると
此の
狂歌師の
中へ
職人を
入れたら
品格が悪くなるだらうと
拒んだものもあつたが、ナニ
職人だツて話が
上手なら
仔細ないと
云ふ事で、
可楽を
入れてやらせて見た所が、
大層評判が
宜しく
全校の
評判になつた
美人があつた
事を
話した。
團十郎の
澁味が
加つたと、
下町の
女だちが
評判した、
御病氣で
面痩せては、あだにさへも
見えなすつた
先生の
肩へ、……あゝ
噛りついた。
朝飯前の
仕事にして
天下を
驚かす事
虎列刺よりも
甚だしく
天下に
評判さる〻事
蜘蛛男よりも
隆んなるは唯其れ文学者あるのみ、文学者あるのみ。
聞合せしに兩人共
得心の樣子故夫婦と成したり斯て傳吉は村の
評判宜しき故親類といひ
捨置れずと名主
上臺憑司も出入を始め
悴昌次郎も時々に
出這入なし居たり
で、
町では
病院の
這麼有樣を
知らぬのでは
無く、一
層棒大にして
亂次の
無いことを
評判してゐたが、
是に
對しては
人々は
至つて
冷淡なもので、
寧ろ
病院の
辯護をしてゐた
位。
お
雛のお
父さんは
數衛といふ
名で、
男の
髮結でしたが、
村中で一
番汚いといふ
評判の
人でした。その
汚い
髮結の
家のお
雛に
育てられると
言つて、
父さんは
人に
調戯れたものです。
世にある
頃の
唐棧ぞろひに
小氣の
利いた
前だれがけ、お
世辭も
上手、
愛敬もありて、
年の
行かぬやうにも
無い、
父親の
居た
時よりは
却つて
店が
賑やかなと
評判された
利口らしい
人の
先づ
斯ういふ
風な
處からラクダルの
怠惰屋は
國内一般の
評判ものとなり、
人々は
何時この
漢を
仙人の
一人にして
了ひ、女は
此庄園の
傍を
通る時など
被面衣の下でコソ/\と
噂してゆく
其頃弦月丸が、
今迄に
無い
程澤山の、
黄金と
眞珠とを
搭載して、ネープルス
港を
出發して、
東洋に
向ふといふのは
評判でしたが、
誰も
世に
恐る
可き
海蛇丸が、
竊かに
其舷側に
停泊して
当時既に
素人芸でないと
云ふ
評判の
腕利で、
新躰詩は
殊に
其力を
極めて
研究する所で、
百枚ほどの
叙事詩をも
其頃早く作つて、二三の
劇詩などさへ有りました、
依様我々と
同級でありましたが
却説小助は、
家を
出た
其の
足で、
同じ
村の
山手へ
行つた。こゝに
九兵衞と
云ふものの
娘にお
秋と
云ふ、
其の
年十七になる
野上一郡評判の
容色佳し。
さ/\
評判高くなり
何と無く
影護くなり此寺にも
居惡く餘儀なく此處を
立退一先江戸へ出ん物と關東を心ざし
東海道をば下りけり
懷ろ
淋しければ道中にても旅人を
害し金銀を
見る
目に
見なば
美男とも
言ふべきにや、
鼻筋とほり
眼もと
鈍からず、
豐頬の
柔和顏なる
敏、
流石に
學問のつけたる
品位は、
庭男に
成りても
身を
放れず、
吾助吾助と
勝手元に
姦ましき
評判は
しかるに
近頃に
至つて
不思議な
評判が
院内に
傳はつた。
久保田さんは、
大きな
眼鏡を
掛けてゐる。——
所がさうでない。
來たのは
瀧君であつた。
評判のあの
目が
光つたと
見える。これも
讚稱にあたひする。
一人は
如法の
變屈ものにて一
日部屋の
中にまぢ/\と
陰氣らしき
生れなれど、
姉のお
花は
皮薄の二
重腮かわゆらしく
出來たる
子なれば、
美人といふにはあらねども
年頃といひ
人の
評判もよく
この
人のいふのだからあてには
成らないが、いま
座敷うけの
新講談で
評判の
鳥逕子のお
父さんは、
千石取の
旗下で、
攝津守、
有鎭とかいて
有鎭とよむ。
踊りに
妙を
得し
雪といふ
美形、
唯今のお
座敷にてお
米のなります
木はと
至極あどけなき
事は
申とも、もとは
此所の
卷帶黨にて
花がるたの
内職せしものなり、
評判は
其頃に
高く
去るもの
日々に
踈ければ
快く
頷いて、
北陸地方を
行脚の
節はいつでも
杖を
休める
香取屋といふのがある、
旧は
一軒の
旅店であつたが、
一人女の
評判なのがなくなつてからは
看板を
外した
心状のほどは
知らず、
仲問風情には
可惜男振の
少いものが、
鼻綺麗で、
勞力を
惜まず
働くから、これは
然もありさうな
事、
上下擧つて
通りがよく、
元二元二と
大した
評判。
不斷は、あまり
評判のよくない
獸で、
肩車で
二十疋、
三十疋、
狼立に
突立つて、それが
火柱に
成るの、
三聲續けて、きち/\となくと
火に
祟るの、
道を
切ると
惡いのと
言ふ。
心状のほどは
知らず、
中間風情には
可惜男振の、
少いものが、
身綺麗で、
勞力を
惜まず
働くから、これは
然もありさうな
事で、
上下擧つて
通りがよく、
千助、
千助と
大した
評判。
近頃は、
得月などといふのが
評判が
高いと
聞く、が、
今もこの
唄の
趣はあるのであらう。
流るゝ
水とともに、
武生は
女のうつくしい
處だと、
昔から
人が
言ふのであります。
就中、
蔦屋——
其の
旅館の——お
米さん(
恩人の
名です)と
言へば、
國々評判なのでありました。
さあ、
那の
神様の
手が
障れば
鉄砲玉でも
通るまいと、
蜘蛛の
巣のやうに
評判が八
方へ。
今の
白痴も、
件の
評判の
高かつた
頃、
医者の
内へ
来た
病人、
其頃は
未だ
子供、
朴訥な
父親が
附添ひ、
髪の
長い、
兄貴がおぶつて
山から
出て
来た。
脚に
難渋な
腫物があつた、
其の
療治を
頼んだので。
が、
其の
時の
覺えがあるから、あたりを
拂つて
悠然として
教へた。——
今はもう
代は
替つた——
亭主は
感心もしないかはりに、
病身らしい、お
粥を
食べたさうな
顏をして
居た。
女房が
評判の
別嬪で。