“霧渓”の読み方と例文
読み方割合
むけい100.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
そのうちわたくしは『事実文編』四十五に霧渓むけいの撰んだ池田行状のあるのを見出した。これは養父初代瑞仙の行状で、その墓が向島嶺松寺にあることをしるしてある。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
独美の家は門人の一人が養子になっていで、二世瑞仙と称した。これは上野国こうずけのくに桐生きりゅうの人村岡善左衛門むらおかぜんざえもん常信じょうしんの二男である。名はしんあざな柔行じゅうこう、また直卿ちょくけい霧渓むけいと号した。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
養子霧渓むけいは行状に「安永丁酉冬(中略)年四十」と書した。何のよりどころあつての事か不詳である。安永六年丁酉に錦橋は、享保二十年生として四十三、正説元文元年生として四十二になつてゐた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)