季節きせつ)” の例文
ちょうどその季節きせつでありました。とおい、あちらにあたって、カン、カン、カンカラカンノカン、……というけいおとがきこえてきました。
海ほおずき (新字新仮名) / 小川未明(著)
いまどき、めずらしいきゃくである。こんな冬の季節きせつに、しかもこんなへんぴな土地に、たび商人しょうにんだってめったにきたことはないのだ。
村落むらはしからはしまでみなどう一の仕事しごと屈託くつたくしてるのだから季節きせつ假令たとひ自分じぶんわすれたとしてもまつたわすることの出來できるものではない。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
このことを、どの鳥もよく知っていて、あらしの吹きすさぶ季節きせつには、たくさんの鳥がこの大きな家々のえんがわや露台ろだいをかくれにするのでした。
「木瓜薊、旅して見たく野はなりぬ」せわしくなる前に、此花の季節きせつを、御岳詣みたけまいり、三峰かけて榛名詣はるなまいり、汽車と草鞋わらじで遊んで来る講中の者も少くない。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
お父さんはパリではこの道にかけて熟練じゅくれんのほまれの高い一人であった。それでその季節きせつにはほうぼうからたのまれて、うちにいることが少なかった。
それは冬でも大寒だいかんといういちばん寒い季節きせつでした。この季節になると、この地方は、大人のたけほどの雪がもり、それが春の四月ごろまでとけずにいるのです。
神様の布団 (新字新仮名) / 下村千秋(著)
甲斐かい東端とうたん北武蔵きたむさしとの山境やまざかいにある、御岳神社みたけじんじゃ紅葉こうよう季節きせつにあたって、万樹紅焔まんじゅこうえん広前ひろまえで、毎年おこなわれる兵学大講会へいがくだいこうえに、ことしは、大久保石見守長安おおくぼいわみのかみながやす
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
如何いくよめいびりの胡麻白ごましろばあさんでも此時このときだけはのんびりして幾干いくら善心ぜんしんちかへるだらうとおもはれる。なつし、清明せいめい季節きせつ高地テーブルランド旦道たんだうはしときなどさらし。
湯ヶ原ゆき (旧字旧仮名) / 国木田独歩(著)
それで、クリスマスの季節きせつになると、このもみの木は、とうとう、まっさきにきられました。
その季節きせつにはよくあることなので、自分は、さけどろぼうが貨車かしゃの中まであらしたのかと思うと、思わず、むッとして、手荒てあら仕切しきりの車戸くるまどをひきあけて、足をふみこんだ。
くまと車掌 (新字新仮名) / 木内高音(著)
草木そうもくの色の移り行くにつれて、狼の毛の色も季節きせつごとに変りて行くものなり。
遠野物語 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
天子てんしさまはたいそう阿倍あべ童子どうじ手柄てがらをおほめになって、ちょうど三がつ清明せいめい季節きせつなので、名前なまえ阿倍あべ清明せいめいとおつけになり、五くらいさずけて、陰陽頭おんみょうのかみというやくにおとりたてになりました。
葛の葉狐 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
季節きせつはまた春になりました。
春の詩集 (新字旧仮名) / 河井酔茗(著)
みやこは、ちょうどなつのはじめの季節きせつでありましたから、まち唐物店とうぶつみせには、流行りゅうこううつくしいがさが、いく種類しゅるいとなくならべてありました。
日がさとちょう (新字新仮名) / 小川未明(著)
ふゆ季節きせつほこりいて西風にしかぜ何處どこよりもおつぎのいへ雨戸あまど今日けふたぞとたゝく。それはむら西端せいたんるからである。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
暴風は、一日じゅう休みもなくれくるいました。そして、この季節きせつに渡ってくる、たくさんの小鳥のむれを、さんざんな目にあわせました。
においあらせいとうの季節きせつがすむと、今度はほかの花を作らなければならない。植木屋の花畑は一年じゅうむだに土地の遊んでいるひまはなかった。
なつはじめたびぼくなによりもこれすきで、今日こんにちまで數々しば/\この季節きせつ旅行りよかうした、しかしあゝ何等なんら幸福かうふくぞ、むねたのしい、れしい空想くうさういだきながら、今夜こんやむすめはれるとおもひながら
湯ヶ原より (旧字旧仮名) / 国木田独歩(著)
この季節きせつに農家を訪えば大抵たいていは門をしめてある。猫一疋居ぬ家もある。何を問うても、くる/\とした眼をみはって、「知ンねェや」と答うる五六歳いつつむつの女の子が赤ンぼうと唯二人留守して居るうちもある。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
そうするうちに、いよいよ選挙日せんきょびとなりました。おりしも、はるのいい季節きせつであって、正吉しょうきちらの投票場とうひょうじょうは、ちかくの小学校しょうがっこうにきめられました。
心の芽 (新字新仮名) / 小川未明(著)
媒妁人ばいしやくにんたゞさけんでさわいだだけであつた。おしなもなくをんなんだ。それがおつぎであつた。季節きせつくれつまつたいそがしいときであつた。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
アッケンのお父さんは、においあらせいとうの季節きせつがすむと、七月、八月のいわの用意にせっせとかかっていた。
それを聞くと、みんなは笑いだして、ゆめでもみたんでしょう、と言いました。こんな早い季節きせつには、まだリスの赤んぼうなんているはずがありませんもの。
季節きせつはずれに、こんなにいろいろなさかながとれたのも、みんなふえのおかげだ。」といって、人々ひとびとは、はまかえってからさかもりをはじめました。
青い玉と銀色のふえ (新字新仮名) / 小川未明(著)
このごろのあたたかい季節きせつではわたしたちは野天にねむることができた。
ゆきがまったくえて、まちなかにはあとをもめなくなりました。木々きぎは、みんな銀色ぎんいろをふいて、よるもうすあかるくていい季節きせつとなりました。
牛女 (新字新仮名) / 小川未明(著)
もくら、もくらと、しろくもが、大空おおぞらあたまをならべる季節きせつとなりました。とおくつづくみちも、りょうがわのまちも、まぶしいひかりをあびています。
新しい町 (新字新仮名) / 小川未明(著)
「いいえ、あのたちは、そんなわるいことをしませんよ。それに、もうこのごろは、じゅう季節きせつでありませんからね。」
木の上と下の話 (新字新仮名) / 小川未明(著)
そのとき、季節きせつはずれの、おおきなくろいちょうが、どこからまよいこんだものか、ガラスまどにつきたって、しきりと、出口でぐちをさがしていました。
だまされた娘とちょうの話 (新字新仮名) / 小川未明(著)
にいさんや、ねえさんたちは、果物くだもの季節きせつになると、いろいろおいしそうな、果物くだものが、店頭てんとうならぶのをてきてはなしをしました。
お母さんはえらいな (新字新仮名) / 小川未明(著)
季節きせつあきにはいると、どこからともなく、わたどりがあかねいろ夕空ゆうぞらを、やまうえたかく、豆粒まめつぶのように、ちらばりながら、んでいくのがえました。
しいたげられた天才 (新字新仮名) / 小川未明(著)
くろ常磐木とわぎはやしがあった、そのしたへきました。じきにはな季節きせつだったけれど、ここだけは、まだふゆのこっているようにかぜつめたかったのです。
花の咲く前 (新字新仮名) / 小川未明(著)
もはや、季節きせつぎてしまったので、荒物屋あらものやや、絵双紙屋えぞうしやのようなところをいてあるいてみたけれど、うちわをならべているうちはありませんでした。
遠方の母 (新字新仮名) / 小川未明(著)
かぜくたびに、ちらちらとはなったのを記憶きおくしている。もうすぐに、幾年いくねんめかで、その季節きせつがめぐってくるのだ。
汽車は走る (新字新仮名) / 小川未明(著)
なんの、まだ季節きせつおそいことがあるものですか。このように、にはいろいろのはないているではありませんか。
冬のちょう (新字新仮名) / 小川未明(著)
若芽わかめは、ぐんぐんびてゆきました。そして、やがて、季節きせつになって、いっぱい、えだに、黄金色こがねいろはなをつけました。
親木と若木 (新字新仮名) / 小川未明(著)
けれど、季節きせつおくれたたらは、うとわるいことがあるというので、りにきても、けっしてわないのであります。
女の魚売り (新字新仮名) / 小川未明(著)
季節きせつが、ふゆからはるうつりゆく時分じぶんには、よくこんなようなしずかな、そして、底冷そこびえのするばんがあるものですが、そのよるは、まさしくそんなよるでありました。
火事 (新字新仮名) / 小川未明(著)
はなは、季節きせつうつりとともに、だんだんすくなくなり、ってゆきました。はちはレールのうえにとまって、ひかりびて、じっとしていることもありました。
雪くる前の高原の話 (新字新仮名) / 小川未明(著)
ちょうど、はる季節きせつはなが、すくなくなったじぶん、やまゆりのは、ぐんぐんと、おおきくなったのでした。
雲のわくころ (新字新仮名) / 小川未明(著)
もう、季節きせつは、あきすえでありました。正吉しょうきちは、高橋たかはし見送みおくるため、もんからました。みじかざしは、いろづいた木立こだちや、屋根やねうえに、黄色きいろえていました。
世の中へ出る子供たち (新字新仮名) / 小川未明(著)
おんな一人ひとりでも、この季節きせつべてゆくことは困難こんなんであろうのに、こうして、子供こどもがあっては、なおさら、こまるにちがいないと、おくさまはふか同情どうじょうせられました。
奥さまと女乞食 (新字新仮名) / 小川未明(著)
「ああ、牛女うしおんな姿すがたがあんなにうすくなったもの、あたたかになったはずだ。」と、しまいには、季節きせつうつわりを、牛女うしおんなについて人々ひとびとはいうようになったのでした。
牛女 (新字新仮名) / 小川未明(著)
とうとう、こがらしのふく、季節きせつとなりました。すると、水盤すいばんみずは、こおりのようにつめたかったのです。
水七景 (新字新仮名) / 小川未明(著)
わたくしは、神社じんじゃのおまつりにしては、すこしはやすぎるようにかんじたけれど、これからに、その季節きせつにちかづくのをると、なんとなくこころがあかるくなりました。
どこかで呼ぶような (新字新仮名) / 小川未明(著)
もう太陽たいようひかりが、したわしくなる季節きせつだったので、あかとんぼが、はねをかがやかしてびかうばかりでなしに、どもたちが、へきて、うれしそうに、あそんでいました。
さか立ち小僧さん (新字新仮名) / 小川未明(著)
ふゆ季節きせつでありましたけれど、はやししたには、みどりくさが一めんにしげっていました。このくにには、ふゆというものがなかったのです。そのやまのぼりますと、あなたにうみがありました。
金の魚 (新字新仮名) / 小川未明(著)
こよみも、新暦しんれきよりは、旧暦きゅうれきのほうが季節きせつうつわりによくっているといっていました。
さかずきの輪廻 (新字新仮名) / 小川未明(著)
季節きせつは、もうあきすえさむうございましたから、あついおしる身体からだをあたためて、たいへんうもうございましたが、ちゃわんはあついから、けっしてけるようなことがありませんでした。
殿さまの茶わん (新字新仮名) / 小川未明(著)