けい)” の例文
旧字:
この女のためにはけいを講じ史を読むのは、家常の茶飯であるから、道家の言がかえってその新をい奇を求める心をよろこばしめたのである。
魚玄機 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
和漢古典のあらゆる文辞は『鶉衣』を織成おりなとなり元禄げんろく以後の俗体はそのけいをなしこれをいろどるに也有一家の文藻ぶんそうと独自の奇才とを以てす。
雨瀟瀟 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
孝孺は其翌年丁巳ていしけいを執って浦陽ほように潜渓にきぬ。従学四年、業おおいに進んで、潜渓門下の知名の英俊、皆其のしもに出で、先輩胡翰こかん蘇伯衡そはくこうまたみずかかずとうに至れり。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
子曰夫孝天之経也しのたまわくそれこうはてんのけいなり地之義也ちのぎなり民之行也たみのこうなり。——このけいは、サダマリというのだ。そして、は、ここでは道理どうりという意味いみであって、たみすなわひとこうはこれをツトメというのだ。
空晴れて (新字新仮名) / 小川未明(著)
先生作る所の小説戯曲随筆等、長短錯落さくらくとして五百余編。けいには江戸三百年の風流を呑却どんきやくして、万変自ら寸心に溢れ、には海東六十州の人情を曲尽して、一息忽ち千載に通ず。
「鏡花全集」目録開口 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
国の本は民にありとは、封建社会において、一般に通用する格言なりき。封建政治は尚武しょうぶけいとし、重農じゅうのうとしたり。封建君主の典型たる上杉鷹山うえすぎようざんかつてその相続者にげて曰く
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
待ツノ止ム可カラザルニ至レリ居ルコト年余偶々たまたまぼうヲ理科大学助手ニ承ケ植物学ノ教室ニ仕フ裘葛きゆうかつフル此ニ四回時ニ同学新ニ大日本植物誌編纂ノ大業ヲ起コシ海内幾千ノ草木ヲ曲尽シ詳説しょうせつけいトシ精図ヲトシ以テ遂ニ其大成ヲ期シまことニ此学必須ひっすノ偉宝ト為サント欲ス余幸ニ其空前ノ成挙ニ与リ其編纂ノ重任ヲかたじけのフスルヲ
香以の子之助は少年の時けい北静廬きたせいろに学び、筆札を松本董斎とうさいに学んだ。静廬は子之助が十四歳の時、既に七十に達して、竹川町西裏町に隠居していた。
細木香以 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
学を好みけいを治め、の家居するや恂々じゅんじゅんとして儒者の如く、しかも甲をき馬にほこを横たえて陣に臨むや、踔厲たくれい風発、大敵にいてますますさかんに、年十九より軍に従いて数々しばしば偉功を立て
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
もと『医心方』は巣元方そうげんぼうの『病源候論びょうげんこうろん』をけいとし、隋唐ずいとうの方書百余家をとして作ったもので、その引用する所にして、支那において佚亡いつぼうしたものが少くない。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
いずくんぞく 一けいこんせん。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
亡くなる前にした遺言ゆいごんによれば、けい海保漁村かいほぎょそんに、医を多紀安琢たきあんたくに、書を小島成斎こじませいさいに学ばせるようにいってある。それから洋学については、折を見て蘭語らんごを教えるがいといってある。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
何故なにゆえに儒を以て仕えている成善に、医者降等の令を適用したかというに、それは想像するに難くはない。渋江氏はよよ儒を兼ねて、命を受けてけいを講じてはいたが、家はもと医道の家である。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)