)” の例文
しかれどもべつ社界しやかい大弊根たいへいこんながそんするありて、壯年有爲そうねんゆういをして徃々おう/\にして熱火ねつくわ焔柱ゑんちういだくの苦慘くさんこゝろよしとせしむることあり。
罪と罰(内田不知庵訳) (旧字旧仮名) / 北村透谷(著)
(七九)閭巷りよかうひとおこなひてんとほつするものは、(八〇)青雲せいうんくにあらずんば、いづくんぞく(名ヲ)後世こうせいかん
しかるも我國わがくに財源ざいげんにはかぎりあり、兵船へいせん増加ぞうかにも限度げんどあり、くにおもふの日夜にちや此事このこと憂慮ゆうりよし、えず此點このてんむかつてさくこうじてる。
すなわち城外の諸渓しょけいの水をきてそそぎ、一城のを魚とせんとす。城中ここに於ておおいに安んぜず。鉉曰く、おそるゝなかれ、われに計ありと。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
ばつする時は以てたるべし一夫いきどほりをふくめば三年雨降ずと云先哲せんてつの語あり百姓は國の寶人の命は千萬金にも換難かへがたし然るを正直しやうぢき篤實とくじつなる九助を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
が、いつだつたか、或る雜誌ざつしにのつてゐたゴシツプによると、文藝ぶんげい余技よぎの内玉突たまつきと寫しんとではわたし筆頭ひつとうださうだ。
いや、お取次でもよろしい。……但馬たじま宮本武蔵むさしという武者修行の者、道場へ立ち寄り、門弟たちに立ちむかえる者一人もなく、若先生のお帰りを
宮本武蔵:03 水の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ひととなれ』とは先生せんせい訓言くんげんでした。ひと碌々ろく/\としてぬべきでない、ちからかぎりつくして、英雄えいゆう豪傑がうけつとなるを本懷ほんくわいとせよとは其倫理そのりんりでした。
日の出 (旧字旧仮名) / 国木田独歩(著)
私たちの仲間でないと、まだ今日容易に認められまいと思うことは、学問の中心は必ずしも京華文雅けいかぶんがの、間にのみは存在しなかったということである。
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
是君を先にし、臣を後にするなり。汝はやひとの国に去りて害をのがるべしといへり。此の事、一三五と宗右衛門にたぐへてはいかに。丹治只かしられてことばなし。
もとより私の見方は、文章の上から見てのことばかりだが、後に多くの文雅ぶんががさうした書きかたをしたのを見ると、これを學んだのでないかと思ふほどだ。
このとき大學だいがく其他そのた官衙かんがにゐた内外ないがい達識たつしき相會あひかいして、二週間目にしゆうかんめには日本地震學會につぽんぢしんがつかい組織そしきし、つゞいて毎月まいげつ會合かいごう有益ゆうえき研究けんきゆう結果けつか發表はつぴようしたが、創立そうりつ數箇月すうかげつのち
地震の話 (旧字旧仮名) / 今村明恒(著)
一能いちのうは一能に拘泥こうでいし、一芸いちげいの人は一芸に拘泥しておのれを苦しめている。芸能は気の持ちようではすぐ忘れる事も出来る。わが欠点に至っては容易に解脱げだつは出来ぬ。
野分 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
知らぬものは真の文雅ぶんがとおもひ、とひよるさへも多ければ、たちま諸国しよこくにもそのの名をかほらせ、枝葉えだはさかえ、それのみか、根堅ねがた名園めいゑんのこして年々ねん/\繁昌はんじやう、なみ/\の智恵ちゑ
隅田の春 (新字旧仮名) / 饗庭篁村(著)
「ゴルドンさん、つれていってやってくださいよ、神さまはいつでも正義のの味方です」
少年連盟 (新字新仮名) / 佐藤紅緑(著)
鄰家りんか道術だうじゆつあり。童顏どうがん白髮はくはつにしてとしひさしくむ。或時あるときだんことおよべば、道士だうしわらうていはく、それうまは、くこと百里ひやくりにしてなほつかるゝをせいとす。いはんいまよるくこと千里せんりあまる。
唐模様 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
おのれを知るもののために死す。しん予譲よじょうです。やはり忠臣の亀鑑きかんです」
苦心の学友 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
〔譯〕獨立どくりつ自信じしんたふとぶ。ねつえんくのねん、起す可らず。
たる者の資格についておうかがいいたしたいと存じます。」
現代訳論語 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
(五二)くわんなればすなは名譽めいよひとちようし、きふなればすなは介冑かいちうもちふ。いまやしなところもちふるところあらず、もちふるところやしなところあらずと。
左樣さやうわたくしきみ確信くわくしんします、きみ我等われら同志どうしとして、永久えいきゆう秘密ひみつまもこと約束やくそくたまはゞ、誠心せいしんより三度みたびてんちかはれよ。
豊臣家とよとみけ代表者だいひょうしゃとして、御岳みたけの兵法大講会に参加さんかするめいがくだって、可児、井上、真田の三大坂表おおさかおもて発足ほっそくしたのは、その翌々日よくよくじつのことだった。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
卓敬あざな惟恭いきょう、書を読んで十行ともに下るとわれし頴悟聡敏えいごそうびんの士、天文地理より律暦兵刑に至るまできわめざること無く、後に成祖せいそをして、国家を養うこと三十年
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
人なつかしげに左門を見て、湯ひとつ恵み給へといふ。左門ちかくよりて、憂へ給ふことなかれ。
其上そのうへ參禪さんぜん鼓舞こぶするためか、古來こらいからこのみちくるしんだひと閲歴譚えつれきだんなどぜて一段いちだん精彩せいさいけるのがれいであつた。此日このひそのとほりであつたが或所あるところると、突然とつぜん語調ごてうあらためて
(旧字旧仮名) / 夏目漱石(著)
いま憂慮きづかひなし。大塚おほつかより氷川ひかはりる、たら/\ざかは、あたか芳野世經氏宅よしのせいけいしたくもんについてまがる、むかし辻斬つじぎりありたり。こゝに幽靈坂いうれいざか猫又坂ねこまたざか、くらがりざかなどふあり、好事かうずたづぬべし。
弥次行 (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
学んでるのだ、『はおのれを知るもののために死す』
ああ玉杯に花うけて (新字新仮名) / 佐藤紅緑(著)
((莊賈ノ使者))すでき、いまかへるにおよばず。((穰苴))ここおいつひ莊賈さうかり、もつて三ぐんとなふ。三ぐんみな(一九)振慄しんりつせり。
こころざす道につき進もう、そしてもし一道の芸能のと成り得たら、何十年の後なりと、またお目にかかりましょうと……
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
陸奧むつの国蒲生氏郷がまふうぢさとの家に、岡左内といふ武士もののふあり。ろくおもく、ほまれたかく、丈夫ますらをの名を関の東にふるふ。此のいと偏固かたはなる事あり。富貴をねがふ心、常の武扁ぶへんにひとしからず。
旦那だんな役所やくしよかよくつさきかゞやいてるけれども、細君さいくん他所行よそいき穿物はきものは、むさくるしいほど泥塗どろまみれであるが、おもふに玄關番げんくわんばん學僕がくぼくが、悲憤ひふん慷慨かうがいで、をんなあしにつけるものを打棄うつちやつてくのであらう。
山の手小景 (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
もっとも、江戸表の定府組のと、国許のお城方とでは、誰にしても、多少気風や生活ぶりが違ってはいるが——。
濞かみ浪人 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
(七五)巖穴がんけつ(七六)趨舍すうしや(七七)ときり、かくごときのたぐひ(七八)湮滅いんめつしてしようせられず、かなしいかな
源ノ渡と、花山院の左大臣源ノ有仁との関係が、そうであったし、佐藤義清もやはり、徳大寺内大臣の家人であって、また、鳥羽院北面のでもあった。
(五八)いはく、『みちおなじからざれば相爲あひためにはからず』と。また各〻おのおの其志そのこころざししたがなりゆゑに(又 )いは(五九)富貴ふうきもとくんば、執鞭しつべんいへどわれこれさん。 ...
そういう未熟な——まだ出来あがっていない自分を押しすすめて行って、必殺のを占めている多数の敵の中へ入ってゆくのだ。しかも勝とうというのだ。
宮本武蔵:04 火の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
文矦ぶんこう呉起ごきへいもちひ・(七五)廉平れんぺいにしてのうつくこころたるをもつて、すなはもつ西河せいがしゆし、もつしんかんふせがしむ。文矦ぶんこうすでしゆつす。其子そのこ武矦ぶこうつかふ。
本来ほんらい蛾次郎がじろうは泣いてもえてもここでその首を、侠党きょうとうにもらわれなければならないのであるが、独楽こま由来ゆらいの話から、いくぶんそのじょう酌量しゃくりょうされて
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
悼王たうわうもとよりけんなるをく。いたればすなはしやうとす。((呉起))はふあきらかにしれいつまびらかにし、不急ふきふくわんて、(一〇五)公族こうぞく疏遠そゑんものはいし、もつ戰鬪せんとう撫養ぶやうす。
臥薪嘗胆がしんしょうたんの文字どおりに、伊那丸いなまると一とうが、ここ一年に、生命をしてきずきあげた小太郎山こたろうざん孤城こじょう
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ゆゑしゆあいせらるればすなはあたりてしんくはへ、しゆにくまるればすなは(一一〇)つみあたりてくはふ。ゆゑ諫説かんぜいは、(一一一)愛憎あいぞうしゆさつしてしかのちこれかざるからざるなり。
いま、五代綱吉のもとに、その寵遇をうけているものとして「五そう」ということを世間でよくいう。
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
玄徳は、仁義にあつく、徳は四海に及び、賢をうやまい、をよく用いる。かならず大成する人だ。こういう公明な主をえらぶに、何でうしろ暗いはばかりをもつことがある。
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
四国がわの内部では、すでに谷忠兵衛のごとき具眼ぐがんがあって、前途を見とおした“め手”を打って、元親の同意を強請きょうせいしていたほどだったが、戦局上の表面では、攻略軍の羽柴方とて、決して
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
見るからに一ト癖もふた癖もあるが、たしかにまた一芸の。呉用、宋江のめがねでも「よかろう」となって、さっそく今日は戦陣に加わっていた。とはいえ到底、李逵のそばにはついて歩けない。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「さすがに孫権も具眼ぐがんである。いかに良く見せようとしても天下の眼はあざむかれないものだ。魏延、楊儀の小さいことは、われくに知るも、呉の主君までが観抜いていようとは思わなかった」
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
は士を知る。ふたりは、主人の席に侍座じざしている間に
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
具眼ぐがん
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)