“稱(しよう)” の例文
新字:称
ある學者(がくしや)のごときは、土器(どき)を知(し)らない人間生活(にんげんせいかつ)を野蠻的生活(やばんてきせいかつ)、土器(どき)をもつ人間(にんげん)の生活(せいかつ)を半開生活(はんかいせいかつ)と稱(しよう)して區別(くべつ)するくらゐであります。
博物館 (旧字旧仮名) / 浜田青陵(著)
然(しか)しながら若(わか)い衆(しゆ)と稱(しよう)する青年(せいねん)の一部(ぶ)は勘次(かんじ)の家(いへ)に不斷(ふだん)の注目(ちうもく)を怠(おこた)らない。其(そ)れはおつぎの姿(すがた)を忘(わす)れ去(さ)ることが出來(でき)ないからである。
土 (旧字旧仮名) / 長塚節(著)
ペアレット氏(し)はストロムボリにて火(ひ)の玉(たま)を見(み)たと稱(しよう)してゐる。その大(おほ)いさは直徑(ちよつけい)一米程(いちめーとるほど)であつて青(あを)く光(ひか)つたものであつたといふ。
火山の話 (旧字旧仮名) / 今村明恒(著)
滑稽(こつけい)なのは、日本(にほん)の麻雀道(マージヤンだう)のメツカの稱(しよう)ある鎌倉(かまくら)では誰(だれ)でも奧(おく)さんが懷姙(くわいにん)すると、その檀那樣(だんなさま)がきつと大當(おほあた)りをすると言(い)ふ。
麻雀を語る (旧字旧仮名) / 南部修太郎(著)
と。此(こ)れ(一五)何(なに)を以(もつ)て稱(しよう)せられたる。(一六)太史公(たいしこう)曰(いは)く、余(よ)、箕山(きざん)に登(のぼ)りしに、其上(そのうへ)に蓋(けだ)し許由(きよいう)の冢(つか)有(あ)りと云(い)ふ。
『若(わか)い時(とき)は二度(ど)はない』と稱(しよう)してあらゆる肉慾(にくよく)を恣(ほしい)まゝにせんとする青年男女(せいねんだんぢよ)の自由(じいう)に干渉(かんせふ)し得(う)るぞ。
湯ヶ原より (旧字旧仮名) / 国木田独歩(著)
徳太郎(とくたらう)信房(のぶふさ)と稱(しよう)し後(のち)に吉宗(よしむね)と改(あら)たむ御母(おんはゝ)は九條前關白太政大臣(くでうさきのくわんぱくだじやうだいじん)第四の姫君(ひめぎみ)お高(たか)の方(かた)にて御本腹(ごほんぷく)なり
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
重(おも)いほど、ぶく/\とむくんだのではない、が、乾性(かんせい)と稱(しよう)して、その、痩(や)せる方(はう)が却(かへつ)て質(たち)が惡(わる)い。
麻を刈る (旧字旧仮名) / 泉鏡花、泉鏡太郎(著)
從(したがつ)て何(なに)ゆゑとなく睦(むつ)ましく離(はな)れがたく思(おも)はれたが、其後(そのゝち)彼(かれ)は學校(がくかう)を卒業(そつぎやう)して、元來(ぐわんらい)ならば大學(だいがく)に入(い)る可(べ)きを、他(た)に大望(たいもう)ありと稱(しよう)して、幾何(いくばく)もなく日本(ほんごく)を去(さ)り、はじめは支那(シナ)に遊(あそ)び
その頃義賊と稱(しよう)した泥棒で、その實、百兩盜つて、十兩か五兩を貧しい者に惠み、あとの大部分は自分の懷ろに入れた蝙蝠冠兵衞は、自分の良心を欺(あざむ)いて、無智な世間の人氣を博することと
今度(こんど)のお話(はなし)では、短歌(たんか)と竝(なら)べ稱(しよう)せられてゐる長歌(ちようか)のことは、省(はぶ)きたいとおもひます。がこれは、大體(だいたい)第一章(だいいつしよう)のところで述(の)べてある物語(ものがたり)の歌(うた)から、變化(へんか)して來(き)たものと見(み)てさし支(つか)へありません。
歌の話 (旧字旧仮名) / 折口信夫(著)
これから後(のち)を鐵器時代(てつきじだい)といふのでありますが、ヨーロッパでは鐵器時代(てつきじだい)の最(もつと)も古(ふる)い時代(じだい)をハルスタット時代(じだい)と稱(しよう)します。
博物館 (旧字旧仮名) / 浜田青陵(著)
太史公(たいしこう)曰(いは)く、世俗(せぞく)、稱(しよう)する所(ところ)の(一一二)師旅(しりよ)は、皆(みな)、孫子(そんし)十三篇(ぺん)・呉起(ごき)の兵法(へいはふ)を道(い)ふ。世(よ)多(おほ)く有(あ)り、故(ゆゑ)に論(ろん)ぜず。其行事(そのかうじ)と施設(しせつ)する所(ところ)の者(もの)とを論(ろん)ず。
その大正十二年(たいしようじゆうにねん)の噴火(ふんか)に於(おい)ては、山(やま)の東側(ひがしがは)と西側(にしがは)とに東西(とうざい)に走(はし)る二條(にじよう)の裂目(さけめ)を生(しよう)じ、各線上(かくせんじよう)五六(ごろく)の點(てん)から鎔岩(ようがん)を流出(りゆうしゆつ)した。この状態(じようたい)はエトナ式(しき)と稱(しよう)すべきである。
火山の話 (旧字旧仮名) / 今村明恒(著)
勸請し奉つり本朝(ほんてう)武家(ぶけ)の祖神なり就中源家に於ては殊(こと)の外(ほか)御尊敬(ごそんきやう)あること御先祖(ごせんぞ)八幡太郎義家公此御神(おんかみ)の御寶前に於て御元服あつて八幡太郎と稱(しよう)し奧羽(あうう)の夷賊(いぞく)安倍貞任同宗任を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
膄(や)せた張飛(ちやうひ)は眞鶴(まなづる)駐在所(ちゆうざいしよ)に勤務(きんむ)すること既(すで)に七八年(ねん)、齋藤巡査(さいとうじゆんさ)と稱(しよう)し、退隱(たいゝん)の關羽(くわんう)は鈴木巡査(すゞきじゆんさ)といつて湯(ゆ)ヶ原(はら)に勤務(きんむ)すること實(じつ)に九年(ねん)以上(いじやう)であるといふことは、後(あと)で解(わか)つたのである。
湯ヶ原ゆき (旧字旧仮名) / 国木田独歩(著)
多日(たじつ)病(やまひ)と稱(しよう)して引籠(ひきこも)り、人知(ひとし)れず諸家(しよか)に立入(たちい)り、内端(うちわ)の樣子(やうす)を伺(うかゞ)ひ見(み)るに、御勝手(ごかつて)空(むな)しく御手許(おてもと)不如意(ふによい)なるにもかゝはらず、御家中(ごかちう)の面々(めん/\)、分(わ)けて老職(らうしよく)の方々(かた/″\)はいづれも存外(ぞんぐわい)有福(いうふく)にて
十万石 (旧字旧仮名) / 泉鏡花、泉鏡太郎(著)
(七五)巖穴(がんけつ)の士(し)、(七六)趨舍(すうしや)(七七)時(とき)有(あ)り、此(かく)の若(ごと)きの類(たぐひ)、名(な)(七八)湮滅(いんめつ)して稱(しよう)せられず、悲(かな)しい哉(かな)。
一番(いちばん)初(はじ)めにあるのは、いはゆる『原石器(げんせつき)』と稱(しよう)するものでありまして、これはちょっと見(み)たところでは、その邊(へん)に轉(ころ)がつてゐる石(いし)の破片(はへん)と少(すこ)しも變(かは)らない
博物館 (旧字旧仮名) / 浜田青陵(著)
下野國(しもつけのくに)日光山(につくわうざん)に鎭座(ちんざ)まします東照大神(とうせうだいじん)より第八代の將軍(しやうぐん)有徳院吉宗公(いうとくゐんよしむねこう)と稱(しよう)し奉(たてま)つるは東照神君(とうせうしんくん)の十一男(なん)紀伊國(きいのくに)和歌山(わかやま)の城主(じやうしゆ)高(たか)五十五萬石を領(りやう)する從(じゆ)二位(ゐ)大納言光貞卿(だいなごんみつさだきやう)の三男(なん)にて幼名(えうみやう)を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
喋舌(しやべ)ることの出來(でき)ないのを稱(しよう)して大馬鹿(おほばか)だといふは餘(あま)り殘酷(ひど)いかも知(し)れないが
湯ヶ原ゆき (旧字旧仮名) / 国木田独歩(著)
恁(か)くて旦(あした)に暮(くれ)に其(そ)の根(ね)を治(をさ)む。凡(すべ)て一七日(いちしちにち)、術(じゆつ)成(な)ると稱(しよう)し、出(い)でて昌黎(しやうれい)に對(たい)して、はじめて羞(は)ぢたる色(いろ)あり。曰(いは)く、恨(うら)むらくは節(せつ)遲(おそ)きこと一月(ひとつき)なり、時(とき)既(すで)に冬(ふゆ)にして我(わ)が思(おも)ふがまゝならずと。
花間文字 (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
豈(あ)に周道(しうだう)衰微(すゐび)して、桓公(くわんこう)既(すで)に賢(けん)なり、而(しか)るに之(これ)を勉(つと)めて王(わう)に至(いた)らしめず、乃(すなは)ち霸(は)を稱(しよう)せしめしと以爲(おも)へる哉(か)。
むかし宋(そう)の武帝(ぶてい)の女(むすめ)、壽陽(じゆやう)麗姫(れいき)、庭園(ていゑん)を歩(ほ)する時(とき)梅(うめ)の花(はな)散(ち)りて一片(ひとひら)其(そ)の顏(かんばせ)に懸(かゝ)る。其(そ)の俤(おもかげ)また較(たぐ)ふべきものなかりしより、當時(たうじ)の宮女(きうぢよ)皆(みな)爭(あらそ)つて輕粉(けいふん)を以(もつ)て顏(かほ)に白梅(しらうめ)の花(はな)を描(ゑが)く、稱(しよう)して梅花粧(ばいくわしやう)と云(い)ふ。
唐模様 (旧字旧仮名) / 泉鏡花、泉鏡太郎(著)
(六四)君子(くんし)は世(よ)を沒(をは)りて名(な)の稱(しよう)せられざるを疾(にく)む。(六五)賈子(かし)曰(いは)く、『(六六)貪夫(たんぷ)は財(ざい)に徇(じゆん)し、(六七)烈士(れつし)は名(な)に徇(じゆん)し、(六八)夸者(くわしや)は權(けん)に死(し)し、衆庶(しうしよ)は(六九)生(せい)を馮(たの)む』
此(こ)の男(をとこ)だから、今(いま)では逸事(いつじ)と稱(しよう)しても可(よ)いから一寸(ちよつと)素破(すつぱ)ぬくが、柳橋(やなぎばし)か、何處(どこ)かの、お玉(たま)とか云(い)ふ藝妓(げいしや)に岡惚(をかぼれ)をして、金(かね)がないから、岡惚(をかぼれ)だけで、夢中(むちう)に成(な)つて、番傘(ばんがさ)をまはしながら、雨(あめ)に濡(ぬ)れて
番茶話 (旧字旧仮名) / 泉鏡花、泉鏡太郎(著)
誰(たれ)も食(しよく)する者(もの)なかりしが、金澤(かなざは)の人(ひと)の行(ゆ)きて、此(こ)れは結構(けつこう)と豆府(とうふ)の汁(つゆ)にしてつる/\と賞玩(しやうぐわん)してより、同地(どうち)にても盛(さかん)に取(と)り用(もち)ふるやうになりて、それまで名(な)の無(な)かりしを金澤茸(かなざはたけ)と稱(しよう)する由(よし)。實説(じつせつ)なり。
寸情風土記 (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)