“忘(わす)” の例文
雪(ゆき)の中(なか)を此(こ)の紅鯛(べにだひ)綺麗(きれい)なり。此(こ)のお買初(かひぞ)めの、雪(ゆき)の眞夜中(まよなか)、うつくしき灯(ひ)に、新版(しんぱん)の繪草紙(ゑざうし)を母(はゝ)に買(か)つてもらひし嬉(うれ)しさ、忘(わす)れ難(がた)し。
寸情風土記 (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
忘(わす)れてゐることはないかと考(かんが)へて見るが、萬事手筈(はづ)は整(とゝの)つてゐる。そこで金太郎は、二時間といふ僅(わづ)かな時間をもてあましてしまふ。
坂道 (旧字旧仮名) / 新美南吉(著)
よくいいつかったことを忘(わす)れたり、また、晩(ばん)になると、じきに居眠(いねむ)りをしましたので、よく叔父(おじ)さんから、小言(こごと)をいわれていました。
人の身の上 (新字新仮名) / 小川未明(著)
將(しやう)、命(めい)を受(う)くるの日(ひ)には則(すなは)ち其家(そのいへ)を忘(わす)れ、軍(ぐん)に臨(のぞ)んで約束(やくそく)すれば則(すなは)ち其親(そのしん)を忘(わす)れ、(一六)枹鼓(ふこ)を援(と)ること急(きふ)なれば則(すなは)ち其身(そのみ)を忘(わす)る。
其(その)忘(わす)れ難(がた)き味(あぢ)に引(ひ)かされて、行(ゆ)く事(こと)は行(ゆ)くが——行(ゆ)く度(たび)に思出(おもひだ)しては、歸途(かへりがけ)に、つい、泣(な)かされる。——いつも歸(かへ)る時(とき)は日暮(ひぐれ)になる。
覺(おぼ)えて居(ゐ)ます。父樣(おとつさん)が私(わたくし)の頭(あたま)を撫(な)でゝ、お前(まへ)は日本人(につぽんじん)の子(こ)といふ事(こと)をばどんな時(とき)にも忘(わす)れてはなりませんよ、と仰(おつ)しやつた事(こと)でせう。
軍隊(ぐんたい)が長い行軍(こうぐん)で疲労(ひろう)しきると、楽隊(がくたい)がそれはゆかいな曲を演奏(えんそう)する、それで兵隊(へいたい)の疲労を忘(わす)れさせるようにするというのであった。
然(しか)しながら若(わか)い衆(しゆ)と稱(しよう)する青年(せいねん)の一部(ぶ)は勘次(かんじ)の家(いへ)に不斷(ふだん)の注目(ちうもく)を怠(おこた)らない。其(そ)れはおつぎの姿(すがた)を忘(わす)れ去(さ)ることが出來(でき)ないからである。
土 (旧字旧仮名) / 長塚節(著)
夕餉(ゆうげ)どきに帰りを忘(わす)れてあそんでいる弟(おとうと)を、父や母が怒(おこ)らぬうちにとハラハラしてさがす姉(あね)のような愛が、彼女の眼にこもっていた。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
十四、五になる大概(たいがい)の家(いえ)の娘(むすめ)がそうであるように、袖子(そでこ)もその年頃(としごろ)になってみたら、人形(にんぎょう)のことなぞは次第(しだい)に忘(わす)れたようになった。
伸び支度 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
ところが少(すこ)し行(い)つたとき、嘉十(かじふ)はさつきのやすんだところに、手拭(てぬぐひ)を忘(わす)れて来(き)たのに気(き)がつきましたので、急(いそ)いでまた引(ひ)つ返(かへ)しました。
鹿踊りのはじまり (新字旧仮名) / 宮沢賢治(著)
おじいさんはたいそうよろこんで、うちへ帰(かえ)るのも忘(わす)れていました。そのうちにだんだん暗(くら)くなってきたものですから、おじいさんは
舌切りすずめ (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
私(わたくし)はこの時(とき)始(はじ)めて、云(い)ひやうのない疲勞(ひらう)と倦怠(けんたい)とを、さうして又(また)不可解(ふかかい)な、下等(かとう)な、退屈(たいくつ)な人生(じんせい)を僅(わづか)に忘(わす)れる事(こと)が出來(でき)たのである。
蜜柑 (旧字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
雖然(けれども)顏の寄麗(きれい)なのと、體格の完全(くわんぜん)してゐるのと、おつとりした姿と、美(うつく)しい肌(はだ)とに心を魅(チヤーム)せられて、賤しいといふ考を忘(わす)れて了ふ。
平民の娘 (旧字旧仮名) / 三島霜川(著)
それに、できごとというほどのことでもないではありませんか? マレイのことだって、そのころはじきに忘(わす)れてしまったのです。
それから又(また)『毒(どく)』と記(しる)してある瓶(びん)から澤山(たくさん)飮(の)めば、それが屹度(きつと)晩(おそ)かれ早(はや)かれ體(からだ)の害(がい)になるものだと云(い)ふことを决(けつ)して忘(わす)れませんでした。
愛ちやんの夢物語 (旧字旧仮名) / ルイス・キャロル(著)
〔譯〕民の義(ぎ)に因つて以て之を激(げき)し、民の欲(よく)に因つて以て之を趨(はし)らさば、則ち民其の生を忘(わす)れて其の死を致(いた)さん。是れ以て一戰(せん)す可し。
一向(む)きに病氣(びやうき)とばかり思(おも)ひぬれば、與(よし)四郎(らう)限(かぎ)りもなく傷(いた)ましくて、醫者(いしや)にかゝれの、藥(くすり)を呑(の)めのと悋氣(りんき)は忘(わす)れて此事(このこと)に心(こゝろ)を盡(つく)しぬ。
われから (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
ゆうべの夢見(ゆめみ)が忘(わす)れられぬであろう。葉隠(はがく)れにちょいと覗(のぞ)いた青蛙(あおがえる)は、今(いま)にも落(お)ちかかった三角頭(かくとう)に、陽射(ひざ)しを眩(まば)ゆく避(さ)けていた。
おせん (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
ことに子(こ)どもらしい氣持(きも)ちを歌(うた)に自由(じゆう)に詠(よ)みこんだ人(ひと)で、そんなのになると、つい/\よいわるいを忘(わす)れて、同感(どうかん)せずにゐられません。
歌の話 (旧字旧仮名) / 折口信夫(著)
媛(ひめ)は天皇がわざわざそんなになすって、隠(かく)れ隠れてまでおたずねくだすったもったいなさを、一生お忘(わす)れ申すことができませんでした。
古事記物語 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
傍(そば)に夫(をつと)のゐる事(こと)は殆(ほと)んど忘(わす)れて眞面目(まじめ)に聽(き)いてゐるらしかつた。宗助(そうすけ)は羨(うら)やましい人(ひと)のうちに御米(およね)迄(まで)勘定(かんぢやう)しなければならなかつた。
門 (旧字旧仮名) / 夏目漱石(著)
火事(かじ)の時(とき)には防火樹(ぼうかじゆ)として非常(ひじよう)に役(やく)に立(た)ち家(いへ)も燒(や)かずに濟(す)み、時(とき)には人(ひと)の命(いのち)すら救(すく)はれることがあることも忘(わす)れてはなりません。
森林と樹木と動物 (旧字旧仮名) / 本多静六(著)
ようやくのこと人びとの口気(こうき)できょうの土曜日(どようび)というに気づいた。糟谷はいまがいままできょうの土曜日ということを忘(わす)れておったのだ。
老獣医 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
兎(と)に角(かく)こんなにまで深(ふか)い因縁(いんねん)のあった女性(じょせい)でございますから、こちらの世界(せかい)へ来(き)ても矢張(やは)り私(わたくし)のことを忘(わす)れない筈(はず)でございます。
忘(わす)れはせまじ餘り情(なさけ)なき仕方(しかた)なりと利兵衞を恨(うら)みけるが吉三郎は素(もと)より孝心(かうしん)深(ふか)ければ母を慰(なぐさ)め利兵衞殿斯の如く約束(やくそく)を變(へん)じ音信(おとづれ)を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
百合と薔薇(ばら)とを取りかへて部屋(へや)の暗(くら)さを忘(わす)れてゐると、次ぎにはおいらん草(さう)が白と桃色(もゝいろ)の雲(くも)のやうに、庭の全面(ぜんめん)に咲(さ)き乱(みだ)れた。
美しい家 (新字旧仮名) / 横光利一(著)
誰(だれ)もお礼をいうのを忘(わす)れるほどそれに馴(な)れきっていた。彼の方(ほう)では、贈物(おくりもの)をすることがうれしくて、それだけでもう満足(まんぞく)してるらしかった。
ジャン・クリストフ (新字新仮名) / ロマン・ロラン(著)
そしてまた再(ふたた)び浮(う)き上(あが)って来(き)ましたが、今(いま)はもう、さっきの鳥(とり)の不思議(ふしぎ)な気持(きもち)にすっかりとらわれて、我(われ)を忘(わす)れるくらいです。
生(う)みの親(おや)のことも忘(わす)れて、こゝのお二人(ふたり)に馴(な)れ親(した)しみましたので、私(わたし)はお側(そば)を離(はな)れて行(い)くのが、ほんとうに悲(かな)しうございます
竹取物語 (旧字旧仮名) / 和田万吉(著)
もう一つ忘(わす)れてはいけないのは、オッテンビューの長い垣(かき)です。これは島をよこぎって、オッテンビューとほかの土地との境(さかい)になっています。
地震(ぢしん)があってから恰(ちゃう)ど最早(もう)十一年目(ねんめ)……忘(わす)れもしませぬ……一年(ねん)三百六十日(にち)の中(うち)で、はい、其日(そのひ)に乳離(ちばな)れをなされました。
はたしてさけあまたえしゆゑ鵜飼(うかひ)の謡曲(うたひ)にうたふごとく罪(つみ)も報(むくひ)も后(のち)の世(よ)も忘(わす)れはてゝ、おもしろくやゝ時をぞうつしける。
二十五六歳(さい)の頃(ころ)より毎日(まいにち)朝夕(てうせき)實行(じつかう)して、七十七歳(さい)の今日(こんにち)に及(およ)び、爾來(じらい)數十年間(すうじふねんかん)頭痛(づつう)を忘(わす)れ、胃(ゐ)は健全(けんぜん)となり、感冐(かんばう)に犯(をか)されたる事(こと)未(いま)だ一度(いちど)もあらず。
命の鍛錬 (旧字旧仮名) / 関寛(著)
恰(あたか)も彼七本槍(やり)を以て有名なる賤(しづ)が岳(たけ)山下余吾湖を見(み)るに似(に)たり、陶然(とうぜん)として身(み)は故山の旧盧(きうろ)にあるが如く、恍(こう)として他郷の深山麋熊の林中にあるを忘(わす)る
利根水源探検紀行 (新字旧仮名) / 渡辺千吉郎(著)
餘(あま)りのおどろきに御亭主(ごていしゆ)は、自分(じぶん)の酒慾(しゆよく)も何(なに)もすつかり、どこへか忘(わす)れました。そして眞面目(まじめ)に働(はたら)きだしました。
ちるちる・みちる (旧字旧仮名) / 山村暮鳥(著)
斯(こ)のくらゐ苟且(かりそめ)ならぬ恋(こひ)の紀念(きねん)が、其後(そのゝち)唯(たゞ)忘(わす)られて此背負揚(このしよいあげ)の中(なか)に遺(のこ)つてゐるものとは。如何(どう)しても受取(うけと)れぬ。
背負揚 (新字旧仮名) / 徳田秋声(著)
皆(みな)さんが貝塚(かひづか)に出(で)かけたならば、種々(しゆ/″\)異(ことな)つた種類(しゆるい)の貝殼(かひがら)を採集(さいしゆう)して來(く)る必要(ひつよう)のあることを忘(わす)れてはなりません。
博物館 (旧字旧仮名) / 浜田青陵(著)
ゆえに僕は実業に志(こころざ)す人に、社会国家を忘(わす)れろとは決して言わないけれども、口に出すことだけは遠慮(えんりょ)するほうがよかろうと勧(すす)めたいくらいに思っている。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
地(ち)には光(ひかり)があり反射(はんしや)があり、空(そら)には色(いろ)と霑(うるほ)ひとがある。空氣(くうき)は澄(す)んで/\澄(すみ)み切(き)つて、どんな科學者(くわがくしや)にもそれが其處(そこ)にあるといふ事(こと)を一時(じ)忘(わす)れさせるであらう。
日の光を浴びて (旧字旧仮名) / 水野仙子(著)
然(しか)るに、中根(なかね)は身(み)の危急(ききふ)を忘(わす)れて銃(じう)を離(はな)さず、飽(あ)くまで銃(じう)を守(まも)らうとした。あの行爲(かうゐ)、あの精神(せいしん)は正(まさ)に軍人精神(ぐんじんせいしん)を立派(りつぱ)に發揚(はつやう)したもので、誠(まこと)に軍人(ぐんじん)の鑑(かがみ)である。
一兵卒と銃 (旧字旧仮名) / 南部修太郎(著)
『其處(そこ)に骨(ほね)の人(ひと)行(ゆ)く』といふ文句(もんく)それ自身(じしん)がふら/\と新宿(しんじゆく)の停車場(ていしやぢやう)に着(つ)いたのは六月二十日の午前(ごぜん)何時であつたか忘(わす)れた。兔(と)も角(かく)、一汽車(ひときしや)乘(の)り遲(おく)れたのである。
湯ヶ原ゆき (旧字旧仮名) / 国木田独歩(著)
『肺(はい)の方(はう)から來(き)た病人(びやうにん)なのですがな。』とハヾトフは小聲(こごゑ)で云(い)ふた。『や、私(わたし)は聽診器(ちやうしんき)を忘(わす)れて來(き)た、直(す)ぐ取(と)つて來(き)ますから、些(ちよつ)と貴方(あなた)は此處(こゝ)でお待(ま)ち下(くだ)さい。』
六号室 (旧字旧仮名) / アントン・チェーホフ(著)
所(ところ)が困(こま)つた事(こと)にア身躰(からだ)が惡(わる)く、肺病(はいびよう)と來(き)てゐるから僕(ぼく)も殆(ほと)んど當惑(とうわく)する僕(ぼく)だつて心配(しんぱい)でならんから其(その)心配(しんぱい)を忘(わす)れやうと思(おも)つて、つい飮(の)む、飮(の)めば飮(の)むほど心配(しんぱい)する。
罪と罰(内田不知庵訳) (旧字旧仮名) / 北村透谷(著)
『はゝゝゝゝ。腹(はら)が空(す)いたか。すつかり忘(わす)れてゐた。今(いま)に飯(はん)を取(と)らせるが、まあそれまでに、この盃(さかづき)だけ一(ひと)つ受(う)けてくれ。』と、但馬守(たじまのかみ)は強(し)ひて玄竹(げんちく)に盃(さかづき)を與(あた)へた。
死刑 (旧字旧仮名) / 上司小剣(著)
安(やす)らかに、おまへの白(しろ)い御主(おんあるじ)の下(もと)へ行(ゆ)け、さうして、あたしをお忘(わす)れになつたかと申上(まをしあ)げて呉(く)れよ。
其(それ)には別(べつ)に理由(りいう)も何(なに)も無い、究竟(つまり)学校が違つて了(しま)つた所から、お互(たがひ)に今日(こんにち)あつて昨日(さくじつ)も明日(みやうにち)も無い子供心(こどもごゝろ)に、漠然(ぼうつ)と忘(わす)れて了(しま)つたのです、すると、私(わたし)が二級(きふ)に成(な)つた時(とき)
硯友社の沿革 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
予の初めて先生を知(し)りしは安政(あんせい)六年、月日は忘(わす)れたり。先生が大阪より江戸に出で、鉄炮洲(てっぽうず)の中津藩邸(なかつはんてい)に住(すま)われし始めの事にして、先生は廿五歳、予は廿九歳の時なり。
「オホホ、私、英語なんかもう悉皆(すっかり)忘(わす)れてしまいましたわ。こんなに大勢子供があるんですもの」
親鳥子鳥 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
手にあたったものを握(にぎ)ってそのまま忘(わす)れてしまったんだろう。ポケットの中(なか)を掻(か)きまわしてご覧(らん)。
身体検査 (新字新仮名) / フョードル・ソログープ(著)