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がくもん
學校を
中途で
已めたなり、
本は
殆んど
讀まないのだから、
學問は
人並に
出來ないが、
役所でやる
仕事に
差支へる
程の
頭腦ではなかつた。
ところが
江戸時代になると、
徳川氏の
政治の
方針がさうであり、また
世の
中が
治つて
來たゝめか、
學問が
盛んになつて
來ました。
若し
化物學といふ
學問がありとすれば、
今まで
述べた
事は、
其序論と
見るべきものであつて、
茲には
只序論だけを
述べた
事になるのである。
學問なく
分別なきものすら
企つることを
躊躇ふべきほどの
惡事をたくらましめたるかを
現はすは
蓋しこの
書の
主眼なり。
父さんは九つの
歳まで、
祖父さんや
祖母さんの
膝下に
居ましたがその
歳の
秋に
祖父さんのいゝつけで、
東京へ
學問の
修業に
出ることに
成りました。
その
學生の
頃から、
閣下は
學問も
腹も
出來て
居て、
私のやうに
卑怯でないから、
泳ぎに
達しては
居ないけれども、
北海の
荒浪の
百噸以下を
恐れない。
その
品物には
一々わかるような
説明をつけて、それを
見て
廻るうちに
自然に
學問が
出來るようにしてあるのです。
年齡も十六七
以上、一
通り
學問をして
其の
學問を
家政なり、
何なり
日常處世の
上に
應用がして
行ける
筈でありますが、
實際に
就て
見ますると
種々遺憾の
點があるやうです。
又此等の
學問の
力によつて、わが
地球は
鋼鐵よりも
大きな
剛性を
有してゐることも
分つて
來た。
一
統計年度に
於て、一萬二千
人の
患者を
受けたとすれば、
即ち一萬二千
人は
欺かれたのである。
重い
患者を
病院に
入院させて、
其れを
學問の
規則に
從つて
治療する
事は
出來ぬ。
乳母 はれま、
結構なお
教訓ぢゃ、
夜すがら
此處に
居殘っても、
聽聞がしたいわいの。てもま、
學問は
偉いものぢゃな!
殿さん、
貴方が
來さしますことを
姫さまに
申しましょ。
家に
生㧞きの
我れ
實子にてもあらば、かゝる
迎へのよしや十
度十五たび
來たらんとも、おもひ
立ちての
修業なれば一ト
廉の
學問を
研かぬほどは
不孝の
罪ゆるし
給へとでもいひやりて
少し聞ても聞取り
學問とやら外の御
宅と
違うて此方樣の事成れば一口聞ても多きに
稽古に成りますと言ふ
故扨々不便の事なり然程に
執心成らば私が教へて
遣ませう貴樣の事だから金は
決して取らぬが
其替りに
稽古代と思うて
按摩を
「もつと、ぎろりとした
所を
持つて
來なければ
駄目だ」と
忽ち
云はれた。「
其位な
事は
少し
學問をしたものなら
誰でも
云へる」
祖母さんは
隣村の
妻籠といふところから、
父さんのお
家へお
嫁に
來た
人で、
曾祖母さんほどの
學問は
無いと
言ひましたが、でもみんなに
好かれました。
その
他なんでも
理科の
學問を
應用した
爲事に
關する
品物を、それ/″\その
發達の
順序に
應じて
竝べてあります。
君學問の
道に
寢食を
忘れ
給ふは、
至極結構の
儀にて、とやかく
申上げむ
言もなく
候へども
又た
御心遣の
術も
候はでは、
餘りに
御氣の
詰りて
千金の
御身にさはりとも
相成らむ。
そして
支那の
學問から
更に
進んで、
日本の
學問日本の
文學の
研究が
行はれ
出して
來ました。
最暗黒の
社會にいかにおそろしき魔力の潛むありて
學問はあり
分別ある
腦膸の
中に
勿論この
學問の
研究が
容易に
進歩しないのも
震災國たるの
一因には
相違ないが、
然しながら
地震に
對して
必要な
初歩の
知識がわが
國民に
缺けてゐることが、
震災擴大の
最大原因であらう。
まづ
學問といふた
處が
女は
大底あんなもの、
理化學政法などヽ
延びられては、お
嫁さまの
口にいよ/\
遠ざかるべし、
第一
皮相の
學問は
枯木に
造り
花したも
同じにて
眞心の
人は
悦はぬもの
貴方は一
生涯誰にも
苛責された
事は
無く、
健康なること
牛の
如く、
嚴父の
保護の
下に
生長し、
其れで
學問させられ、
其からして
割の
好い
役に
取付き、二十
年以上の
間も、
暖爐も
焚いてあり
此機會に
際して
化物の
研究を
起し、
化物學といふ一
科の
學問を
作り
出したならば、
定めし
面白からうと
思ふのである。
昔の
傳説、
樣式を
離れた
新化物の
研究を
試みる
餘地は
屹度あるに
相違ない。
取りも
直さず
學問を
實際の
用に
立てるの
凖備であります。
東京をさして
學問に
行かうといふ
頃の
友伯父さんも、
父さんも、まだ
二人とも
馬籠風に
髮を
長くして
居ました。
私なども
中學生の
時分から、
坪井先生の
教へを
受け、それから
一そうこの
學問が
好きになつたのであります。
學問は
社會へ
出るための
方便と
心得てゐたから、
社會を一
歩退ぞかなくつては
達する
事の
出來ない、
學者といふ
地位には、
餘り
多くの
興味を
有つてゐなかつた。
見る
目に
見なば
美男とも
言ふべきにや、
鼻筋とほり
眼もと
鈍からず、
豐頬の
柔和顏なる
敏、
流石に
學問のつけたる
品位は、
庭男に
成りても
身を
放れず、
吾助吾助と
勝手元に
姦ましき
評判は
ヒポコンデリア
之れいかなる
病ぞ。
虚弱なる
人のみ
之を
病むべきか、
健全なる
人之を
病む
能はざるか、
無學之を
病まず
却つて
學問之を
引由し、
無知之を
病まず、
知識あるもの
之を
病む
事多し。
實にこの
地震計の
發明は、それまで
極めて
幼稚であつた
地震學が
本當の
學問に
進歩した
基であるので、
單に
此一點からみても、
地震學は
日本に
於て
開けたといつても
差支へないくらゐである。
如何なれば
規則はあつても、
茲に
學問は
無いのである。
哲學を
捨て
了つて、
他の
醫師等のやうに
規則に
從つて
遣らうとするのには、
第一に
清潔法と、
空氣の
流通法とが
缺くべからざる
物である。
ふだん
亭主を
彌次喜多に
扱ふ
女に、
學問のある
處を
見せてやらう。
植村さまも
好いお
方であつたものをとお
倉の
言へば、
何があの
色の
黒い
無骨らしきお
方、
學問はえらからうとも
何うで
此方のお
孃さまが
對にはならぬ、
根つから
私は
褒めませぬとお
三の
力めば
火山に
關する
迷信がこのように
國民の
腦裡を
支配してゐる
間、
學問が
全く
進歩しなかつたのは
當然である。
昔の
雷公が
今日我々の
忠實な
使役をなすのに、
火山の
神のみ
頑固におはすべきはずがない。
旅で
劍術は
出來なくても、
學問があれば
恁うは
駭くまい。
樂隱居なされ
度おのぞみのよし、これ
然るべき
事と
御親類一
同の
御决義、
私は
初手から
貴君樣を
東京へお
出し申すは
氣に
喰はぬほどにて、申しては
失禮なれどいさゝかの
學問など
何うでも
宜い
事
田中屋が
柔和ぶりにごまかされて、一つは
學問が
出來おるを
恐れ、
我が
横町組の
太郎吉、三五
郎など、
内々は
彼方がたに
成たるも
口惜し、まつりは
明後日、いよ/\
我が
方が
負け
色と
見えたらば
立ちし
物の
此文には
何の
文言どういふ
風に
書きて
有るにや
表書きの
常盤木のきみまゐるとは
無情ひとへといふ
事か
岩間の
清水と
心細げには
書き
給へど
扨も/\
御手のうるはしさお
姿は申すも
更なり
御心だてと
云ひお
學問と
云ひ
欠け
處なき
御方さまに
思はれて
嫌やとはよもや
仰せられまじ
我れ
深山育ちの
身として
比べ
物になる
心は