豊島与志雄
1890.11.27 〜 1955.06.18
“豊島与志雄”に特徴的な語句
厭
舗石
脣
襟飾
入
見物人
嫌悪
扉
大袈裟
憐
無駄
躊躇
陋屋
聴
覚
靄
戦慄
答
籬
弥撒
返
頬
傲慢
頤
狼狽
不機嫌
蒼
漠然
強
喧騒
生涯
誰
鷲
狼
葡萄酒
虎
要塞
槍騎兵
破屋
侏儒
横柄
聞
梁
嘘
爺
激昂
肱
椅子
倦怠
旦那様
著者としての作品一覧
秋の気魄(新字新仮名)
読書目安時間:約5分
秋と云えば、人は直ちに紅葉を連想する。然しながら、紅葉そのものは秋の本質とは可なりに縁遠いことを、私は思わずにはいられない。 楓の赤色から銀杏の黄色に至るまでのさまざまな紅葉の色彩 …
読書目安時間:約5分
秋と云えば、人は直ちに紅葉を連想する。然しながら、紅葉そのものは秋の本質とは可なりに縁遠いことを、私は思わずにはいられない。 楓の赤色から銀杏の黄色に至るまでのさまざまな紅葉の色彩 …
秋の幻(新字新仮名)
読書目安時間:約9分
或る田舎に母と子とが住んでいた。そして或る年の秋、次のようなことがあった。—— 「もう本当に天気がよくなったのでしょう。」 「そうね。」 母と子とは、或る朝そんな会話をした。そして …
読書目安時間:約9分
或る田舎に母と子とが住んでいた。そして或る年の秋、次のようなことがあった。—— 「もう本当に天気がよくなったのでしょう。」 「そうね。」 母と子とは、或る朝そんな会話をした。そして …
悪魔の宝(新字旧仮名)
読書目安時間:約16分
或ところに、センイチといふ猟師がゐました。たいへん上手な猟師でしたが、或日、どうしたことか、何の獲物もとれませんでした。鉄砲をかついで、一日山の中を歩きまはりましたが、小鳥一羽、鼠 …
読書目安時間:約16分
或ところに、センイチといふ猟師がゐました。たいへん上手な猟師でしたが、或日、どうしたことか、何の獲物もとれませんでした。鉄砲をかついで、一日山の中を歩きまはりましたが、小鳥一羽、鼠 …
悪夢(新字新仮名)
読書目安時間:約32分
私は時々、変梃な気持になることがある。脾肉の歎に堪えないと云ったような、むずむずした凶悪な風が、心の底から吹き起ってくることがある。先ず第一に、或る漠然とした息苦しさを覚える。何も …
読書目安時間:約32分
私は時々、変梃な気持になることがある。脾肉の歎に堪えないと云ったような、むずむずした凶悪な風が、心の底から吹き起ってくることがある。先ず第一に、或る漠然とした息苦しさを覚える。何も …
浅間噴火口(新字新仮名)
読書目安時間:約24分
坂の上の奥まったところにある春日荘は、普通に見かける安易なアパートであるが、三つの特色があった。一つは、その周囲や庭にやたらと椿の木が植えこんであること。これは、経営者たる四十歳を …
読書目安時間:約24分
坂の上の奥まったところにある春日荘は、普通に見かける安易なアパートであるが、三つの特色があった。一つは、その周囲や庭にやたらと椿の木が植えこんであること。これは、経営者たる四十歳を …
朝やけ(新字新仮名)
読書目安時間:約24分
明るいというのではなく、ただ赤いという色感だけの、朝焼けだ。中天にはまだ星がまたたいているのに、東の空の雲表に、紅や朱や橙色が幾層にも流れている。光線ではなくて色彩で、反射がない。 …
読書目安時間:約24分
明るいというのではなく、ただ赤いという色感だけの、朝焼けだ。中天にはまだ星がまたたいているのに、東の空の雲表に、紅や朱や橙色が幾層にも流れている。光線ではなくて色彩で、反射がない。 …
足(新字新仮名)
読書目安時間:約8分
寝台車に一通り荷物の仕末をして、私は食堂車にはいっていった。暑くてとても眠れそうになかったので、ビールの助けをかりるつもりだった。ビールを飲めば、後で却って暑くなることは分っていた …
読書目安時間:約8分
寝台車に一通り荷物の仕末をして、私は食堂車にはいっていった。暑くてとても眠れそうになかったので、ビールの助けをかりるつもりだった。ビールを飲めば、後で却って暑くなることは分っていた …
明日(新字新仮名)
読書目安時間:約8分
或る男が、次のようなことを私に打明けた。—— 手紙というものは、どんなものでも、そう嫌なのはないけれど、ただ一つ、僕が当惑するのがある。近日ちょっとお伺いしたいのですが、御都合のよ …
読書目安時間:約8分
或る男が、次のようなことを私に打明けた。—— 手紙というものは、どんなものでも、そう嫌なのはないけれど、ただ一つ、僕が当惑するのがある。近日ちょっとお伺いしたいのですが、御都合のよ …
アフリカのスタンレー(新字旧仮名)
読書目安時間:約38分
世界で最も古い文化の一つは、アフリカ北海岸の一部のエジプトに開けました。また、近代文化の源となつてゐるギリシャやローマの文化は、アフリカの北海岸一帯にその光をなげかけました。その後 …
読書目安時間:約38分
世界で最も古い文化の一つは、アフリカ北海岸の一部のエジプトに開けました。また、近代文化の源となつてゐるギリシャやローマの文化は、アフリカの北海岸一帯にその光をなげかけました。その後 …
新たな世界主義(新字新仮名)
読書目安時間:約13分
戦争は終ったが、平和は到来しなかった。人類が待ち望んでいたような平和は到来しなかった。それは遠い過去に置きざりにされている。歴史の歩みは早い。将来に平和があるとすれば、それは過去の …
読書目安時間:約13分
戦争は終ったが、平和は到来しなかった。人類が待ち望んでいたような平和は到来しなかった。それは遠い過去に置きざりにされている。歴史の歩みは早い。将来に平和があるとすれば、それは過去の …
或る男の手記(新字新仮名)
読書目安時間:約1時間27分
もう準備はすっかり整っている。準備と云っても、新らしい剃刀と石鹸と六尺の褌とだけだ。それが、鍵の掛った書棚の抽出の中にはいっている。私としては、愈々やれるかどうか、それを試してみる …
読書目安時間:約1時間27分
もう準備はすっかり整っている。準備と云っても、新らしい剃刀と石鹸と六尺の褌とだけだ。それが、鍵の掛った書棚の抽出の中にはいっている。私としては、愈々やれるかどうか、それを試してみる …
或る女の手記(新字新仮名)
読書目安時間:約37分
私はそのお寺が好きだった。 重々しい御門の中は、すぐに広い庭になっていて、植込の木立に日の光りを遮られてるせいか、地面は一面に苔生していた。その庭の中に、楓の木が二列に立ち並んで、 …
読書目安時間:約37分
私はそのお寺が好きだった。 重々しい御門の中は、すぐに広い庭になっていて、植込の木立に日の光りを遮られてるせいか、地面は一面に苔生していた。その庭の中に、楓の木が二列に立ち並んで、 …
或る作家の厄日(新字新仮名)
読書目安時間:約21分
準備は出来た。彼女が来るのを待つばかりだ。御馳走が少し足りないようだが、この場合、いろんな物をごてごて並べ立てるのも、却ってさもしい。万事すっきりと、趣味を守ることだ。腹にたまるよ …
読書目安時間:約21分
準備は出来た。彼女が来るのを待つばかりだ。御馳走が少し足りないようだが、この場合、いろんな物をごてごて並べ立てるのも、却ってさもしい。万事すっきりと、趣味を守ることだ。腹にたまるよ …
或る素描(新字新仮名)
読書目安時間:約24分
長谷部といえば、私達の間には有名な男だった。 或る時、昼食後の休憩の間に、一時までという約束で同僚を誘って、会社と同じビルディングの中にある、撞球場に出かけた。そしていつまでも撞棒 …
読書目安時間:約24分
長谷部といえば、私達の間には有名な男だった。 或る時、昼食後の休憩の間に、一時までという約束で同僚を誘って、会社と同じビルディングの中にある、撞球場に出かけた。そしていつまでも撞棒 …
或る日の対話(新字新仮名)
読書目安時間:約11分
過日、あの男に逢った時、私は深い寂寥に沈んでいた。 朝から陰欝に曇っていて、午過ぎに小雨があり、それからはいやに冷かな湿っぽい大気が淀んでいたところ、夕方近くなって、中天の雲が薄ら …
読書目安時間:約11分
過日、あの男に逢った時、私は深い寂寥に沈んでいた。 朝から陰欝に曇っていて、午過ぎに小雨があり、それからはいやに冷かな湿っぽい大気が淀んでいたところ、夕方近くなって、中天の雲が薄ら …
或る夜の武田麟太郎(新字新仮名)
読書目安時間:約8分
その昔、といっても日華事変前頃まで、所謂土手の小林は、吾々市井の酒飲みにとって、楽しい場所だった。 この家は終夜営業していた。この点では品川の三徳と双璧だが、三徳の方は深夜になると …
読書目安時間:約8分
その昔、といっても日華事変前頃まで、所謂土手の小林は、吾々市井の酒飲みにとって、楽しい場所だった。 この家は終夜営業していた。この点では品川の三徳と双璧だが、三徳の方は深夜になると …
怒りの虫(新字新仮名)
読書目安時間:約24分
欝ぎの虫、癪の種、さまざまなものが、人間のなかに住んで、正常な感情を引っ掻きまわすと言われているが、ここに、木山宇平のなかには怒りの虫がいつしか巣くったと、周囲の人々から見られるよ …
読書目安時間:約24分
欝ぎの虫、癪の種、さまざまなものが、人間のなかに住んで、正常な感情を引っ掻きまわすと言われているが、ここに、木山宇平のなかには怒りの虫がいつしか巣くったと、周囲の人々から見られるよ …
活人形(新字新仮名)
読書目安時間:約8分
むかし、インドに、ターコール僧正というえらいお坊さまがいました。むずかしい病気をなおしたり鬼をおいはらったり、ときには、死人をよみがえらしたりするほど、ふしぎな力をそなえていられる …
読書目安時間:約8分
むかし、インドに、ターコール僧正というえらいお坊さまがいました。むずかしい病気をなおしたり鬼をおいはらったり、ときには、死人をよみがえらしたりするほど、ふしぎな力をそなえていられる …
公孫樹(新字新仮名)
読書目安時間:約20分
「この頃の洋式の建築は可笑しなことをするもんだね。砂利を煮て何にするんだろう。」 そう云って、吉住が煙草に火をつけながら立止ったので、私も一緒に立って、やはり煙草に火をつけた。 「 …
読書目安時間:約20分
「この頃の洋式の建築は可笑しなことをするもんだね。砂利を煮て何にするんだろう。」 そう云って、吉住が煙草に火をつけながら立止ったので、私も一緒に立って、やはり煙草に火をつけた。 「 …
市郎の店(新字新仮名)
読書目安時間:約9分
ある港町の、港と停車場との間の、にぎやかな街路に、市郎の店はありました。店といっても街路の上の屋台の夜店で、その夜店のほんのかたはしなのです。 そのへんは、船や汽車の旅人がたくさん …
読書目安時間:約9分
ある港町の、港と停車場との間の、にぎやかな街路に、市郎の店はありました。店といっても街路の上の屋台の夜店で、その夜店のほんのかたはしなのです。 そのへんは、船や汽車の旅人がたくさん …
田舎者(新字新仮名)
読書目安時間:約27分
「ドラ鈴」がこのマダムのパトロンかどうかということが、四五人の常連の間に問題となっていた時、岸本啓介はそうでないということを——彼にしてみれば立証するつもりで——饒舌ってしまった。 …
読書目安時間:約27分
「ドラ鈴」がこのマダムのパトロンかどうかということが、四五人の常連の間に問題となっていた時、岸本啓介はそうでないということを——彼にしてみれば立証するつもりで——饒舌ってしまった。 …
犬の八公(新字旧仮名)
読書目安時間:約10分
或る山奥の村に、八太郎といふ独者がゐました。呑気な男で、皆のやうに一生懸命に働いてお金をためることなんか、知りもしないし考へもしないで、のらくらとその日その日を送つてゐました。食物 …
読書目安時間:約10分
或る山奥の村に、八太郎といふ独者がゐました。呑気な男で、皆のやうに一生懸命に働いてお金をためることなんか、知りもしないし考へもしないで、のらくらとその日その日を送つてゐました。食物 …
異邦人の意欲(新字新仮名)
読書目安時間:約11分
植村諦君の詩集「異邦人」は、近頃読んだもののうちで、感銘深いものの一つだった。 植村君の詩は、詩として上手なものではない。言語の駆使、イメージの喚起など、普通の作詩法的技巧において …
読書目安時間:約11分
植村諦君の詩集「異邦人」は、近頃読んだもののうちで、感銘深いものの一つだった。 植村君の詩は、詩として上手なものではない。言語の駆使、イメージの喚起など、普通の作詩法的技巧において …
意欲の窒息(新字新仮名)
読書目安時間:約8分
文化が新らしい方向を辿らんとする時、その派生的現象として、社会の或る部分に停滞腐爛を起す。大河の流れの中に、小さな淀みが処々に生ずるようなものである。流れと共に動こうとしても、河床 …
読書目安時間:約8分
文化が新らしい方向を辿らんとする時、その派生的現象として、社会の或る部分に停滞腐爛を起す。大河の流れの中に、小さな淀みが処々に生ずるようなものである。流れと共に動こうとしても、河床 …
失われた半身(新字新仮名)
読書目安時間:約22分
独りでコーヒーをすすっていると、戸川がはいって来て、ちょっと照れたような笑顔をし、おれと向き合って席についた。 「やはり……いつもの通りだね。」 「うむ、習慣みたいなものさ。」 「 …
読書目安時間:約22分
独りでコーヒーをすすっていると、戸川がはいって来て、ちょっと照れたような笑顔をし、おれと向き合って席についた。 「やはり……いつもの通りだね。」 「うむ、習慣みたいなものさ。」 「 …
運命のままに(新字新仮名)
読書目安時間:約57分
石田周吉というのは痩せた背の高い男である。彼の身体は一寸薄弱そうに見えるけれど、何処か丈夫なものを身内に包んでいるような観がある。始終健全ではないが、またそのままにじりじりと如何な …
読書目安時間:約57分
石田周吉というのは痩せた背の高い男である。彼の身体は一寸薄弱そうに見えるけれど、何処か丈夫なものを身内に包んでいるような観がある。始終健全ではないが、またそのままにじりじりと如何な …
エスキス(新字新仮名)
読書目安時間:約3分
大地に対するノスタルジーを忘失したる児等よ。—— 「冷かな東北の微風、ミルク色の海と湛えた霧のなかに、巖のように聳ゆる鉄筋コンクリートの建物の屋上から、朗かな妖精の声が響きます。屋 …
読書目安時間:約3分
大地に対するノスタルジーを忘失したる児等よ。—— 「冷かな東北の微風、ミルク色の海と湛えた霧のなかに、巖のように聳ゆる鉄筋コンクリートの建物の屋上から、朗かな妖精の声が響きます。屋 …
エミリアンの旅(新字旧仮名)
読書目安時間:約56分
ヨーロッパから西アジヤにかけて、方々にちらばつてる一つの民族があります。何かの職業について、一つ処に住居を定めてる者もありますが、多くは、各地をわたり歩いてる流浪の者です。それで、 …
読書目安時間:約56分
ヨーロッパから西アジヤにかけて、方々にちらばつてる一つの民族があります。何かの職業について、一つ処に住居を定めてる者もありますが、多くは、各地をわたり歩いてる流浪の者です。それで、 …
逢魔の刻(新字新仮名)
読書目安時間:約4分
昔は、逢魔の刻というのがいろいろあった。必ずしも真夜中丑満の頃ばかりでなく、白昼かっと日が照ってる時、眼に見えぬ影——魔気——が街路を通っていったり、薄暗がりの夕方、魔物が厠に潜ん …
読書目安時間:約4分
昔は、逢魔の刻というのがいろいろあった。必ずしも真夜中丑満の頃ばかりでなく、白昼かっと日が照ってる時、眼に見えぬ影——魔気——が街路を通っていったり、薄暗がりの夕方、魔物が厠に潜ん …
丘の上(新字新仮名)
読書目安時間:約22分
丘の上には、さびれた小さな石の堂があって、七八本の雑木が立並んでいた。前面はただ平野で、部落も木立も少く、農夫の姿も見えない、妙に淋しい畑地だった。遠くに一筋の街道が、白々と横たわ …
読書目安時間:約22分
丘の上には、さびれた小さな石の堂があって、七八本の雑木が立並んでいた。前面はただ平野で、部落も木立も少く、農夫の姿も見えない、妙に淋しい畑地だった。遠くに一筋の街道が、白々と横たわ …
阿亀(新字新仮名)
読書目安時間:約14分
電車通りから狭い路地をはいると、すぐ右手に一寸小綺麗な撞球場があった。電車通りに面した表の方は、煙草店になっていて、各国産の袋や缶の雑多な色彩が、棚の上に盛り上っていた。その店から …
読書目安時間:約14分
電車通りから狭い路地をはいると、すぐ右手に一寸小綺麗な撞球場があった。電車通りに面した表の方は、煙草店になっていて、各国産の袋や缶の雑多な色彩が、棚の上に盛り上っていた。その店から …
叔父(新字新仮名)
読書目安時間:約24分
中野さんには、喜代子という美しい姪があった。中野さんの末の妹の嫁入った武井某の娘だった。 中野さんと喜代子の母とは、母親が違うせいもあったし、年齢も可なり違っていたし、余り仲がよく …
読書目安時間:約24分
中野さんには、喜代子という美しい姪があった。中野さんの末の妹の嫁入った武井某の娘だった。 中野さんと喜代子の母とは、母親が違うせいもあったし、年齢も可なり違っていたし、余り仲がよく …
お月様の唄(新字新仮名)
読書目安時間:約15分
お月様の中で、 尾のない鳥が、 金の輪をくうわえて、 お、お、落ちますよ、 お、お、あぶないよ。 むかしむかし、まだ森の中には小さな、可愛い森の精達が大勢いました頃のこと、ある国に …
読書目安時間:約15分
お月様の中で、 尾のない鳥が、 金の輪をくうわえて、 お、お、落ちますよ、 お、お、あぶないよ。 むかしむかし、まだ森の中には小さな、可愛い森の精達が大勢いました頃のこと、ある国に …
男ぎらい(新字新仮名)
読書目安時間:約18分
男ぎらいと、ひとは私のことを言うけれど、そうときまったわけのものではありません。男のひとは、だいたいいいえ皆が皆、厭らしく穢ならしく、だから私は嫌いです。厭らしくも穢ならしくもなく …
読書目安時間:約18分
男ぎらいと、ひとは私のことを言うけれど、そうときまったわけのものではありません。男のひとは、だいたいいいえ皆が皆、厭らしく穢ならしく、だから私は嫌いです。厭らしくも穢ならしくもなく …
鬼カゲさま(新字旧仮名)
読書目安時間:約7分
むかし、関東地方を治めてゐた殿様がありまして、江戸に住んでゐられました。その殿様が、病気にかかられて、いろいろ手当をなさいましたが、病気はおもくなるばかりで、いつ亡くなられるかわか …
読書目安時間:約7分
むかし、関東地方を治めてゐた殿様がありまして、江戸に住んでゐられました。その殿様が、病気にかかられて、いろいろ手当をなさいましたが、病気はおもくなるばかりで、いつ亡くなられるかわか …
溺るるもの(新字新仮名)
読書目安時間:約35分
一或る図書館員の話 掘割の橋のたもとで、いつも自動車を乗り捨てた。 眼の届く限り真直な疏水堀で、両岸に道が通じ、所々に橋があって、黒ずんだ木の欄干が水の上に重り合って見える。右側は …
読書目安時間:約35分
一或る図書館員の話 掘割の橋のたもとで、いつも自動車を乗り捨てた。 眼の届く限り真直な疏水堀で、両岸に道が通じ、所々に橋があって、黒ずんだ木の欄干が水の上に重り合って見える。右側は …
お山の爺さん(新字新仮名)
読書目安時間:約10分
おうさむこさむ やまからこぞうがないてきた なーんとてないてきた さむいとてないてきた。 こういう歌を皆さんはご存じでしょう。この歌が流行り始めた頃には、おもしろい話がそれについて …
読書目安時間:約10分
おうさむこさむ やまからこぞうがないてきた なーんとてないてきた さむいとてないてきた。 こういう歌を皆さんはご存じでしょう。この歌が流行り始めた頃には、おもしろい話がそれについて …
オランウータン(新字新仮名)
読書目安時間:約14分
今になって、先ず漠然と思い起すのは、金網のなかの仔猿のことである。動物園だったか、植物園だったか、それとも公園だったか、それは忘れた。広い金網のなかに親仔数匹の猿がはいっていた。暖 …
読書目安時間:約14分
今になって、先ず漠然と思い起すのは、金網のなかの仔猿のことである。動物園だったか、植物園だったか、それとも公園だったか、それは忘れた。広い金網のなかに親仔数匹の猿がはいっていた。暖 …
愚かな一日(新字新仮名)
読書目安時間:約29分
瀬川が来ているのだなと夢現のうちに考えていると、何かの調子に彼はふいと眼が覚めた。と同時に隣室の話声が止んだ。彼は大きく開いた眼で天井をぐるりと見廻した。それからまた、懶い重みを眼 …
読書目安時間:約29分
瀬川が来ているのだなと夢現のうちに考えていると、何かの調子に彼はふいと眼が覚めた。と同時に隣室の話声が止んだ。彼は大きく開いた眼で天井をぐるりと見廻した。それからまた、懶い重みを眼 …
恩人(新字新仮名)
読書目安時間:約27分
年毎に彼の身体に悪影響を伝える初春の季節が過ぎ去った後、彼はまた静かなる書斎の生活をはじめた、去ってゆく時の足跡をじっと見守っているような心地をし乍ら。木蓮の花が散って、燕が飛び廻 …
読書目安時間:約27分
年毎に彼の身体に悪影響を伝える初春の季節が過ぎ去った後、彼はまた静かなる書斎の生活をはじめた、去ってゆく時の足跡をじっと見守っているような心地をし乍ら。木蓮の花が散って、燕が飛び廻 …
女心の強ければ(新字新仮名)
読書目安時間:約1時間35分
松月別館での第一日は、あらゆる点で静かだった。二日目も静かだったが、夕刻、激しい雷雨雷鳴が襲ってきた。 天候の異変は、却って人の心を鎮める。 いいなあ、と長谷川梧郎は思った。 本館 …
読書目安時間:約1時間35分
松月別館での第一日は、あらゆる点で静かだった。二日目も静かだったが、夕刻、激しい雷雨雷鳴が襲ってきた。 天候の異変は、却って人の心を鎮める。 いいなあ、と長谷川梧郎は思った。 本館 …
女と帽子:――「小悪魔の記録」――(新字新仮名)
読書目安時間:約34分
今村はまた時計を眺めて、七時に三十分ばかり間があることを見ると、珈琲をも一杯あつらえておいて、煙草をふかし始めた。卓子に片肱をついて、掌で頣を支えながら、時々瞼をとじては、何かぴく …
読書目安時間:約34分
今村はまた時計を眺めて、七時に三十分ばかり間があることを見ると、珈琲をも一杯あつらえておいて、煙草をふかし始めた。卓子に片肱をついて、掌で頣を支えながら、時々瞼をとじては、何かぴく …
怪異に嫌わる(新字新仮名)
読書目安時間:約10分
坪井君は丹波の人である。その丹波の田舎に或る時、伯父の家を訪れたところ、年老いた伯父は、倉からいろいろな物を持出し、広い座敷に処狭きまで置き並べて、それに風を通していた。 ——君は …
読書目安時間:約10分
坪井君は丹波の人である。その丹波の田舎に或る時、伯父の家を訪れたところ、年老いた伯父は、倉からいろいろな物を持出し、広い座敷に処狭きまで置き並べて、それに風を通していた。 ——君は …
書かれざる作品(新字新仮名)
読書目安時間:約5分
横須賀の海岸に陸から橋伝いに繋ぎとめられ、僅かに記念物として保存されている軍艦三笠を、遠くから望見した時、私は、日本海大海戦に勇名を馳せた軍艦のなれのはてに、一種の感懐を禁じ得なか …
読書目安時間:約5分
横須賀の海岸に陸から橋伝いに繋ぎとめられ、僅かに記念物として保存されている軍艦三笠を、遠くから望見した時、私は、日本海大海戦に勇名を馳せた軍艦のなれのはてに、一種の感懐を禁じ得なか …
影(新字新仮名)
読書目安時間:約9分
叔父達が新らしい家へ移転してすぐに、叔父は或る公務を帯びて、二ヶ月ばかり朝鮮の方へ旅することになりました。勿論この旅行は前から分っていましたが、その出発の間際に、前々から探していた …
読書目安時間:約9分
叔父達が新らしい家へ移転してすぐに、叔父は或る公務を帯びて、二ヶ月ばかり朝鮮の方へ旅することになりました。勿論この旅行は前から分っていましたが、その出発の間際に、前々から探していた …
崖下の池:――近代説話――(新字新仮名)
読書目安時間:約25分
さほど高くない崖の下に、池がありました。不規則な形の池で、広さは七十坪あまり、浅いところが多く、最も深いところでも人の胸ほどでした。 崖から少し湧き水があるので、自然に池の水が替わ …
読書目安時間:約25分
さほど高くない崖の下に、池がありました。不規則な形の池で、広さは七十坪あまり、浅いところが多く、最も深いところでも人の胸ほどでした。 崖から少し湧き水があるので、自然に池の水が替わ …
影法師(新字新仮名)
読書目安時間:約9分
うしろに山をひかえ前に広々とした平野をひかえてる、低いなだらかな丘の上に、小さな村がありました。村の東の端に、村一番の長者の屋敷がありまして、その塀の外の広場は、子供たちの遊び場所 …
読書目安時間:約9分
うしろに山をひかえ前に広々とした平野をひかえてる、低いなだらかな丘の上に、小さな村がありました。村の東の端に、村一番の長者の屋敷がありまして、その塀の外の広場は、子供たちの遊び場所 …
風ばか(新字新仮名)
読書目安時間:約7分
——皆さんは、人間の身体は右と左とまったく同じだと、思っていますでしょう。右と左とにそれぞれ、眼が一つ、耳が一つ、鼻が半分、口が半分、手が一つ、足が一つ……。まんなかから切ってみる …
読書目安時間:約7分
——皆さんは、人間の身体は右と左とまったく同じだと、思っていますでしょう。右と左とにそれぞれ、眼が一つ、耳が一つ、鼻が半分、口が半分、手が一つ、足が一つ……。まんなかから切ってみる …
過渡人(新字新仮名)
読書目安時間:約41分
三月の末に矢島さんは次のようなことを日記に書いた。——固より矢島さんは日記なんかつけはしない、これはただ比喩的に云うのである。 俺はこの頃妙な気持ちを覚ゆる。何だか新らしい素敵なこ …
読書目安時間:約41分
三月の末に矢島さんは次のようなことを日記に書いた。——固より矢島さんは日記なんかつけはしない、これはただ比喩的に云うのである。 俺はこの頃妙な気持ちを覚ゆる。何だか新らしい素敵なこ …
悲しい誤解(新字新仮名)
読書目安時間:約23分
陽が陰るように、胸に憂欝の気が立ち罩める時がある。はっきりした原因があるのではない。ごく些細なことが寄り集まって、雲のように、心の青空を蔽うのである。すると私は生気なく、しみじみと …
読書目安時間:約23分
陽が陰るように、胸に憂欝の気が立ち罩める時がある。はっきりした原因があるのではない。ごく些細なことが寄り集まって、雲のように、心の青空を蔽うのである。すると私は生気なく、しみじみと …
画舫:――近代伝説――(新字新仮名)
読書目安時間:約22分
杭州西湖のなかほどに、一隻の画舫が浮んでいました。三月中旬のことで、湖岸の楊柳はもうそろそろ柔かな若葉をつづりかけていましたが、湖の水はまだ冷たく、舟遊びには早い季節でありました。 …
読書目安時間:約22分
杭州西湖のなかほどに、一隻の画舫が浮んでいました。三月中旬のことで、湖岸の楊柳はもうそろそろ柔かな若葉をつづりかけていましたが、湖の水はまだ冷たく、舟遊びには早い季節でありました。 …
蝦蟇(新字新仮名)
読書目安時間:約5分
五月頃から私の家の縁先に、大きい一匹の蝦蟇が出た。いつも夕方であった。風雨の日や、妙に仄白く暮れ悩んだ日や、月のある夕方などには、出なかった。夕闇が濃く澱んでいる時や、細かい雨がし …
読書目安時間:約5分
五月頃から私の家の縁先に、大きい一匹の蝦蟇が出た。いつも夕方であった。風雨の日や、妙に仄白く暮れ悩んだ日や、月のある夕方などには、出なかった。夕闇が濃く澱んでいる時や、細かい雨がし …
神棚(新字新仮名)
読書目安時間:約44分
霙交りの雨が、ぽつりぽつりと落ちてくる気配だった。俺はふと足を止めて、無関心な顔付で、空を仰いでみた。薄ぼんやりした灰色の低い空から、冷い粒が二つ三つ、頬や鼻のあたりへじかに落ちか …
読書目安時間:約44分
霙交りの雨が、ぽつりぽつりと落ちてくる気配だった。俺はふと足を止めて、無関心な顔付で、空を仰いでみた。薄ぼんやりした灰色の低い空から、冷い粒が二つ三つ、頬や鼻のあたりへじかに落ちか …
鴨猟(新字新仮名)
読書目安時間:約3分
寒中、東京湾内には無数の鴨がいる。向う岸、姉ヶ崎から木更津辺の沖合には、幾千となく群をなしているし、手近なところでは、新浜御猟場沖合に、数十の群が散在しているし、其他、二三羽、四五 …
読書目安時間:約3分
寒中、東京湾内には無数の鴨がいる。向う岸、姉ヶ崎から木更津辺の沖合には、幾千となく群をなしているし、手近なところでは、新浜御猟場沖合に、数十の群が散在しているし、其他、二三羽、四五 …
川端柳(新字新仮名)
読書目安時間:約6分
或る刑務所長の話に依れば、刑期満ちて娑婆に出た竊盗囚が再び罪を犯すのは、物に対する「欲しい」という感情からよりも、「惜しい」という感情からのことが多いという。「欲しい」という感情は …
読書目安時間:約6分
或る刑務所長の話に依れば、刑期満ちて娑婆に出た竊盗囚が再び罪を犯すのは、物に対する「欲しい」という感情からよりも、「惜しい」という感情からのことが多いという。「欲しい」という感情は …
変る(新字新仮名)
読書目安時間:約14分
壁と天井が白く塗ってあるので、狭い屋内は妙に明るく見えるが、数個の電灯の燭光はさほど強くない。柱の籠に投げ入れてある桃の蕾と菜の花の色も、季節に早いせいばかりでなく、へんに淡い。だ …
読書目安時間:約14分
壁と天井が白く塗ってあるので、狭い屋内は妙に明るく見えるが、数個の電灯の燭光はさほど強くない。柱の籠に投げ入れてある桃の蕾と菜の花の色も、季節に早いせいばかりでなく、へんに淡い。だ …
乾杯:――近代説話――(新字新仮名)
読書目安時間:約18分
終戦の年の暮、父の正吉が肺炎であっけなく他界した後、山川正太郎は、私生活のなかに閉じこもりました。訪客は避けず、公式な会合には顔を出さず、という態度です。時に、識り合いの文学者や科 …
読書目安時間:約18分
終戦の年の暮、父の正吉が肺炎であっけなく他界した後、山川正太郎は、私生活のなかに閉じこもりました。訪客は避けず、公式な会合には顔を出さず、という態度です。時に、識り合いの文学者や科 …
奇怪な話(新字新仮名)
読書目安時間:約15分
私の故郷の村中に、ちょっと無気味な隘路がある。両側は丈余の崖で、崖上には灌木や竹が生い茂り、年経た大木が立並んで空を蔽い、終日陽の光を見ることなく、真昼間でさえ薄暗く、肌寒い空気が …
読書目安時間:約15分
私の故郷の村中に、ちょっと無気味な隘路がある。両側は丈余の崖で、崖上には灌木や竹が生い茂り、年経た大木が立並んで空を蔽い、終日陽の光を見ることなく、真昼間でさえ薄暗く、肌寒い空気が …
帰京記(新字新仮名)
読書目安時間:約5分
大正十二年の夏、私は深瀬春一君と北海道を旅し、九月一日には函館の深瀬君の家にいた。午後になって、大地震の情報が達し始めた。その夜は待機の気持でねた。翌日午頃、津軽海峡の連絡船に身を …
読書目安時間:約5分
大正十二年の夏、私は深瀬春一君と北海道を旅し、九月一日には函館の深瀬君の家にいた。午後になって、大地震の情報が達し始めた。その夜は待機の気持でねた。翌日午頃、津軽海峡の連絡船に身を …
戯曲を書く私の心持(新字新仮名)
読書目安時間:約8分
四五年前から、戯曲を書いて見たまえって、周囲の友人に度び度びすすめられたことがあったんです。そして僕自身も戯曲を書いて見たい気持はしばしば起ったんですけれど、いざ書こうとなると内容 …
読書目安時間:約8分
四五年前から、戯曲を書いて見たまえって、周囲の友人に度び度びすすめられたことがあったんです。そして僕自身も戯曲を書いて見たい気持はしばしば起ったんですけれど、いざ書こうとなると内容 …
傷痕の背景(新字新仮名)
読書目安時間:約38分
比較的大きな顔の輪郭、額のぶあつい肉附、眼瞼の薄いぎょろりとした眼玉、頑丈な鼻、重みのある下唇、そして、いつも櫛のはのよく通った髪、小さな口髭……云わば、剛直といった感じのするその …
読書目安時間:約38分
比較的大きな顔の輪郭、額のぶあつい肉附、眼瞼の薄いぎょろりとした眼玉、頑丈な鼻、重みのある下唇、そして、いつも櫛のはのよく通った髪、小さな口髭……云わば、剛直といった感じのするその …
木曽の一平(新字旧仮名)
読書目安時間:約8分
むかし、木曾の山里に、一助といふ年とつたきこりがゐました。 一助のところに、一平といふ若者がゐました。一助の孫で、両親に早く死なれて、一助のてつだひをしてをりました。 一助と一平と …
読書目安時間:約8分
むかし、木曾の山里に、一助といふ年とつたきこりがゐました。 一助のところに、一平といふ若者がゐました。一助の孫で、両親に早く死なれて、一助のてつだひをしてをりました。 一助と一平と …
擬体(新字新仮名)
読書目安時間:約25分
退社間際になって、青木は、ちょっと居残ってくれるようにと石村から言われて、自席に残った。同僚が退出した後の事務室は、空気までも冷え冷えとしてきた感じで、眼を慰めるものとてない。壁に …
読書目安時間:約25分
退社間際になって、青木は、ちょっと居残ってくれるようにと石村から言われて、自席に残った。同僚が退出した後の事務室は、空気までも冷え冷えとしてきた感じで、眼を慰めるものとてない。壁に …
狐火(新字新仮名)
読書目安時間:約12分
馬方の三吉というよりも、のっぽの三公という方が分り易かった。それほど彼は背が高かった。背が高いばかりでなく、肩幅も広く、筋骨も逞ましく、力も強く、寧ろ大男というべきだったが、それに …
読書目安時間:約12分
馬方の三吉というよりも、のっぽの三公という方が分り易かった。それほど彼は背が高かった。背が高いばかりでなく、肩幅も広く、筋骨も逞ましく、力も強く、寧ろ大男というべきだったが、それに …
球体派(新字新仮名)
読書目安時間:約5分
私は友人の画家と一緒に夜の街路を歩いていた。二人とも可なり酔っていた。どういう話の続きか覚えていないが、彼はしきりに球体派という言葉をくり返していた。 「日本画と西洋画との本質的な …
読書目安時間:約5分
私は友人の画家と一緒に夜の街路を歩いていた。二人とも可なり酔っていた。どういう話の続きか覚えていないが、彼はしきりに球体派という言葉をくり返していた。 「日本画と西洋画との本質的な …
牛乳と馬(新字新仮名)
読書目安時間:約25分
橋のところで、わたしは休んだ。疲れたわけではないが、牛乳の一升瓶をぶらさげてる、その瓶容れの藁編みの紐が、掌にくい入って痛かった。どうせ急ぐこともない。牧場の前の茶店まで、家から一 …
読書目安時間:約25分
橋のところで、わたしは休んだ。疲れたわけではないが、牛乳の一升瓶をぶらさげてる、その瓶容れの藁編みの紐が、掌にくい入って痛かった。どうせ急ぐこともない。牧場の前の茶店まで、家から一 …
今日の条件(新字新仮名)
読書目安時間:約8分
ごく大雑把にそして極めて素朴に、人間の生活の理想的な在り方を考えてみる。——週に六日、毎日六時間ばかり、何等かの社会的な生産的な勤労に徒事し、それで生計を立て、その他の時間を、随意 …
読書目安時間:約8分
ごく大雑把にそして極めて素朴に、人間の生活の理想的な在り方を考えてみる。——週に六日、毎日六時間ばかり、何等かの社会的な生産的な勤労に徒事し、それで生計を立て、その他の時間を、随意 …
霧の中:――「正夫の世界」――(新字新仮名)
読書目安時間:約41分
南正夫は、もう何もすることがなかった。無理を云って山の避暑地に九月半ばまで居残ったが、いずれは東京の家に、そして学校に、戻って行かなければならないのだ。なんだか変につまらない。ただ …
読書目安時間:約41分
南正夫は、もう何もすることがなかった。無理を云って山の避暑地に九月半ばまで居残ったが、いずれは東京の家に、そして学校に、戻って行かなければならないのだ。なんだか変につまらない。ただ …
樹を愛する心(新字新仮名)
読書目安時間:約6分
庭の中に、桃の木があった。径五寸ばかりの古木で、植木屋が下枝を払ってしまったので、曲りくねった風雅な一本の幹だけが、空間に肌をさらしていた。だが、その上方、若枝の成長はすばらしかっ …
読書目安時間:約6分
庭の中に、桃の木があった。径五寸ばかりの古木で、植木屋が下枝を払ってしまったので、曲りくねった風雅な一本の幹だけが、空間に肌をさらしていた。だが、その上方、若枝の成長はすばらしかっ …
金魚(新字新仮名)
読書目安時間:約8分
「金魚を見ると、僕はある春の一日のことを思い出して、いつも変な気持になる、」と云ってSが話したことを、そのまま三人称に書き下したのが、次の物語りである。 彼は愉快で堪らなかった。何 …
読書目安時間:約8分
「金魚を見ると、僕はある春の一日のことを思い出して、いつも変な気持になる、」と云ってSが話したことを、そのまま三人称に書き下したのが、次の物語りである。 彼は愉快で堪らなかった。何 …
キンショキショキ(新字新仮名)
読書目安時間:約9分
今のように世の中が開けていないずっと昔のことです。ある片田舎の村に、ひょっこり一匹の猿がやって来ました。非常に大きな年とった猿で、背中に赤い布をつけ、首に鈴をつけて、手に小さな風呂 …
読書目安時間:約9分
今のように世の中が開けていないずっと昔のことです。ある片田舎の村に、ひょっこり一匹の猿がやって来ました。非常に大きな年とった猿で、背中に赤い布をつけ、首に鈴をつけて、手に小さな風呂 …
金の猫の鬼(新字旧仮名)
読書目安時間:約9分
むかし、台湾の南のはじの要害の地に、支那の海賊がやつてきて、住居をかまへましたので、附近の住民はたいへん困りました。殊にその海賊の首領は、頭に角が一本ある鬼で、船には守神として黄金 …
読書目安時間:約9分
むかし、台湾の南のはじの要害の地に、支那の海賊がやつてきて、住居をかまへましたので、附近の住民はたいへん困りました。殊にその海賊の首領は、頭に角が一本ある鬼で、船には守神として黄金 …
銀の笛と金の毛皮(新字新仮名)
読書目安時間:約29分
むかし、あるところに、エキモスという羊飼いの少年がいました。父も母もないみなし児で、毎日、羊のむれの番をしてくらしていました。 青々とした野原に、羊たちはたのしくあそんでいます。野 …
読書目安時間:約29分
むかし、あるところに、エキモスという羊飼いの少年がいました。父も母もないみなし児で、毎日、羊のむれの番をしてくらしていました。 青々とした野原に、羊たちはたのしくあそんでいます。野 …
金の目銀の目(新字新仮名)
読書目安時間:約1時間8分
まっ白いネコ 九州の北海岸の、ある淋しい村に、古い小さな神社がありました。その神社のそばのあばら屋に、おじいさんとおばあさんとが住んでいました。おじいさんは、神社の神主で、ふだんは …
読書目安時間:約1時間8分
まっ白いネコ 九州の北海岸の、ある淋しい村に、古い小さな神社がありました。その神社のそばのあばら屋に、おじいさんとおばあさんとが住んでいました。おじいさんは、神社の神主で、ふだんは …
偶像に就ての雑感(新字新仮名)
読書目安時間:約9分
吾々は多くの偶像を持っている。——(茲で私は偶像という言葉を、或はリテラリーに或はフィギュラチーヴに或は両方を総括した広い意味に用いる。) 偶像は吾人の感情の、心の働きの、或は心象 …
読書目安時間:約9分
吾々は多くの偶像を持っている。——(茲で私は偶像という言葉を、或はリテラリーに或はフィギュラチーヴに或は両方を総括した広い意味に用いる。) 偶像は吾人の感情の、心の働きの、或は心象 …
「草野心平詩集」解説(新字新仮名)
読書目安時間:約11分
草野心平のことを、懇意な人々は心平さんと言う。親愛の気持ちをこめた呼称である。肉付き豊かな大きな顔に、ロイド眼鏡をかけ、口髭をたくわえ、そして蓬髪、とこう書けば、なんだか寄りつきに …
読書目安時間:約11分
草野心平のことを、懇意な人々は心平さんと言う。親愛の気持ちをこめた呼称である。肉付き豊かな大きな顔に、ロイド眼鏡をかけ、口髭をたくわえ、そして蓬髪、とこう書けば、なんだか寄りつきに …
楠の話(新字新仮名)
読書目安時間:約22分
その頃私の家は田舎の広い屋敷に在った。屋敷の中には、竹籔があり池があり墓地があり木立があり広い庭があり、また一寸した野菜畑もあった。私は子供時代に、屋敷から殆んど一歩もふみ出さない …
読書目安時間:約22分
その頃私の家は田舎の広い屋敷に在った。屋敷の中には、竹籔があり池があり墓地があり木立があり広い庭があり、また一寸した野菜畑もあった。私は子供時代に、屋敷から殆んど一歩もふみ出さない …
蜘蛛(新字新仮名)
読書目安時間:約8分
蜘蛛は面白い動物である。近代人的な過敏な神経と、偉人的な野性と、自然的な神秘さとを具えている。 近代人の神経は、何かしら不健康で不気味である。本物の動物的なものから根こぎにされたよ …
読書目安時間:約8分
蜘蛛は面白い動物である。近代人的な過敏な神経と、偉人的な野性と、自然的な神秘さとを具えている。 近代人の神経は、何かしら不健康で不気味である。本物の動物的なものから根こぎにされたよ …
蔵の二階(新字新仮名)
読書目安時間:約27分
焼跡の中に、土蔵が一つある。この土蔵も、戦災の焔をかぶったので、ずいぶん破損している。上塗りの壁土は殆んど剥落して、中塗りの赤土や繩が露出し、屋根瓦も満足でなく、ひょろ長い雑草が生 …
読書目安時間:約27分
焼跡の中に、土蔵が一つある。この土蔵も、戦災の焔をかぶったので、ずいぶん破損している。上塗りの壁土は殆んど剥落して、中塗りの赤土や繩が露出し、屋根瓦も満足でなく、ひょろ長い雑草が生 …
群集(新字新仮名)
読書目安時間:約10分
大正七年八月十六日夜—— 私は神保町から須田町の方へ歩いて行った。両側の商店はもう殆んど凡てが戸を締めていた。大きな硝子戸や硝子窓の前には蓆を垂らしてる家が多かった、間には板を縦横 …
読書目安時間:約10分
大正七年八月十六日夜—— 私は神保町から須田町の方へ歩いて行った。両側の商店はもう殆んど凡てが戸を締めていた。大きな硝子戸や硝子窓の前には蓆を垂らしてる家が多かった、間には板を縦横 …
形態について(新字新仮名)
読書目安時間:約6分
或る一つの文学作品中の主要人物について例えば五人の画家にその肖像を描かせるとすれば、恐らくは、可なり異った五つの肖像が得られるだろう。この五つの肖像が必然的に似てくるようなもの—— …
読書目安時間:約6分
或る一つの文学作品中の主要人物について例えば五人の画家にその肖像を描かせるとすれば、恐らくは、可なり異った五つの肖像が得られるだろう。この五つの肖像が必然的に似てくるようなもの—— …
化生のもの(新字新仮名)
読書目安時間:約27分
小泉美枝子は、容姿うるわしく、挙措しとやかで、そして才気もあり、多くの人から好感を持たれた。海軍大佐だった良人を戦争で失い、其後、再婚の話も幾つかあったが、それには耳をかさず、未亡 …
読書目安時間:約27分
小泉美枝子は、容姿うるわしく、挙措しとやかで、そして才気もあり、多くの人から好感を持たれた。海軍大佐だった良人を戦争で失い、其後、再婚の話も幾つかあったが、それには耳をかさず、未亡 …
月評をして(新字新仮名)
読書目安時間:約7分
月評をして、あらゆる情実より脱せしめよ。 情実は、真実を蔽い隠す最も危険なる霧である。この霧を通して眺むる時、物の輪廓はぼやけ、物の色彩は輝きを失う。そして其処には怪しい畸形な幻が …
読書目安時間:約7分
月評をして、あらゆる情実より脱せしめよ。 情実は、真実を蔽い隠す最も危険なる霧である。この霧を通して眺むる時、物の輪廓はぼやけ、物の色彩は輝きを失う。そして其処には怪しい畸形な幻が …
月明(新字新仮名)
読書目安時間:約34分
褌一つきりの裸体の漁夫が、井端で、大漁の鯵を干物に割いていた。 海水帽の広い縁で、馬車馬の目隠しのように雨の頬を包んで、先に立ってすたすた歩いていた姉が、真直を向いたまま晴れやかな …
読書目安時間:約34分
褌一つきりの裸体の漁夫が、井端で、大漁の鯵を干物に割いていた。 海水帽の広い縁で、馬車馬の目隠しのように雨の頬を包んで、先に立ってすたすた歩いていた姉が、真直を向いたまま晴れやかな …
幻覚記(新字新仮名)
読書目安時間:約10分
筑後川右岸の、平坦な沃野である。消く水を湛えた川べりに、高い堤防があって、真直に続いている。堤防の両側には、葦や篠笹が茂っていて、堤防上の道路にまで蔽いかぶさり、昼間も薄暗く、夜は …
読書目安時間:約10分
筑後川右岸の、平坦な沃野である。消く水を湛えた川べりに、高い堤防があって、真直に続いている。堤防の両側には、葦や篠笹が茂っていて、堤防上の道路にまで蔽いかぶさり、昼間も薄暗く、夜は …
現代小説展望(新字新仮名)
読書目安時間:約1時間11分
小説の本質 ある科学者がこういうことをいった——「科学に没頭していると人生の煩わしさを……人生そのものをも……忘れてしまう。科学は人生なしに成立する。それが、初めは淋しい気もしたが …
読書目安時間:約1時間11分
小説の本質 ある科学者がこういうことをいった——「科学に没頭していると人生の煩わしさを……人生そのものをも……忘れてしまう。科学は人生なしに成立する。それが、初めは淋しい気もしたが …
鯉(新字新仮名)
読書目安時間:約5分
五月末の或る晴れやかな日の午後四時頃、私は旧友N君と一緒に、帝国大学の中の大きな池の南側にある、小高いテラースの上の、藤棚の下の石のベンチに腰掛けていた。池の周囲には新緑の茂みが、 …
読書目安時間:約5分
五月末の或る晴れやかな日の午後四時頃、私は旧友N君と一緒に、帝国大学の中の大きな池の南側にある、小高いテラースの上の、藤棚の下の石のベンチに腰掛けていた。池の周囲には新緑の茂みが、 …
好意(新字新仮名)
読書目安時間:約40分
河野が八百円の金を無理算段して、吉岡の所へ返しに来たのは、何も、吉岡の死期が迫ってると信じて、今のうちに返済しておかなければ………とそういうつもりではないらしかった。河野の細君には …
読書目安時間:約40分
河野が八百円の金を無理算段して、吉岡の所へ返しに来たのは、何も、吉岡の死期が迫ってると信じて、今のうちに返済しておかなければ………とそういうつもりではないらしかった。河野の細君には …
好人物(新字新仮名)
読書目安時間:約22分
一、高木恒夫の告白 人生には、おかしなことがあるものだ。三千子は僕に対して、腹を立ててるようだが、それもおかしい。僕は彼女の意に逆らったことは一度もなく、すべて彼女の言いなり次第に …
読書目安時間:約22分
一、高木恒夫の告白 人生には、おかしなことがあるものだ。三千子は僕に対して、腹を立ててるようだが、それもおかしい。僕は彼女の意に逆らったことは一度もなく、すべて彼女の言いなり次第に …
香奠(新字新仮名)
読書目安時間:約47分
母上 今日は日曜日です。日曜日にふさわしい好天気です。家の者はみな、妻と子供達と女中と一同で、郊外に遊びに出かけて、私一人留守をしています。で私は、今日一日日向の縁側に寝転んで、あ …
読書目安時間:約47分
母上 今日は日曜日です。日曜日にふさわしい好天気です。家の者はみな、妻と子供達と女中と一同で、郊外に遊びに出かけて、私一人留守をしています。で私は、今日一日日向の縁側に寝転んで、あ …
交遊断片(新字新仮名)
読書目安時間:約10分
親疎さまざまの程度の友人達のことをぼんやり考えてみて、そのうちから、思い出すままの断片的印象を書き綴ってみることにする。随って、ごく親しい友人を書き落すこともあろうし、読者には訳の …
読書目安時間:約10分
親疎さまざまの程度の友人達のことをぼんやり考えてみて、そのうちから、思い出すままの断片的印象を書き綴ってみることにする。随って、ごく親しい友人を書き落すこともあろうし、読者には訳の …
コーカサスの禿鷹(新字新仮名)
読書目安時間:約9分
コーカサスに、一匹の大きな禿鷹がいました。仲間の者達と一緒に、高い山の頂に住んで、小鳥を取って食べたり、麓の方へ下りてきて、死んだ獣の肉をあさったりしていましたが、ある時ふと、ひょ …
読書目安時間:約9分
コーカサスに、一匹の大きな禿鷹がいました。仲間の者達と一緒に、高い山の頂に住んで、小鳥を取って食べたり、麓の方へ下りてきて、死んだ獣の肉をあさったりしていましたが、ある時ふと、ひょ …
故郷(新字新仮名)
読書目安時間:約4分
北海道胆振国に、洞爺湖という湖水がある。全体は殆んど円形に近く、保安林の立並んだ周辺九里、中央に一つ屹立している中島には、水辺より頂まで原生林が欝蒼と茂り、五号色の碧水が、最深度千 …
読書目安時間:約4分
北海道胆振国に、洞爺湖という湖水がある。全体は殆んど円形に近く、保安林の立並んだ周辺九里、中央に一つ屹立している中島には、水辺より頂まで原生林が欝蒼と茂り、五号色の碧水が、最深度千 …
故郷(新字新仮名)
読書目安時間:約8分
「もう遅すぎる、クレオンよ、わしの魂はもうテエベを去った。そして、わしを過去に結びつけていたあらゆる絆は断たれた。わしはもう国王ではない。富も、光栄も、我身さえも棄て去った、名もな …
読書目安時間:約8分
「もう遅すぎる、クレオンよ、わしの魂はもうテエベを去った。そして、わしを過去に結びつけていたあらゆる絆は断たれた。わしはもう国王ではない。富も、光栄も、我身さえも棄て去った、名もな …
黒点:――或る青年の「回想記」の一節――(新字新仮名)
読書目安時間:約1時間2分
前から分っていた通り、父は五十歳限り砲兵工廠を解職になった。 十二月末の、もう正月にも五日という、風の強い寒い日だった。父はいつになく早く帰ってきた。 「電気はまだか、薄暗くなって …
読書目安時間:約1時間2分
前から分っていた通り、父は五十歳限り砲兵工廠を解職になった。 十二月末の、もう正月にも五日という、風の強い寒い日だった。父はいつになく早く帰ってきた。 「電気はまだか、薄暗くなって …
湖水と彼等(新字新仮名)
読書目安時間:約25分
もう長い間の旅である——と、またもふと彼女は思う、四十年の過去をふり返って見ると茫として眼がかすむ。 顔を上げれば、向うまで深く湛えた湖水の面と青く研ぎ澄された空との間に、大きい銀 …
読書目安時間:約25分
もう長い間の旅である——と、またもふと彼女は思う、四十年の過去をふり返って見ると茫として眼がかすむ。 顔を上げれば、向うまで深く湛えた湖水の面と青く研ぎ澄された空との間に、大きい銀 …
孤独者の愛(新字新仮名)
読書目安時間:約18分
男嫌いだと言われる女もあれば、女嫌いだと言われる男もある。女嫌いの男に対して、天下の女性はどういう感じを持っておられるか、私は知らない。だが、男嫌いの女に対して、男の方では妙に気を …
読書目安時間:約18分
男嫌いだと言われる女もあれば、女嫌いだと言われる男もある。女嫌いの男に対して、天下の女性はどういう感じを持っておられるか、私は知らない。だが、男嫌いの女に対して、男の方では妙に気を …
古木:――近代説話――(新字新仮名)
読書目安時間:約24分
終戦後、柴田巳之助は公職を去り、自宅に籠りがちな日々を送りました。隙に任せ、大政翼賛会を中心とした戦時中の記録を綴りかけましたが、それも物憂くて、筆は渋りがちでありました。一方、時 …
読書目安時間:約24分
終戦後、柴田巳之助は公職を去り、自宅に籠りがちな日々を送りました。隙に任せ、大政翼賛会を中心とした戦時中の記録を綴りかけましたが、それも物憂くて、筆は渋りがちでありました。一方、時 …
蠱惑(新字新仮名)
読書目安時間:約28分
——私はその頃昼と夜の別々の心に生きていた。昼の私の生命は夜の方へ流れ込んでしまった。昼間は私にとって空虚な時間の連続にすぎなかった。其処には淡く煙った冬の日の明るみと、茫然とした …
読書目安時間:約28分
——私はその頃昼と夜の別々の心に生きていた。昼の私の生命は夜の方へ流れ込んでしまった。昼間は私にとって空虚な時間の連続にすぎなかった。其処には淡く煙った冬の日の明るみと、茫然とした …
子を奪う(新字新仮名)
読書目安時間:約1時間19分
兎に角、母が一人で行ってくれたのが、彼には嬉しかった。普通なら、いつも間にはいって面倒をみてる伯父が、当然その役目をすべきだが、「女は女同志の方が話がしよいから、」と幾代は主張した …
読書目安時間:約1時間19分
兎に角、母が一人で行ってくれたのが、彼には嬉しかった。普通なら、いつも間にはいって面倒をみてる伯父が、当然その役目をすべきだが、「女は女同志の方が話がしよいから、」と幾代は主張した …
在学理由(新字新仮名)
読書目安時間:約21分
某私立大学の法学部で植民政策の講義を担任してる矢杉は、或る時、その学校で発行されてる大学新聞の座談会に出席したが、座談会も終り、暫く雑談が続き、もう散会という間際になって、まだ嘗て …
読書目安時間:約21分
某私立大学の法学部で植民政策の講義を担任してる矢杉は、或る時、その学校で発行されてる大学新聞の座談会に出席したが、座談会も終り、暫く雑談が続き、もう散会という間際になって、まだ嘗て …
最近の菊池寛氏(新字新仮名)
読書目安時間:約3分
——菊池君は屡々瞬きをする。人の云った言葉に対して、自分の云った言葉に対して、または周囲の事物に対して、心のうちに何等かの愛情が動く時、あの眼鏡の奥の、小さな底深い可愛いい眼が、ぱ …
読書目安時間:約3分
——菊池君は屡々瞬きをする。人の云った言葉に対して、自分の云った言葉に対して、または周囲の事物に対して、心のうちに何等かの愛情が動く時、あの眼鏡の奥の、小さな底深い可愛いい眼が、ぱ …
坂田の場合:――「小悪魔の記録」――(新字新仮名)
読書目安時間:約29分
坂田さん、じゃあない、坂田、とこう呼びずてにしなければならないようなものが、俺のうちにある。というのはつまり、彼自身のうちにあるのだ。 母親がまだ達者で、二人の女中を使って家事一切 …
読書目安時間:約29分
坂田さん、じゃあない、坂田、とこう呼びずてにしなければならないようなものが、俺のうちにある。というのはつまり、彼自身のうちにあるのだ。 母親がまだ達者で、二人の女中を使って家事一切 …
作者の住む世界(新字新仮名)
読書目安時間:約3分
或る雑誌記者がこんなことを云った——「新進作家に少し書いて貰おうと思って、さて誰に頼んだらよいかと考えてみると、結局誰にしても同じだという気がして、考えるのも厄介になってくる。そう …
読書目安時間:約3分
或る雑誌記者がこんなことを云った——「新進作家に少し書いて貰おうと思って、さて誰に頼んだらよいかと考えてみると、結局誰にしても同じだという気がして、考えるのも厄介になってくる。そう …
作品の倫理的批評(新字新仮名)
読書目安時間:約5分
私は今茲に作品の倫理的批評に就いて一二のことを云ってみたい。此の頃大分倫理的批評ということが人の口に上ってきたし、また将来も益々深く進んでゆかなければならないと思うので。但し茲で云 …
読書目安時間:約5分
私は今茲に作品の倫理的批評に就いて一二のことを云ってみたい。此の頃大分倫理的批評ということが人の口に上ってきたし、また将来も益々深く進んでゆかなければならないと思うので。但し茲で云 …
作家的思想(新字新仮名)
読書目安時間:約14分
優れた作品にじっと眼を注ぐ時、いろいろな想念が浮んでくる。それらの想念は、直ちに文学論或は芸術論になるものではない。そういうものになす前に、先ず突破しなければならないところの、また …
読書目安時間:約14分
優れた作品にじっと眼を注ぐ時、いろいろな想念が浮んでくる。それらの想念は、直ちに文学論或は芸術論になるものではない。そういうものになす前に、先ず突破しなければならないところの、また …
砂漠の情熱(新字新仮名)
読書目安時間:約7分
バルザックは「砂漠の情熱」という短篇のなかで、砂漠をさ迷う一兵士が一頭の雌豹に出逢い、生命を賭したふざけ方をしながら数日過すことを、描いている。描いているというよりも寧ろ、恐らくは …
読書目安時間:約7分
バルザックは「砂漠の情熱」という短篇のなかで、砂漠をさ迷う一兵士が一頭の雌豹に出逢い、生命を賭したふざけ方をしながら数日過すことを、描いている。描いているというよりも寧ろ、恐らくは …
山上湖(新字新仮名)
読書目安時間:約22分
十月の半ばをちょっと過ぎたばかりで、湖水をかこむ彼方の山々の峯には、仄白く見えるほどに雪が降った。翌日からは南の風で少し温く、空晴れて、宵に大きな月がでた。 「まあ、きれいな月…… …
読書目安時間:約22分
十月の半ばをちょっと過ぎたばかりで、湖水をかこむ彼方の山々の峯には、仄白く見えるほどに雪が降った。翌日からは南の風で少し温く、空晴れて、宵に大きな月がでた。 「まあ、きれいな月…… …
椎の木(新字新仮名)
読書目安時間:約52分
牧野良一は、奥日光の旅から帰ると、ゆっくり四五日かかって、書信の整理をしたり、勉強のプランをたてたりして、それから、まっさきに、川村さんを訪れてみた。 川村さんはもう五十近い年頃で …
読書目安時間:約52分
牧野良一は、奥日光の旅から帰ると、ゆっくり四五日かかって、書信の整理をしたり、勉強のプランをたてたりして、それから、まっさきに、川村さんを訪れてみた。 川村さんはもう五十近い年頃で …
椎の木(新字新仮名)
読書目安時間:約13分
がけの上のひろい庭に、大きな椎の木がありました。何百年たったかわからない、古い大きな木でした。根かぶが張りひろがり、幹がまっすぐにつき立ち、頂の方は、古枝が枯れ落ちて、新たな小枝が …
読書目安時間:約13分
がけの上のひろい庭に、大きな椎の木がありました。何百年たったかわからない、古い大きな木でした。根かぶが張りひろがり、幹がまっすぐにつき立ち、頂の方は、古枝が枯れ落ちて、新たな小枝が …
死因の疑問(新字新仮名)
読書目安時間:約27分
二月になって、思いがけなく、東京地方に大雪が見舞った。夕方から降り出したのが、夜にはひどい吹雪となり、翌朝は止んでいたが、見渡す限り地上一面に真白。吹雪のこととて、積りかたはさまざ …
読書目安時間:約27分
二月になって、思いがけなく、東京地方に大雪が見舞った。夕方から降り出したのが、夜にはひどい吹雪となり、翌朝は止んでいたが、見渡す限り地上一面に真白。吹雪のこととて、積りかたはさまざ …
潮風:――「小悪魔の記録」――(新字新仮名)
読書目安時間:約25分
棚の上に、支那の陶器の花瓶があった。いつも使われることがないので、俺はその中に綿をもちこんで、安楽な居場所を拵えておいた。その晩も、夜遅く、その中にはいってうとうとしていると、急に …
読書目安時間:約25分
棚の上に、支那の陶器の花瓶があった。いつも使われることがないので、俺はその中に綿をもちこんで、安楽な居場所を拵えておいた。その晩も、夜遅く、その中にはいってうとうとしていると、急に …
塩花(新字新仮名)
読書目安時間:約25分
爪の先を、鑢で丹念にみがきながら、山口専次郎は快心の微笑を浮かべた。 ——盲目的に恋する者はいざ知らず、意識的に恋をする者は……。 この、意識的に恋をするという自覚が、なにか誇らし …
読書目安時間:約25分
爪の先を、鑢で丹念にみがきながら、山口専次郎は快心の微笑を浮かべた。 ——盲目的に恋する者はいざ知らず、意識的に恋をする者は……。 この、意識的に恋をするという自覚が、なにか誇らし …
死刑囚最後の日解説(新字新仮名)
読書目安時間:約3分
『死刑囚最後の日』 は、ヴィクトル・ユーゴー(Victor Hugo)の一八二九年の作である。作者は数え年で二十八歳、元気溌剌たる時であって、既に詩集二冊と戯曲『クロムウェル』とを …
読書目安時間:約3分
『死刑囚最後の日』 は、ヴィクトル・ユーゴー(Victor Hugo)の一八二九年の作である。作者は数え年で二十八歳、元気溌剌たる時であって、既に詩集二冊と戯曲『クロムウェル』とを …
「自然」(新字新仮名)
読書目安時間:約5分
私の家の東側は、低い崖地になっている。崖下の地先まで六七間、二三の段階をなしてる傾斜である。数本の落葉樹が新緑の枝葉を交差し、小鳥の往来繁く、地面には落葉積り、雑草生い茂り、昆虫類 …
読書目安時間:約5分
私の家の東側は、低い崖地になっている。崖下の地先まで六七間、二三の段階をなしてる傾斜である。数本の落葉樹が新緑の枝葉を交差し、小鳥の往来繁く、地面には落葉積り、雑草生い茂り、昆虫類 …
失策記(新字新仮名)
読書目安時間:約9分
外出間際の来客は、気の置けない懇意な人で、一緒に外を歩きながら話の出来る、そういうのが最もよい。ところが、初対面の、どういう用件か人柄かも分らず、ふだんなら面会を断るかも知れないよ …
読書目安時間:約9分
外出間際の来客は、気の置けない懇意な人で、一緒に外を歩きながら話の出来る、そういうのが最もよい。ところが、初対面の、どういう用件か人柄かも分らず、ふだんなら面会を断るかも知れないよ …
死ね!(新字新仮名)
読書目安時間:約18分
私と彼とは切っても切れない縁故があるのだが、逢うことはそう屡々ではない。私はいつもひどく忙しい。貧乏で、わき目もふらず働き続けなければ、飯が食えないのだ。ところが彼は、いつも隙だ。 …
読書目安時間:約18分
私と彼とは切っても切れない縁故があるのだが、逢うことはそう屡々ではない。私はいつもひどく忙しい。貧乏で、わき目もふらず働き続けなければ、飯が食えないのだ。ところが彼は、いつも隙だ。 …
死の前後(新字新仮名)
読書目安時間:約35分
その朝、女中はいつもより遅く眼をさまして、本能的に遅いのを知ると、あわててとび起きた。いつもは、側にねているおしげが、眼ざまし時計のように正確に起上って、彼女を呼びさますのだったが …
読書目安時間:約35分
その朝、女中はいつもより遅く眼をさまして、本能的に遅いのを知ると、あわててとび起きた。いつもは、側にねているおしげが、眼ざまし時計のように正確に起上って、彼女を呼びさますのだったが …
シャボン玉(新字旧仮名)
読書目安時間:約12分
むかし、トルコに、ハボンスといふ手品師がゐました。三角の帽子をかぶり、赤や青の着物を着、一人の子供をつれて、田舎の町々を廻り歩きました。そして町の広場にむしろをひろげて、いろんな手 …
読書目安時間:約12分
むかし、トルコに、ハボンスといふ手品師がゐました。三角の帽子をかぶり、赤や青の着物を着、一人の子供をつれて、田舎の町々を廻り歩きました。そして町の広場にむしろをひろげて、いろんな手 …
ジャン・クリストフ:01 序(新字新仮名)
読書目安時間:約13分
フランス大革命を頂点とする十八世紀より十九世紀への一大転向、隷属的封建制度の瓦解と自由統一的立憲制度の成育とは、新世界をもたらすものと考えられていた。そして実際新世界は開かれた。し …
読書目安時間:約13分
フランス大革命を頂点とする十八世紀より十九世紀への一大転向、隷属的封建制度の瓦解と自由統一的立憲制度の成育とは、新世界をもたらすものと考えられていた。そして実際新世界は開かれた。し …
ジャン・クリストフ:02 改訳について(新字新仮名)
読書目安時間:約4分
「ジャン・クリストフ」は、初めカイエ・ド・ラ・キャンゼーヌ中の十七冊として発表され、次で十冊の書物として刊行されていたが、一九二一年に、改訂版四冊として再刊された。そのさい作者は、 …
読書目安時間:約4分
「ジャン・クリストフ」は、初めカイエ・ド・ラ・キャンゼーヌ中の十七冊として発表され、次で十冊の書物として刊行されていたが、一九二一年に、改訂版四冊として再刊された。そのさい作者は、 …
ジャン・クリストフ:13 後記(新字新仮名)
読書目安時間:約19分
訳者 改訳の筆を擱くに当たって、私は最初読者になした約束を果たさなければならない。すなわち、ロマン・ローラン全集版の「ジャン・クリストフ」についている作者の緒言の翻訳である。 この …
読書目安時間:約19分
訳者 改訳の筆を擱くに当たって、私は最初読者になした約束を果たさなければならない。すなわち、ロマン・ローラン全集版の「ジャン・クリストフ」についている作者の緒言の翻訳である。 この …
ジャングル頭(新字新仮名)
読書目安時間:約7分
夜の東京の、新宿駅付近や、上野不忍池付近は、一種のジャングル地帯だと言われる。酔客、ヨタモノ、パンスケ、男娼、などなどの怪物が横行していて、常人は足をふみ入れかねる。このジャングル …
読書目安時間:約7分
夜の東京の、新宿駅付近や、上野不忍池付近は、一種のジャングル地帯だと言われる。酔客、ヨタモノ、パンスケ、男娼、などなどの怪物が横行していて、常人は足をふみ入れかねる。このジャングル …
上海の渋面(新字新仮名)
読書目安時間:約16分
上海の顔貌はなかなか捉え難い。 上海には二十数ヶ国の国民が居住していて、現在の人口は四百万以上だと云われている。このうち固より大多数を占める支那人中には、戦火を避けて租界に遁入して …
読書目安時間:約16分
上海の顔貌はなかなか捉え難い。 上海には二十数ヶ国の国民が居住していて、現在の人口は四百万以上だと云われている。このうち固より大多数を占める支那人中には、戦火を避けて租界に遁入して …
十一谷義三郎を語る(新字新仮名)
読書目安時間:約10分
十一谷君とは大正十年以來の交誼を得ていたが、その間の十一谷君と切り離せないものは、碁、麻雀、煙草、古い反故るい……。 十一谷君が同人雑誌「行路」の一員だった頃、やはりその同人の一人 …
読書目安時間:約10分
十一谷君とは大正十年以來の交誼を得ていたが、その間の十一谷君と切り離せないものは、碁、麻雀、煙草、古い反故るい……。 十一谷君が同人雑誌「行路」の一員だった頃、やはりその同人の一人 …
自由主義私見(新字新仮名)
読書目安時間:約7分
自由主義は、行動方針の問題ではなくて、生活態度の問題である。実践的動向の向うにある目的ではなくて、生活それ自体の翹望である。翹望である以上、固より、対象として「自由」を持つものでは …
読書目安時間:約7分
自由主義は、行動方針の問題ではなくて、生活態度の問題である。実践的動向の向うにある目的ではなくて、生活それ自体の翹望である。翹望である以上、固より、対象として「自由」を持つものでは …
自由人(新字新仮名)
読書目安時間:約2時間20分
悲しみにこそ生きむ 楽しさにこそ死なむ この二つの文句が、どうしてこんなにわたしの心を乱すのであろうか。二つが妖しく絡みあい、わたしの胸に忍びこみ、わたしの心を緊めつけて……誘うの …
読書目安時間:約2時間20分
悲しみにこそ生きむ 楽しさにこそ死なむ この二つの文句が、どうしてこんなにわたしの心を乱すのであろうか。二つが妖しく絡みあい、わたしの胸に忍びこみ、わたしの心を緊めつけて……誘うの …
春盲(新字新仮名)
読書目安時間:約17分
終戦後、東京都内にも小鳥がたいへん多くなった。殊に山の手の住宅街にそうである。空襲による焼野原が至るところに拡がっていて、人家はまだ点在的にしか建っておらず、植えられた樹木も灌木の …
読書目安時間:約17分
終戦後、東京都内にも小鳥がたいへん多くなった。殊に山の手の住宅街にそうである。空襲による焼野原が至るところに拡がっていて、人家はまだ点在的にしか建っておらず、植えられた樹木も灌木の …
情意の干満(新字新仮名)
読書目安時間:約6分
海の潮にも似たる干満を、私は自分の情意に感ずる。 * 書物を読み、絵画を見、音楽を聴き、人の話に耳を傾け……而もそれが如何に平凡なものであろうとも、一つの句、一つの色、一つの音、一 …
読書目安時間:約6分
海の潮にも似たる干満を、私は自分の情意に感ずる。 * 書物を読み、絵画を見、音楽を聴き、人の話に耳を傾け……而もそれが如何に平凡なものであろうとも、一つの句、一つの色、一つの音、一 …
正覚坊(新字新仮名)
読書目安時間:約12分
正覚坊というのは、海にいる大きな亀のことです。地引網を引く時に、どうかするとこの亀が網にはいってくることがあります。すると漁夫達は、それを正覚坊がかかったと言って大騒ぎをします。正 …
読書目安時間:約12分
正覚坊というのは、海にいる大きな亀のことです。地引網を引く時に、どうかするとこの亀が網にはいってくることがあります。すると漁夫達は、それを正覚坊がかかったと言って大騒ぎをします。正 …
条件反射(新字新仮名)
読書目安時間:約6分
煙草 煙草の好きな某大学教授が、軽い肺尖カタルにかかった。煙草は何よりも病気にさわるというので、医者は禁煙か然らずんば節煙を命じ、家人たちもそれを懇望し、本人もその決心をした。とこ …
読書目安時間:約6分
煙草 煙草の好きな某大学教授が、軽い肺尖カタルにかかった。煙草は何よりも病気にさわるというので、医者は禁煙か然らずんば節煙を命じ、家人たちもそれを懇望し、本人もその決心をした。とこ …
常識(新字新仮名)
読書目安時間:約33分
富永郁子よ、私は今や、あらゆるものから解き放された自由な自分の魂を感ずるから、凡てを語ろう。語ることは、あなたに別れを告げることに外ならない。別れを告げる時になってほんとに凡てを語 …
読書目安時間:約33分
富永郁子よ、私は今や、あらゆるものから解き放された自由な自分の魂を感ずるから、凡てを語ろう。語ることは、あなたに別れを告げることに外ならない。別れを告げる時になってほんとに凡てを語 …
小説集「白い朝」後記(新字新仮名)
読書目安時間:約1分
茲に収められてるものは、都会の知識階級のおかしな物語である。これらの物語はみな、小悪魔の角度から眺められた。小悪魔は虚構の人物であるが、この場合、必要な創作技法であり、モラール探求 …
読書目安時間:約1分
茲に収められてるものは、都会の知識階級のおかしな物語である。これらの物語はみな、小悪魔の角度から眺められた。小悪魔は虚構の人物であるが、この場合、必要な創作技法であり、モラール探求 …
小説集「秦の憂愁」後記(新字新仮名)
読書目安時間:約2分
戦乱の期間中、私は幾度か中華民国に旅して、おもに上海に滞留した。そして彼地の有力な精神の代表者の一人として、秦啓源を捉えた。その生活や思想や人柄に、或は逆に私の方が捉えられたのかも …
読書目安時間:約2分
戦乱の期間中、私は幾度か中華民国に旅して、おもに上海に滞留した。そして彼地の有力な精神の代表者の一人として、秦啓源を捉えた。その生活や思想や人柄に、或は逆に私の方が捉えられたのかも …
小説集「聖女人像」後記(新字新仮名)
読書目安時間:約4分
終戦後私は、普通の小説を少しく書き、近代説話と自称する小説を多く書いた。この近代説話ものについては、聊か特殊の意図があったのである。 いったい、短篇小説では、作者が真に言いたいこと …
読書目安時間:約4分
終戦後私は、普通の小説を少しく書き、近代説話と自称する小説を多く書いた。この近代説話ものについては、聊か特殊の意図があったのである。 いったい、短篇小説では、作者が真に言いたいこと …
小説集「白蛾」後記(新字新仮名)
読書目安時間:約2分
ここに収めた作品はみな、近代説話として書いたものばかりである。近代説話というのは、私が勝手に造った名前で、或る一種の創作方法で書かれたもののことを指す。 終戦後、物が自由に書けるよ …
読書目安時間:約2分
ここに収めた作品はみな、近代説話として書いたものばかりである。近代説話というのは、私が勝手に造った名前で、或る一種の創作方法で書かれたもののことを指す。 終戦後、物が自由に書けるよ …
小説集「白塔の歌」後記(新字新仮名)
読書目安時間:約2分
本書に収められてる六つの小説は、みな、「近代伝説」として書かれたものである。 近代伝説とは、茲では、或る創作方法を謂うのであり、随って、作品の或る性格を謂うのである。 小説の苦渋が …
読書目安時間:約2分
本書に収められてる六つの小説は、みな、「近代伝説」として書かれたものである。 近代伝説とは、茲では、或る創作方法を謂うのであり、随って、作品の或る性格を謂うのである。 小説の苦渋が …
小説集「山吹の花」後記(新字新仮名)
読書目安時間:約1分
短篇集を一冊まとめるについて、作品をあれこれ物色してるうちに、つい、近作ばかり集める結果となってしまった。時間的に距離の近いものほど、感情のつながりが濃いからであろうか。その代り、 …
読書目安時間:約1分
短篇集を一冊まとめるについて、作品をあれこれ物色してるうちに、つい、近作ばかり集める結果となってしまった。時間的に距離の近いものほど、感情のつながりが濃いからであろうか。その代り、 …
小説中の女(新字新仮名)
読書目安時間:約16分
その日私は、鎌倉の友人の家で半日遊び暮して、「明日の朝から小説を書かなければならない」ので、泊ってゆけと勧められるのを無理に辞し去って、急いで停車場へ駆けつけ、八時四十何分かの東京 …
読書目安時間:約16分
その日私は、鎌倉の友人の家で半日遊び暮して、「明日の朝から小説を書かなければならない」ので、泊ってゆけと勧められるのを無理に辞し去って、急いで停車場へ駆けつけ、八時四十何分かの東京 …
小説の内容論(新字新仮名)
読書目安時間:約9分
小説の書かれたる内容が問題となってもいい位に、吾国の小説界は進んでいると思う。またそれを問題となさなければならない位に、小説界は或る壁に突き当っていると思う。 私は今、「書かれたる …
読書目安時間:約9分
小説の書かれたる内容が問題となってもいい位に、吾国の小説界は進んでいると思う。またそれを問題となさなければならない位に、小説界は或る壁に突き当っていると思う。 私は今、「書かれたる …
小説・評論集「文学母胎」後記(新字新仮名)
読書目安時間:約2分
本書の性質を一言しておく。 私は嘗て、李永泰なる人物を見まもっていた。彼の時折の行動について、四つの短篇小説を書いた。最後に、彼の決定的発展段階を示す中篇或は長篇を、書くつもりでい …
読書目安時間:約2分
本書の性質を一言しておく。 私は嘗て、李永泰なる人物を見まもっていた。彼の時折の行動について、四つの短篇小説を書いた。最後に、彼の決定的発展段階を示す中篇或は長篇を、書くつもりでい …
少年の死(新字新仮名)
読書目安時間:約27分
十一月のはじめ夜遅く馬喰町の附近で、電車に触れて惨死した少年があった。それが小石川白山に住む大工金次郎のうちの小僧庄吉だと分ったのは、事変の二日後であった。惨死はこの少年の手ではど …
読書目安時間:約27分
十一月のはじめ夜遅く馬喰町の附近で、電車に触れて惨死した少年があった。それが小石川白山に住む大工金次郎のうちの小僧庄吉だと分ったのは、事変の二日後であった。惨死はこの少年の手ではど …
少年文学私見(新字新仮名)
読書目安時間:約8分
現今の少年は、非常に明るい眼をもっている、空想は空想として働かしながらも、事実のあるがままの姿を、大袈裟に云えば現実を、じっと眺めそして見て取るだけの視力をもっている。これは、実証 …
読書目安時間:約8分
現今の少年は、非常に明るい眼をもっている、空想は空想として働かしながらも、事実のあるがままの姿を、大袈裟に云えば現実を、じっと眺めそして見て取るだけの視力をもっている。これは、実証 …
食慾(新字新仮名)
読書目安時間:約20分
同じ高原でも、沓掛の方は軽井沢より、霧も浅く湿気も少ないので、私の身体にはよいだろうと、そう野口は申しましたが、実際、私もそのように感じました。けれども、私の身体によろしいのと同じ …
読書目安時間:約20分
同じ高原でも、沓掛の方は軽井沢より、霧も浅く湿気も少ないので、私の身体にはよいだろうと、そう野口は申しましたが、実際、私もそのように感じました。けれども、私の身体によろしいのと同じ …
初秋海浜記(新字新仮名)
読書目安時間:約8分
仕事をするつもりで九十九里の海岸に来て、沼や川や磯を毎日飛び廻ってるうちに、頭が潮風にふやけてしまって、仕事はなかなかはかどらず、さりとて東京へ帰る気もしないで、一日一日をぼんやり …
読書目安時間:約8分
仕事をするつもりで九十九里の海岸に来て、沼や川や磯を毎日飛び廻ってるうちに、頭が潮風にふやけてしまって、仕事はなかなかはかどらず、さりとて東京へ帰る気もしないで、一日一日をぼんやり …
庶民生活(新字新仮名)
読書目安時間:約21分
自動車やトラックやいろいろな事輌が通る広い坂道があった。可なり急な坂で、車の滑りを防ぐためにでこぼこの鋪装がしてあった。自転車の達者な者は、一気に走り降りることも出来たが、昇りはみ …
読書目安時間:約21分
自動車やトラックやいろいろな事輌が通る広い坂道があった。可なり急な坂で、車の滑りを防ぐためにでこぼこの鋪装がしてあった。自転車の達者な者は、一気に走り降りることも出来たが、昇りはみ …
白藤:――近代説話――(新字新仮名)
読書目安時間:約16分
草光保治は、戦時中に動員されて外地へ渡り、終戦後復員されて、二ヶ年半ぶりに東京へ戻ってきました。 「東京もずいぶん変ったでしょう。」 戦争の話やその他の話の末、周囲の者がきまって彼 …
読書目安時間:約16分
草光保治は、戦時中に動員されて外地へ渡り、終戦後復員されて、二ヶ年半ぶりに東京へ戻ってきました。 「東京もずいぶん変ったでしょう。」 戦争の話やその他の話の末、周囲の者がきまって彼 …
白い朝:――「正夫の童話」――(新字新仮名)
読書目安時間:約35分
芝田さんの家の門は、ちょっと風変りです。その辺は屋敷町で、コンクリートの塀や、鉄格子の門扉や、御影石の門柱などが多く、至って近代的なのですが、そのなかに、道路より少しひっこんで、高 …
読書目安時間:約35分
芝田さんの家の門は、ちょっと風変りです。その辺は屋敷町で、コンクリートの塀や、鉄格子の門扉や、御影石の門柱などが多く、至って近代的なのですが、そのなかに、道路より少しひっこんで、高 …
白蛾:――近代説話――(新字新仮名)
読書目安時間:約22分
住居から谷一つ距てた高台の向う裾を走る省線電車まで、徒歩で約二十分ばかりの距離を、三十分ほどもかけてゆっくりと、岸本省平は毎日歩きました。それは通勤の往復というよりは、散歩に似てい …
読書目安時間:約22分
住居から谷一つ距てた高台の向う裾を走る省線電車まで、徒歩で約二十分ばかりの距離を、三十分ほどもかけてゆっくりと、岸本省平は毎日歩きました。それは通勤の往復というよりは、散歩に似てい …
シロ・クロ物語(新字旧仮名)
読書目安時間:約41分
南洋のある半島の港です。太陽がてりつけて、暑い、けれどさはやかです。木がこんもりとしげり、椰子や棕櫚が、からかさのやうに葉をひろげて、いろんな花がさきほこつてゐます。 その港町の、 …
読書目安時間:約41分
南洋のある半島の港です。太陽がてりつけて、暑い、けれどさはやかです。木がこんもりとしげり、椰子や棕櫚が、からかさのやうに葉をひろげて、いろんな花がさきほこつてゐます。 その港町の、 …
新時代の「童話」(新字新仮名)
読書目安時間:約6分
それを二十世紀的と云おうと、現代と云おうと、或は新時代と云おうと、言葉はどうでもよろしいが、過去と現在との間に一種の距離を感じ、歴史の必然的なるべき推移のうちに一種の飛躍を感ずる、 …
読書目安時間:約6分
それを二十世紀的と云おうと、現代と云おうと、或は新時代と云おうと、言葉はどうでもよろしいが、過去と現在との間に一種の距離を感じ、歴史の必然的なるべき推移のうちに一種の飛躍を感ずる、 …
秦の出発(新字新仮名)
読書目安時間:約30分
喧騒の都市上海の目貫の場所にも、思わぬところに閑静な一隅がある。円明園路の松崎の事務所もその一つだ。街路には通行人の姿さえ見えないことがあり、煙草の屋台店がぽつねんとして——私はい …
読書目安時間:約30分
喧騒の都市上海の目貫の場所にも、思わぬところに閑静な一隅がある。円明園路の松崎の事務所もその一つだ。街路には通行人の姿さえ見えないことがあり、煙草の屋台店がぽつねんとして——私はい …
秦の憂愁(新字新仮名)
読書目安時間:約19分
星野武夫が上海に来て、中国人のうちで最も逢いたいと思ったのは秦啓源であった。だが秦啓源は、謂わば上海の市中に潜居してるもののようで、その消息がよく分らなかった。 星野は中日文化協会 …
読書目安時間:約19分
星野武夫が上海に来て、中国人のうちで最も逢いたいと思ったのは秦啓源であった。だが秦啓源は、謂わば上海の市中に潜居してるもののようで、その消息がよく分らなかった。 星野は中日文化協会 …
神話と青春との復活(新字新仮名)
読書目安時間:約8分
内に漲る力、中から盛りあがってくる精神が、新たな建設には必須の条件である。大東亜に新たな文化が要望せられるとすれば——更に、少しく局限して、新たな文芸が要望せられるとすれば、その建 …
読書目安時間:約8分
内に漲る力、中から盛りあがってくる精神が、新たな建設には必須の条件である。大東亜に新たな文化が要望せられるとすれば——更に、少しく局限して、新たな文芸が要望せられるとすれば、その建 …
随筆評論集「書かれざる作品」後記(新字新仮名)
読書目安時間:約1分
本書に収められてる文章は、大正十四年から昭和八年までの間に、折にふれて書かれたものである。そして、昨年とか今月とかいうような言葉が散見されるし、時日が事柄と重要な関係を持つものもあ …
読書目安時間:約1分
本書に収められてる文章は、大正十四年から昭和八年までの間に、折にふれて書かれたものである。そして、昨年とか今月とかいうような言葉が散見されるし、時日が事柄と重要な関係を持つものもあ …
随筆評論集「情意の干満」後記(新字新仮名)
読書目安時間:約2分
本書に収められてるものは、私が書いたすべての随筆や感想の中から選択されたものである。——但し、このすべてということには、聊かの制限がある。終戦後に書かれたものを中心とする随筆感想集 …
読書目安時間:約2分
本書に収められてるものは、私が書いたすべての随筆や感想の中から選択されたものである。——但し、このすべてということには、聊かの制限がある。終戦後に書かれたものを中心とする随筆感想集 …
随筆評論集「文学以前」後記(新字新仮名)
読書目安時間:約2分
感想や随筆の類は、折にふれて書いてるようでいて、いざ一冊の書物にまとめるとなると、わりに分量が少いものである。殊に、書物に収録するに堪えられず、反古として捨てなければならないような …
読書目安時間:約2分
感想や随筆の類は、折にふれて書いてるようでいて、いざ一冊の書物にまとめるとなると、わりに分量が少いものである。殊に、書物に収録するに堪えられず、反古として捨てなければならないような …
スミトラ物語(新字旧仮名)
読書目安時間:約31分
むかし、インドのある町に、時々、飴うりの爺さんが出てきまして、子供たちにおもしろい話をしてきかせて、うまいまつ白な飴をうつてくれました。大きな大黒帽をかぶり、黒い衣をき、白いながい …
読書目安時間:約31分
むかし、インドのある町に、時々、飴うりの爺さんが出てきまして、子供たちにおもしろい話をしてきかせて、うまいまつ白な飴をうつてくれました。大きな大黒帽をかぶり、黒い衣をき、白いながい …
生あらば(新字新仮名)
読書目安時間:約47分
十一月から病床に横わった光子の容態は、三月になっても殆んど先の見当がつかなかった。三十九度内外の熱が少し静まると、胸の疼痛が来たり、または激しい咳に襲われたりした。咳が少しいいと思 …
読書目安時間:約47分
十一月から病床に横わった光子の容態は、三月になっても殆んど先の見当がつかなかった。三十九度内外の熱が少し静まると、胸の疼痛が来たり、または激しい咳に襲われたりした。咳が少しいいと思 …
性格批判の問題(新字新仮名)
読書目安時間:約16分
旅にあって、吾々は、山川の美のみに満足する風流気から、よほど遠くにある。事前には、土地の眺望や快適について、いろいろ気にするけれど、いざ旅に出てみると、自然そのものの風趣は、吾々の …
読書目安時間:約16分
旅にあって、吾々は、山川の美のみに満足する風流気から、よほど遠くにある。事前には、土地の眺望や快適について、いろいろ気にするけれど、いざ旅に出てみると、自然そのものの風趣は、吾々の …
性格を求む(新字新仮名)
読書目安時間:約8分
クロポトキンは、チェーホフについて次のようなことを云っている。—— 若し社会の進化に何等かの理論があるものとすれば、文学が新たな方向を取り、既に人生に芽ぐみつつあるところの新たなタ …
読書目安時間:約8分
クロポトキンは、チェーホフについて次のようなことを云っている。—— 若し社会の進化に何等かの理論があるものとすれば、文学が新たな方向を取り、既に人生に芽ぐみつつあるところの新たなタ …
生活について(新字新仮名)
読書目安時間:約10分
人の生活には、一の方向が必要である。 生活の方向とは、云い換えれば、生活する者の頭の方向、眼の方向、従ってまた、仕事の方向などを、一緒にした総称である。更に云い換えれば、自分の一生 …
読書目安時間:約10分
人の生活には、一の方向が必要である。 生活の方向とは、云い換えれば、生活する者の頭の方向、眼の方向、従ってまた、仕事の方向などを、一緒にした総称である。更に云い換えれば、自分の一生 …
生と死との記録(新字新仮名)
読書目安時間:約39分
十月十八日、空が晴れて日の光りが麗しかった。十二時少し過ぎ、私はHの停留場で電車を下りて家へ歩いて行った。賑かなM町通りを通っていると、ふと私は堯に玩具を買って行ってやろうかと思っ …
読書目安時間:約39分
十月十八日、空が晴れて日の光りが麗しかった。十二時少し過ぎ、私はHの停留場で電車を下りて家へ歩いて行った。賑かなM町通りを通っていると、ふと私は堯に玩具を買って行ってやろうかと思っ …
聖女人像(新字新仮名)
読書目安時間:約28分
深々と、然し霧のように軽く、闇のたれこめている夜……月の光りは固よりなく、星の光りも定かならず、晴曇さえも分からず、そよとの風もなく、木々の葉もみなうなだれ眠っている……そういう真 …
読書目安時間:約28分
深々と、然し霧のように軽く、闇のたれこめている夜……月の光りは固よりなく、星の光りも定かならず、晴曇さえも分からず、そよとの風もなく、木々の葉もみなうなだれ眠っている……そういう真 …
絶縁体(新字新仮名)
読書目安時間:約38分
市木さんといえば、近所の人たちはたいてい知っていた。それも、近所づきあいをするとか、気軽に話しかけるとか、いうのではなかった。また、市木さんが世間的に有名だからでもなかった。往来で …
読書目安時間:約38分
市木さんといえば、近所の人たちはたいてい知っていた。それも、近所づきあいをするとか、気軽に話しかけるとか、いうのではなかった。また、市木さんが世間的に有名だからでもなかった。往来で …
操守(新字新仮名)
読書目安時間:約19分
吉乃は、いつものんきで明るかった。だから或る男たちは、彼女をつまらないと云った。のんきで明るいだけなら、人形と同じだ。人形を相手に遊ぶのは、子供か老人——ロマンチックな初心者か、す …
読書目安時間:約19分
吉乃は、いつものんきで明るかった。だから或る男たちは、彼女をつまらないと云った。のんきで明るいだけなら、人形と同じだ。人形を相手に遊ぶのは、子供か老人——ロマンチックな初心者か、す …
早春(新字新仮名)
読書目安時間:約19分
もともと、おれは北川さんとは何の縁故もない。街で偶然出逢っただけのことだ。 牛の煮込み……といっても、おもに豚の腸や胃や食道、特別には肝臓と心臓、そのこま切れを竹串にさして、鉄鍋で …
読書目安時間:約19分
もともと、おれは北川さんとは何の縁故もない。街で偶然出逢っただけのことだ。 牛の煮込み……といっても、おもに豚の腸や胃や食道、特別には肝臓と心臓、そのこま切れを竹串にさして、鉄鍋で …
蘇生(新字新仮名)
読書目安時間:約31分
人物 高木敬助………二十四歳、大学生 中西省吾………二十五歳、大学生、敬助と同居人 山根慶子………二十一歳、敬助の自殺せる恋人 同秋子………十八歳、慶子の妹 村田八重子………二十一 …
読書目安時間:約31分
人物 高木敬助………二十四歳、大学生 中西省吾………二十五歳、大学生、敬助と同居人 山根慶子………二十一歳、敬助の自殺せる恋人 同秋子………十八歳、慶子の妹 村田八重子………二十一 …
大自然を讃う(新字新仮名)
読書目安時間:約4分
人の生活に最も大事なのは、自分の生を愛し慈むの感情である。生きてるということに対する自覚的な輝かしい感情である。なぜならば、そういう感情からこそ、本当に純な素直な力強い生活心境が生 …
読書目安時間:約4分
人の生活に最も大事なのは、自分の生を愛し慈むの感情である。生きてるということに対する自覚的な輝かしい感情である。なぜならば、そういう感情からこそ、本当に純な素直な力強い生活心境が生 …
太一の靴は世界一(新字旧仮名)
読書目安時間:約8分
大きな工場のかたすみに、倉庫があります。倉庫の裏口には、鉄の戸がしまつてをり、その上に長いひさしが出てゐます。 そのひさしの下に、十六七さいの少年が、靴直しの店を出しました。店とい …
読書目安時間:約8分
大きな工場のかたすみに、倉庫があります。倉庫の裏口には、鉄の戸がしまつてをり、その上に長いひさしが出てゐます。 そのひさしの下に、十六七さいの少年が、靴直しの店を出しました。店とい …
台湾の姿態(新字新仮名)
読書目安時間:約14分
台湾の印象は、まず山と川から来る。比類ない断崖と深潭と高峯とを以て成るタコロ峡のことは、ここに云うまい。また、蘇澳から花蓮港に至る間の海岸絶壁を縫うバス道のことも、ここに云うまい。 …
読書目安時間:約14分
台湾の印象は、まず山と川から来る。比類ない断崖と深潭と高峯とを以て成るタコロ峡のことは、ここに云うまい。また、蘇澳から花蓮港に至る間の海岸絶壁を縫うバス道のことも、ここに云うまい。 …
高尾ざんげ:――近代説話――(新字新仮名)
読書目安時間:約21分
終戦後、その秋から翌年へかけて、檜山啓三は荒れている、というのが知人間の定評でありました。彼が関係してる私立大学では、十月から授業を開始しましたが、彼は一回も講義をしませんでした。 …
読書目安時間:約21分
終戦後、その秋から翌年へかけて、檜山啓三は荒れている、というのが知人間の定評でありました。彼が関係してる私立大学では、十月から授業を開始しましたが、彼は一回も講義をしませんでした。 …
高千穂に思う(新字新仮名)
読書目安時間:約11分
高千穂峰はよい山である。 霧島神宮駅から、バスで約二十分、霧島神宮前に達する。数軒の簡易な旅館がある。その一軒の店先で、六月上旬の梅雨のはれまの或る日、私はただ一人、登山姿といって …
読書目安時間:約11分
高千穂峰はよい山である。 霧島神宮駅から、バスで約二十分、霧島神宮前に達する。数軒の簡易な旅館がある。その一軒の店先で、六月上旬の梅雨のはれまの或る日、私はただ一人、登山姿といって …
蛸の如きもの(新字新仮名)
読書目安時間:約21分
——大いなる蛸の如きもの、わが眼に見ゆ。 八本の足をすぼめて立ち、入道頭をふり立て、眼玉をぎょろつかせて、ふらりふらり、ゆらりゆらりと、踊り廻り、その数、十、二十、或るいは三十、音 …
読書目安時間:約21分
——大いなる蛸の如きもの、わが眼に見ゆ。 八本の足をすぼめて立ち、入道頭をふり立て、眼玉をぎょろつかせて、ふらりふらり、ゆらりゆらりと、踊り廻り、その数、十、二十、或るいは三十、音 …
太宰治との一日(新字新仮名)
読書目安時間:約8分
昭和二十三年四月二十五日、日曜日の、午後のこと、電話があった。 「太宰ですが、これから伺っても、宜しいでしょうか。」 声の主は、太宰自身でなく、さっちゃんだ。——さっちゃんというの …
読書目安時間:約8分
昭和二十三年四月二十五日、日曜日の、午後のこと、電話があった。 「太宰ですが、これから伺っても、宜しいでしょうか。」 声の主は、太宰自身でなく、さっちゃんだ。——さっちゃんというの …
立枯れ(新字新仮名)
読書目安時間:約42分
穏かな低気圧の時、怪しい鋭い見渡しがきいて、遠くのものまで鮮かに近々と見え、もしこれが真空のなかだったら……と、そんなことを思わせるのであるが、そうした低気圧的現象が吾々の精神のな …
読書目安時間:約42分
穏かな低気圧の時、怪しい鋭い見渡しがきいて、遠くのものまで鮮かに近々と見え、もしこれが真空のなかだったら……と、そんなことを思わせるのであるが、そうした低気圧的現象が吾々の精神のな …
立札:――近代伝説――(新字新仮名)
読書目安時間:約21分
揚子江の岸の、或る港町に、張という旧家がありました。この旧家に、朱文という男が仕えていました。 伝えるところに依りますと、或る年の初夏の頃、この張家の屋敷の一隅にある大きな楠をじっ …
読書目安時間:約21分
揚子江の岸の、或る港町に、張という旧家がありました。この旧家に、朱文という男が仕えていました。 伝えるところに依りますと、或る年の初夏の頃、この張家の屋敷の一隅にある大きな楠をじっ …
狸石(新字新仮名)
読書目安時間:約7分
戦災の焼跡の一隅に、大きな石が立っていた。海底から出たと思われる普通の青石だが、風雨に曝されて黒ずみ、小さな凹みには苔が生えていた。高さ十尺ばかり、のっぺりした丸みをなしていて、下 …
読書目安時間:約7分
戦災の焼跡の一隅に、大きな石が立っていた。海底から出たと思われる普通の青石だが、風雨に曝されて黒ずみ、小さな凹みには苔が生えていた。高さ十尺ばかり、のっぺりした丸みをなしていて、下 …
狸のお祭り(新字新仮名)
読書目安時間:約10分
むかし、ある片田舎の村外れに、八幡様のお宮がありまして、お宮のまわりは小さな森になっていました。 秋の大変月のいい晩でした。その八幡様の前を、鉄砲を持った二人の男が通りかかりました …
読書目安時間:約10分
むかし、ある片田舎の村外れに、八幡様のお宮がありまして、お宮のまわりは小さな森になっていました。 秋の大変月のいい晩でした。その八幡様の前を、鉄砲を持った二人の男が通りかかりました …
田原氏の犯罪(新字新仮名)
読書目安時間:約57分
重夫は母のしげ子とよく父のことを話し合った。それは、しげ子にとっては寧ろどうでもいい問題であったが、重夫にとっては何かしら気遣わしい、話さないではおれない問題であった。 実際、重夫 …
読書目安時間:約57分
重夫は母のしげ子とよく父のことを話し合った。それは、しげ子にとっては寧ろどうでもいい問題であったが、重夫にとっては何かしら気遣わしい、話さないではおれない問題であった。 実際、重夫 …
旅だち:――近代説話――(新字新仮名)
読書目安時間:約25分
今年二十四歳になる中山敏子には、終戦後二回ほど、縁談がありました。最初の話は、あまり思わしいものでなく、本人の耳に入れずに、母のもとで打ち切ってしまいました。二度目のは、副島の伯母 …
読書目安時間:約25分
今年二十四歳になる中山敏子には、終戦後二回ほど、縁談がありました。最初の話は、あまり思わしいものでなく、本人の耳に入れずに、母のもとで打ち切ってしまいました。二度目のは、副島の伯母 …
旅人の言(新字新仮名)
読書目安時間:約3分
はて知らぬ遠き旅に上った身は—— 木影に憩うことをしないのだ。 春の日に恵まれた若き簇葉の間から、小さな光りの斑点が地に印して、私の視線を引きつけるであろう。見つめる眼が次第に濡ん …
読書目安時間:約3分
はて知らぬ遠き旅に上った身は—— 木影に憩うことをしないのだ。 春の日に恵まれた若き簇葉の間から、小さな光りの斑点が地に印して、私の視線を引きつけるであろう。見つめる眼が次第に濡ん …
球突場の一隅(新字新仮名)
読書目安時間:約29分
夕方降り出した雨はその晩遅くまで続いた。しとしととした淋しい雨だった。丁度十時頃その軽い雨音が止んだ時、会社員らしい四人達れの客は慌しそうに帰っていった。そして後には三人の学生とゲ …
読書目安時間:約29分
夕方降り出した雨はその晩遅くまで続いた。しとしととした淋しい雨だった。丁度十時頃その軽い雨音が止んだ時、会社員らしい四人達れの客は慌しそうに帰っていった。そして後には三人の学生とゲ …
小さき花にも(新字新仮名)
読書目安時間:約21分
すぐ近くの、お寺の庭に、四五本の大きな銀杏樹がそびえ立っている。そばへ行って調べてみると、三本で、それが見ようによって、四本にも五本にも見える。こんもり茂っているのだ。その樹に、雀 …
読書目安時間:約21分
すぐ近くの、お寺の庭に、四五本の大きな銀杏樹がそびえ立っている。そばへ行って調べてみると、三本で、それが見ようによって、四本にも五本にも見える。こんもり茂っているのだ。その樹に、雀 …
地水火風空(新字新仮名)
読書目安時間:約4分
月清らかな初夏の夜、私はA老人と連れだって、弥生町の方から帝大の裏門をはいり、右へ折れて、正門の方へぬけようとした。二人とも可成り酔っていた。不忍池の蓮の花に、月の光が煙っているの …
読書目安時間:約4分
月清らかな初夏の夜、私はA老人と連れだって、弥生町の方から帝大の裏門をはいり、右へ折れて、正門の方へぬけようとした。二人とも可成り酔っていた。不忍池の蓮の花に、月の光が煙っているの …
父と子供たち(新字新仮名)
読書目安時間:約4分
平時にあっては、父親は子供たちにとって、一種の大きな友だちであり、且つ、雨露をしのぐ家屋のようなものである。時々相手になってくれ、またじっとそこに控えていてくれる、それだけで充分な …
読書目安時間:約4分
平時にあっては、父親は子供たちにとって、一種の大きな友だちであり、且つ、雨露をしのぐ家屋のようなものである。時々相手になってくれ、またじっとそこに控えていてくれる、それだけで充分な …
父の形見(新字新仮名)
読書目安時間:約14分
正夫よ、君はいま濃霧のなかにいる。眼をつぶってじっとしていると、古い漢詩の句が君の唇に浮んでくるだろう。幼い頃、父の口からじかに君が聞き覚えたものだ。 その頃君の父は、土地の思惑売 …
読書目安時間:約14分
正夫よ、君はいま濃霧のなかにいる。眼をつぶってじっとしていると、古い漢詩の句が君の唇に浮んでくるだろう。幼い頃、父の口からじかに君が聞き覚えたものだ。 その頃君の父は、土地の思惑売 …
中支生活者(新字新仮名)
読書目安時間:約9分
杭州へ行った人は大抵、同地の芝原平三郎氏の存在に気付くであろう。 杭州は蒋政権軍資の源泉の一つでもあったし、また抗日意識の最も旺盛な土地の一つでもあったし、最近まで軍事上の前線的地 …
読書目安時間:約9分
杭州へ行った人は大抵、同地の芝原平三郎氏の存在に気付くであろう。 杭州は蒋政権軍資の源泉の一つでもあったし、また抗日意識の最も旺盛な土地の一つでもあったし、最近まで軍事上の前線的地 …
長篇小説私見(新字新仮名)
読書目安時間:約9分
文学の中に吾々は、種々の意味で心惹かるる人物を沢山持っている。友人や知人や恋人、敵や味方、崇高な者や惨めな者、自分の半身と思わるる者や不可解な者……。ハムレットやドン・キホーテなど …
読書目安時間:約9分
文学の中に吾々は、種々の意味で心惹かるる人物を沢山持っている。友人や知人や恋人、敵や味方、崇高な者や惨めな者、自分の半身と思わるる者や不可解な者……。ハムレットやドン・キホーテなど …
千代次の驚き(新字新仮名)
読書目安時間:約19分
お父さん、御免なさい。あたし、死ぬつもりなんかちっともありませんでした。ただ、びっくりしたんです。ほんとに、心の底まで、びっくりしました。 村尾さんが、まさか……。今になっても、ま …
読書目安時間:約19分
お父さん、御免なさい。あたし、死ぬつもりなんかちっともありませんでした。ただ、びっくりしたんです。ほんとに、心の底まで、びっくりしました。 村尾さんが、まさか……。今になっても、ま …
「沈黙」の話(新字新仮名)
読書目安時間:約13分
寡黙の徳を讃えるのは、東洋道徳の一つであり、西洋道徳の一微分でもある。常にそうだとは云えないが、或る場合に於ては、寡言を金とすれば、饒舌は銅か鉄くらいのものだろうし、沈黙は金剛石ほ …
読書目安時間:約13分
寡黙の徳を讃えるのは、東洋道徳の一つであり、西洋道徳の一微分でもある。常にそうだとは云えないが、或る場合に於ては、寡言を金とすれば、饒舌は銅か鉄くらいのものだろうし、沈黙は金剛石ほ …
月かげ(新字新仮名)
読書目安時間:約14分
四月から五月へかけた若葉の頃、穏かな高気圧の日々、南西の微風がそよそよと吹き、日の光が冴え冴えとして、着物を重ねても汗ばむほどでなく、肌を出しても鳥肌立つほどでなく、云わば、体温と …
読書目安時間:約14分
四月から五月へかけた若葉の頃、穏かな高気圧の日々、南西の微風がそよそよと吹き、日の光が冴え冴えとして、着物を重ねても汗ばむほどでなく、肌を出しても鳥肌立つほどでなく、云わば、体温と …
憑きもの(新字新仮名)
読書目安時間:約27分
山の湯に来て、見当が狂った。どこかに違算があったのだ。 僅か二三泊の旅の小物類にしては、少し大きすぎる鞄を、秋子はさげて来たが、その中に、和服の袷や長襦袢がはいっていた。だが帯はな …
読書目安時間:約27分
山の湯に来て、見当が狂った。どこかに違算があったのだ。 僅か二三泊の旅の小物類にしては、少し大きすぎる鞄を、秋子はさげて来たが、その中に、和服の袷や長襦袢がはいっていた。だが帯はな …
椿の花の赤(新字新仮名)
読書目安時間:約22分
この不思議な事件は、全く思いがけないものであって、確かな解釈のしようもないので、それだけまた、深く私の心を打った。 別所次生が校正係として勤めていた書肆の編輯員に、私の懇意な者があ …
読書目安時間:約22分
この不思議な事件は、全く思いがけないものであって、確かな解釈のしようもないので、それだけまた、深く私の心を打った。 別所次生が校正係として勤めていた書肆の編輯員に、私の懇意な者があ …
強い賢い王様の話(新字新仮名)
読書目安時間:約9分
むかし印度のある国に、一人の王子がありました。国王からは大事に育てられ、国民からは慕われて、ゆくゆくは立派な王様になられるに違いないと、皆から望みをかけられていました。 ところが、 …
読書目安時間:約9分
むかし印度のある国に、一人の王子がありました。国王からは大事に育てられ、国民からは慕われて、ゆくゆくは立派な王様になられるに違いないと、皆から望みをかけられていました。 ところが、 …
手品師(新字新仮名)
読書目安時間:約11分
昔ペルシャの国に、ハムーチャという手品師がいました。妻も子もない一人者で、村や町をめぐり歩いて、広場に毛布を敷き、その上でいろんな手品を使い、いくらかのお金をもらって、その日その日 …
読書目安時間:約11分
昔ペルシャの国に、ハムーチャという手品師がいました。妻も子もない一人者で、村や町をめぐり歩いて、広場に毛布を敷き、その上でいろんな手品を使い、いくらかのお金をもらって、その日その日 …
田園の幻(新字新仮名)
読書目安時間:約17分
「おじさん、砂糖黍たべようか。」 宗太郎が駆けて来て、縁側に腰掛け煙草をふかしている私の方を、甘えるように見上げた。私に食べさせるというより、自分が食べたそうな眼色である。 「だっ …
読書目安時間:約17分
「おじさん、砂糖黍たべようか。」 宗太郎が駆けて来て、縁側に腰掛け煙草をふかしている私の方を、甘えるように見上げた。私に食べさせるというより、自分が食べたそうな眼色である。 「だっ …
天下一の馬(新字新仮名)
読書目安時間:約12分
ある田舎の山里に、甚兵衛という馬方がいました。至ってのんき者で、お金がある間はぶらぶら遊んでいまして、お金がなくなると働きます。仕事というのは、山から出る材木を、五里ばかり先の町へ …
読書目安時間:約12分
ある田舎の山里に、甚兵衛という馬方がいました。至ってのんき者で、お金がある間はぶらぶら遊んでいまして、お金がなくなると働きます。仕事というのは、山から出る材木を、五里ばかり先の町へ …
天狗の鼻(新字新仮名)
読書目安時間:約14分
むかし、ある所に大きな村がありました。北に高い山がそびえ、南に肥沃な平野がひかえ、一年中暖かく日が当って、五穀がよく実り、どの家も富み栄えて、人々は平和に楽しく暮らしていました。 …
読書目安時間:約14分
むかし、ある所に大きな村がありました。北に高い山がそびえ、南に肥沃な平野がひかえ、一年中暖かく日が当って、五穀がよく実り、どの家も富み栄えて、人々は平和に楽しく暮らしていました。 …
天狗笑(新字新仮名)
読書目安時間:約9分
むかし、ある山裾に、小さな村がありました。村のうしろは、大きな森から山になっていまして、前は、広い平野にうつくしい小川が流れていました。村の人たちは、平野をひらいて穀物や野菜を作っ …
読書目安時間:約9分
むかし、ある山裾に、小さな村がありました。村のうしろは、大きな森から山になっていまして、前は、広い平野にうつくしい小川が流れていました。村の人たちは、平野をひらいて穀物や野菜を作っ …
電車停留場(新字新仮名)
読書目安時間:約31分
七月の中旬、午後からの曇り空が、降るともなく晴れるともなく、そのまま薄らいで干乾びてゆき、軽い風がぱったりと止んで、いやに蒸し暑い晩の、九時頃のことだった。満員とまではゆかなくとも …
読書目安時間:約31分
七月の中旬、午後からの曇り空が、降るともなく晴れるともなく、そのまま薄らいで干乾びてゆき、軽い風がぱったりと止んで、いやに蒸し暑い晩の、九時頃のことだった。満員とまではゆかなくとも …
同感(新字新仮名)
読書目安時間:約4分
私は動物が好きだ。金と余暇と土地とがあったら、出来得る限りさまざまの動物を飼いたい。それも、狭い檻や籠や水器にではない。少くとも見た目に彼等の不自由を感じないほどの場所に、伸びやか …
読書目安時間:約4分
私は動物が好きだ。金と余暇と土地とがあったら、出来得る限りさまざまの動物を飼いたい。それも、狭い檻や籠や水器にではない。少くとも見た目に彼等の不自由を感じないほどの場所に、伸びやか …
道化役(新字新仮名)
読書目安時間:約43分
村尾庄司が突然行方をくらましてから、一年ほどたって、島村陽一は意外なところで彼に出会った。島村は大川を上下する小さな客船が好きで、むかし一銭蒸汽と云われていた頃には、わざわざ散歩の …
読書目安時間:約43分
村尾庄司が突然行方をくらましてから、一年ほどたって、島村陽一は意外なところで彼に出会った。島村は大川を上下する小さな客船が好きで、むかし一銭蒸汽と云われていた頃には、わざわざ散歩の …
童貞(新字新仮名)
読書目安時間:約13分
ぼんやりしていた心地を、ふいに、見覚えのある町角から呼び醒されて、慌てて乗合自動車から飛び降りた。それから機械的に家の方へ急いだ。 胸の中が……身体中が、変にむず痒くって、息がつけ …
読書目安時間:約13分
ぼんやりしていた心地を、ふいに、見覚えのある町角から呼び醒されて、慌てて乗合自動車から飛び降りた。それから機械的に家の方へ急いだ。 胸の中が……身体中が、変にむず痒くって、息がつけ …
道標:――近代説話――(新字新仮名)
読書目安時間:約19分
ソファーにもたれてとろとろと居眠った瞬間に、木原宇一は夢をみました。森村照子と広い街道を歩いてる夢でした。今晩彼女と一緒に三浦行男氏を訪れることになっているし、しかもそれをどうした …
読書目安時間:約19分
ソファーにもたれてとろとろと居眠った瞬間に、木原宇一は夢をみました。森村照子と広い街道を歩いてる夢でした。今晩彼女と一緒に三浦行男氏を訪れることになっているし、しかもそれをどうした …
同胞(新字新仮名)
読書目安時間:約32分
恒夫は四歳の時父に死なれて、祖父母と母とだけの家庭に、独り子として大事に育てられてきた。そして、祖父から甘い砂糖菓子を分けて貰い、祖母から古い御伽話や怪談を聞き、母の乳首を指先でひ …
読書目安時間:約32分
恒夫は四歳の時父に死なれて、祖父母と母とだけの家庭に、独り子として大事に育てられてきた。そして、祖父から甘い砂糖菓子を分けて貰い、祖母から古い御伽話や怪談を聞き、母の乳首を指先でひ …
都会に於ける中流婦人の生活(新字新仮名)
読書目安時間:約8分
都会に於ける中流婦人の生活ほど惨めなものはない。彼女等の生活は萎微沈滞しきっている。——勿論茲に云うのは、既婚の中流婦人の大多数、僅かな例外を除いた全部を指すのである。 下流の婦人 …
読書目安時間:約8分
都会に於ける中流婦人の生活ほど惨めなものはない。彼女等の生活は萎微沈滞しきっている。——勿論茲に云うのは、既婚の中流婦人の大多数、僅かな例外を除いた全部を指すのである。 下流の婦人 …
都会の幽気(新字新仮名)
読書目安時間:約22分
都会には、都会特有の一種の幽気がある。暴風雨の時など、何処ともなく吹き払われ打ち消されて、殆ど姿を見せないけれども、空気が凪いで澱んでいる時には、殊に昼間よりは夜に多く、ぼんやりと …
読書目安時間:約22分
都会には、都会特有の一種の幽気がある。暴風雨の時など、何処ともなく吹き払われ打ち消されて、殆ど姿を見せないけれども、空気が凪いで澱んでいる時には、殊に昼間よりは夜に多く、ぼんやりと …
特殊部落の犯罪(新字新仮名)
読書目安時間:約15分
「久七、お前が好きな物持って来ただよ。」 晴々しい若い声と共に、表の戸ががらりと引開けられた。 とっつきの狭い土間、それから六畳ばかりの室、その室の片隅に、ぼろぼろの布団の上へ、更 …
読書目安時間:約15分
「久七、お前が好きな物持って来ただよ。」 晴々しい若い声と共に、表の戸ががらりと引開けられた。 とっつきの狭い土間、それから六畳ばかりの室、その室の片隅に、ぼろぼろの布団の上へ、更 …
渡舟場:――近代説話――(新字新仮名)
読書目安時間:約24分
東京近くの、或る大きな河の彎曲部に、渡舟場がありました。昔は可なり交通の頻繁な渡舟場でしたが、一粁あまりの川下に、電車が通じ橋が掛ってから、すっかり寂びれてしまいました。附近の農家 …
読書目安時間:約24分
東京近くの、或る大きな河の彎曲部に、渡舟場がありました。昔は可なり交通の頻繁な渡舟場でしたが、一粁あまりの川下に、電車が通じ橋が掛ってから、すっかり寂びれてしまいました。附近の農家 …
土地(新字新仮名)
読書目安時間:約22分
鬱陶しい梅雨の季節が過ぎ去ると、焼くがような太陽の光が、じりじりと野や山に照りつけ初めた。畑の麦の穂は黄色く干乾び、稲田の水はどんよりと温み、小川には小魚が藻草の影に潜んだ。そして …
読書目安時間:約22分
鬱陶しい梅雨の季節が過ぎ去ると、焼くがような太陽の光が、じりじりと野や山に照りつけ初めた。畑の麦の穂は黄色く干乾び、稲田の水はどんよりと温み、小川には小魚が藻草の影に潜んだ。そして …
土地に還る:――近代説話――(新字新仮名)
読書目安時間:約22分
東京空襲の末期に、笠井直吉は罹災して、所有物を殆んど焼かれてしまいました上、顔面から頭部へかけて大火傷をしました。そして暫く病院にはいっていましたが、退院後は、郵便局勤務の同僚の家 …
読書目安時間:約22分
東京空襲の末期に、笠井直吉は罹災して、所有物を殆んど焼かれてしまいました上、顔面から頭部へかけて大火傷をしました。そして暫く病院にはいっていましたが、退院後は、郵便局勤務の同僚の家 …
鳶と柿と鶏(新字新仮名)
読書目安時間:約22分
丘の上の小径から、だらだら上りの野原をへだてて、急な崖になり、灌木や小笹が茂っている。その崖の藪に、熊か猪かと思われるようなざわめきが起り、同時にわっと喚声があがって、一人の青年が …
読書目安時間:約22分
丘の上の小径から、だらだら上りの野原をへだてて、急な崖になり、灌木や小笹が茂っている。その崖の藪に、熊か猪かと思われるようなざわめきが起り、同時にわっと喚声があがって、一人の青年が …
どぶろく幻想(新字新仮名)
読書目安時間:約22分
四方八方から線路が寄り集まり、縦横に入り乱れ、そしてまた四方八方に分散している。糸をこんぐらかしたようだ。あちこちに、鉄の柱の上高く、または地面低く、赤や青の灯がともり、線路のレー …
読書目安時間:約22分
四方八方から線路が寄り集まり、縦横に入り乱れ、そしてまた四方八方に分散している。糸をこんぐらかしたようだ。あちこちに、鉄の柱の上高く、または地面低く、赤や青の灯がともり、線路のレー …
囚われ(新字新仮名)
読書目安時間:約43分
孝太郎が起き上った時恒雄夫妻はまだ眠っていた。彼は静に朝の装いをすまして、それから暫く二階の六畳に入ってみた。その時ふと、今朝何かそうそうと物の逃げ去るような気配に眼を覚したのだと …
読書目安時間:約43分
孝太郎が起き上った時恒雄夫妻はまだ眠っていた。彼は静に朝の装いをすまして、それから暫く二階の六畳に入ってみた。その時ふと、今朝何かそうそうと物の逃げ去るような気配に眼を覚したのだと …
囚われ人(新字新仮名)
読書目安時間:約35分
或るコンクリー建築の四階の室。室内装飾は何もないが、ただ、大きな電灯の円笠が天井からぶらさがっていて、室中に明るみを湛えている。片側だけ窓で、窓の外は闇夜。全体が箱の中のような感じ …
読書目安時間:約35分
或るコンクリー建築の四階の室。室内装飾は何もないが、ただ、大きな電灯の円笠が天井からぶらさがっていて、室中に明るみを湛えている。片側だけ窓で、窓の外は闇夜。全体が箱の中のような感じ …
泥坊(新字新仮名)
読書目安時間:約7分
ある所に、五右衛門というなまけ者がいました。働くのがいやでいやでたまりません。何か楽に暮らしてゆける途はないかと考えていますと、むかし石川五右衛門という大盗人がいたということを聞い …
読書目安時間:約7分
ある所に、五右衛門というなまけ者がいました。働くのがいやでいやでたまりません。何か楽に暮らしてゆける途はないかと考えていますと、むかし石川五右衛門という大盗人がいたということを聞い …
長彦と丸彦(新字新仮名)
読書目安時間:約21分
むかし、近江の国、琵琶湖の西のほとりの堅田に、ものもちの家がありまして、そこに、ふたりの兄弟がいました。兄はたいへん顔が長いので、堅田の顔長の長彦といわれていましたし、弟はたいへん …
読書目安時間:約21分
むかし、近江の国、琵琶湖の西のほとりの堅田に、ものもちの家がありまして、そこに、ふたりの兄弟がいました。兄はたいへん顔が長いので、堅田の顔長の長彦といわれていましたし、弟はたいへん …
ナポレオンの遺書(新字新仮名)
読書目安時間:約2分
ナポレオンの遺書——セント・ヘレナの島で、臨終より三週間ほど前に、彼が自ら口述し浄書したもので、現に文書保存局に原文が残っている——その遺書の中に、次のような一カ条がある。 予は、 …
読書目安時間:約2分
ナポレオンの遺書——セント・ヘレナの島で、臨終より三週間ほど前に、彼が自ら口述し浄書したもので、現に文書保存局に原文が残っている——その遺書の中に、次のような一カ条がある。 予は、 …
新妻の手記(新字新仮名)
読書目安時間:約22分
結婚してから、三ヶ月は夢のように過ぎた。そして漸く私は、この家庭の中での自分の地位がぼんやり分ってきた。 家庭といっても、姑と夫と私との三人きり。姑はもう五十歳ほどだが、主人の死後 …
読書目安時間:約22分
結婚してから、三ヶ月は夢のように過ぎた。そして漸く私は、この家庭の中での自分の地位がぼんやり分ってきた。 家庭といっても、姑と夫と私との三人きり。姑はもう五十歳ほどだが、主人の死後 …
肉体(新字新仮名)
読書目安時間:約27分
「なんだか……憂欝そうですね。」 さりげなく云われたそういう言葉に、私はふっと、白けきった気持になって、酒の酔もさめて、自分の顔付が頭の中に映ってくることがあります……。私が鏡を見 …
読書目安時間:約27分
「なんだか……憂欝そうですね。」 さりげなく云われたそういう言葉に、私はふっと、白けきった気持になって、酒の酔もさめて、自分の顔付が頭の中に映ってくることがあります……。私が鏡を見 …
二等車に乗る男(新字新仮名)
読書目安時間:約13分
十一月の或る晴れた朝だった。私は大森の友人を訪れるつもりで、家を出ようとしていると、高木がやって来た。 「お出かけですか。」 玄関につっ立ってる私の服装をじろじろ眺めながら、高木は …
読書目安時間:約13分
十一月の或る晴れた朝だった。私は大森の友人を訪れるつもりで、家を出ようとしていると、高木がやって来た。 「お出かけですか。」 玄関につっ立ってる私の服装をじろじろ眺めながら、高木は …
女人禁制(新字新仮名)
読書目安時間:約6分
女人といっても、老幼美醜、さまざまであるが、とにかく、女性として関心のもてる程度の、年配と容貌とをそなえてる方々のことなのであって——。汽車の寝台ではよく眠れないという人が、ずいぶ …
読書目安時間:約6分
女人といっても、老幼美醜、さまざまであるが、とにかく、女性として関心のもてる程度の、年配と容貌とをそなえてる方々のことなのであって——。汽車の寝台ではよく眠れないという人が、ずいぶ …
女客一週間(新字新仮名)
読書目安時間:約26分
キミ子は、何の前触れもなしに飛びこんできた。夜の十二時近くだ。それでいて、酒気もなく、変に真面目だ——ふだん、酒をなめたり、はしゃいだり、ふざけたりしてる者が、何かの拍子にふっとそ …
読書目安時間:約26分
キミ子は、何の前触れもなしに飛びこんできた。夜の十二時近くだ。それでいて、酒気もなく、変に真面目だ——ふだん、酒をなめたり、はしゃいだり、ふざけたりしてる者が、何かの拍子にふっとそ …
人形使い(新字新仮名)
読書目安時間:約15分
むかし、ある田舎の小さな町に、甚兵衛といういたって下手な人形使いがいました。お正月だのお盆だの、またはいろんなお祭りの折に、町の賑やかな広場に小屋がけをして、さまざまの人形を使いま …
読書目安時間:約15分
むかし、ある田舎の小さな町に、甚兵衛といういたって下手な人形使いがいました。お正月だのお盆だの、またはいろんなお祭りの折に、町の賑やかな広場に小屋がけをして、さまざまの人形を使いま …
人間繁栄(新字新仮名)
読書目安時間:約39分
津田洋造は、長男が生れた時、その命名に可なり苦しんで、いろいろ考え悩んだ末、一郎と最も簡単に名づけてしまった。長女が生れた時も、やはり同様にして、丁度春だったので、春子と最も簡単に …
読書目安時間:約39分
津田洋造は、長男が生れた時、その命名に可なり苦しんで、いろいろ考え悩んだ末、一郎と最も簡単に名づけてしまった。長女が生れた時も、やはり同様にして、丁度春だったので、春子と最も簡単に …
沼のほとり:――近代説話――(新字新仮名)
読書目安時間:約16分
佐伯八重子は、戦争中、息子の梧郎が動員されましてから、その兵営に、二回ほど、面会に行きました。 二回目の時は、面会許可の通知が、さし迫って前日に届きましたため、充分の用意もなく、一 …
読書目安時間:約16分
佐伯八重子は、戦争中、息子の梧郎が動員されましてから、その兵営に、二回ほど、面会に行きました。 二回目の時は、面会許可の通知が、さし迫って前日に届きましたため、充分の用意もなく、一 …
猫(新字新仮名)
読書目安時間:約6分
猫は唯物主義だと云われている。 その説によれば、猫は飼主に属するよりも、より多く飼家に属するそうである。飼主の人間どもが転居する時、猫はそれに従って新居に落付くことなく、旧家に戻り …
読書目安時間:約6分
猫は唯物主義だと云われている。 その説によれば、猫は飼主に属するよりも、より多く飼家に属するそうである。飼主の人間どもが転居する時、猫はそれに従って新居に落付くことなく、旧家に戻り …
猫捨坂(新字新仮名)
読書目安時間:約20分
病院の裏手に、狭い急な坂がある。一方はコンクリートの塀で、坂上の塀外には数本の椎が深々と茂っている。他方は高い崖地で、コンクリートで築きあげられ、病院の研究室になっている。坂の中央 …
読書目安時間:約20分
病院の裏手に、狭い急な坂がある。一方はコンクリートの塀で、坂上の塀外には数本の椎が深々と茂っている。他方は高い崖地で、コンクリートで築きあげられ、病院の研究室になっている。坂の中央 …
猫先生の弁(新字新仮名)
読書目安時間:約8分
猫好きな人は、犬をあまり好かない。犬好きな人は、猫をあまり好かない。多少の例外はあるとしても、だいたいそう言える。猫と犬との性格の違いに由るのであろうか。 戦争前のことであるが、下 …
読書目安時間:約8分
猫好きな人は、犬をあまり好かない。犬好きな人は、猫をあまり好かない。多少の例外はあるとしても、だいたいそう言える。猫と犬との性格の違いに由るのであろうか。 戦争前のことであるが、下 …
野ざらし(新字新仮名)
読書目安時間:約2時間52分
「奇体な名前もあるもんですなあ……慾張った名前じゃありませんか。」 電車が坂道のカーヴを通り過ぎて、車輪の軋り呻く響きが一寸静まった途端に、そういう言葉がはっきりと聞えた。両腕を胸 …
読書目安時間:約2時間52分
「奇体な名前もあるもんですなあ……慾張った名前じゃありませんか。」 電車が坂道のカーヴを通り過ぎて、車輪の軋り呻く響きが一寸静まった途端に、そういう言葉がはっきりと聞えた。両腕を胸 …
野に声なし(新字新仮名)
読書目安時間:約9分
芸術上の作品は、必ずその作者の心境を宿す。反言すれば、芸術家の心境は、必ずその作品に反映する。 作者の心境を宿していない作品は、本当の芸術的作品ではない。作品に反映さすべき心境を持 …
読書目安時間:約9分
芸術上の作品は、必ずその作者の心境を宿す。反言すれば、芸術家の心境は、必ずその作品に反映する。 作者の心境を宿していない作品は、本当の芸術的作品ではない。作品に反映さすべき心境を持 …
梅花の気品(新字新仮名)
読書目安時間:約5分
梅花の感じは、気品の感じである。 気品は一の芳香である。眼にも見えず、耳にも聞えない、或る風格から発する香である。甘くも酸くも辛くもなく、それらのあらゆる刺戟を超越した、得も云えぬ …
読書目安時間:約5分
梅花の感じは、気品の感じである。 気品は一の芳香である。眼にも見えず、耳にも聞えない、或る風格から発する香である。甘くも酸くも辛くもなく、それらのあらゆる刺戟を超越した、得も云えぬ …
ばかな汽車(新字新仮名)
読書目安時間:約5分
——長いあいだ汽車の機関手をしていた人が、次のような話をきかせました。—— * 汽車の機関手をしていますと、面白いことや、あぶないことや、つらいことや、それはずいぶんいろんなことが …
読書目安時間:約5分
——長いあいだ汽車の機関手をしていた人が、次のような話をきかせました。—— * 汽車の機関手をしていますと、面白いことや、あぶないことや、つらいことや、それはずいぶんいろんなことが …
白日夢(新字新仮名)
読書目安時間:約24分
晩春の頃だった。 私達——私と妻と男の児と女中との四人——は新らしい住居へ移転した。まだ道具もそう多くはなかったので、五六日で家の中は一通り片付いて、私はほっとした気持で、縁側に腰 …
読書目安時間:約24分
晩春の頃だった。 私達——私と妻と男の児と女中との四人——は新らしい住居へ移転した。まだ道具もそう多くはなかったので、五六日で家の中は一通り片付いて、私はほっとした気持で、縁側に腰 …
白塔の歌:――近代伝説――(新字新仮名)
読書目安時間:約44分
方福山といえば北京でも有数な富者でありました。彼が所有してる店舗のなかで、自慢なものが二つありました。一つは毛皮店で、虎や豹や狐や川獺などをはじめ各種のものが、一階と二階の広間に陳 …
読書目安時間:約44分
方福山といえば北京でも有数な富者でありました。彼が所有してる店舗のなかで、自慢なものが二つありました。一つは毛皮店で、虎や豹や狐や川獺などをはじめ各種のものが、一階と二階の広間に陳 …
白木蓮(新字新仮名)
読書目安時間:約25分
桃代の肉体は、布団の中に融けこんでいるようだった。厚ぼったい敷布を二枚、上に夜着と羽根布団、それらの柔かな綿の中に、すっぽりとはいっているので、どこに胴体があるのか四肢があるのか、 …
読書目安時間:約25分
桃代の肉体は、布団の中に融けこんでいるようだった。厚ぼったい敷布を二枚、上に夜着と羽根布団、それらの柔かな綿の中に、すっぽりとはいっているので、どこに胴体があるのか四肢があるのか、 …
蓮(新字新仮名)
読書目安時間:約8分
私は蓮が好きである。泥池の中から真直に一茎を伸して、その頂に一つ葉や花や実をつける、あの独特な風情もよい。また、単に花からばかりでなく、葉や実や根などからまでも、仄かに漂い出してく …
読書目安時間:約8分
私は蓮が好きである。泥池の中から真直に一茎を伸して、その頂に一つ葉や花や実をつける、あの独特な風情もよい。また、単に花からばかりでなく、葉や実や根などからまでも、仄かに漂い出してく …
裸木(新字新仮名)
読書目安時間:約33分
佐野陽吉には、月に一度か二度、彼の所謂「快活の発作」なるものが起った。 初めはただ、もやもやっとした、煙のような、薄濁りのした気分……。それが次第に濃くどんよりと、身内に淀んできて …
読書目安時間:約33分
佐野陽吉には、月に一度か二度、彼の所謂「快活の発作」なるものが起った。 初めはただ、もやもやっとした、煙のような、薄濁りのした気分……。それが次第に濃くどんよりと、身内に淀んできて …
波多野邸(新字新仮名)
読書目安時間:約45分
波多野洋介が大陸から帰って来たのは、終戦後、年を越して、四月の初めだった。戦時中の三年間、彼地で彼が何をしていたかは、明かでない。居所も転々していた。軍の特務機関だの、情報部面だの …
読書目安時間:約45分
波多野洋介が大陸から帰って来たのは、終戦後、年を越して、四月の初めだった。戦時中の三年間、彼地で彼が何をしていたかは、明かでない。居所も転々していた。軍の特務機関だの、情報部面だの …
白血球(新字新仮名)
読書目安時間:約24分
がらり…………ぴしゃりと、玄関の格子戸をいつになく手荒く開け閉めして、慌しく靴をぬぐが早いか、綾子は座敷に飛び込んできた。心持ち上気した顔に、喫驚した眼を見開いていた。その様子を、 …
読書目安時間:約24分
がらり…………ぴしゃりと、玄関の格子戸をいつになく手荒く開け閉めして、慌しく靴をぬぐが早いか、綾子は座敷に飛び込んできた。心持ち上気した顔に、喫驚した眼を見開いていた。その様子を、 …
花子の陳述(新字新仮名)
読書目安時間:約22分
それは、たしかに、この花子が致したことでございます。けれど、悪意だとか企らみだとか、そのようなものは少しもありませんでした。ずいぶん辛抱したあげく、しぜんにあのようなことになりまし …
読書目安時間:約22分
それは、たしかに、この花子が致したことでございます。けれど、悪意だとか企らみだとか、そのようなものは少しもありませんでした。ずいぶん辛抱したあげく、しぜんにあのようなことになりまし …
話の屑籠(新字新仮名)
読書目安時間:約11分
田舎の旧家には、往々、納戸の隅あたりに、古めかしい葛籠が、埃のなかに置き忘れられてることがある。中に何がはいってるか分らないままで、誰の好奇心も惹かずに、ただ昔から其処にあったとい …
読書目安時間:約11分
田舎の旧家には、往々、納戸の隅あたりに、古めかしい葛籠が、埃のなかに置き忘れられてることがある。中に何がはいってるか分らないままで、誰の好奇心も惹かずに、ただ昔から其処にあったとい …
花ふぶき(新字新仮名)
読書目安時間:約19分
千代は少し白痴なのだ。高熱で病臥している折に、空襲で家を焼かれ、赤木の家に引き取られて、あぶなく脳膜炎になりかかった、そのためだと赤木は言うが、確かなことは分らない。口がゆがみ、眼 …
読書目安時間:約19分
千代は少し白痴なのだ。高熱で病臥している折に、空襲で家を焼かれ、赤木の家に引き取られて、あぶなく脳膜炎になりかかった、そのためだと赤木は言うが、確かなことは分らない。口がゆがみ、眼 …
母親(新字新仮名)
読書目安時間:約11分
——癖というのか、習慣というのか、へんなことが知らず識らずに身についてくる。吉岡にもそれがあった。十一月十五日、七・五・三の祝い日に、彼は炬燵開きをするのだった。炬燵開きといっても …
読書目安時間:約11分
——癖というのか、習慣というのか、へんなことが知らず識らずに身についてくる。吉岡にもそれがあった。十一月十五日、七・五・三の祝い日に、彼は炬燵開きをするのだった。炬燵開きといっても …
バラック居住者への言葉(新字新仮名)
読書目安時間:約9分
バラックに住む人々よ、諸君は、バラックの生活によって、云い換えれば、僅かに雨露を凌ぐに足るだけの住居と、飢渇を満すに足るだけの食物と、荒凉たる周囲の灰燼と、殆んど着のみ着のままの自 …
読書目安時間:約9分
バラックに住む人々よ、諸君は、バラックの生活によって、云い換えれば、僅かに雨露を凌ぐに足るだけの住居と、飢渇を満すに足るだけの食物と、荒凉たる周囲の灰燼と、殆んど着のみ着のままの自 …
春(新字新仮名)
読書目安時間:約22分
五月初旬の夜です。或るカフェーの隅っこで、髪の毛の長い痩せた二人の男が酒をのんでいました。一人は専門の小説家で、一人は専門の文芸批評家です。小説家の方は、これから取掛ろうとする創作 …
読書目安時間:約22分
五月初旬の夜です。或るカフェーの隅っこで、髪の毛の長い痩せた二人の男が酒をのんでいました。一人は専門の小説家で、一人は専門の文芸批評家です。小説家の方は、これから取掛ろうとする創作 …
春の幻(新字新仮名)
読書目安時間:約6分
春を想うと、ただもやもやっとした世界の幻が浮んでくる。それは日向に蹲ってる猫で象徴される。日向の猫の眼が、細い瞳をぼんやり開きかけては、またうっとりと閉じていくように、春の息吹きは …
読書目安時間:約6分
春を想うと、ただもやもやっとした世界の幻が浮んでくる。それは日向に蹲ってる猫で象徴される。日向の猫の眼が、細い瞳をぼんやり開きかけては、またうっとりと閉じていくように、春の息吹きは …
反抗(新字新仮名)
読書目安時間:約4時間42分
井上周平は、隆吉を相手に、一時間ばかり、学課の予習復習を——それも実は遊び半分に——みてやった後、すぐに帰ろうとした。其処へ保子が出て来て、心もち首筋から肩のあたりへしなを持たせた …
読書目安時間:約4時間42分
井上周平は、隆吉を相手に、一時間ばかり、学課の予習復習を——それも実は遊び半分に——みてやった後、すぐに帰ろうとした。其処へ保子が出て来て、心もち首筋から肩のあたりへしなを持たせた …
美醜(新字新仮名)
読書目安時間:約3分
夏の夜、私の書斎は、冬の夜よりも賑かだ。開け放した窓から、灯を慕って、多くの虫が飛びこんできて、乱舞する。電灯を中心に、天井、床、机、私の身体など、所嫌わず、飛び廻る。 虫を嫌う友 …
読書目安時間:約3分
夏の夜、私の書斎は、冬の夜よりも賑かだ。開け放した窓から、灯を慕って、多くの虫が飛びこんできて、乱舞する。電灯を中心に、天井、床、机、私の身体など、所嫌わず、飛び廻る。 虫を嫌う友 …
微笑(新字新仮名)
読書目安時間:約43分
私は遂に女と別れてしまった。一つは周囲の事情が許さなかったのと、一つは私達の心も初めの間ほどの緊張を失ってしまっていたのと、二つの理由から互に相談の上さっぱりと別れてしまった。一切 …
読書目安時間:約43分
私は遂に女と別れてしまった。一つは周囲の事情が許さなかったのと、一つは私達の心も初めの間ほどの緊張を失ってしまっていたのと、二つの理由から互に相談の上さっぱりと別れてしまった。一切 …
非情の愛(新字新仮名)
読書目安時間:約24分
椰子の実を灯籠風にくりぬいたのへぽつりと灯火をつけてる、小さな酒場「五郎」に名物が一つ出来た。名物といっても、ただ普通の川蟹で、しかも品切れのことが多い。千葉県下の河川で獲れるのだ …
読書目安時間:約24分
椰子の実を灯籠風にくりぬいたのへぽつりと灯火をつけてる、小さな酒場「五郎」に名物が一つ出来た。名物といっても、ただ普通の川蟹で、しかも品切れのことが多い。千葉県下の河川で獲れるのだ …
必要以上のもの(新字新仮名)
読書目安時間:約11分
先年、B君が突然死んだ。夜遅く、ひどく酒に酔って帰ってきて、風呂にはいり、そして寝たのであるが、翌日、十一時頃まで起き出さないので、女中がいってみると、もう冷たくなっていたのだった …
読書目安時間:約11分
先年、B君が突然死んだ。夜遅く、ひどく酒に酔って帰ってきて、風呂にはいり、そして寝たのであるが、翌日、十一時頃まで起き出さないので、女中がいってみると、もう冷たくなっていたのだった …
ひでり狐(新字新仮名)
読書目安時間:約9分
ある夏、大変なひでりがしました。一月ばかりの間、雨は一粒も降らず、ぎらぎらした日が照って、川の水はかれ、畑の土はまっ白に乾き、水田まで乾いてひわれました。そして田畑の作物はもとより …
読書目安時間:約9分
ある夏、大変なひでりがしました。一月ばかりの間、雨は一粒も降らず、ぎらぎらした日が照って、川の水はかれ、畑の土はまっ白に乾き、水田まで乾いてひわれました。そして田畑の作物はもとより …
一つの愛情(新字新仮名)
読書目安時間:約22分
文学者のところには、未知の人々から、いろいろな手紙が舞い込んでくる。威勢よく投げこまれた飛礫のようなのもあれば、微風に運ばれてくる花の香のようなのもある。それらが、文学者自身の心境 …
読書目安時間:約22分
文学者のところには、未知の人々から、いろいろな手紙が舞い込んでくる。威勢よく投げこまれた飛礫のようなのもあれば、微風に運ばれてくる花の香のようなのもある。それらが、文学者自身の心境 …
人の国(新字新仮名)
読書目安時間:約16分
久保田さんは、六十歳で某大学教授の職を辞して以来、いつしか夜分に仕事をする習慣がついてしまった。夜分に仕事をするのは、必ずしも盗人や小説家のみに限ったことではない。久保田さんが従事 …
読書目安時間:約16分
久保田さんは、六十歳で某大学教授の職を辞して以来、いつしか夜分に仕事をする習慣がついてしまった。夜分に仕事をするのは、必ずしも盗人や小説家のみに限ったことではない。久保田さんが従事 …
碑文:――近代伝説――(新字新仮名)
読書目安時間:約27分
ある河のほとりに、崔という豪家がありました。古い大きな家ですが、当主の崔之庚が他から買い取って住んでいるのでした。 崔之庚は六十歳ばかりの矍鑠たる老人で、一代で富をなしたのだといわ …
読書目安時間:約27分
ある河のほとりに、崔という豪家がありました。古い大きな家ですが、当主の崔之庚が他から買い取って住んでいるのでした。 崔之庚は六十歳ばかりの矍鑠たる老人で、一代で富をなしたのだといわ …
ヒューメーンということに就て(新字新仮名)
読書目安時間:約8分
芸術上の作品は、一方に於ては作者に即したものであり、他方に於てはそれ自身独立したものである。この二つの見解は作品を眺むる眼の据え場所の相違から自然に出て来る。そして前者の見地よりす …
読書目安時間:約8分
芸術上の作品は、一方に於ては作者に即したものであり、他方に於てはそれ自身独立したものである。この二つの見解は作品を眺むる眼の据え場所の相違から自然に出て来る。そして前者の見地よりす …
表現論随筆(新字新仮名)
読書目安時間:約5分
私達六七人の男女が、或る夏、泳げるのも泳げないのもいっしょになって、遠浅の海で遊んでいた。 一面に日の光が渦巻いていた。空は大きな目玉のようにきらきら光っており、海は柔かな頬辺のよ …
読書目安時間:約5分
私達六七人の男女が、或る夏、泳げるのも泳げないのもいっしょになって、遠浅の海で遊んでいた。 一面に日の光が渦巻いていた。空は大きな目玉のようにきらきら光っており、海は柔かな頬辺のよ …
病室の幻影(新字新仮名)
読書目安時間:約11分
広い病室。一方の壁に沿って寝台があり、窓の方を枕に一人の患者が眠っている。少し離れて、二脚の椅子が窓際に並んでいる。他方の壁に沿って、入口の扉に近く、床に二枚の畳敷があり、年若な女 …
読書目安時間:約11分
広い病室。一方の壁に沿って寝台があり、窓の方を枕に一人の患者が眠っている。少し離れて、二脚の椅子が窓際に並んでいる。他方の壁に沿って、入口の扉に近く、床に二枚の畳敷があり、年若な女 …
猫性(新字新仮名)
読書目安時間:約3分
誰にも逢いたくない、少しも口が利きたくない、そしてただ一人でじっとしていたい。そういう気持の時が屡々ある。これは意気阻喪の時ではなく、情意沈潜の時である。 私は純白か漆黒かの尾の長 …
読書目安時間:約3分
誰にも逢いたくない、少しも口が利きたくない、そしてただ一人でじっとしていたい。そういう気持の時が屡々ある。これは意気阻喪の時ではなく、情意沈潜の時である。 私は純白か漆黒かの尾の長 …
ヒロシマの声(新字新仮名)
読書目安時間:約8分
一九四五年八月六日午前八時十五分、広島市中央部の上空に世界最初の原子爆弾が炸裂してから、四年数ヶ月になる。而も今になお、その被害の生々しい痕跡が市内の至る所に残っている。 眼がくら …
読書目安時間:約8分
一九四五年八月六日午前八時十五分、広島市中央部の上空に世界最初の原子爆弾が炸裂してから、四年数ヶ月になる。而も今になお、その被害の生々しい痕跡が市内の至る所に残っている。 眼がくら …
広場のベンチ(新字新仮名)
読書目安時間:約14分
公園と言うには余りに狭く、街路に面した一種の広場で、そこの、篠懸の木の根本に、ベンチが一つ置かれていた。重い曇り空から、細雨が粗らに落ちていて、木斛の葉も柳の葉も、夾竹桃の茂みも、 …
読書目安時間:約14分
公園と言うには余りに狭く、街路に面した一種の広場で、そこの、篠懸の木の根本に、ベンチが一つ置かれていた。重い曇り空から、細雨が粗らに落ちていて、木斛の葉も柳の葉も、夾竹桃の茂みも、 …
ピンカンウーリの阿媽(新字新仮名)
読書目安時間:約8分
忙中の小閑、うっとりと物思いに沈む気分になった時、いたずらにペンを執って、手紙でも書いてみようという、そんな相手はないものだろうか。もとより、用事の手紙ではなく、眼にふれ耳にはいる …
読書目安時間:約8分
忙中の小閑、うっとりと物思いに沈む気分になった時、いたずらにペンを執って、手紙でも書いてみようという、そんな相手はないものだろうか。もとより、用事の手紙ではなく、眼にふれ耳にはいる …
風景(新字新仮名)
読書目安時間:約12分
美しい木立、柔かな草原、自然の豊かな繁茂の中に、坦々たる街道が真直に続き、日は麗わしく照っている。二人の恋人が、或は二人の仲間が、肩を並べ、楽しい足取りで、その街道を進んでゆく。古 …
読書目安時間:約12分
美しい木立、柔かな草原、自然の豊かな繁茂の中に、坦々たる街道が真直に続き、日は麗わしく照っている。二人の恋人が、或は二人の仲間が、肩を並べ、楽しい足取りで、その街道を進んでゆく。古 …
風俗時評(新字新仮名)
読書目安時間:約23分
A 神社参拝は、良俗の一つとなっている。明治神宮や靖国神社など、国家的な国民的な神社へ、祈誓のために参拝することは別として、町々村々にはそれぞれ、氏神や其他の神社があり、常に参拝の …
読書目安時間:約23分
A 神社参拝は、良俗の一つとなっている。明治神宮や靖国神社など、国家的な国民的な神社へ、祈誓のために参拝することは別として、町々村々にはそれぞれ、氏神や其他の神社があり、常に参拝の …
復讐(新字新仮名)
読書目安時間:約20分
夢の後味というものは、なにかはかなく、しんみりとして、淋しいことが多い。山川草木、禽獣、幽鬼、火や水、自分自身の飛行や墜落、そういう類のものは別として、人間の夢となれば、ちと、後ろ …
読書目安時間:約20分
夢の後味というものは、なにかはかなく、しんみりとして、淋しいことが多い。山川草木、禽獣、幽鬼、火や水、自分自身の飛行や墜落、そういう類のものは別として、人間の夢となれば、ちと、後ろ …
ふざけた読書(新字新仮名)
読書目安時間:約4分
某氏ある時、年賀状の返信を書いていた。固より、こちらから先に賀状を出すような人ではない。受取ったものに一つずつ返信を書いてゆくのである。然るに賀状の中には、往々、姓名だけで住所のつ …
読書目安時間:約4分
某氏ある時、年賀状の返信を書いていた。固より、こちらから先に賀状を出すような人ではない。受取ったものに一つずつ返信を書いてゆくのである。然るに賀状の中には、往々、姓名だけで住所のつ …
ふしぎな池(新字旧仮名)
読書目安時間:約26分
朝早くから、子供たちは、みんな、政雄の所に集りました。 「早く行かうよ。」 待ちくたびれてゐる所へ、政雄が出て来ました。 「さあ、行かう。」 政雄をまん中にして、一かたまりになつて …
読書目安時間:約26分
朝早くから、子供たちは、みんな、政雄の所に集りました。 「早く行かうよ。」 待ちくたびれてゐる所へ、政雄が出て来ました。 「さあ、行かう。」 政雄をまん中にして、一かたまりになつて …
不思議な帽子(新字新仮名)
読書目安時間:約9分
ある大都会の大通りの下の下水道に、悪魔が一匹住んでいました。まっ暗な中でねずみやこうもりなんかと一緒に、下水の中の汚物等をあさって暮らしていました。ところがある時、下水道の中に上の …
読書目安時間:約9分
ある大都会の大通りの下の下水道に、悪魔が一匹住んでいました。まっ暗な中でねずみやこうもりなんかと一緒に、下水の中の汚物等をあさって暮らしていました。ところがある時、下水道の中に上の …
不肖の兄(新字新仮名)
読書目安時間:約39分
敏子 なぜ泣くんだ。何も泣くことはありゃしない。嬉しいのか、悲しいのか……いや兎に角、こんな時に泣く奴があるものか。 僕も悪かった。がそりゃあ、皆が云う通りの不肖の兄、そういう僕な …
読書目安時間:約39分
敏子 なぜ泣くんだ。何も泣くことはありゃしない。嬉しいのか、悲しいのか……いや兎に角、こんな時に泣く奴があるものか。 僕も悪かった。がそりゃあ、皆が云う通りの不肖の兄、そういう僕な …
舞台のイメージ(新字新仮名)
読書目安時間:約4分
戯曲創作の場合には、その作者の頭に、一つの舞台がはっきり写っていなければいけない。云い換えれば、人物と事件とが——その現われが、一つの枠の中にかっきりはまっていなければいけない。 …
読書目安時間:約4分
戯曲創作の場合には、その作者の頭に、一つの舞台がはっきり写っていなければいけない。云い換えれば、人物と事件とが——その現われが、一つの枠の中にかっきりはまっていなければいけない。 …
二つの途(新字新仮名)
読書目安時間:約1時間43分
看護婦は湯にはいりに出かけた。 岡部啓介はじっと眼を閉じていた。そして心の中で、信子の一挙一動を追っていた。——彼女は室の中を一通り見渡した。然し何も彼女の手を煩わすものはなかった …
読書目安時間:約1時間43分
看護婦は湯にはいりに出かけた。 岡部啓介はじっと眼を閉じていた。そして心の中で、信子の一挙一動を追っていた。——彼女は室の中を一通り見渡した。然し何も彼女の手を煩わすものはなかった …
舞踏病(新字新仮名)
読書目安時間:約7分
君は舞踏病という病気を知っていますか。 なに、近代に初めて起ったモダンガールの特殊病だろうって、冗談云っちゃいけません。学名をコレア・ミノールと云って、重に女の子供に起る昔からある …
読書目安時間:約7分
君は舞踏病という病気を知っていますか。 なに、近代に初めて起ったモダンガールの特殊病だろうって、冗談云っちゃいけません。学名をコレア・ミノールと云って、重に女の子供に起る昔からある …
父母に対する私情(新字新仮名)
読書目安時間:約9分
私は初め、父と母とのことを書くつもりだった。そして愈々ペンを執って原稿紙に向うと、それが書けなくなった。 父と母とに対する私の感情のうちには、何かしら神聖なるものがある。その神聖な …
読書目安時間:約9分
私は初め、父と母とのことを書くつもりだった。そして愈々ペンを執って原稿紙に向うと、それが書けなくなった。 父と母とに対する私の感情のうちには、何かしら神聖なるものがある。その神聖な …
古井戸(新字新仮名)
読書目安時間:約44分
初めは相当に拵えられたものらしいが、長く人の手がはいらないで、大小さまざまの植込が生い茂ってる、二十坪ばかりの薄暗い庭だった。その奥の、隣家との境の板塀寄りに、円い自然石が据ってい …
読書目安時間:約44分
初めは相当に拵えられたものらしいが、長く人の手がはいらないで、大小さまざまの植込が生い茂ってる、二十坪ばかりの薄暗い庭だった。その奥の、隣家との境の板塀寄りに、円い自然石が据ってい …
文学以前(新字新仮名)
読書目安時間:約12分
作品の活力は、中に盛られてる作者の生活的翹望から来る、ということが説かれる。また、「身を以て書く」、「血を以て書く」ということが、理想的に説かれる。そして、キリストに対して、羨望或 …
読書目安時間:約12分
作品の活力は、中に盛られてる作者の生活的翹望から来る、ということが説かれる。また、「身を以て書く」、「血を以て書く」ということが、理想的に説かれる。そして、キリストに対して、羨望或 …
文学以前(新字新仮名)
読書目安時間:約39分
A 現に中央アラビア国の元首で、全アラビア人の信望を一身に担い、モハメッドの再来と目せられて、汎回教運動に多大の刺戟を与えている怪傑、イブン・サウドが、二十数年前、中央アラビアの砂 …
読書目安時間:約39分
A 現に中央アラビア国の元首で、全アラビア人の信望を一身に担い、モハメッドの再来と目せられて、汎回教運動に多大の刺戟を与えている怪傑、イブン・サウドが、二十数年前、中央アラビアの砂 …
文学精神は言う(新字新仮名)
読書目安時間:約9分
廃墟のなかに、そしてその上に、打ち建てられるであろう建築は、新らしい様式のものであらねばなるまい。暴風雨や天変地異に堪えるだけの、堅牢さが意図されるだろう。人間の住居にふさわしいほ …
読書目安時間:約9分
廃墟のなかに、そしてその上に、打ち建てられるであろう建築は、新らしい様式のものであらねばなるまい。暴風雨や天変地異に堪えるだけの、堅牢さが意図されるだろう。人間の住居にふさわしいほ …
文学に於ける構想力(新字新仮名)
読書目安時間:約11分
文学は真実なものであらねばならぬこと、勿論である。この真実は、事実という言葉で置換出来ないことが明示する通り、現実の転位の場にあるのであり、現実の事実の面にあるのではない。 嘗て、 …
読書目安時間:約11分
文学は真実なものであらねばならぬこと、勿論である。この真実は、事実という言葉で置換出来ないことが明示する通り、現実の転位の場にあるのであり、現実の事実の面にあるのではない。 嘗て、 …
文学の曇天(新字新仮名)
読書目安時間:約10分
近頃、文壇に懐古的気分が起ってきているのが眼につく。新聞雑誌の上に、明治時代の、或は大正初年頃の、さまざまの追憶や思い出が数多く掲載されているようである。 この懐古的気分は、どこか …
読書目安時間:約10分
近頃、文壇に懐古的気分が起ってきているのが眼につく。新聞雑誌の上に、明治時代の、或は大正初年頃の、さまざまの追憶や思い出が数多く掲載されているようである。 この懐古的気分は、どこか …
文学への実感について(新字新仮名)
読書目安時間:約6分
事変下の文学について、改めて文学の実体ということが問題になってきた。それについて一私見を述べてみることにしよう。 考察の糸口を引出すために、ごく素朴なことを先ず考えてみる。——文学 …
読書目安時間:約6分
事変下の文学について、改めて文学の実体ということが問題になってきた。それについて一私見を述べてみることにしよう。 考察の糸口を引出すために、ごく素朴なことを先ず考えてみる。——文学 …
北京・青島・村落(新字新仮名)
読書目安時間:約12分
大平野の中で、吾々は或る錯覚を持つことが多い。丘陵とか、森とか、工場の煤煙とかが、視線を遮ることなく、遙かに地平線まで見渡せる場合、つまり、視線に対する抵抗物が平野の上に何もない場 …
読書目安時間:約12分
大平野の中で、吾々は或る錯覚を持つことが多い。丘陵とか、森とか、工場の煤煙とかが、視線を遮ることなく、遙かに地平線まで見渡せる場合、つまり、視線に対する抵抗物が平野の上に何もない場 …
ヘヤーピン一本(新字新仮名)
読書目安時間:約17分
一本のヘヤーピン、ではない、ただヘヤーピン一本、そのことだけがすっきりと、俺の心に残ったのは、何故であろうか。そのことだけが純粋で、他はみな猥雑なのであろうか。 パイプが煙脂でつま …
読書目安時間:約17分
一本のヘヤーピン、ではない、ただヘヤーピン一本、そのことだけがすっきりと、俺の心に残ったのは、何故であろうか。そのことだけが純粋で、他はみな猥雑なのであろうか。 パイプが煙脂でつま …
変な男(新字新仮名)
読書目安時間:約1時間22分
四月末の午後二時頃のこと、電車通りから二三町奥にはいった狭い横町の、二階と階下と同じような畳数がありそうな窮屈らしい家の前に、角帽を被った一人の学生が立止って、小林寓としてある古ぼ …
読書目安時間:約1時間22分
四月末の午後二時頃のこと、電車通りから二三町奥にはいった狭い横町の、二階と階下と同じような畳数がありそうな窮屈らしい家の前に、角帽を被った一人の学生が立止って、小林寓としてある古ぼ …
彗星の話(新字新仮名)
読書目安時間:約8分
むかし、ギリシャの片田舎に、ケメトスという人がいました。小さい時に両親を失って、お祖父さんの手で育てられていましたが、非常な乱暴者で、近所の子供達と喧嘩をしたり、他人の果樹園に忍び …
読書目安時間:約8分
むかし、ギリシャの片田舎に、ケメトスという人がいました。小さい時に両親を失って、お祖父さんの手で育てられていましたが、非常な乱暴者で、近所の子供達と喧嘩をしたり、他人の果樹園に忍び …
傍人の言(新字新仮名)
読書目安時間:約8分
「文士ってものは、こう変に、角突きあってる……緊張しあってるものだね。」 そうある人が云った。——この人、長く地方にいて、数ヶ月前に東京へ立戻ってきたのであるが、文学者や画家に知人 …
読書目安時間:約8分
「文士ってものは、こう変に、角突きあってる……緊張しあってるものだね。」 そうある人が云った。——この人、長く地方にいて、数ヶ月前に東京へ立戻ってきたのであるが、文学者や画家に知人 …
北支点描(新字新仮名)
読書目安時間:約11分
青島水族館は全く名ばかりのちっぽけなものであるが、ここの硝子の水槽のなかに、ウマヅラハギというおかしな魚が一匹いる。長さ二十センチあまりのものだが、長めの菱形で、頭が見ようによって …
読書目安時間:約11分
青島水族館は全く名ばかりのちっぽけなものであるが、ここの硝子の水槽のなかに、ウマヅラハギというおかしな魚が一匹いる。長さ二十センチあまりのものだが、長めの菱形で、頭が見ようによって …
北極のアムンセン(新字旧仮名)
読書目安時間:約34分
地球は、自分でくるくる回転しながら、また大きく太陽のまはりを廻つてゐます。そしてこの地球自身の回転について、たとへば独楽のやうに、まん中に一本の軸があると仮定してみますと、その軸の …
読書目安時間:約34分
地球は、自分でくるくる回転しながら、また大きく太陽のまはりを廻つてゐます。そしてこの地球自身の回転について、たとへば独楽のやうに、まん中に一本の軸があると仮定してみますと、その軸の …
程よい人(新字新仮名)
読書目安時間:約21分
「あなたは仮面をかぶっていらした。その仮面を脱いで下さい。」 泣きながら、京子は言うけれど、私としては、別に仮面をかぶっていたわけではない。ただ、最も穏当な方便を講じ、謂わば中道を …
読書目安時間:約21分
「あなたは仮面をかぶっていらした。その仮面を脱いで下さい。」 泣きながら、京子は言うけれど、私としては、別に仮面をかぶっていたわけではない。ただ、最も穏当な方便を講じ、謂わば中道を …
街の少年(新字新仮名)
読書目安時間:約20分
港というものは、遠く海上を旅する人々の休み場所、停車場というものは、陸上を往き来する人々の休み場所、どちらもにぎやかなものです。その港と停車場とがいっしょに集まると、さらににぎやか …
読書目安時間:約20分
港というものは、遠く海上を旅する人々の休み場所、停車場というものは、陸上を往き来する人々の休み場所、どちらもにぎやかなものです。その港と停車場とがいっしょに集まると、さらににぎやか …
待つ者(新字新仮名)
読書目安時間:約7分
少しく距離をへだてた人家の、硝子戸のある窓や縁先から、灯火のついている室内を眺めると、往々、おかしなことを考える。じかにまざまざと見えるのではいけない。多少の距離と硝子戸などで、室 …
読書目安時間:約7分
少しく距離をへだてた人家の、硝子戸のある窓や縁先から、灯火のついている室内を眺めると、往々、おかしなことを考える。じかにまざまざと見えるのではいけない。多少の距離と硝子戸などで、室 …
祭りの夜(新字新仮名)
読書目安時間:約20分
政代の眼は、なにかふとしたきっかけで、深い陰を宿すことがあった。顔は美人というほどではないが整っていて、皮膚は白粉やけしながら磨きがかかっており、切れの長い眼に瞳がちらちら光り、睫 …
読書目安時間:約20分
政代の眼は、なにかふとしたきっかけで、深い陰を宿すことがあった。顔は美人というほどではないが整っていて、皮膚は白粉やけしながら磨きがかかっており、切れの長い眼に瞳がちらちら光り、睫 …
窓にさす影(新字新仮名)
読書目安時間:約27分
祖母の病気、その臨終、葬式、初七日と、あわただしい日ばかり続く。私はまだ女学生のこととて、責任ある仕事は持たなかったが、いろいろなことをお手伝いしなければならなかった。その合間に、 …
読書目安時間:約27分
祖母の病気、その臨終、葬式、初七日と、あわただしい日ばかり続く。私はまだ女学生のこととて、責任ある仕事は持たなかったが、いろいろなことをお手伝いしなければならなかった。その合間に、 …
真夏の幻影(新字新仮名)
読書目安時間:約6分
広々とした平野である。はてしもなく続いてる荒地の中に、狭い耕作地が散在し、粗らな木立や灌木の茂みも所々に見え、その間を、一筋の街道が真直に続いている。誰の手に成った耕作地か?誰が通 …
読書目安時間:約6分
広々とした平野である。はてしもなく続いてる荒地の中に、狭い耕作地が散在し、粗らな木立や灌木の茂みも所々に見え、その間を、一筋の街道が真直に続いている。誰の手に成った耕作地か?誰が通 …
魔法探し(新字新仮名)
読書目安時間:約8分
むかし、ペルシャに大変えらい学者がいました。天地の間に何一つ知らないことはないというほど、あらゆる学問をきわめつくした人で、国王や人民達から非常に尊敬されていました。 ところがある …
読書目安時間:約8分
むかし、ペルシャに大変えらい学者がいました。天地の間に何一つ知らないことはないというほど、あらゆる学問をきわめつくした人で、国王や人民達から非常に尊敬されていました。 ところがある …
幻の彼方(新字新仮名)
読書目安時間:約1時間24分
岡部順造は、喧嘩の余波で初めて秋子の姙娠を知った。 いつもの通り、何でもないことだったが、冗談半分に云い争ってるうちに、やたらに小憎らしくなってきて、拳固と肱とで秋子をこづき廻した …
読書目安時間:約1時間24分
岡部順造は、喧嘩の余波で初めて秋子の姙娠を知った。 いつもの通り、何でもないことだったが、冗談半分に云い争ってるうちに、やたらに小憎らしくなってきて、拳固と肱とで秋子をこづき廻した …
幻の園(新字新仮名)
読書目安時間:約14分
祖母はいつも綺麗でした。痩せた細そりした身体付で、色が白く、皮膚が滑かでした。殊に髪の毛が美事でした。多くも少くもないその毛は、しなやかに波うって、ぼーっと薄暮の色を呈していました …
読書目安時間:約14分
祖母はいつも綺麗でした。痩せた細そりした身体付で、色が白く、皮膚が滑かでした。殊に髪の毛が美事でした。多くも少くもないその毛は、しなやかに波うって、ぼーっと薄暮の色を呈していました …
真夜中から黎明まで(新字新仮名)
読書目安時間:約4分
時の区劃から云えば、正子が一日と次の日との境界であるけれども、徹夜する者にとっては、この境界は全く感じられない。彼にとっては、午前二時頃までは前夜の連続である。遠い汽笛の音、空気の …
読書目安時間:約4分
時の区劃から云えば、正子が一日と次の日との境界であるけれども、徹夜する者にとっては、この境界は全く感じられない。彼にとっては、午前二時頃までは前夜の連続である。遠い汽笛の音、空気の …
三木清を憶う(新字新仮名)
読書目安時間:約15分
高度文化国建設のため、今や新たな出発をなさなければならない時に当って、吾々は三木清の知性を想う。彼の広い高い知性、そこに到着することさえ容易でないが、更に、そこから出発することが出 …
読書目安時間:約15分
高度文化国建設のため、今や新たな出発をなさなければならない時に当って、吾々は三木清の知性を想う。彼の広い高い知性、そこに到着することさえ容易でないが、更に、そこから出発することが出 …
水甕:――近代説話――(新字新仮名)
読書目安時間:約27分
仁木三十郎が間借りしていた家は、空襲中に焼け残った一群の住宅地の出外れにありました。それは小さな平家建てでしたが、庭がわりに広く、梅や桜や楓や檜葉などが雑然と植え込まれており、その …
読書目安時間:約27分
仁木三十郎が間借りしていた家は、空襲中に焼け残った一群の住宅地の出外れにありました。それは小さな平家建てでしたが、庭がわりに広く、梅や桜や楓や檜葉などが雑然と植え込まれており、その …
道連(新字新仮名)
読書目安時間:約37分
君は夜道をしたことがあるかね。……なに、都会の夜道なら少しくらいって、馬鹿なことを云っちゃいけない。街灯が至る所に明るくともっていて、寝静まってるとは云え人間の息吹きが空気に籠って …
読書目安時間:約37分
君は夜道をしたことがあるかね。……なに、都会の夜道なら少しくらいって、馬鹿なことを云っちゃいけない。街灯が至る所に明るくともっていて、寝静まってるとは云え人間の息吹きが空気に籠って …
三つの嘘:――近代伝説――(新字新仮名)
読書目安時間:約10分
或るところに、元という長者がありました。賤しい生れでしたが、一代に長者となったのであります。若い頃、沿海航路の小さな貨物船の水夫をしていて、ひそかに、いかがわしい商売をして、相当の …
読書目安時間:約10分
或るところに、元という長者がありました。賤しい生れでしたが、一代に長者となったのであります。若い頃、沿海航路の小さな貨物船の水夫をしていて、ひそかに、いかがわしい商売をして、相当の …
三つの悲憤:――近代伝説――(新字新仮名)
読書目安時間:約18分
ある田舎に、阮という豪族の一家がありました。 阮家の一人息子の阮東は、志を立てて、都に出ました。そして学問をしながら、長官の周家に、書生として暮すことになりました。 その翌年の春さ …
読書目安時間:約18分
ある田舎に、阮という豪族の一家がありました。 阮家の一人息子の阮東は、志を立てて、都に出ました。そして学問をしながら、長官の周家に、書生として暮すことになりました。 その翌年の春さ …
南さんの恋人:――「小悪魔の記録」――(新字新仮名)
読書目安時間:約36分
少しいたずら過ぎたかな?だが、まあいいや。 その朝、室の有様は、おれの気に入った。 窓に引かれてる白いカーテンを通して、曇り日らしい薄明りが空の中に湛え、テーブルの上のスタンドの電 …
読書目安時間:約36分
少しいたずら過ぎたかな?だが、まあいいや。 その朝、室の有様は、おれの気に入った。 窓に引かれてる白いカーテンを通して、曇り日らしい薄明りが空の中に湛え、テーブルの上のスタンドの電 …
未亡人(新字新仮名)
読書目安時間:約21分
守山未亡人千賀子さん 私が顔を出すと、あなたはいつも擽ったいような表情をしますね。この擽ったいというやつは、なかなか複雑微妙な感情でして、私はいったいあなたから嫌われてるのか好かれ …
読書目安時間:約21分
守山未亡人千賀子さん 私が顔を出すと、あなたはいつも擽ったいような表情をしますね。この擽ったいというやつは、なかなか複雑微妙な感情でして、私はいったいあなたから嫌われてるのか好かれ …
未来の天才(新字新仮名)
読書目安時間:約38分
幸福というものは、何時何処から舞い込んでくるか分らない。それをうまく捉えることが肝要なのだ。——あの朝、遅くまで寝床に愚図々々してた時、天井からすっと蜘蛛の子が降りてきた。あるかな …
読書目安時間:約38分
幸福というものは、何時何処から舞い込んでくるか分らない。それをうまく捉えることが肝要なのだ。——あの朝、遅くまで寝床に愚図々々してた時、天井からすっと蜘蛛の子が降りてきた。あるかな …
無法者(新字新仮名)
読書目安時間:約24分
志村圭介はもう五十歳になるが、頭に白髪は目立たず、顔色は艶やかで、そして楽しそうだった。十年前に妻を亡くしてから、再婚の話をすべて断り、独身生活を続けている。二人の子供の世話と家事 …
読書目安時間:約24分
志村圭介はもう五十歳になるが、頭に白髪は目立たず、顔色は艶やかで、そして楽しそうだった。十年前に妻を亡くしてから、再婚の話をすべて断り、独身生活を続けている。二人の子供の世話と家事 …
紫の壜(新字新仮名)
読書目安時間:約24分
検察当局は私を、殺人罪もしくは自殺幇助罪に問おうとしている。私は自白を強いられている。だが、身に覚えないことを告白するのは、嘘をつくことだ。この期に及んで嘘をつきたくはない。軍隊生 …
読書目安時間:約24分
検察当局は私を、殺人罪もしくは自殺幇助罪に問おうとしている。私は自白を強いられている。だが、身に覚えないことを告白するのは、嘘をつくことだ。この期に及んで嘘をつきたくはない。軍隊生 …
ものの影(新字新仮名)
読書目安時間:約18分
池、といっても、台地の裾から湧き出る水がただ広くたまってる浅い沼で、その片側、道路ぞいに、丈高い葦が生い茂り、中ほどに、大きな松が一本そびえている。そのへんを、俗に一本松と呼ばれて …
読書目安時間:約18分
池、といっても、台地の裾から湧き出る水がただ広くたまってる浅い沼で、その片側、道路ぞいに、丈高い葦が生い茂り、中ほどに、大きな松が一本そびえている。そのへんを、俗に一本松と呼ばれて …
「紋章」の「私」(新字新仮名)
読書目安時間:約9分
横光利一氏の「紋章」のなかには、「私」という言葉で現わされてる一人の文学者が出てくる。彼は、主要な人物たる雁金八郎と山下久内とに、共に交誼があり、山下敦子や綾部初子や杉生善作とは顔 …
読書目安時間:約9分
横光利一氏の「紋章」のなかには、「私」という言葉で現わされてる一人の文学者が出てくる。彼は、主要な人物たる雁金八郎と山下久内とに、共に交誼があり、山下敦子や綾部初子や杉生善作とは顔 …
山の別荘の少年(新字新仮名)
読書目安時間:約21分
私は一年間、ある山奥の別荘でくらしたことがあります。なかば洋館づくりの立派な別荘でした。番人をしている五十歳ばかりの夫婦者と、その甥にあたる正夫という少年がいるきりでした。私は正夫 …
読書目安時間:約21分
私は一年間、ある山奥の別荘でくらしたことがあります。なかば洋館づくりの立派な別荘でした。番人をしている五十歳ばかりの夫婦者と、その甥にあたる正夫という少年がいるきりでした。私は正夫 …
山吹の花(新字新仮名)
読書目安時間:約22分
湖心に眼があった。青空を映し、空に流るる白雲を映して、悠久に澄みきり、他意なかったが、それがともすると、田宮の眼と一つになった。田宮の眼が湖心の眼の方へ合体してゆくのか、湖心の眼が …
読書目安時間:約22分
湖心に眼があった。青空を映し、空に流るる白雲を映して、悠久に澄みきり、他意なかったが、それがともすると、田宮の眼と一つになった。田宮の眼が湖心の眼の方へ合体してゆくのか、湖心の眼が …
守宮(新字新仮名)
読書目安時間:約5分
私の二階の書斎は、二方硝子戸になっているが、その硝子戸の或る場所に、夜になると、一匹の守宮が出て来る。それが丁度、私の真正面に当る。硝子戸から二尺ばかり距てて机が据えてあり、机の上 …
読書目安時間:約5分
私の二階の書斎は、二方硝子戸になっているが、その硝子戸の或る場所に、夜になると、一匹の守宮が出て来る。それが丁度、私の真正面に当る。硝子戸から二尺ばかり距てて机が据えてあり、机の上 …
愉快な話(新字新仮名)
読書目安時間:約6分
愉快な話というものは、なかなかないものだ。殊に事実談になると猶更である。事実談は、どんな愉快な面貌を具えていても、どこかに一脈の憂愁を湛えている。現実というものが、本質的にそう佗び …
読書目安時間:約6分
愉快な話というものは、なかなかないものだ。殊に事実談になると猶更である。事実談は、どんな愉快な面貌を具えていても、どこかに一脈の憂愁を湛えている。現実というものが、本質的にそう佗び …
夢(新字新仮名)
読書目安時間:約3分
幼時、正月のいろいろな事柄のうちで、最も楽しいのは、初夢を待つ気持だった。伝説、慣例、各種の年中行事、そういったものに深くなじんでた祖母が、初夢によってその年の運勢が占われることを …
読書目安時間:約3分
幼時、正月のいろいろな事柄のうちで、最も楽しいのは、初夢を待つ気持だった。伝説、慣例、各種の年中行事、そういったものに深くなじんでた祖母が、初夢によってその年の運勢が占われることを …
夢の図(新字新仮名)
読書目安時間:約15分
木村は云う——。 物を考え、考えあぐんで、椅子に身を託し、或は畳の上に身をなげだして、なお考え続けながら、いつしかうつらうつら仮睡する者は、如何に多くのものを喪失していることでしょ …
読書目安時間:約15分
木村は云う——。 物を考え、考えあぐんで、椅子に身を託し、或は畳の上に身をなげだして、なお考え続けながら、いつしかうつらうつら仮睡する者は、如何に多くのものを喪失していることでしょ …
夢の卵(新字新仮名)
読書目安時間:約19分
遠い昔のことですが、インドの奥に小さな王国がありました。その国の王様の城は、高い山のふもとに堅い岩で造られていました。前にはきれいな谷川が流れており、後ろには広い森が茂っていました …
読書目安時間:約19分
遠い昔のことですが、インドの奥に小さな王国がありました。その国の王様の城は、高い山のふもとに堅い岩で造られていました。前にはきれいな谷川が流れており、後ろには広い森が茂っていました …
湯元の秋(新字新仮名)
読書目安時間:約6分
私は或る秋の初め、日光の奥の湯元温泉に約二週間ばかり滞在していた。十二月には雪を避けて人は皆麓の方へ下りてゆくという山中なので、日当りのいい傾斜面にはまだ種々な花が咲いているのに、 …
読書目安時間:約6分
私は或る秋の初め、日光の奥の湯元温泉に約二週間ばかり滞在していた。十二月には雪を避けて人は皆麓の方へ下りてゆくという山中なので、日当りのいい傾斜面にはまだ種々な花が咲いているのに、 …
楊先生(新字新仮名)
読書目安時間:約10分
楊先生——私達の間では彼はいつもそう呼ばれた。一種の親しみと敬意とをこめた呼称なのである。父は日本人で、母は中国人であって、中華民国に国籍がある。 長らく東京の本郷区内に住んでいた …
読書目安時間:約10分
楊先生——私達の間では彼はいつもそう呼ばれた。一種の親しみと敬意とをこめた呼称なのである。父は日本人で、母は中国人であって、中華民国に国籍がある。 長らく東京の本郷区内に住んでいた …
慾(新字新仮名)
読書目安時間:約33分
飲酒家の酔い方には、大体二つの型がある。一つは、外部から酔っていくもので、先ず膝がくずれ、衣服の襟元がだらしなくなり、手付があやしくなり、眼付が乱れ、舌がもつれてくる、がそのくせ、 …
読書目安時間:約33分
飲酒家の酔い方には、大体二つの型がある。一つは、外部から酔っていくもので、先ず膝がくずれ、衣服の襟元がだらしなくなり、手付があやしくなり、眼付が乱れ、舌がもつれてくる、がそのくせ、 …
雷神の珠(新字新仮名)
読書目安時間:約6分
むかし、世の中にいろんな神が——風の神や水の神や山の神などいろんな神が、方々にたくさんいた頃のこと、ある所に一人の長者が住んでいました。その長者が、ある日、他国から来た旅人から、次 …
読書目安時間:約6分
むかし、世の中にいろんな神が——風の神や水の神や山の神などいろんな神が、方々にたくさんいた頃のこと、ある所に一人の長者が住んでいました。その長者が、ある日、他国から来た旅人から、次 …
落雷のあと:――近代説話――(新字新仮名)
読書目安時間:約15分
雷が近くに落ちたからといって、人の心は俄に変るものではありますまい。けれど、なにか心機一転のきっかけとなることはありましょう。そういうことが、立川一郎に起りました。 暑い日、という …
読書目安時間:約15分
雷が近くに落ちたからといって、人の心は俄に変るものではありますまい。けれど、なにか心機一転のきっかけとなることはありましょう。そういうことが、立川一郎に起りました。 暑い日、という …
理想の女(新字新仮名)
読書目安時間:約1時間17分
私は遂に秀子を殴りつけた。自然の勢で仕方がなかったのだ。 私は晩食の時に少し酒を飲んだ。私達は安らかな気持ちで話をした。食後に私はいい気持ちになって——然し酔ってはいなかった——室 …
読書目安時間:約1時間17分
私は遂に秀子を殴りつけた。自然の勢で仕方がなかったのだ。 私は晩食の時に少し酒を飲んだ。私達は安らかな気持ちで話をした。食後に私はいい気持ちになって——然し酔ってはいなかった——室 …
掠奪せられたる男(新字新仮名)
読書目安時間:約47分
山田は秀子の方が自分を誘惑したのだと思っていた。そして自分の方では、彼女を恋したのだと自ら云うだけの勇気はなかった。恋しなくとも男は女の奴隷(或る意味での)になることはあるものであ …
読書目安時間:約47分
山田は秀子の方が自分を誘惑したのだと思っていた。そして自分の方では、彼女を恋したのだと自ら云うだけの勇気はなかった。恋しなくとも男は女の奴隷(或る意味での)になることはあるものであ …
竜宮(新字新仮名)
読書目安時間:約8分
今時、竜宮の話などするのはちとおかしいが、また逆に、こういう時代だから、竜宮の話も少しはしてよかろう。 竜宮といえば、先ず、「浦島太郎」の昔話が思い出される。これは誰でも知ってるも …
読書目安時間:約8分
今時、竜宮の話などするのはちとおかしいが、また逆に、こういう時代だから、竜宮の話も少しはしてよかろう。 竜宮といえば、先ず、「浦島太郎」の昔話が思い出される。これは誰でも知ってるも …
林檎(新字新仮名)
読書目安時間:約24分
四月初旬の夜のことだった。汽車は北上川に沿って走っていた。その動揺と響きとに身を任せて、うとうとと居眠っていた私は、窓際にもたせた枕の空気の減ったせいか、妙に不安定な夢心地で、ぼん …
読書目安時間:約24分
四月初旬の夜のことだった。汽車は北上川に沿って走っていた。その動揺と響きとに身を任せて、うとうとと居眠っていた私は、窓際にもたせた枕の空気の減ったせいか、妙に不安定な夢心地で、ぼん …
霊感(新字新仮名)
読書目安時間:約31分
第一話 都内某寺の、墓地の一隅に、ちと風変りな碑があります。火山岩の石塊を積みあげて、高い塚を築き、その頂に、平たい石碑を立てたものです。碑面に、身禄山とありますが、その昔、身禄と …
読書目安時間:約31分
第一話 都内某寺の、墓地の一隅に、ちと風変りな碑があります。火山岩の石塊を積みあげて、高い塚を築き、その頂に、平たい石碑を立てたものです。碑面に、身禄山とありますが、その昔、身禄と …
霊気(新字新仮名)
読書目安時間:約3分
中房温泉は、既に海抜四千八百尺余の高地にあって、日本アルプスの支脈に懐かれている。早朝に温泉を発して、山の尾根伝いに、見上ぐるばかりの急坂を、よじ登りよじ登り、三時間余にして、燕岳 …
読書目安時間:約3分
中房温泉は、既に海抜四千八百尺余の高地にあって、日本アルプスの支脈に懐かれている。早朝に温泉を発して、山の尾根伝いに、見上ぐるばかりの急坂を、よじ登りよじ登り、三時間余にして、燕岳 …
轢死人(新字新仮名)
読書目安時間:約8分
S君が私に次のような話をしてきかした。 「……そういうわけで、私の友人はその男の後からついて行ったそうです。而もその男というのが友人の知人なんです。常識で考えると一寸妙な話ですが、 …
読書目安時間:約8分
S君が私に次のような話をしてきかした。 「……そういうわけで、私の友人はその男の後からついて行ったそうです。而もその男というのが友人の知人なんです。常識で考えると一寸妙な話ですが、 …
レ・ミゼラブル:01 序(新字新仮名)
読書目安時間:約7分
一七八九年七月バスティーユ牢獄の破壊にその端緒を開いたフランス大革命は、有史以来人類のなした最も大きな歩みの一つであった。その叫喊は生まれいずる者の産声であり、その恐怖は新しき太陽 …
読書目安時間:約7分
一七八九年七月バスティーユ牢獄の破壊にその端緒を開いたフランス大革命は、有史以来人類のなした最も大きな歩みの一つであった。その叫喊は生まれいずる者の産声であり、その恐怖は新しき太陽 …
レ・ミゼラブル:02 改訳について(新字新仮名)
読書目安時間:約1分
「レ・ミゼラブル」の翻訳を私が仕上げたのは、ずいぶん以前のことである。年少菲才の身をもって事にあたったので、意に満たぬ点が多々あった。しかるに今度改訂の機会を得て、旧稿に手を入れて …
読書目安時間:約1分
「レ・ミゼラブル」の翻訳を私が仕上げたのは、ずいぶん以前のことである。年少菲才の身をもって事にあたったので、意に満たぬ点が多々あった。しかるに今度改訂の機会を得て、旧稿に手を入れて …
録音集(新字新仮名)
読書目安時間:約7分
八月の中旬、立秋後、朝夕の微風にかすかな凉味が乗り初める頃、夜の明け方に、よく雨が降る。夜の間、大気が重く汗ばんで、のろく渦を巻いたり淀んだりしているなかに、どこからともなく軽い冷 …
読書目安時間:約7分
八月の中旬、立秋後、朝夕の微風にかすかな凉味が乗り初める頃、夜の明け方に、よく雨が降る。夜の間、大気が重く汗ばんで、のろく渦を巻いたり淀んだりしているなかに、どこからともなく軽い冷 …
別れの辞(新字新仮名)
読書目安時間:約37分
あの頃島村の心は荒れていた、と今になっても多くの人はいうけれど、私はそれを信じない。心の荒れた男が、極度の侮蔑の色を眼に浮かべるということは、あり得べからざることだ。冴えた精神から …
読書目安時間:約37分
あの頃島村の心は荒れていた、と今になっても多くの人はいうけれど、私はそれを信じない。心の荒れた男が、極度の侮蔑の色を眼に浮かべるということは、あり得べからざることだ。冴えた精神から …
私の信条(新字新仮名)
読書目安時間:約8分
私の仕事と世の中とのつながり。—— 私の主な仕事は、文筆の業である。それによってどうにか生活を立てている以上、世の中とのつながりがないわけではない。然し、それを分析してみたところで …
読書目安時間:約8分
私の仕事と世の中とのつながり。—— 私の主な仕事は、文筆の業である。それによってどうにか生活を立てている以上、世の中とのつながりがないわけではない。然し、それを分析してみたところで …
翻訳者としての作品一覧
死刑囚最後の日(新字新仮名)
読書目安時間:約2時間42分
ビセートルにて 死刑囚! もう五週間のあいだ、私はその考えと一緒に住み、いつもそれと二人きりでおり、いつもその面前に凍えあがり、いつもその重みの下に背を屈めている。 昔は、というの …
読書目安時間:約2時間42分
ビセートルにて 死刑囚! もう五週間のあいだ、私はその考えと一緒に住み、いつもそれと二人きりでおり、いつもその面前に凍えあがり、いつもその重みの下に背を屈めている。 昔は、というの …
ジャン・クリストフ(新字新仮名)
読書目安時間:約27分
前がき 『ジャン・クリストフ』の作者ロマン・ローランは、西暦千八百六十六年フランスに生まれて、現在ではスウィスの山間に住んでいます。純粋のフランス人の血すじをうけた人で、するどい知 …
読書目安時間:約27分
前がき 『ジャン・クリストフ』の作者ロマン・ローランは、西暦千八百六十六年フランスに生まれて、現在ではスウィスの山間に住んでいます。純粋のフランス人の血すじをうけた人で、するどい知 …
ジャン・クリストフ:02 改訳について(新字新仮名)
読書目安時間:約4分
「ジャン・クリストフ」は、初めカイエ・ド・ラ・キャンゼーヌ中の十七冊として発表され、次で十冊の書物として刊行されていたが、一九二一年に、改訂版四冊として再刊された。そのさい作者は、 …
読書目安時間:約4分
「ジャン・クリストフ」は、初めカイエ・ド・ラ・キャンゼーヌ中の十七冊として発表され、次で十冊の書物として刊行されていたが、一九二一年に、改訂版四冊として再刊された。そのさい作者は、 …
ジャン・クリストフ:03 第一巻 曙(新字新仮名)
読書目安時間:約3時間25分
いずれの国の人たるを問わず、 苦しみ、闘い、ついには勝つべき、 あらゆる自由なる魂に、捧ぐ。 ロマン・ローラン 昼告ぐる曙の色ほのかにて、 汝が魂は身内に眠れる時…… ——神曲、煉 …
読書目安時間:約3時間25分
いずれの国の人たるを問わず、 苦しみ、闘い、ついには勝つべき、 あらゆる自由なる魂に、捧ぐ。 ロマン・ローラン 昼告ぐる曙の色ほのかにて、 汝が魂は身内に眠れる時…… ——神曲、煉 …
ジャン・クリストフ:04 第二巻 朝(新字新仮名)
読書目安時間:約3時間27分
一ジャン・ミシェルの死 三か年過ぎ去った。クリストフは十一歳になりかけている。彼はなおつづけて音楽の教育を受けている。フロリアン・ホルツェルについて和声を学んでいる。これはサン・マ …
読書目安時間:約3時間27分
一ジャン・ミシェルの死 三か年過ぎ去った。クリストフは十一歳になりかけている。彼はなおつづけて音楽の教育を受けている。フロリアン・ホルツェルについて和声を学んでいる。これはサン・マ …
ジャン・クリストフ:05 第三巻 青年(新字新仮名)
読書目安時間:約4時間39分
一オイレル家 家は沈黙のうちに沈んでいた。父の死去以来すべてが死んでるかと思われた。メルキオルの騒々しい声が消えてしまった今では、朝から晩まで聞こえるものはただ、河の退屈な囁きばか …
読書目安時間:約4時間39分
一オイレル家 家は沈黙のうちに沈んでいた。父の死去以来すべてが死んでるかと思われた。メルキオルの騒々しい声が消えてしまった今では、朝から晩まで聞こえるものはただ、河の退屈な囁きばか …
ジャン・クリストフ:06 第四巻 反抗(新字新仮名)
読書目安時間:約8時間10分
序 ジャン・クリストフの多少激越なる批評的性格は、相次いで各派の読者に、しばしばその気色を寄せしむるの恐れあることと思うから、予はその物語の新たなる局面に入るに当たって、予が諸友お …
読書目安時間:約8時間10分
序 ジャン・クリストフの多少激越なる批評的性格は、相次いで各派の読者に、しばしばその気色を寄せしむるの恐れあることと思うから、予はその物語の新たなる局面に入るに当たって、予が諸友お …
ジャン・クリストフ:07 第五巻 広場の市(新字新仮名)
読書目安時間:約6時間1分
著者とその影との対話 予まさしく乗るか反るかの仕事だね、クリストフ。お前は俺を全世界と喧嘩させるつもりだったのか。 クリストフまあ驚いた様子をするな。最初からお前は、どこへ俺が連れ …
読書目安時間:約6時間1分
著者とその影との対話 予まさしく乗るか反るかの仕事だね、クリストフ。お前は俺を全世界と喧嘩させるつもりだったのか。 クリストフまあ驚いた様子をするな。最初からお前は、どこへ俺が連れ …
ジャン・クリストフ:08 第六巻 アントアネット(新字新仮名)
読書目安時間:約3時間6分
母に捧ぐ ジャンナン家は、数世紀来田舎の一地方に定住して、少しも外来の混血を受けないでいる、フランスの古い家族の一つだった。そういう家族は、社会に種々の変化が襲来したにもかかわらず …
読書目安時間:約3時間6分
母に捧ぐ ジャンナン家は、数世紀来田舎の一地方に定住して、少しも外来の混血を受けないでいる、フランスの古い家族の一つだった。そういう家族は、社会に種々の変化が襲来したにもかかわらず …
ジャン・クリストフ:09 第七巻 家の中(新字新仮名)
読書目安時間:約5時間12分
序 ジャン・クリストフの友人らへ 私は数年来、既知あるいは未知の離れてる友人らと、いつも心のうちで話をしてきたが、今日では声高に話す必要を感ずる。それにまた、彼らに負うところを感謝 …
読書目安時間:約5時間12分
序 ジャン・クリストフの友人らへ 私は数年来、既知あるいは未知の離れてる友人らと、いつも心のうちで話をしてきたが、今日では声高に話す必要を感ずる。それにまた、彼らに負うところを感謝 …
ジャン・クリストフ:10 第八巻 女友達(新字新仮名)
読書目安時間:約5時間20分
フランス以外で成功を博しかけていたにもかかわらず、クリストフとオリヴィエの物質的情況は、なかなかよくなってゆかなかった。きまってときどき困難な時期がやってきて、空腹な思いをしなけれ …
読書目安時間:約5時間20分
フランス以外で成功を博しかけていたにもかかわらず、クリストフとオリヴィエの物質的情況は、なかなかよくなってゆかなかった。きまってときどき困難な時期がやってきて、空腹な思いをしなけれ …
ジャン・クリストフ:11 第九巻 燃ゆる荊(新字新仮名)
読書目安時間:約5時間44分
われは堅き金剛石 金槌にも鑿にも 打ち砕かれじ。 打て、打て、打ちみよ われは死なじ。 死してはまた生き 屍灰より生まるる 不死鳥のわれ。 殺せ、殺してみよ、 われは死なじ。 —— …
読書目安時間:約5時間44分
われは堅き金剛石 金槌にも鑿にも 打ち砕かれじ。 打て、打て、打ちみよ われは死なじ。 死してはまた生き 屍灰より生まるる 不死鳥のわれ。 殺せ、殺してみよ、 われは死なじ。 —— …
ジャン・クリストフ:12 第十巻 新しき日(新字新仮名)
読書目安時間:約5時間19分
予は将に消え失せんとする一世代の悲劇を書いた。予は少しも隠そうとはしなかった、その悪徳と美徳とを、その重苦しい悲哀を、その漠とした高慢を、その勇壮な努力を、また超人間的事業の重圧の …
読書目安時間:約5時間19分
予は将に消え失せんとする一世代の悲劇を書いた。予は少しも隠そうとはしなかった、その悪徳と美徳とを、その重苦しい悲哀を、その漠とした高慢を、その勇壮な努力を、また超人間的事業の重圧の …
ジャン・クリストフ:13 後記(新字新仮名)
読書目安時間:約19分
訳者 改訳の筆を擱くに当たって、私は最初読者になした約束を果たさなければならない。すなわち、ロマン・ローラン全集版の「ジャン・クリストフ」についている作者の緒言の翻訳である。 この …
読書目安時間:約19分
訳者 改訳の筆を擱くに当たって、私は最初読者になした約束を果たさなければならない。すなわち、ロマン・ローラン全集版の「ジャン・クリストフ」についている作者の緒言の翻訳である。 この …
レ・ミゼラブル:03 序(新字新仮名)
読書目安時間:約1分
法律と風習とによって、ある永劫の社会的処罰が存在し、かくして人為的に地獄を文明のさなかにこしらえ、聖なる運命を世間的因果によって紛糾せしむる間は、すなわち、下層階級による男の失墜、 …
読書目安時間:約1分
法律と風習とによって、ある永劫の社会的処罰が存在し、かくして人為的に地獄を文明のさなかにこしらえ、聖なる運命を世間的因果によって紛糾せしむる間は、すなわち、下層階級による男の失墜、 …
レ・ミゼラブル:04 第一部 ファンテーヌ(新字新仮名)
読書目安時間:約9時間54分
一八一五年に、シャール・フランソア・ビヤンヴニュ・ミリエル氏はディーニュの司教であった。七十五歳ばかりの老人で、一八〇六年以来、ディーニュの司教職についていたのである。 彼がその教 …
読書目安時間:約9時間54分
一八一五年に、シャール・フランソア・ビヤンヴニュ・ミリエル氏はディーニュの司教であった。七十五歳ばかりの老人で、一八〇六年以来、ディーニュの司教職についていたのである。 彼がその教 …
レ・ミゼラブル:05 第二部 コゼット(新字新仮名)
読書目安時間:約8時間45分
一八六一年五月のある麗しい朝、一人の旅人、すなわちこの物語の著者は、ニヴェルからやってきてラ・ユルプの方へ向かっていた。彼は徒歩で、両側に並み木の並んでる石畳の広い街道を進んでいっ …
読書目安時間:約8時間45分
一八六一年五月のある麗しい朝、一人の旅人、すなわちこの物語の著者は、ニヴェルからやってきてラ・ユルプの方へ向かっていた。彼は徒歩で、両側に並み木の並んでる石畳の広い街道を進んでいっ …
レ・ミゼラブル:06 第三部 マリユス(新字新仮名)
読書目安時間:約7時間46分
パリーは一つの子供を持ち、森は一つの小鳥を持っている。その小鳥を雀と言い、その子供を浮浪少年と言う。 パリーと少年、一つは坩堝であり一つは曙であるこの二つの観念をこね合わし、この二 …
読書目安時間:約7時間46分
パリーは一つの子供を持ち、森は一つの小鳥を持っている。その小鳥を雀と言い、その子供を浮浪少年と言う。 パリーと少年、一つは坩堝であり一つは曙であるこの二つの観念をこね合わし、この二 …
レ・ミゼラブル:07 第四部 叙情詩と叙事詩 プリューメ街の恋歌とサン・ドゥニ街の戦歌(新字新仮名)
読書目安時間:約10時間55分
一八三一年と一八三二年とは、七月革命に直接関係ある年で、史上最も特殊な最も驚くべき時期の一つである。この二年は、その前後の時期の間にあたかも二つの山のごとくそびえている。革命の壮観 …
読書目安時間:約10時間55分
一八三一年と一八三二年とは、七月革命に直接関係ある年で、史上最も特殊な最も驚くべき時期の一つである。この二年は、その前後の時期の間にあたかも二つの山のごとくそびえている。革命の壮観 …
レ・ミゼラブル:08 第五部 ジャン・ヴァルジャン(新字新仮名)
読書目安時間:約9時間28分
社会の病根を観察する者がまずあげ得る最も顕著な二つの防寨は、本書の事件と同時代のものではない。その二つの防寨は、異なった二つの局面においていずれも恐るべき情況を象徴するものであって …
読書目安時間:約9時間28分
社会の病根を観察する者がまずあげ得る最も顕著な二つの防寨は、本書の事件と同時代のものではない。その二つの防寨は、異なった二つの局面においていずれも恐るべき情況を象徴するものであって …
“豊島与志雄”について
豊島 与志雄(とよしま よしお、1890年〈明治23年〉11月27日 - 1955年〈昭和30年〉6月18日)は、日本の小説家・翻訳家・仏文学者・児童文学者。法政大学名誉教授。明治大学文学部教授もつとめた。日本芸術院会員。
(出典:Wikipedia)
(出典:Wikipedia)
“豊島与志雄”と年代が近い著者
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