幾年いくねん)” の例文
かんがぶかい、また臆病おくびょうひとたちは、たとえその準備じゅんび幾年いくねんついやされても十ぶん用意よういをしてから、とお幸福こうふくしまわたることを相談そうだんしました。
明るき世界へ (新字新仮名) / 小川未明(著)
主婦の黒い髪や黒い眼のうちには、幾年いくねんの昔に消えた春のにおいむなしき歴史があるのだろう。あなたは仏蘭西語を話しますかと聞いた。
永日小品 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
おつたがにはると勘次かんじ幾年いくねんはなかつたあね容子ようす有繋さすがにしみ/″\とるのであつた。おつたは五十をいくつもえてる。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
死後しご幾年いくねんかをへて、それがはじめて舊石器時代きゆうせつきじだいであることにきまり、今更いまさらサウツオラの手柄てがら人々ひと/″\みとめるようになりました。
博物館 (旧字旧仮名) / 浜田青陵(著)
その人かげのあとから、幾年いくねんくちつんだ落葉おちばをふんで、ガサ、ガサと、歩いてくる者があった。小具足こぐそくをまとった武士ぶしである。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
其後そのご幾年いくねんって再び之を越えんとした時にも矢張やッぱりおそろしかったが、其時は酒の力をりて、半狂気はんきちがいになって、漸く此おそろしい線を踏越した。
平凡 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
こうして、幾年いくねんも、たちました。——ですから、今ではもう、ふるい、ふるい、恋の物語になってしまったわけです。
いえをあずけてったひとも、そのまま幾年いくねんたってもかえってませんでしたから、いえもとうとう自分じぶんのものになりました。
一本のわら (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
「別れてからもう幾年いくねんになるかなあ、しかし君も落ち着いて結構だ。今に立派なお知識ちしきさんになるだろうよ」と父は鷹揚おうようにかつからかい半分に言った。
それから荒井城内あらいじょうないの十幾年いくねん武家生活ぶけせいかつ……随分ずいぶんたのしかったおも種子たねもないではございませぬが、なにもうしてもそのころ殺伐さつばつ空気くうきみなぎった戦国時代せんごくじだい
私は冬の書斎のひる過ぎ。幾年いくねんか昔に恋人とわかれた秋の野の夕暮を思出おもいだすような薄暗い光の窓に、ひとり淋しく火鉢にもたれてツルゲネーフの伝記を読んでいた。
(新字新仮名) / 永井荷風(著)
夫は今でこそ若崎わかざき先生、とか何とか云われているものの、もとは云わば職人で、その職人だった頃には一ㇳ通りでは無い貧苦ひんくと戦ってきた幾年いくねんあいだ浮世うきよとやり合って
鵞鳥 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
牛込うしごめはうへは、隨分ずゐぶんしばらく不沙汰ぶさたをしてた。しばらくとふが幾年いくねんかにる。このあひだ、水上みなかみさんにさそはれて、神樂坂かぐらざか川鐵かはてつ鳥屋とりや)へ、晩御飯ばんごはんべに出向でむいた。
春着 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
其後石は安然あんぜんに雲飛の内室ないしつ祕藏ひざうされて其清秀せいしうたいかへず、靈妙れいめううしなはずして幾年いくねんすぎた。
石清虚 (旧字旧仮名) / 国木田独歩(著)
亞尼アンニー一人ひとり息子むすこがあつて、放蕩ほうたう無頼ぶらいをとこで、十幾年いくねんまへ家出いへでをして、行衞不明ゆくゑふめいになつたといふことかねいてりましたが、亞尼アンニーは、それをばつね口僻くちぐせのやうに
あにさん何してるのだと舟大工ふなだいくの子の声をそろによればその時の小生せうせいあにさんにそろ如斯かくのごときもの幾年いくねんきしともなく綾瀬あやせとほざかりそろのち浅草公園あさくさこうえん共同きようどう腰掛こしかけもたれての前を行交ゆきか男女なんによ年配ねんぱい
もゝはがき (新字旧仮名) / 斎藤緑雨(著)
何時いつまで獨身ひとりこゝろかぞへるとし心細こゝろぼそこれほどならばなぜむかしことばそむいていとひしかれとれませぬはゝさまなしのおひとつに御苦勞ごくらうたんとけましてうへうへにもまた幾年いくねんこゝろやすめぬ不料簡ふれうけん不孝ふかうのおわび向後きやうこうさつぱりよしさまのことおもつて何方いづかたへの縁組えんぐみなれおほせに違背ゐはい
別れ霜 (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
こんなに評判ひょうばんになったのも、おれ幾年いくねんものあいだ、こんなにさびしいけわしいところに我慢がまんをして生長せいちょうしたからのことだ。おれ姿すがたてくれい。
葉と幹 (新字新仮名) / 小川未明(著)
勘次かんじたゞひゞきてながら容易よういめぬあつ茶碗ちやわんすゝつた。おつぎも幾年いくねんはぬ伯母をばひとなづこいやう理由わけわからぬやう容子ようすぬすた。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
それから幾年いくねんかたちました。むすめもだんだん大きくなりました。ちょうど十五になったとき、おかあさんはふと病気びょうきになって、どっと寝込ねこんでしまいました。
松山鏡 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
もうすまでもなく、十幾年いくねんあいだ現世げんせなかよくった良人おっとと、ひさしぶりで再会さいかいするというのでございますから、わたくしむねには、夫婦ふうふあいだならではあじわわれぬ
寂寞じゃくまく古今ここんの春をつらぬいて、花をいとえば足を着くるに地なき小村こむらに、婆さんは幾年いくねんの昔からじゃらん、じゃらんを数え尽くして、今日こんにち白頭はくとうに至ったのだろう。
草枕 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
幾年いくねんかまえには、そこに、機山大居士信玄きざんだいこじしんげん威風いふうにまたたいている短檠たんけいがおかれてあった。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
... いいですね、これはみんな幾年いくねんも前のことですよ。ところできのう」と、月は語りつづけました。「わたしはシェラン島の東海岸にある、どこかの入江いりえを見おろしていました。 ...
長吉ちやうきちは同じやうなの冬の今年ことしと去年、去年とその前年ぜんねん、それかられと幾年いくねんさかのぼつて何心なにごゝろなく考へて見ると、人は成長するに従つていかに幸福を失つてくものかをあきらかに経験した。
すみだ川 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
いままでまをした日本につぽん石器時代せつきじだいは、幾年いくねんほどつゞいたかといふことは、たしかにはわかりませんが、けっして二百年にひやくねん三百年さんびやくねんみじか期間きかんではなくて、あるひは千年せんねんにもちかながあひだのことゝおもはれます。
博物館 (旧字旧仮名) / 浜田青陵(著)
ゆめにばかり、うつゝにばかり、十幾年いくねん
雪霊記事 (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
上 一向いっこう専念の修業幾年いくねん
風流仏 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
そして彼女かのじょは、はなをかいでいるうちに、ふとおとうとのことをおもしたのです。おとうと外国がいこくへいって幾年いくねんにもなるが、消息しょうそくえていました。
ある冬の晩のこと (新字新仮名) / 小川未明(著)
それから幾年いくねんかたちました。宰相さいしょうはちかつぎとのあいだには、いくたりもかわいらしい子供こどもまれました。
鉢かつぎ (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
幾年いくねん十月の日が射したものか、どこもかしこも鼠色ねずみいろに枯れている西の端に、一本の薔薇ばらいかかって、冷たい壁と、暖かい日の間にはさまった花をいくつか着けた。
永日小品 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
そののち幾年いくねんって、おとこほうがあきらめて、何所どこからかつまむかえたときに、敦子あつこさまのほうでもれたらしく、とうとう両親りょうしんすすめにまかせて、幕府ばくふ出仕しゅししている
幾年いくねんとなしに隙間すきましやうずれば小笹をざさし/\しつゝあつたたけ垣根かきねは、つちところがどす/\にちてるのですぐおほきなあないた。おつぎは其處そこからくぐつてた。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
もう返らない幾年いくねんまへ蘿月らげつ伯父をぢにつれられおいと一所いつしよとりいちへ行つた事があつた………毎年まいとしその日の事を思ひ出すころからもなく、今年ことしも去年と同じやうな寒い十二月がやつて来るのである。
すみだ川 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
こいは、幾年いくねんおおきないけに、またあるときはかわなかにすんでいたのです。こいは、かわ水音みずおとくにつけて、あの早瀬はやせふちをなつかしくおもいました。
千代紙の春 (新字新仮名) / 小川未明(著)
かぜくたびに、ちらちらとはなったのを記憶きおくしている。もうすぐに、幾年いくねんめかで、その季節きせつがめぐってくるのだ。
汽車は走る (新字新仮名) / 小川未明(著)
おまえがいなくなったから、わたしは、幾年いくねんあいだ毎晩まいばん、ここにっておまえのかえるのをっていたかしれない。ちょうどおまえが四つのなつだった。
けしの圃 (新字新仮名) / 小川未明(著)
そして、ここで幾年いくねん月日つきひごしました。わたしは、ここにきたがためにいろいろの技術ぎじゅつおぼえることができました。
あほう鳥の鳴く日 (新字新仮名) / 小川未明(著)
ほんとうに、もうおもせば幾年いくねんまえのことであります。わたしは、病気びょうきをしてしょくうしなっているときに、あなたにあって、このりんごばたけへつれられてきました。
あほう鳥の鳴く日 (新字新仮名) / 小川未明(著)
わたしなどは、こうして幾年いくねんということなく、たびからたびへ、あるきまわっています。」と、手品師てじなしがいいました。
花咲く島の話 (新字新仮名) / 小川未明(著)
わかいときから、はたらいたものですが、こののち、もう幾年いくねん諸国しょこくをいままでのようにまわることはできません。
二番めの娘 (新字新仮名) / 小川未明(著)
いもうとは、うちをたってから、幾年いくねんかになります。そのあいだちちのことをおもったり、あねのことをおもったりしました。
木と鳥になった姉妹 (新字新仮名) / 小川未明(著)
それから、また幾年いくねんかたったのであります。少年しょうねんは、いつのまにか、りっぱな、青年せいねん彫刻家ちょうこくかとなっていました。そしてもう田舎いなかにいず、都会とかい生活せいかつしていました。
愛は不思議なもの (新字新仮名) / 小川未明(著)
しかし、二人ふたりは、幾年いくねんかののちに、またわかれなければなりませんでした。子供こどもは、青年せいねんになりました。
あほう鳥の鳴く日 (新字新仮名) / 小川未明(著)
べつに、また一人ひとり若者わかものがありました。こころざしをたて、故郷こきょうてから、もう幾年いくねんにかなりましたけれど、目的もくてきたっすることができずに、あちら、こちらと流浪るろうしていました。
三つのかぎ (新字新仮名) / 小川未明(著)
その時分じぶん大昔おおむかしのことで、まだこのあたりにはあまりんでいるものもなく、みちひらけていなかったのでありました。家来けらい幾年いくねんとなくそのくにじゅうをさがしてあるきました。
不死の薬 (新字新仮名) / 小川未明(著)
その頭髪かみは、ごみやすなよごれて、もう幾年いくねんれたことのないような頭髪かみでありました。
てかてか頭の話 (新字新仮名) / 小川未明(著)
また、それから幾年いくねんにもなりますが、二みみとおむすめは、ふるさとへかえってこないのです。
日がさとちょう (新字新仮名) / 小川未明(著)
「この時計とけいは、幾年いくねんたっても、くるうようなことはございません。」と、番頭ばんとうこたえました。
時計のない村 (新字新仮名) / 小川未明(著)
しかし、いまごろは、あのったひとも、またどこかの古道具屋ふるどうぐやってしまったかもしれません。あなたが、そんなにほしいものなら、幾年いくねんもかかってさがしてみなさるのですね。
海のかなた (新字新仮名) / 小川未明(著)