はる)” の例文
明智は一艘の小舟に身をたくして、はるかに明滅する、どことも知れぬ燈台の光を頼りに、腕の限りオールをあやつらねばならなかった。
魔術師 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
雲林筆うんりんひつとなへる物は、文華殿ぶんくわでんにも三四ふくあつた。しかしその画帖の中の、雄剄ゆうけいな松の図に比べれば、はるかに画品の低いものである。
支那の画 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
で、仕様事なしに山の頂から、ズツと東の方をながめて居ますと、はるか向ふから蜒々うねうねとした細い川をいかだの流れて来るのが見えました。
山さち川さち (新字旧仮名) / 沖野岩三郎(著)
どうしてもこれははるかの南国の夏の夜の景色のやうに思はれたのです。私はひとりホクホクしながら通りをゆっくり歩いて行きました。
毒蛾 (新字旧仮名) / 宮沢賢治(著)
風がはげしくなり、足下あしもとくもがむくむくとき立って、はるか下の方にかみなりの音までひびきました。王子はそっと下の方をのぞいてみました。
強い賢い王様の話 (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)
くど/\とながたらしいこといた手紙てがみよりか『御返事ごへんじつてります』の葉書はがきの方が、はるかにきみむねをゑぐるちからつてゐたんだね。
ハガキ運動 (旧字旧仮名) / 堺利彦(著)
したるとおどろほどくびながくなつてて、まるでそれは、はる眼下がんかよこたはれる深緑しんりよくうみからくきのやうにえました。
愛ちやんの夢物語 (旧字旧仮名) / ルイス・キャロル(著)
第一の理由としては、僕の詩論に於ける根本思想が、尋常一様の常識でなく——はるかに常識を超越して——複雑している為である。
詩の原理 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
たもとくろく、こんもりとみどりつゝんで、はるかにほしのやうな遠灯とほあかりを、ちら/\と葉裏はうらすかす、一本ひともとえのき姿すがたを、まへなゝめところ
月夜車 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
女中が向うの物を運び終り、酒の注文を聞いて退ると、大四郎は敷物に坐ってまわりを眺めた。前の座敷よりはるかに上等である。
ひやめし物語 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
吉田はなあんだという気がしたと同時に自分らの思っているよりははるかに現実的なそして一生懸命な世の中というものを感じたのだった。
のんきな患者 (新字新仮名) / 梶井基次郎(著)
ことに、裸馬らばを駆る技術に至ってははるかに陵をしのいでいるので、李陵はただしゃだけを教えることにした。左賢王さけんおうは、熱心な弟子となった。
李陵 (新字新仮名) / 中島敦(著)
前にして遠く房總ばうそうの山々をのぞみ南は羽田はねだみさき海上かいじやう突出つきいだし北は芝浦しばうらより淺草の堂塔迄だうたふまではるかに見渡し凡そ妓樓あそびやあるにして此絶景ぜつけい
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
ウィリアムも人に劣らじと出陣の用意はするが、時には殺伐な物音に耳をふさいで、高き角櫓すみやぐらのぼってはるかに夜鴉の城の方を眺める事がある。
幻影の盾 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
その時はるか林の方から不思議の叫び声が聞こえて来た。林に住むようになって以来かつて一度も聞いたことのない得体の知れない声である。
沙漠の古都 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
彼らの立ちどまった地点からはるか奥地の山々がま正面に見えた。山というよりも、淡い水色にほのぼのと浮んだ幻しであった。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
かなら朝夕てうせき餘暇よかには、二階にかいまどより、家外かぐわい小丘せうきうより、また海濱かいひん埠頭はとばより、籠手こてかざしてはるかなる海上かいじやう觀望くわんぼうせられんことを。
それが、はるかで幽かであるけれども、聴いてゐるうちにだんだん近寄るやうにも思へる。それから二つゐるやうにも思へる。
仏法僧鳥 (新字旧仮名) / 斎藤茂吉(著)
はるか向ふに薄墨色をしてゐるやまから、夕靄ゆふもやが立ちめて、近くの森や野までが、追々薄絹に包まれて行くやうになつた。
東光院 (旧字旧仮名) / 上司小剣(著)
かうけて、天地の間にそよとも音せぬ後夜ごやの靜けさ、やゝ傾きし下弦かげんの月を追うて、冴え澄める大空を渡る雁の影はるかなり。
滝口入道 (旧字旧仮名) / 高山樗牛(著)
五百年ごひやくねん千年せんねんまへうたほうが、自分じぶんたちのものよりはるかにあたらしく、もつと/\熱情ねつじようこもつてゐるといふことに、みんなこゝろづくようになりました。
歌の話 (旧字旧仮名) / 折口信夫(著)
梶にはそれらの話よりも犬に向って発した友人の日本語の怒声の方がはるかに興味深く尾をいて感じられるのであった。
厨房日記 (新字新仮名) / 横光利一(著)
バッハの神性は凡人に近づき易いものではなく、ベートーヴェンの激情は、一般大衆の経験をはるかに絶したものである。
楽聖物語 (新字新仮名) / 野村胡堂野村あらえびす(著)
はるか、坂下の大手門のそばで、孫の兵庫が手招きしていた。石舟斎は、自分の早支度をひそかに誇っていたらしいが
剣の四君子:02 柳生石舟斎 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ローラなどはロミオが愛姫ひめくらべては山出やまだしの下婢はしためぢゃ、もっとも、うただけはローラがはるかに上等じゃうとうのをつくってもらうた。
彼女は不良少女という、ちんぴらな、小砂利共こじゃりどもの世界からは肉体的にも感情的にもはるかに脱却した心算つもりであった。
刺青 (新字新仮名) / 富田常雄(著)
俺は俺が荒野のはるかかなたを歩いている小さな姿を、こっちから見ているのだ。つまり俺は歩いている俺と、その俺を見ている俺の二人に分裂している。
いやな感じ (新字新仮名) / 高見順(著)
京橋にかかると、何もない焼跡の堤が一目に見渡せ、ものの距離が以前よりはるかに短縮されているのであった。
廃墟から (新字新仮名) / 原民喜(著)
世には多くのおしの芸術家がいる。彼等は人に伝うべき表現の手段を持ってはいないが、その感激は往々にして所謂いわゆる芸術家なるものをはるかにしのぎ越えている。
惜みなく愛は奪う (新字新仮名) / 有島武郎(著)
ジョヴァンニ・グァスコンティという一人の青年が、パドゥアの大学で学問の研究をつづけようとして、イタリーのずっと南部の地方からはるばると出て来た。
それ以来、彼は多年つちかっていた自分の声望がめっきり落ちたのを知った。自分から云えば、はるかに後輩の浅太郎や喜蔵に段々しのがれて来た事を、感じていた。
入れ札 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
はるかに見える小さい港に、ごちやごちやと、小さい船がもやつてゐる。海添ひの家の屋根が、白と黒との切紙細工のやうなのも、富岡には珍しい眺めだつた。
浮雲 (新字旧仮名) / 林芙美子(著)
一里余り登ってまた一里ばかり降りますと、はるかの向うに大きな原あり原の向うはやはり雪の山であります。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
窓の先は隣家りんかのやねで町は少しも見えない。青く深く澄んだ空に星の光りがいかにも遠くはるけく見える。都会のどよみはただ一つの音にどやどやと鳴っている。
廃める (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
れいなるかなこの石、てんあめふらんとするや、白雲はくうん油然ゆぜんとして孔々こう/\より湧出わきいたにみねする其おもむきは、恰度ちやうどまどつてはるかに自然しぜん大景たいけいながむるとすこしことならないのである。
石清虚 (旧字旧仮名) / 国木田独歩(著)
何しろ俺は、学問にいてはお前に及ばないかも知れないが、しかし人間として見たらお前なぞよりもはるかに高いところにあるつもりだ。そりゃ俺の方がずっと上手うわてだ。
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
まあおちなさい、左様さよういまはるとお未来みらいに、監獄かんごくだの、瘋癲病院ふうてんびょういん全廃ぜんぱいされたあかつきには、すなわちこのまど鉄格子てつごうしも、この病院服びょういんふくも、まった無用むようになってしまいましょう、無論むろん
六号室 (新字新仮名) / アントン・チェーホフ(著)
これから江戸へ出て、それから京都にのぼり、そして目的地の備中の国、玉島へいく、はるかな道のことを思つた。その道は遠い。良寛さんの将来も、またそのやうに長い。
良寛物語 手毬と鉢の子 (新字旧仮名) / 新美南吉(著)
たとひ多少たしようつよ地震ぢしんおこすことがあつても、それは中流以下ちゆうりゆういかのものであつて、最大級さいだいきゆう程度ていどはるかにくだつたものである。まへ噴火ふんか前後ぜんご地盤ぢばん變動へんどう徐々じよ/\おこることをべた。
火山の話 (旧字旧仮名) / 今村明恒(著)
わたすかぎり、くさ灌木かんぼくしげった平原へいげんであります。さおそらは、奥底おくそこれぬふかさをゆうしていたし、はるかの地平線ちへいせんには、砲煙ほうえんともまがうようなしろくもがのぞいていました。
戦友 (新字新仮名) / 小川未明(著)
あをそらあさみづそこからはるかにふかとほひかつた。さうして何處どこからかまよして落付おちつ場所ばしよ見出みいだねてこまつてるやうなしろくもうつつて、勘次かんじはしればはしほどさきへ/\とうつつた。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
桂次けいじおもひやりにべてははるかにおちつきてひややかなるものなり、おぬひさむれがいよ/\歸國きこくしたとつたならば、あなたはなんおもふてくださろう、朝夕あさゆふがはぶけて、厄介やくかいつて
ゆく雲 (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
篠田はいつもの如く早く起き出でて、一大象牙盤ざうげばんとも見るべき後圃こうほの雪、いと惜しげに下駄をいんしつゝ逍遙せうえうす、日の光ははるか地平線下にいこひぬれど、夜の神がし成せる清新の空気は
火の柱 (新字旧仮名) / 木下尚江(著)
まして学生は世の中へ出た者に比してはるかに多くの閑暇をもっている筈だ。そのうえ読書は他の娯楽のように相手を要しないのである。ひとはひとりで読書の楽しみを味うことができる。
如何に読書すべきか (新字新仮名) / 三木清(著)
それが不圖ふとしたことからある近親みよりの人の眼を患つて肥前小濱をはま湯治場たうぢばに滯留してゐた頃、母と乳母とあかんぼとはるばる船から海を渡つて見舞に行つた當時の出來事だということがわかつた。
思ひ出:抒情小曲集 (旧字旧仮名) / 北原白秋(著)
ゴーン……とはるかに除夜の鐘が聞えて来た——ゴーン……またゴーン……。
老残 (新字旧仮名) / 宮地嘉六(著)
上方から凍えた外気が、重たい霧のようにり下って来る。二人の前方はるか向うには、円形のあかい光の中に絶えず板壁の羽目が現われて、法水の持つ懐中電燈が目まぐるしい旋回を続けていた。
聖アレキセイ寺院の惨劇 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
前歯の抜けたくぼい口がはるか奥に見えるくらゐ半島のやうに突き出た長いあご、眼は小さく、額には幾条もの太いしわが寄り、老婆そのまゝの容貌をしてゐたので、入舎早々ばア様といふ綽名あだながついた。
途上 (新字旧仮名) / 嘉村礒多(著)
そして自分のすぐ前の山の、又その向ふの山を越えて、はるかに帯をいたやうなしろがねの色のきらめき、あれは恐らく千曲ちくまの流れで、その又向ふに続々と黒い人家の見えるのは、大方中野の町であらう。
重右衛門の最後 (新字旧仮名) / 田山花袋(著)
一方には裾を短くしてほとんどひざまで出し、他方には肉色の靴下をはいて錯覚の効果を予期しているのに比して、「ちよいと手がるく褄をとり」というのは、はるかに媚態としての繊巧せんこうを示している。
「いき」の構造 (新字新仮名) / 九鬼周造(著)