)” の例文
は一こく友人ゆうじん送別会席上そうべつかいせきぜう見知みしりになつたR国人こくじんであつたので、わたしはいさゝか心強こゝろつよかんじて、みちびかるゝまゝにおくとほつた。
微笑の渦 (新字旧仮名) / 徳田秋声(著)
しかしそのとき周圍しうゐ事情じじやうは、病人びやうにんをKうちかしてことゆるさないので、ぐに何處どこへか入院にふゐんさせなければならなかつた。
彼女こゝに眠る (旧字旧仮名) / 若杉鳥子(著)
「先月のに長谷川天渓はせがわてんけい(一八七六—一九四〇。評論家・英文学者)のハムレットの精神分析が載ってたろう。読まないのかい」
五階の窓:04 合作の四 (新字新仮名) / 甲賀三郎(著)
ペアレットはストロムボリにてたまたとしようしてゐる。そのおほいさは直徑ちよつけい一米程いちめーとるほどであつてあをひかつたものであつたといふ。
火山の話 (旧字旧仮名) / 今村明恒(著)
これより『ジョリクールの家来。一名とんだあほうの取りちがえ』と題しまするゆかいな喜劇きげきをごらんにいれたてまつります。
そもそ此所こゝ千鳥窪ちどりくぼが、遺跡ゐせきとしてみとめられたのは、隨分ずゐぶんふることで、明治めいぢ二十一ねんの九ぐわつには、阿部正功あべせいこう若林勝邦わかばやしかつくにの二すで發掘はつくつをしてる。
何事なにごと外國人ぐわいこくじんせつ妄信まうしんする日本人にほんじんは、これをいておほいに感服かんふくしたもので、識見しきけん高邁かうまいせうせられた岡倉をかくらかくごときも
日本建築の発達と地震 (旧字旧仮名) / 伊東忠太(著)
その航路かうろりて支那海シナかい印度洋インドやう方面はうめんすゝみしにあらずやとのうたがひあり、もとより今回こんくわい企圖くわだて秘中ひちう秘事ひじにして、到底たうてい測知そくちきにあらざれども
わたくしはひとり撰者不詳の京水墓誌を疑うのみではない。また二世瑞仙晋の撰んだ池田行状をも疑わざることを得ない。文は載せて『事実文編』四十五にある。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
がかつて心を宗教に寄せる前には、剛情で始末におえぬ硬骨漢こうこつかんであったが、ひとたび信者となってからは手をくつがえしたごとく温和な柔順な、涙もろい人に変った。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
何々なに/\もの希望きばうだから、せませうとかがうして、品物しなものつてつたぎり、かへしてない。
(旧字旧仮名) / 夏目漱石(著)
しも気遣きづかひたりし身体にはさはりもなくて、神戸直行ちよくかうと聞きたる汽車の、にはかに静岡に停車する事となりしかば、其夜は片岡かたをかの家族と共に、停車場ステーシヨンちかき旅宿に投じぬ。
母となる (新字旧仮名) / 福田英子(著)
むかし、三べう(七六)洞庭どうていひだりにし、(七七)彭蠡はうれいみぎにせしが、徳義とくぎをさまらず、これほろぼせり。
するとカンタベリーの忠節ちゆうせつなる大僧正だいそうじようスチガンドすら、それを當然たうぜんことだとおもひました——
愛ちやんの夢物語 (旧字旧仮名) / ルイス・キャロル(著)
彼地あちらへ往らっしったお方は御案内でいらっしゃいますが、社殿はけやき総彫そうぼりで、花鳥雲竜かちょううんりょうが彫ってごく名作でございます。是は先代の茂木佐平治もぎさへいじが建立致したのでございます。
霧陰伊香保湯煙 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
礼をいって大噐はその家を出た。雨はいよいよひどくなった。傘を拡げながら振返って見ると、木彫きぼりのような顔をした婆さんはまだこちらを見ていたが、妙にその顔が眼にしみ付いた。
観画談 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
落合迄滊車、夫れより国境のけんは歩行し、清水にて一泊。夫れより帯広に出で、来合わせたる又一に面話し、一泊。高島農塲に一泊。利別としべつ一泊。足寄あしょろにて渋田しぶたに一泊し、西村が傷をしんす。
関牧塲創業記事 (新字新仮名) / 関寛(著)
先日の御手紙には富岡先生と富岡との二個ふたりの人がこの老人の心中に戦かっておるとのお言葉が有った、実にその通りで拙者も左様思っていた、然るにちょうど御手紙を頂いた時分以来は
富岡先生 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
ドストみづか露國ロコク平民社界へいみんしやくわい暗澹あんたんたる境遇けふぐふ實踐じつせんしたるひとなり、しかしてその述作じゆつさくするところは、およ露西亞人ロシアジン血痕けつこん涙痕るいこんをこきまぜて、ふべからざる入神にうしん筆語ひつごて、虚實きよじつ兩世界りようせかい出入しゆつにうせり。
罪と罰(内田不知庵訳) (旧字旧仮名) / 北村透谷(著)
都々逸どどいつ歌うて曰く
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
「そんなことはない。」わたしわらひながら否定ひていした。するとまたS、H訂正ていせいでもするやうに、「いや、わたしほうが……。」とこたへた。
微笑の渦 (新字旧仮名) / 徳田秋声(著)
其後そのごぐわつ二十八にちに、内山うちやま九三らう發掘はつくつして、大把手おほとつてした。其記事そのきじ東京人類學會雜誌とうきやうじんるゐがくゝわいざつしの八十六がう記載きさいせられてある。
「おお、わすれていました」とグレッスが言った。「あなたの名字みょうじはドリスコルで、あなたのお父上の名前は、ジョン・ドリスコル氏です」
閃弧せんこといふものがある。千九百六年せんくひやくろくねんのヴェスヴィオ噴火ふんかおいて、ペアレット撮影さつえいかゝるものである。
火山の話 (旧字旧仮名) / 今村明恒(著)
そのうちわたくしは『事実文編』四十五に霧渓むけいの撰んだ池田行状のあるのを見出した。これは養父初代瑞仙の行状で、その墓が向島嶺松寺にあることをしるしてある。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
彼女かのぢよは、片山かたやま同志どうしのKうちせて、かれ居所ゐどころさがしてゐたが、そのかれが、I刑務所けいむしよ未決監みけつかんにゐるとわかつたのは、行方不明ゆくへふめいになつてから、半年はんとしもののちだつた。
彼女こゝに眠る (旧字旧仮名) / 若杉鳥子(著)
櫻木大佐さくらぎたいさその姿すがたかくすとともにかの帆走船ほまへせんその停泊港ていはくかうらずなり、あはせて大佐たいさ年來ねんらい部下ぶかとしてかみごとおやごとくに服從ふくじゆうせる三十七めい水兵すゐへいその姿すがたうしなひたりといへば
宿泊帳には故意わざと偽名をしよしたれば、片岡かたをかせふをば景山英かげやまひでとは気付きづかざりしならん。
母となる (新字旧仮名) / 福田英子(著)
行違ゆきちがいまして、又ぞろ江戸へ引返ひっかえしてまいるような事になりました、此の上は松平公の御家中藤原を頼み、手続きをもって尋ねましたなら、蟠龍軒の居所いどこの知れぬことも無かろうと思います
後の業平文治 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
友人いうじん松井通昭まつゐつうせうわが七福しちふくえいずるのうたせらる。ろくするものこれなり。
命の鍛錬 (旧字旧仮名) / 関寛(著)
S、Hだけは「彼是かれこれふべきものぢやない。羨望せんぼうすべきものぢやないか」とつたといふことを、二三或青年あるせいねんから、わたしかされてゐた。
微笑の渦 (新字旧仮名) / 徳田秋声(著)
「いや、同じ名前ではない、それがおまえなんだ。おまえはジョリクールの所へ奉公口ほうこうぐちさがしにいなかから出て来たのだ」
いよ/\大問題だいもんだい早速さツそく水谷氏みづたにしところ報告ほうこくすると、おほいによろこんで、早速さつそく十二ぐわつつて、望蜀生ばうしよくせいとも加瀬かせつた。
この珍現象ちんげんしよう目撃もくげきすることさへ容易よういとらがた機會きかいであるのに、しかもこれを寫眞しやしんにとつて一般いつぱんひとにもその概觀がいかんつたへたペアレット功績こうせきとすべきでゐる。
火山の話 (旧字旧仮名) / 今村明恒(著)
はすぐに、村役場むらやくば證明書しようめいしよもらひにつたが、失望しつばうしてかへつてた。證明書しようめいしよなるものが下附かふされるには、十かゝるか二十日はつかかゝるか、わからないといふことだつた。
彼女こゝに眠る (旧字旧仮名) / 若杉鳥子(著)
にもかくにも非凡ひぼん智能ちのう遠大えんだい目的もくてきとをいうすることなれば、何時いつ意外いぐわい方面はうめんより意外いぐわい大功績だいこうせきもたらしてふたゝ吾人ごじん眼前がんぜんあらはれきたるやもからず、刮目くわつもくしてきなり。
たゞ一人心細き旅路にのぼりけるに、車中しやちゆう片岡直温かたをかちよくをんあによめ某女ぼうぢよ同行どうかうせられしに逢ひ、同女が嬰児えいじふところに抱きて愛撫あいぶ一方ひとかたならざる有様を目撃するにつけても、他人の手に愛児を残す母親の浅ましさ
母となる (新字旧仮名) / 福田英子(著)
此燒土このやけつちついて、武内桂舟畫伯たけうちけいしうぐわはくせつがある。陶器通たうきつう立場たちばからしてかんがへてたので、つちやけさうすまでくといふのは、容易よういでない。
かの女はわたしたちがこんな質問しつもんを出したので、ずいぶんびっくりしたと言った。わたしたちはエピナッソーを知っているべきはずであった。
此後こののち杉村氏すぎむらしは、東京朝日とうきやうあさひ世界せかいしう會員くわいゐんともに、米國べいこくわたり、ボストンにてはからずモールス面會めんくわいし、余等よらとも大森貝塚發掘おほもりかひづかはつくつことかた
ドリスコルがわたしの父親だということは、もはやうたが余地よちなく証明しょうめいされた。わたしはそれをマチアと同じ立場からながめることができなかった。
人類學會じんるゐがくくわい會員くわいゐんとして、モールスのお墨附すみつき? をつてるのはぼくだけだらうとかんがへて、これを水谷氏みづたにしはなすと、水谷氏みづたにしへんかほをして。
『ジョリクールの家来』は大芝居おおしばいというのではなかったから、二十分より長くはつづかなかった。ヴィタリスはわたしたちにたびたびそれをくり返させた。
あるひはマンロー大發掘だいはつくつではるまいかと、くびかたむけながらつてると、それは土方氏どかたし非學術的大發掘ひがくじゆつてきだいはつくつであつた。
可成かなおほきいけれど、わづかに一小破片せうはへん見出みいだしたのみといふ八木やぎ水谷みづたに談話だんわなどかんがへて、はおぼろながら。
米國べいこくのエドワルド、エス、モールスが、明治めいぢ十二ねんおいて、はじめて此所こゝ遺跡ゐせき發見はつけんし、うして大發掘だいはつくつこゝろみられた記事きじは『理科會粹りくわくわいすゐ』のだいちつとして
一寸ちよつとにくところである。遺跡ゐせきひろいが、先年せんねん、チヤンバーレン大發掘だいはつくつこゝろみたとかで、畑地はたちはう斷念だんねんして、臺地北側だいちきたかは荒地あれち緩斜面くわんしやめんなかに四にんはいつた。
今日こんにちおいしやうじたからとて、其當時そのたうじの二鑑識かんしきついて、侮辱ぶぢよくすることにはけつしてあたるまいとしんじてる。
其後そののち帝室博物館ていしつはくぶつくわんつて陳列品ちんれつひんを一けんし、それから水谷氏みづたにし交際かうさいむすやうになり、採集品さいしふひんを一けんし、個人こじんちからもつ帝室博物館ていしつはくぶつくわん以上いじやう採集さいしふことり。
新聞記者しんぶんきしやとしては、國民こくみん松崎まつざき平福ひらふく郡司ぐんじの三時事じじ左氏さし東京毎日とうきやうまいにち井上氏ゐのうへし毎日電報まいにちでんぱう近藤氏こんどうし、やまとの倉光氏くらみつし日本にほん中村氏なかむらし萬朝まんてう曾我部そがべ山岡やまをか報知はうち山村氏やまむらし城南じやうなん高橋氏たかはしし