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けいけん
丁度普通の
小さな
波について
濱に
於て
經驗する
通りであるから、
此状態になつてからは、
浪といふよりも
寧ろ
流れといふべきである。
だから
突然この
小舅と
自分の
間に
御櫃を
置いて、
互に
顏を
見合せながら、
口を
動かすのが、
御米に
取つては
一種異な
經驗であつた。
彼は
前年寒さが
急に
襲うた
時、
種蒔く
日が
僅に
二日の
相違で
後れた
麥の
意外に
收穫の
減少した
苦い
經驗を
忘れ
去ることが
出來なかつた。
又一
方から
考へると
國民の一
致協力が
經濟上に
如何なる
結果を
齎すものであるかと
云ふ一つの
經驗と
確信が
得られたのである。
赤裸々に、
眞面目に、
謙遜に
悔ゐることの、
悲痛な
悲しみと、しかしながらまた
不思議な
安かさとをも
併せて
經驗した。
これを
文學の
上で
把持力といつて、
自分の
經驗をいつまでも
忘れずに、
握りしめる
力があつて、
機會があると、それを
文章に
現す
能力をいふのであります。
そは土器表面
押し付け
模樣の中に撚りを掛けたる
紐の
跟有るを以て
推察せらる。撚りの有無と
絃の
強弱との關係は僅少の
經驗に由つても
悟るを得べき事なり。
……と
表二階、
三十室ばかり、かぎの
手にづらりと
並んだ、いぬゐの
角の
欄干にもたれて
見まはした
所、
私の
乏しい
經驗によれば、
確にみゝづくが
鳴きさうである。
この
先生は
動物學者でありまして、
日本へ
來る
前に、アメリカのフロリダといふ
所で
石器時代の
貝塚を
掘つた
經驗があり、その
方面の
學問にも
詳しい
人でありました。
我欲の
目當てが
明らかに
見えねば
笑ひかけた
口もとまで
結んで
見せる
現金の
樣子まで、
度〻の
經驗に
大方は
會得のつきて、
此家にあらんとには
金づかひ
奇麗に
損をかけず
これは
球突を
少しやつた人の
誰しも
經驗する事で、
夜電氣を
消して床にはひると
暗闇の中に赤白の四つの
球をのせた青い
球台が
浮かんで來て、
取り方を
夢中で
空想したりする。
彼は
町に
澤山の
病家の
顧主を
持つてゐる。で、
彼は
自分を
心窃に
院長より
遙に
實際に
於て、
經驗に
積んでゐるものと
認めてゐた。
何となれば
院長には
町に
顧主の
病家などは
少しも
無いのであるから。
「でも
私は
善い
經驗をいたしました」
「ぢや
貴方は
別に
書畫が
好きで、
見に
入らしつた
譯でもないんですね」と
自分の
誤解を、さも
面白い
經驗でもした
樣に
笑い
出した。
尚ほ
過去の
經驗に
依れば、
金解禁の
準備をする
場合には、
世界何れからも
日本の
圓貨に
對して
思惑投機が
行はれるのである。
其の
莖を
痛めても
構はぬ
拗切りやうを
見て
失望と
憤懣の
情とを
自然に
經驗せざるを
得なかつた。
その
勞力を
思ひ
出してのお
歌なのですが、その
席上にゐる
人は、
皆この
經驗をつい
今の
先にしたのですから、このお
歌を、きっと、
自分自身の
氣持ちを
詠んで
貰つたように
また
銅に
錫をまぜると
鑄るのに
容易で、しかも
堅くつて
丈夫であるといふことも、
最初は
偶然に
知つたらしいのでありますが、
幾度かの
經驗で
銅九分に
錫一分をまぜあはすと
一向、
此の
變則の
名所に
就いて、
知識も
經驗も
無かつた
彼は、
次第に
暗く
成り、
愈々深くなり、もの
凄じく
成つて、
搖れ/\
轟然たる
大音響を
發して、
汽車は
天窓から、
鈍き
錐と
變じて
「
貧乏畫家の
妻として三
年間で三百
圓溜めたあたしの
經驗か?」
かゝる
恐ろしい
現象はこれ
迄右のプレー
噴火に
經驗せられたのみであつて、
其他の
火山に
於ては
未だかつて
經驗されたことがない。
懷姙と
事が
極つたとき、
御米は
此新らしい
經驗に
對して、
恐ろしい
未來と、
嬉しい
未來を
一度に
夢に
見る
樣な
心持を
抱いて
日を
過ごした。
おつたは
自分の
怖ろしかつた
經驗を
聞いてくれるのを
悦ぶやうに
語り
續けるのであつた。
吉野山は、
古くからずいぶん
長く、
坊さんその
外修道者といつて
佛教の
修行をする
人が
籠つてゐたことは、
明らかな
事實でした。その
經驗から、はじめの
歌が
出來たのであります。
と
餘所で……
經驗のある、
近所の
産婆さんが
注意をされた。
ヴェスヴィオの
千九百六年の
大噴火に
於て、
非常に
強い
電氣を
帶びた
噴煙を
認めたこともあり、その
靡いた
煙に
近づいた
時、
服裝につけてゐた
金屬の
各尖端から
電光を
發したことも
經驗せられてゐる。