“けい”のいろいろな漢字の書き方と例文
カタカナ:ケイ
語句割合
磬7.6%
兄7.6%
卿7.3%
景6.6%
敬5.9%
罫5.6%
計4.9%
頃4.9%
刑4.2%
茎3.5%
経3.1%
慶2.4%
径2.1%
圭2.1%
形1.7%
桂1.4%
啓1.4%
怪異1.0%
恵1.0%
炯1.0%
熒1.0%
系1.0%
荊1.0%
蕙1.0%
京0.7%
惠0.7%
溪0.7%
型0.7%
塋0.7%
慧0.7%
烱0.7%
瓊0.7%
蹊0.7%
閨0.7%
頸0.7%
鶏0.7%
馨0.3%
鮭0.3%
奚0.3%
帰0.3%
橞0.3%
渓0.3%
傾0.3%
効0.3%
勁0.3%
峡0.3%
巠0.3%
徑0.3%
掲0.3%
桱0.3%
楔0.3%
檠0.3%
珪0.3%
瑩0.3%
畦0.3%
稽0.3%
經0.3%
繋0.3%
罣0.3%
羿0.3%
脛0.3%
莖0.3%
詣0.3%
警0.3%
軽0.3%
輕0.3%
開0.3%
駉0.3%
騱0.3%
髻0.3%
黥0.3%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
叔父御よりも甥の殿の方がまだしもの果報があると思いながら、香を手向(たむ)けて去ろうとすると、入違(いれちが)いに来て磬(けい)を打つ参詣者があった。
秋の修善寺 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
さよう、小名木川(おなぎがわ)の五本松は芭蕉翁(ばしょうおう)が川上とこの川しもや月の友、と吟じられたほどの絶景ゆえ先(ま)ず兄(けい)たりがたく弟(てい)たりがたき名木(めいぼく)でしょう。
散柳窓夕栄 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
その中で馬岱(ばたい)は忠義諸人に超え、国の兵馬を託すに足る者ゆえ、いよいよ重く扱うたがいい。諸政の部門は卿(けい)がこれを統轄総攬(とうかつそうらん)されよ。
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
さう鋭(するど)くもなく敢へて奇(き)手妙策(めうさく)も弄(ろう)せず靜(しづ)かに穩(おだや)かにもみ合つてゐる光景(けい)たるやたしかに「櫻(さくら)かざして」の感(かん)なくもない。
〔評〕或ひと岩倉公幕を佐くと讒(ざん)す。公薙髮(ていはつ)して岩倉邸に蟄居(ちつきよ)す。大橋愼藏(しんざう)、香(か)川敬(けい)三、玉松操(みさを)、北島秀朝(ひでとも)等、公の志を知り、深く結納(けつなふ)す。
罫(けい)に引いた黄金の筋よりも墨の跡がはるかに輝いていた。軸、表紙、箱に用いられた好みの優雅さはことさらにいうまでもない。
源氏物語:38 鈴虫 (新字新仮名) / 紫式部(著)
京都は——恰もそこの藝子(げいこ)舞子(まひこ)のやうに——偏へに他郷人の爲めに市(まち)の計(けい)を爲してゐるやうに見えるが、大阪は、また其一見不愛想な商人の如く
京阪聞見録 (旧字旧仮名) / 木下杢太郎(著)
私の邸内にある樹木、これは皆な私が来てから栽(う)ゑたものだ。もとは木も何もなく、無論家屋もなく、一頃(けい)の芝畠であつた。
自からを信ぜよ (新字旧仮名) / 田山花袋、田山録弥(著)
聞如何我胤(たね)なればとて然る曲者(くせもの)を採用(さいよう)し後に害(がい)をば殘(のこ)さんこと武將(ぶしやう)の所爲に有ざれば天下の爲に彼をして強(しひ)て僞者(にせもの)と言詰(いひつめ)て宜敷(よろしく)刑(けい)に行ふ可し是を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
『温故之栞(おんこのしおり)』(巻十)にはこの国の水田生産のことを記して、以前は割竹五六本を木の台に立て列(つら)ね、稲を七八茎(けい)ずつ挟(はさ)んで扱(こ)いた故に
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
和漢古典のあらゆる文辞は『鶉衣』を織成(おりな)す緯(い)となり元禄(げんろく)以後の俗体はその経(けい)をなしこれを彩(いろど)るに也有一家の文藻(ぶんそう)と独自の奇才とを以てす。
雨瀟瀟 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
いつぞやの凌雲院(りょううんいん)の仕事の時も鉄や慶(けい)を対(むこ)うにしてつまらぬことから喧嘩(けんか)を初め、鉄が肩先へ大怪我をさしたその後で鉄が親から泣き込まれ
五重塔 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
それからもう一つは、大宗寺(だいそうじ)の庭に落ちた径(けい)五十センチの隕石(いんせき)のことだが、あれを掘りだして持っていったのが、この辻川博士だということまでは分った。
地球盗難 (新字新仮名) / 海野十三(著)
漢の焦延寿の『易林』に巽(そん)鶏と為すとあれば、そんけいは巽鶏(そんけい)だ、圭(けい)の字音に拠(よ)って蛙をケイと読み損じて、巽(たつみ)の方の三足の蛙と誤伝したのである。
糢糊(もこ)たる暁色(げうしよく)の中に藍鼠(あゐねずみ)色をした円錐形(けい)の小さい島の姿が美しかつた。山麓に点点(てんてん)たる白い物は雪であらうと云つて居たが、望遠鏡で望むと人家(じんか)であつた。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛、与謝野晶子(著)
斉王(せいおう)榑(ふ)もまた人の告ぐるところとなり、廃せられて庶人となり、代王桂(けい)もまた終(つい)に廃せられて庶人となり、大同(だいどう)に幽せらる。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
三世瑞仙直温は明治八年に歿し、直温の妻窪田清三郎の女(むすめ)啓(けい)が後を襲いだ。これが瑞仙の家の第四世池田啓である。啓の後は啓の仲兄笠原鐘三郎(しようざぶらう)の子鑑三郎が襲いだ。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
時に立窘(たちすく)みつゝ、白鞘(しらさや)に思はず手を掛けて、以ての外(ほか)かな、怪異(けい)なるものどもの挙動(ふるまい)を屹(き)と視(み)た夫人が、忘れたやうに、柄(つか)をしなやかに袖に捲(ま)いて、するりと帯に落して
印度更紗 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
蘭軒は既に茶山を送るに詩を以てして足らず、恵(けい)は更に其同行者にも及んだ。「送臼杵直卿甲原元寿従菅先生帰。追師負笈促帰行。不遠山河千里程。幾歳琢磨一䨇璞。底為照乗底連城。」
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
蛇のように炯(けい)けいとした鋭い彼女の眼は、もうすっかり私を呪縛してしまったので、この怖ろしい老女から眼をそらすことも、身をひくことも出来なくなった。
日本の治この時に候ふ——という文言を吐いたとき、秀吉の双眸(そうぼう)は、まったくその折のもののように、熒(けい)として見えた。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ドイツでも曾(かつ)てラテン系(けい)の言葉(ことば)を節制(せつせい)してなるべく、自國語(じこくご)を使用(しよう)することを奬勵(せうれい)した。
国語尊重 (旧字旧仮名) / 伊東忠太(著)
襄陽の城には、先頃から幼国主劉琮(りゅうそう)、その母蔡(さい)夫人以下が、荊(けい)州から移住している。玄徳は、城門の下に馬を立て
三国志:07 赤壁の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
型のごとく名のりあつて初対面の挨拶がすむとお蕙(けい)ちやんは
銀の匙 (新字旧仮名) / 中勘助(著)
是日に蘭軒は京(けい)に入り京を出でた。一行は敢て淹留(えんりう)することをなさなかつたのである。奴茶屋の条に、片岡流射術の祖と云つてあるのは、片岡平右衛門家次の一族を謂つたものであらうか。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
心(しん)の病(やまひ)の持病があつて、寢たり起きたり、奧は若くて美しい後妻のお濱(はま)が采配(さいはい)を振ひ、店は叔父と言つても、遠縁の掛り人(うど)惠(けい)之助と、働き者の手代の喜三郎に任せて、手堅い商賣と
随て他の感情を動かすに軽重ある又宜ならずや、方今漢文を能(よく)するを以て世に尊まるゝ者極めて多く、中に就て菊池(きくち)三溪(けい)翁依田百川(よだひゃくせん)君の二氏尤も記事文に巧みに、三溪(けい)翁は日本虞初新誌(にっぽんぐしょしんし)の著あり
松の操美人の生埋:01 序 (新字新仮名) / 宇田川文海(著)
大川博士は丁度指紋研究家が指紋の型を分類した様に、人間の頭部及(および)顔面の形態を、百数十の標準型(けい)に分類した。
猟奇の果 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
塋(けい)を高くして埋葬し
愛卿伝 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
二妹は一は慧(けい)、一は痴(ち)であつた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
霜より白い髯(ひげ)があらわれる。心なしか去年あたりより幾ぶん肉の削(そ)げたかに見える眼もとではあるが、烱(けい)とした威(い)はむしろそれゆえに多くを加えている。
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
瓊(けい)も琚(きょ)も、玉(たま)の名である。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
「桃李(とうり)言わざれども、下自(おのずか)ら蹊(けい)を成す」とは確かに知者の言である。尤(もっと)も「桃李言わざれども」ではない。実は「桃李言わざれば」である。
侏儒の言葉 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
女主人操の言葉を下に聽いて、平次と八五郎はこの『さながらの紅閨(けい)』に踏込んで居りました。
いうまでもなくスミスはこうして自分の頸(けい)部の周囲にひそかに法律の縄が狭められつつあることなどすこしも知らずに
浴槽の花嫁 (新字新仮名) / 牧逸馬(著)
漢名鶏(けい)というも鶏は稽(けい)なり、能く時を稽(かんが)うる故名づくと徐鉉(じょげん)は説いたが、グリンムの童話集に、鶏声ケケリキとあったり、ニフィオレ島等で鶏をキオ、マランタ島等でクアと呼んだりするから推(お)すと
粕谷(かすや)の夫妻は彼女を慰めて、葛城が此等の動揺は当(まさ)に来る可き醗酵(はっこう)で、少しも懸念す可きでないと諭(さと)した。然しお馨(けい)さんの渡米には、二念なく賛同した。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎、徳冨蘆花(著)
明治四十三年二月三日、粕谷草堂の一家が午餐(ごさん)の卓について居ると、一通の電報が来た。お馨(けい)さんの兄者人(あにじゃひと)からである。眼を通した主人は思わず吁(ああ)と叫んだ。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎、徳冨蘆花(著)
件(くだん)の如(ごと)く鮭(けい)の字も古く用ひたれば、おほかたの和文章(わぶんしやう)にも鮭の字を用ふべし、鮏の字は普(あまね)くは通じ難(がた)し。こゝには姑(しばら)く鮏に从(したが)ふ。
新撰字鏡に鮭の字を出(いだ)しゝは鮏(せい)と鮭(けい)と字の相(あひ)似(に)たるを以て伝写(でんしや)の誤(あやま)りを伝(つた)へしもしるべからず。鮭(けい)は河豚(ふぐ)の事なるをや。下学集(かがくしふ)にも鮭(さけ)干鮭(からさけ)と並(なら)べ出(いだ)せり。
三、四年して奚(けい)家はますます富んだ。三郎は学校に入った。
阿繊 (新字新仮名) / 蒲 松齢(著)
「あんたは奚(けい)さんではありませんか。」
阿繊 (新字新仮名) / 蒲 松齢(著)
とッとと帰(けい)ってもいいぞ——これだけではあまり殺風景になりますから、最後には向うにも花を持たせまして——だが、おめえさんだッても途中から帰(けい)りたくはなかろう。
猫八 (新字新仮名) / 岩野泡鳴(著)
おいらもじつは帰(けい)したくねいんだ——てなことにしてしまいます
猫八 (新字新仮名) / 岩野泡鳴(著)
金川門(きんせんもん)に至る。谷王(こくおう)橞(けい)と李景隆(りけいりゅう)と、金川門を守る。燕兵至るに及んで、遂(つい)に門を開いて降る。魏国公(ぎこくこう)徐輝祖(じょきそ)屈せず、師を率いて迎え戦う。克(か)つ能(あた)わず。朝廷文武皆倶(とも)に降って燕王を迎う。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
大寧(たいねい)に居らしめ、第十八子楩(べん)を封じて岷(びん)王となし、第十九子橞(けい)を封じて谷(こく)王となす、谷王というは其(そ)の居(お)るところ宣府(せんふ)の上谷(じょうこく)の地たるを以てなり、第二十子松(しょう)を封じて韓(かん)王となし、開源(かいげん)に居らしむ。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
そして其陰陽五行説の本づく所は素問霊枢である。此書が明の虞博(ぐはく)の著した医学正伝と共に舶載せられた時、今大路(いまおほぢ)一渓(けい)は正伝を取り、古林見宜(ふるばやしけんぎ)は入門を取つた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
其いづる所を問へば、此国苗木城西二里許(きよ)水晶が根といふ山よりとり来るといふ。二里半大井駅。十三峠をのぼる。此嶺(れい)はなはだ険ならず、渓(けい)なく谷(こく)あり。石も少して赤埴土(あかきはにつち)なり。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
このことは、前に言った高橋さんたちのはたらきとともに、まだ世間(せけん)につたえられていないのでとくに、人々の傾(けい)ちょうをあおいでおきたいと思います。
大震火災記 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
一月ぐれえは勘定を間違(まちげ)える事もあるもんだ、お前(めえ)のように実(じつ)の無(ね)いことを云われちゃア苦労をした効(けい)がねい、私(わし)イもう彼(あ)の家(うち)に居ねい了簡だから
名人長二 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
みやげ、印伝、水晶だの、百草(ひゃくそう)だのを売ってる町家に交って、朴(ぼく)にして勁(けい)なる富士道者の木彫人形を並べてあるのが目についた。近寄って見たら、小杉未醒原作、農民美術と立札してあった。
不尽の高根 (新字新仮名) / 小島烏水(著)
十九日、朝の内(うち)に付近の景勝を探ろうと、宿の女の子を案内に吹割(ふきわり)へ行ってみる。片品の水せばまりて峡(けい)をなしている処、奔流碧潭(へきたん)、両岸の絶壁いずれも凡ならず。一行いずれも意外の景色に驚く。
倉成竜渚(りゆうしよ)の歿したのは前年文化九年十二月十日で、齢は六十五であつた。名は巠(けい)であつたらしい。鉛字(えんじ)の世となつてから、経と書し茎(かう)と書し、諸書区々(まち/\)になつてゐる。字(あざな)は善卿、通称は善司であつた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
盡(つく)さして引入(ひきい)れし利(り)も少(すく)なからず世(よ)は塞翁(さいをう)がうまき事(こと)して幾歳(いくとせ)すぎし朝日(あさひ)のかげ昇(のぼ)るが如(ごと)き今(いま)の榮(さかゑ)は皆(みな)松澤(まつざは)が庇護(かげ)なるものから喉元(のどもと)すぐれば忘(わす)るゝ熱(あつ)さ斯(か)く對等(たいとう)の地位(ちゐ)に至(いた)れば目(め)の上(うへ)の瘤(こぶ)うるさくなりて獨(ひと)りつく/″\案(あん)ずるやう徑(けい)十町(じつちやう)を
別れ霜 (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
深くば則ち厲(れい)し、淡くば則ち掲(けい)すと。子曰く、果なるかな、これ難きことなしと。——憲問篇——
論語物語 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
第二十一子模(ぼ)を瀋(しん)王とし、第二十二子楹(えい)を安(あん)王とし、第二十三子桱(けい)を唐(とう)王とし、第二十四子棟(とう)を郢(えい)王とし、第二十五子𣟗(い)を伊(い)王としたり。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
既(とう)に整頓の楔(けい)点が近づいたせいか、その急激に訪れた疲労は、恐らく何物にもまして、魅惑的なものだったに違いないであろう。しかし、そのうち烈しい意志の力が迸(ほとばし)り出てきて
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
樹(き)も縄(なわ)を受けて始めて直くなるのではないか。馬に策(むち)が、弓に檠(けい)が必要なように、人にも、その放恣(ほうし)な性情を矯(た)める教学が、どうして必要でなかろうぞ。
弟子 (新字新仮名) / 中島敦(著)
孔明の父珪(けい)は、泰山の郡丞をつとめ、叔父の玄(げん)は、予章(よしょう)の太守であった。まずその頃も、家庭は相当に良かったといっていい。
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
かれの父の瑩(けい)という人に一人の愛妾があったが、母は非常に嫉妬ぶかい婦人で、父が死んで埋葬する時に、ひそかにその妾をも墓のなかへ押し落して、生きながらに埋めてしまった。
天下の羣小(ぐんしょう)を麾(さしまね)いで、いたずらにタイモンの憤(いきどお)りを招くよりは、蘭(らん)を九畹(えん)に滋(ま)き、蕙(けい)を百畦(けい)に樹(う)えて、独(ひと)りその裏(うち)に起臥(きが)する方が遥かに得策である。余は公平と云い無私(むし)と云う。
草枕 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
漢名鶏(けい)というも鶏は稽(けい)なり、能く時を稽(かんが)うる故名づくと徐鉉(じょげん)は説いたが、グリンムの童話集に、鶏声ケケリキとあったり、ニフィオレ島等で鶏をキオ、マランタ島等でクアと呼んだりするから推(お)すと
〔譯〕經(けい)を讀むは、宜しく我れの心を以て經の心を讀み、經の心を以て我の心を釋(しやく)すべし。然らずして徒爾(とじ)に訓詁(くんこ)を講明(かうめい)するのみならば、便(すなは)ち是れ終身曾(かつ)て讀まざるなり。
孔子、晩にして易を喜(この)み、彖(たん)、繋(けい)、象(しょう)、説卦(せっか)、文言(ぶんげん)を序(つい)ず。易を読み、韋編(いへん)三たび絶つ。曰く、我に数年を仮し、かくの若(ごと)くせば、われ易に於て則ち彬彬(ひんぴん)たらん。(『孔子全集』、一九六五)
孔子 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
罣(けい)という字は、網(あみ)のことです。魚をとる網です。礙(げ)という字は、障礙物(しょうがいぶつ)などという、あの礙(がい)という字で、さわり、ひっかかりという意味です。
般若心経講義 (新字新仮名) / 高神覚昇(著)
彼の家の近くに住む一商人は或夜紀昌の家の上空で、雲に乘つた紀昌が珍しくも弓を手にして、古の名人・羿(けい)と養由基の二人を相手に腕比べをしてゐるのを確かに見たと言ひ出した。
名人伝 (旧字旧仮名) / 中島敦(著)
これを人身にたとうれば、陸奥(むつ)、出羽(でわ)はその首なり。甲斐(かい)・信濃(しなの)はその背なり。関東八州および東海諸国はその胸腹、しかして京畿(けいき)はその腰臀(ようでん)なり。山陽南海より西に至っては股(こ)のみ、脛(けい)のみ
将来の日本:04 将来の日本 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
青年探偵小説家は、二月余り通り慣れた村の細道を、一本の樹、一莖(けい)の草にも名残(なごり)を惜(おし)みながら歩いていた。
鬼 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
往昔秀衡(ひでひら)の室、社後の岩窟にて臨産の節、祈願して母子安全たり、また王子に祈誓し、この子をすなはち巌窟に捨て置き、三山に詣(けい)して帰路にこれをみるに、狐狼等守護していさゝかも恙(つつが)なき故に
露国の警(けい)急なると共に、他方においては英船文化五年(千八百〇八年)長崎に入り、港内を剽掠(ひょうりゃく)し、ために長崎奉行松平康英をして、自殺してその機宜(きぎ)を失するの責(せめ)を幕府に謝せしめたりき。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
ぼくはひがんで云(い)うのでない。けれどもぼくが父とふたりでいろいろな仕事のことを云いながらはたらいているところを読んだら、ぼくを軽(けい)べつする人がきっと沢山(たくさん)あるだろう。
或る農学生の日誌 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
文壇(ぶんだん)の論陣(ろんぢん)今や輕(けい)佻亂雜(らんざつ)卑(ひ)小に流(なが)れて、飽(あく)までも所信(しよしん)に邁進(まいしん)する堂(どう)々たる論客(きやく)なきを思(おも)ふ時、泡鳴(ほうめい)さんのさうした追憶(ついおく)も私(わたし)には深(ふか)い懷しさである。
文壇球突物語 (旧字旧仮名) / 南部修太郎(著)
「佐竹の賭場(とば)で、夕方から曉方まで、張つて張つて張り通しましたよ。あんな勝目は開(けい)びやく以來で、一と晩に二十五兩と勝ちましたぜ。誰にでも訊いて下さい、小便に立つのが惜しかつたくらゐで」
○ 「思い邪なし」==詩経魯頌(ろしょう)の駉(けい)の詩に「思無邪」の一句がある。心に暗影がなく、素直ですつきりしているという意味である。
現代訳論語 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
前足皆白い馬を騱(けい)、後足皆白きを翑(く)、前右足白きは啓、前左足白きは踦(き)、後右足白きは驤(じょう)、後左足白きは馵(しゅ)などなかなか小むつかしく分別命名しある。わが邦も毛色もて馬を呼ぶに雑多の称あり。
看花玩月(がんげつ)ノ外復(また)門ヲ出デズ。貌(かお)ハ痩(や)セテ長シ。首髪種々タルモナホ能ク髻(けい)ヲ結ブ。一見シテ旧幕府ノ逸民タルヲ知ル。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
支那(しな)で昔から行なわれた肉刑(にくけい)の主(おも)なるものとして、黥(けい)、劓(ぎ)(はなきる)、剕(ひ)(あしきる)、宮(きゅう)、の四つがある。
李陵 (新字新仮名) / 中島敦(著)