さい)” の例文
そのころ良人おっとはまだわこうございました。たしか二十五さい横縦よこたてそろった、筋骨きんこつたくまましい大柄おおがら男子おとこで、いろあましろほうではありません。
このガチョウはい鳥ではありましたが、アッカという、百さいにもなるガンの隊長のことは、いままでにもうわさに聞いていました。
これだけが、かつてのコトエの存在を証明するものなのだ。俗名コトエ 行年二十二さい ああ、ここにこうして消えたいのちもある。
二十四の瞳 (新字新仮名) / 壺井栄(著)
イワン、デミトリチ、グロモフは三十三さいで、かれ此室このしつでの身分みぶんいもの、元來もと裁判所さいばんしよ警吏けいりまた縣廳けんちやう書記しよきをもつとめたので。
六号室 (旧字旧仮名) / アントン・チェーホフ(著)
「おう、三さいっ子、あれがおめえのだんなかい、うまくやったな、よぼよぼは直ぐかたがつくから、しこたま貰っとくがいいぜ。」
蜜のあわれ (新字新仮名) / 室生犀星(著)
二人ふたりおんなは、どちらも十四、五さいになったのであります。そして、それぞれなにかふさわしい仕事しごとにつかなければなりませんでした。
日がさとちょう (新字新仮名) / 小川未明(著)
当時、ぼくは二十さい、たいへん理想に燃えていたものです。なによりも、貧しき人々を救いたいという非望を、愛していました。
オリンポスの果実 (新字新仮名) / 田中英光(著)
もっとも、こう言出したのは、七十さいした老人であるから、これは文字のせいではないかも知れぬ。ナブ・アヘ・エリバはこう考えた。
文字禍 (新字新仮名) / 中島敦(著)
友伯父ともをぢさんはもう十二さいでしたから、そんなやまなか子供こどものやうなかみをして行つて東京とうきやうわらはれてはらないと、おうち人達ひとたちひました。
ふるさと (旧字旧仮名) / 島崎藤村(著)
けんにて住居ぢうきよなし此近邊このきんぺん大身代おほしんだいなり主は入聟いりむこにてしやう三郎と云今年ことし六十さいつまは此家のむすめにて名をおつねび四十さいなれども生得しやうとく派手はでなる事を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
母親ヴァルヴァーラは三十五さいで初めて結婚けっこんした、気丈きじょうでヒステリックで野性的な、いわば典型的なロシアの女地主でした。
「はつ恋」解説 (新字新仮名) / 神西清(著)
太子たいしが六さいときでした。はじめて朝鮮ちょうせんくにから、ほとけさまのおきょうをたくさん献上けんじょうしてまいりました。するとある太子たいしは、天子てんしさまのおまえへ出て
夢殿 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
当時四十二さいでありましたが、ジェンナーの温順な性質がすっかり気にいって、弟子でしというよりもむしろ友達ともだちあつかいにしてかわいがりました。
ジェンナー伝 (新字新仮名) / 小酒井不木(著)
今年ことし十二さい少年せうねんにはめづらしきまで大人似おとなびて、氣象きしよう凛々りゝしい、擧動きよどう沈着ちんちやくな、まるで、小櫻木大佐せうさくらぎたいさこゝるやうな、雄壯をゝしき少年せうねんとはなつた。
けれど、さすがな大鷲おおわしも、二、三さい嬰児あかごなら知らぬこと、竹童ほどな少年のからだをくわえてそう飛べるはずはない。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
二十五六さいころより毎日まいにち朝夕てうせき實行じつかうして、七十七さい今日こんにちおよび、爾來じらい數十年間すうじふねんかん頭痛づつうわすれ、健全けんぜんとなり、感冐かんばうをかされたることいま一度いちどもあらず。
命の鍛錬 (旧字旧仮名) / 関寛(著)
こえをかけられました。ふりかえってると、七さいくらいの、かわいらしいおとこうしをつれてっていました。
花のき村と盗人たち (新字新仮名) / 新美南吉(著)
今年十八さいであったが、頭が非常ひじょうによくって、寺子屋てらこやで教わる読み書きそろばんはいつも一番であった。何を考えても何をしても人よりずばぬけていた。
鬼退治 (新字新仮名) / 下村千秋(著)
この情緒纏綿じょうしょてんめんたる手紙は、新婚しんこん当時の手紙ではない。結婚十数年、ヘルン既に五十さいを過ぎ、二人の男児と一人の女児の親となってる晩年の手紙である。
すでに七八さいになっているので、ちょっと中年を過ぎた落付きを持っているので、その魅力は垢脱あかぬけがしていた。
金魚撩乱 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
結婚けっこんして何日目かに「いったい、君の年はいくつなの」といてみておどろいた事であったが、二十三さいだと云うのに、まだ肩上かたあげをした長閑のどかなところがあった。
魚の序文 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
二十三さいのころ女子高等師範学校じょしこうとうしはんがっこうにはいり、そこを卒業してからは、しばらく女学校の先生をしていました。
ラプンツェルは、世界せかい二人ふたりいくらいのうつくしい少女むすめになりました。少女むすめが十二さいになると、魔女まじょもりなかにあるとうなかへ、少女むすめ閉籠とじこめてしまった。
それぞれのらんに、「大河無門、二十七さい、千葉県、小学校代用教員、中学卒」と記入してあり、備考欄には
次郎物語:05 第五部 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
はじしんしうがつしてはなれ、はなれて五百さいにしてがつし、がつして七十さいにして霸王はわうたるものでん」と
あれは天正てんしょう十一年に浜松はままつ逐電ちくてんした時二十三さいであったから、今年は四十七になっておる。太いやつ、ようも朝鮮人になりすましおった。あれは佐橋甚五郎さはしじんごろうじゃぞ
佐橋甚五郎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
そのぼっちゃまも、今は大きくなって、十四さいになっています。勉強もよくできる、美しい少年です。
もう卅さいわかかつたなら?——日本につほん文壇ぶんだんは、動搖どうえうし、わたしは——わたしは、かぞへると、九歳こゝのつだつ!
はい、あの死骸しがい手前てまへむすめが、片附かたづいたをとこでございます。が、みやこのものではございません。若狹わかさ國府こくふさむらひでございます。金澤かなざは武弘たけひろとしは二十六さいでございました。
藪の中 (旧字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
二十八さいの今日まで女を知らずに来たという話ももう冗談じょうだんに思えず、十八のとしから体をらして来た一代にとっては、地道な結婚をするまたとない機会かも知れなかった。
競馬 (新字新仮名) / 織田作之助(著)
医者いしや内弟子うちでし薬局やくきよく拭掃除ふきさうぢもすれば総菜畠さうざいばたけいもる、ちかところへは車夫しやふつとめた、下男げなん兼帯けんたい熊蔵くまざうといふ、其頃そのころ二十四五さい稀塩散きゑんさん単舎利別たんしやりべつぜたのをびんぬすんで
高野聖 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
れがめに大邊たいへん危險きけんるとのことですが、わたくし田舍いなかりまする時分じぶんこれれについ實見じつけんしたことりますから、れをばまうようぞんじます、れは二さいばかりの子供こども
ほとんどひといきに、二三日前にちまえ奉公ほうこうた八さい政吉まさきちから、番頭ばんとう幸兵衛こうべえまで、やけ半分はんぶんびながら、なかくちからあたふたとんで徳太郎とくたろうは、まげ刷毛先はけさきとど
おせん (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
その翌年、すなはち慶應の三年、僕の廿さいの年には所謂いはゆる時事益々切迫で、——それまでは尊王攘夷そんわうじようゐであつたのが、何時いつにか尊王討幕になつてしまつた。所謂危急存亡のときだ。
兵馬倥偬の人 (旧字旧仮名) / 塚原渋柿園塚原蓼洲(著)
大坪流の古高新兵衛はたくましい黒鹿毛くろかげ、八条流の黒住団七は連銭葦毛れんせんあしげ、上田流の兵藤十兵衛は剽悍ひょうかんな三さい栗毛くりげ、最後に荒木流の江田島勘介は、ひと際逞しい鼻白鹿毛はなじろかげに打跨りつつ
わたしは、自分の心の中をのぞいて見るのがこわかった。(ただし、十六さいの少年にも、自分の心の中が覗きこめるものとすればだが)何事にせよ、はっきりき止めるのが怖かった。
はつ恋 (新字新仮名) / イワン・ツルゲーネフ(著)
ザシキワラシ。二十二さい。アツレキ三十一年二月七日、表、日本岩手県上閉伊かみへい青笹あおざさあざ瀬戸二十一番戸伊藤万太の宅、八畳座敷中に故なくしてほしいままに出現して万太の長男千太、八歳を
エヽ三十七さいで。殿「何処どこか悪いところでもあるか。○「へい少々せう/\下腹したはらが痛いやうで。 ...
華族のお医者 (新字旧仮名) / 三遊亭円朝(著)
同月どうげつ十七にち、いよ/\發掘はつくつこととしたが家人かじん其状態そのじやうたいたいといふので、らば其用意そのえういしてくべしとて、さいとに糧食れうしよくたづさへさせ、あいする親族しんぞくの六さい幼女えうぢよ
ぼく此校長このかうちやうもと大島小學校おほしませうがくかうたのは二年半ねんはんで、月日つきひにすればふにらず、十二さいより十五さいまで、ひと年齡ねんれいにすれば腕白盛わんぱくざかりでありましたけれど、ぼくしん教育けういくけたのは此時このとき
日の出 (旧字旧仮名) / 国木田独歩(著)
「雲雀あがる春べとさやになりぬれば都も見えず霞たなびく」(巻二十・四四三四)も亦家持の作で、この方は巻十九のよりも制作年代が遅い(天平勝宝七さい三月三日)のは注意すべきである。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
まつたくさすがにといふかんじをおぼ※たが、里見さんはちつとを入れたら百てんぐらゐには今でもなれるやうながする。球突たまつきは二十五さい※てはもううでかたくなつて上たつ々たるものなのだが……。
文壇球突物語 (旧字旧仮名) / 南部修太郎(著)
一書によると、王のおとしは十八さいであったと云われる。また、嘉吉かきつの乱にいったん滅亡めつぼうした赤松の家が再興されたのは、その時南朝の二王子をしいして、神璽を京へ取りもどした功績に報いたのであった。
吉野葛 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
四十五さい名前なまえ笹山大作ささやまだいさくだつた。
金魚は死んでいた (新字新仮名) / 大下宇陀児(著)
その子、五さいになれり。
悲しき玩具 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
たけずんとしさい
孔雀船 (旧字旧仮名) / 伊良子清白(著)
あし田鶴たづよはひながゝれとにや千代ちよとなづけし親心おやごゝろにぞゆらんものよ栴檀せんだん二葉ふたば三ツ四ツより行末ゆくすゑさぞとひとのほめものにせし姿すがたはなあめさそふ弥生やよひやまほころびめしつぼみにながめそはりてさかりはいつとまつのごしのつきいざよふといふも可愛かあいらしき十六さい高島田たかしまだにかくるやさしきなまこしぼりくれなゐは
闇桜 (新字旧仮名) / 樋口一葉(著)
わたくし三浦みうらとついだころは五十さいくらいでもあったでしょうが、とう女房にょうぼう先立さきだたれ、独身どくしんはたらいている、いたって忠実ちゅうじつ親爺おやじさんでした。
イワン、デミトリチ、グロモフは三十三さいで、かれはこのしつでの身分みぶんのいいもの、元来もと裁判所さいばんしょ警吏けいり、また県庁けんちょう書記しょきをもつとめたので。
六号室 (新字新仮名) / アントン・チェーホフ(著)
盲目めくら父親ちちおやいて、十二、三さいのあわれな少年しょうねんは、日暮ひぐがたになると、どこからかにぎやかなまちほうへやってきました。
街の幸福 (新字新仮名) / 小川未明(著)