“學(まな)” の例文
新字:学
『これが私(わたくし)の妻(つま)春枝(はるえ)。』と私(わたくし)に紹介(ひきあは)せ、更(さら)に夫人(ふじん)に向(むか)つて、私(わたくし)と彼(かれ)とが昔(むかし)おなじ學(まな)びの友(とも)であつた事(こと)、私(わたくし)が今回(こんくわい)の旅行(りよかう)の次第(しだい)
學校(がくかう)といふのは此大島小學校(このおほしませうがくかう)ばかり、其以外(そのいぐわい)にはいろはのいの字(じ)も學(まな)ぶ場所(ばしよ)はなかつたので御座(ござ)います。僕(ぼく)も初(はじめ)は不精々々(ふしやう/″\)に通(かよ)つて居(ゐ)ました。
日の出 (旧字旧仮名) / 国木田独歩(著)
飛衞(ひゑい)は昔(いにしへ)の善(よ)く射(い)るものなり。同(おな)じ時(とき)紀昌(きしやう)といふもの、飛衞(ひゑい)に請(こ)うて射(しや)を學(まな)ばんとす。教(をしへ)て曰(いは)く、爾(なんぢ)先(まづ)瞬(またゝ)きせざることを學(まな)んで然(しか)る後(のち)に可言射(しやをいふべし)。
術三則 (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
因(よつ)て齊(せい)に家(いへ)せり。世(よ)の・老子(らうし)を學(まな)ぶ者(もの)は則(すなは)ち儒學(じゆがく)を絀(しりぞ)け、儒學(じゆがく)も亦(また)老子(らうし)を絀(しりぞ)く。『道(みち)、同(おな)じからざれば、相(あひ)爲(た)めに謀(はか)らず』とは、豈(あに)是(これ)を謂(い)ふ邪(か)。
かういふ歌(うた)が、先(さき)にいつたとほり、後世(こうせい)持(も)てはやされて、これを學(まな)ぶ人(ひと)が多(おほ)かつたのであります。後(あと)の歌(うた)からいひませう。
歌の話 (旧字旧仮名) / 折口信夫(著)
『然(さ)うさ、一つ位(くらゐ)!』と福鼠(ふくねずみ)は焦心(ぢれ)ッたさうに云(い)つて、又(また)話(はな)し續(つゞ)けました、『其故(それゆゑ)此等(これら)三人(にん)の姉妹(きやうだい)は——皆(みん)なで描(えが)くことを學(まな)んで居(ゐ)ました——』
愛ちやんの夢物語 (旧字旧仮名) / ルイス・キャロル(著)
われ/\は近(ちか)く關東大地震(かんとうだいぢしん)に於(おい)て、相模灣(さがみわん)の海底(かいてい)が廣(ひろ)さ十里四方(じゆうりしほう)の程度(ていど)に於(おい)て、幾米(いくめーとる)の上下變動(じようげへんどう)のあつたことを學(まな)んだ。
地震の話 (旧字旧仮名) / 今村明恒(著)
私達はどんなにその爲(た)めに悶(もだ)えたでせう!その頃の風潮(ふうてう)からは、たゞ破壞(はくわい)をのみ會得(ゑとく)して、建設(けんせつ)については一部(いちぶ)一厘(いちりん)だにも學(まな)ぶことが出來(でき)なかつたのです。
冬を迎へようとして (旧字旧仮名) / 水野仙子(著)
只管(ひたすら)頼(たの)みしに重四郎も辭(いな)み難く承知せしかば此より畔倉を師匠(ししやう)として主用の間(ひま)には劔道(けんだう)をぞ學(まな)びける是に因て重四郎も毎度穀屋(こくや)へ出入致しける處に主平兵衞は殊の外圍碁(ゐご)を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
家政學(かせいがく)のいくたても學(まな)びしは學校(がくかう)にてばかり、誠(まこと)あけくれ耳(みゝ)に入(い)りしは好(す)いた好(す)かぬの客(きやく)の風説(うはさ)、仕着(しき)せ積(つ)み夜具(やぐ)茶屋(ちやゝ)への行(ゆき)わたり、派手(はで)は美事(みごと)に、かなはぬは見(み)すぼらしく
たけくらべ (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
濱島武文(はまじまたけぶみ)とは私(わたくし)がまだ高等學校(かうとうがくかう)に居(を)つた時分(じぶん)、左樣(さやう)かれこれ十二三年(ねん)も前(まへ)の事(こと)であるが、同(おな)じ學(まな)びの友(とも)であつた。
時(とき)の流行(りうかう)といへば、別(べつ)して婦人(ふじん)が見得(みえ)と憧憬(しようけい)の的(まと)にする……的(まと)となれば、金銀(きんぎん)相(あひ)輝(かゞや)く。弓(ゆみ)を學(まな)ぶものの、三年(さんねん)凝視(ぎようし)の瞳(ひとみ)には的(まと)の虱(しらみ)も其(そ)の大(おほ)きさ車輪(しやりん)である。
麻を刈る (旧字旧仮名) / 泉鏡花、泉鏡太郎(著)
呉起(ごき)は衞人也(ゑいひとなり)。好(この)んで兵(へい)を用(もち)ふ。嘗(かつ)て曾子(そうし)に學(まな)び、魯君(ろくん)に事(つか)ふ。齊人(せいひと)、魯(ろ)を攻(せ)む。魯(ろ)、呉起(ごき)を將(しやう)とせんと欲(ほつ)す。呉起(ごき)、齊(せい)の女(ぢよ)を取(めと)つて妻(つま)と爲(な)し、而(しかう)して魯(ろ)、之(これ)を疑(うたが)へり。
然程(さるほど)に新吉原松葉屋にては彼のお高を抱(かゝ)へ樣子を見(みる)に書は廣澤(くわうたく)を學(まな)び琴(こと)は生田流(いくたりう)揷花(いけばな)は遠州流茶事より歌俳諧(はいかい)に至るまで是を知らずと云ふ事なく殊(こと)に容貌(ようばう)美麗(うるはし)く眼に千金の色を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
物靜(ものしづ)かにつヽましく諸藝(しよげい)名譽(めいよ)のあるが中(なか)に、琴(こと)のほまれは久方(ひさかた)の空(そら)にも響(ひヾ)きて、月(つき)の前(まへ)に柱(ちゆう)を直(なほ)す時(とき)雲(くも)はれて影(かげ)そでに落(お)ち、花(はな)に向(むか)つて玉音(ぎよくおん)を弄(もてあそ)べば鶯(うぐひす)ねを止(とヾ)めて節(ふし)をや學(まな)びけん
暁月夜 (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
東京(とうきやう)にも歌人(うたよみ)の大家先生(たいかせんせい)は澤山(たくさん)あれど我等(われら)のやうに先生(せんせい)の薫陶(くんたう)を受(う)け大島小學校(おほしませうがくかう)の門(もん)に學(まな)び候(さふらふ)ものならで、能(よ)く我等(われら)の精神感情(せいしんかんじやう)を日(ひ)の出(で)の唱歌(しやうか)に歌(うた)ひ出(いだ)し得(う)るもの有(あ)るべきや、甚(はなは)だ覺束(おぼつか)なく存候(ぞんじさふらふ)。
日の出 (旧字旧仮名) / 国木田独歩(著)
地球(ちきゆう)が一箇(いつこ)の大(おほ)きな磁石(じしやく)であることなどを學(まな)ばれたであらう。
地震の話 (旧字旧仮名) / 今村明恒(著)
時(とき)や冬(ふゆ)、小春日(こはるび)の返(かへ)り咲(ざき)にも怪(あや)し何處(いづこ)にか取(と)り得(え)たる。昌黎(しやうれい)屹(きつ)と其(そ)の面(おもて)を睨(にら)まへてあり。韓湘(かんしやう)拜謝(はいしや)して曰(いは)く、小姪(せうてつ)此(こ)の藝當(げいたう)ござ候(さふらふ)。因(よ)りて書(しよ)を讀(よ)まず又(また)學(まな)ばざるにて候(さふらふ)。
花間文字 (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
申不害(しんふがい)は(三九)京人(けいひと)也(なり)。故(もと)鄭(てい)の賤臣(せんしん)なり。(四〇)術(じゆつ)を學(まな)び、以(もつ)て(四一)韓(かん)の昭矦(せうこう)に干(もと)む。
恐(おそ)れながらかんがへ學(まな)ぶへき事なり然るに舜帝のつゝみ世こぞつて諫鼓(かんこ)のつゝみと云(いふ)其後(そのご)程(ほど)なく天下よく此君(このきみ)にしたがひ徳(とく)になつきければ其皷(そのつゞみ)自然(しぜん)とほこりたまり苔(こけ)を生(しやう)し諸鳥(しよてう)も來りて羽(は)を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
上杉(うへすぎ)のおぬひと言(い)ふ娘(こ)、桂次(けいじ)がのぼせるだけ容貌(きりよう)も十人なみ少(すこ)しあがりて、よみ書(か)き十露盤(そろばん)それは小學校(せうがくかう)にて學(まな)びし丈(だけ)のことは出來(でき)て、我(わ)が名(な)にちなめる針仕事(はりしごと)は袴(はかま)の仕立(したて)までわけなきよし
ゆく雲 (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
居(を)ること之(これ)を頃(しばら)くして其母(そのはは)死(し)す。起(き)、終(つひ)に歸(かへ)らず。曾子(そうし)、(六六)之(これ)を薄(うす)んじて起(き)と絶(た)つ。起(き)乃(すなは)ち魯(ろ)に之(ゆ)き兵法(へいはふ)を學(まな)び、以(もつ)て(六七)〔魯〕君(きみ)に事(つか)ふ。〔魯〕君(きみ)之(これ)を疑(うたが)ふ。
晩唐(ばんたう)一代(いちだい)の名家(めいか)、韓昌黎(かんしやうれい)に、一人(いちにん)の猶子(いうし)韓湘(かんしやう)あり。江淮(かうくわい)より迎(むか)へて昌黎(しやうれい)其(そ)の館(やかた)に養(やしな)ひぬ。猶子(いうし)年(とし)少(わか)うして白皙(はくせき)、容姿(ようし)恰(あたか)も婦人(ふじん)の如(ごと)し。然(しか)も其(そ)の行(おこな)ひ放逸(はういつ)にして、聊(いさゝか)も學(まな)ぶことをせず。
花間文字 (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
身代(しんだい)たゝき骨(ほね)になれば再(ふたゝ)び古巣(ふるす)への内儀姿(かみさますがた)、どこやら素人(しろうと)よりは見(み)よげに覺(おぼ)えて、これに染(そ)まらぬ子供(こども)もなし、秋(あき)は九月(ぐわつ)仁和賀(にわか)の頃(ころ)の大路(おほぢ)を見(み)給(たま)へ、さりとは宜(よ)くも學(まな)びし露(ろ)八が物眞似(ものまね)、榮喜(えいき)が處作(しよさ)
たけくらべ (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
臏(ひん)は(一四)阿鄄(あけん)の間(あひだ)に生(うま)る。臏(ひん)も亦(また)孫武(そんぶ)の後世(こうせい)の子孫也(しそんなり)。孫臏(そんびん)嘗(かつ)て龐涓(はうけん)と倶(とも)に兵法(へいはふ)を學(まな)ぶ。
仍(よつ)て速(すみやか)に館(やかた)に召返(めしかへ)し、座(ざ)に引(ひ)いて、昌黎(しやうれい)面(おもて)を正(たゞし)うして云(い)ふ。汝(なんぢ)見(み)ずや、市肆(しし)の賤類(せんるゐ)、朝暮(てうぼ)の營(いとな)みに齷齪(あくさく)たるもの、尚(な)ほ一事(いちじ)の長(ちやう)ずるあり、汝(なんぢ)學(まな)ばずして何(なに)をかなすと、叔公(をぢさん)大目玉(おほめだま)を食(くら)はす。
花間文字 (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
何(なん)とも思召(おぼしめ)すまじけれど物(もの)ごゝろ知(し)る其頃(そのころ)よりさま/″\のこと苦勞(くらう)にして身(み)だしなみ物(もの)學(まな)び彼(あ)れか此(こ)れかお氣(き)に入(い)りたや飽(あ)かれまじと心(こゝろ)のたけは君樣故(きみさまゆゑ)に使(つか)はれて片時(かたとき)安(やす)き思(おも)ひもせずお友達(ともだち)遊(あそ)びも芝居(しばゐ)行(ゆ)きもお嫌(きら)ひと知(し)れば大方(おほかた)は斷(ことわ)りいふて僻物(ひがもの)と笑(わら)はれしは誰(た)れの爲(ため)を
別れ霜 (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
紀昌(きしやう)こゝに於(おい)て、家(いへ)に歸(かへ)りて、其(そ)の妻(つま)が機(はた)織(お)る下(もと)に仰(あふむ)けに臥(ふ)して、眼(まなこ)を睜(みひら)いて蝗(いなご)の如(ごと)き梭(ひ)を承(う)く。二年(にねん)の後(のち)、錐末(すゐまつ)眥(まなじり)に達(たつ)すと雖(いへど)も瞬(またゝ)かざるに至(いた)る。往(ゆ)いて以(もつ)て飛衞(ひゑい)に告(つ)ぐ、願(ねがは)くは射(しや)を學(まな)ぶを得(え)ん。
術三則 (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
飛衞(ひゑい)肯(きか)ずして曰(いは)く、未也(まだなり)。亞(つい)で視(み)ることを學(まな)ぶべし。小(せう)を視(み)て大(だい)に、微(び)を視(み)て著(いちじる)しくんば更(さら)に來(きた)れと。昌(しやう)、絲(いと)を以(もつ)て虱(しらみ)を牖(まど)に懸(か)け、南面(なんめん)して之(これ)を臨(のぞ)む。旬日(じゆんじつ)にして漸(やうや)く大(だい)也(なり)。三年(さんねん)の後(のち)は大(おほき)さ如車輪焉(しやりんのごとし)。
術三則 (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)