“祝”のいろいろな読み方と例文
読み方割合
いわ15.2%
いは15.2%
ことほ9.8%
いはひ9.8%
いわい9.8%
しゅく9.1%
しゆく6.1%
6.1%
はふり4.5%
2.3%
いの1.5%
はじめ1.5%
ノロ0.8%
いわひ0.8%
いお0.8%
いつ0.8%
0.8%
ほが0.8%
ほぎ0.8%
よろこび0.8%
コトホ0.8%
シユク0.8%
ノリト0.8%
ハフリ0.8%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
こんなさいに、領下の名主や神職たちが、土豪の門へ、いわごとをのべに来る例はあっても、かかる前例は、かつて聞いたことがない。
私本太平記:03 みなかみ帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
調とゝのへ來り左右とかくもの事はいはひ直さばきよきちへんずべしと申すゝめ兩人して酒宴しゆえんもよほせしが靱負ゆきへは元よりすきさけゆゑ主が氣轉きてんあつがんに氣を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
餅がけたという。立ち振舞に、餅をたべる者と酒を酌む者とが、一つ座にあつまって、聟どのをことほはやしたりする。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
このたびはソノ三題話さんだいばなし流行はやつた時分じぶん出来できました落語はなしで、第一が大仏餅だいぶつもち、次が袴着はかまぎいはひ乞食こつじき、と三題話さんだいばなしを、掲載すことにいたしました。
それは皆、日頃いつのまにか、彼を慕い、彼を徳としていた者が、彼の栄転を伝え聞いて、持ち込んで来たいわいであった。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
まつわかれた、いすかは、若者わかもの無事ぶじるとこころからしゅくして、日暮ひぐがたまえに、ふねうえぎて、とおくへんでゆきました。
海の踊り (新字新仮名) / 小川未明(著)
わたくし誠心まごゝろもつ彼等かれらしゆくします、彼等かれらためよろこびます! すゝめ! 同胞どうばう! かみ君等きみらたすけたまはん!
六号室 (旧字旧仮名) / アントン・チェーホフ(著)
ホカイビトはすなわち「ぐ」人で、その語がただちに乞食を示すの語となっている。今も地方によっては、乞食の事をホイトという。ホカイビトの略称である。
賤民概説 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
神社の祭典に犠牲いけにえを供した事実が少からず証拠立てられる以上(別項「上代肉食考」参照)、また神を祭る「はふり」の名が、動物をほふるホフリ
「エタ」名義考 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
青やかな楚枝ズハエに、莟の梅が色めいて来ると、知多院内の万歳が、山の向うの上国ジヤウコクの檀那親方をき廻るついでに、かうした隠れ里へも、お初穂を稼ぎに寄つた。
山のことぶれ (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
もしこれ方術なれば、その跡自ずから現わる。し鬼魅の入るならば、必ずその跡無からん。人なれば兵もて除くべく、鬼なればまさにいのりて除くべしと。
そのウォーズウォースの講義は少しも余の興味をかなかった。その他に在っては大西はじめ先生の心理学の講義を面白いと思ったが、それ以外には興味を呼ぶものがなかった。
子規居士と余 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
即、沖縄神道では、キミノロに限つては、七世にして神を生ずといふ信仰以上に出て、生前既に、半ば神格を持つてゐるのである。
琉球の宗教 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
さてそれよりは、紀元節きげんせつ祝賀しゆくがと、このおほいなる成功せいこういわひとでくがごとさわぎ、よるになると、かねまうけられたる海岸かいがん陣屋ぢんや大祝賀會だいしゆくがくわいはじまつた。其塲そのば盛况せいけうふでにも言葉ことばにもつくされない。
「私は、ここに御列席になった皆様を代表して、荘田唐沢両家の万歳を祈り、新郎新婦の前途を祝したいと思います。うか皆様新郎新婦の前途をいおうて御乾杯を願います。」
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
日本でも叡山の鼠禿倉の本地毘沙門ほんじびしゃもんといい(『耀天記ようてんき』)、横尾明神は本地毘沙門で盗をあらわすためにいつき奉るという(『醍醐寺雑事記』)などその痕跡を留むる。
めて出て行ッたばかりのところで、小万を始め此糸このいと初紫はつむらさき初緑名山千鳥などいずれも七八分のいを催し、新造しんぞのお梅まで人と汁粉しることに酔ッて、頬から耳朶みみたぶを真赤にしていた。
今戸心中 (新字新仮名) / 広津柳浪(著)
今日けふ』をほがひのはなに。
白羊宮 (旧字旧仮名) / 薄田泣菫薄田淳介(著)
二十年はたとせにあまるいつとせになるといふみほぎのにはに差せる光やうづのみひかり
つゆじも (新字旧仮名) / 斎藤茂吉(著)
大祭日には、母につきてをぢがりよろこびにゆきぬ。その折には苞苴みやげもてゆくことなるが、そはをぢがたしなめるおほ房の葡萄二つ三つか、さらずば砂糖につけたる林檎なんどなりき。
花まつりは、一口にいへば、其年の稲の花がよく咲く様にとコトホぎする初春の行事なのだが、其態は舞踊であつて、なか/\発達してゐる。
ごろつきの話 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
シユクなど言ふのは、其である。「祝言」の一字をとつて称へられたのである。
若水の話 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
「其音ノリトに似て、又歌声にワタる」と評した位だ。語部は、宮廷に於てさへ、事実上平安期には既にほろびて、猿女サルメの如きも、大体伝承を失うて居た。まして、地方は甚しかつたであらう。
ケタシ、出雲の石※イハクマ曾宮ソノミヤに坐す、葦原色許男アシハラシコヲ大神を以てイツハフリが、大庭か、と問ひ賜ひき。
大嘗祭の本義 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)