まえ)” の例文
言語や名称は時代によって意味が違って来る。「おまえ」という言葉は昔は至尊の御前おんまえに称するもので、先方に対する最敬語であった。
片手かたてにブリキかんをぶらさげて、片手かたてにはさおをち、いつも帽子ぼうし目深まぶかにかぶって、よくこの洋服屋ようふくやまえとおったのでありました。
窓の内と外 (新字新仮名) / 小川未明(著)
弟 ——姉さん、俺が一にんまえになつたら、そしたら、姉さんは黙つてりやいゝんだ。俺が稼ぐ。それに、あの人もやつて来てくれる。
疵だらけのお秋 (新字旧仮名) / 三好十郎(著)
もなく、おんなのマリちゃんが、いまちょうど、台所だいどころで、まえって、沸立にえたったなべをかきまわしているおかあさんのそばへました。
六郎の馬がさきになって堂のまえまで往ったところで、馬が不意に物に狂ったように、身顫みぶるいしたために、六郎は馬から落ちてしまった。
頼朝の最後 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
「うん、うん、それはおまえうとおりだとも。だからねずみのうことはげずにかえしてやったのだから、安心あんしんおしなさい。」
猫の草紙 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
ひるすこしまえにはもう二人ふたりにいさんが前後ぜんごして威勢いせいよくかえってた。一人ひとりにいさんのほう袖子そでこているのをるとだまっていなかった。
伸び支度 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
わたしはつい四五日まえ西国さいこく海辺うみべに上陸した、希臘ギリシャの船乗りにいました。その男は神ではありません。ただの人間に過ぎないのです。
神神の微笑 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
わたくし竜宮行りゅうぐうゆきをするまえに、所中しょっちゅうそのおやしろ参拝さんぱいしたのでございますが、それがつまりわたくしりて竜宮行りゅうぐうゆき準備じゅんびだったのでございました。
しかるに奥様は松平和泉守まつだいらいずみのかみさまからお輿入こしいれになりましたが、四五年ぜんにお逝去かくれになり、其のまえから居りましたのはおあきという側室めかけ
菊模様皿山奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
鐘供養かねくようというのは、どんなことをするのかとおもっていたら、ごんごろがねまえ線香せんこうてて庵主あんじゅさんがおきょうをあげることであった。
ごんごろ鐘 (新字新仮名) / 新美南吉(著)
わたしはおまえさんのためをおもってそうってげるんだがね。とにかく、まあ出来できるだけはやたまごことや、のどならことおぼえるようにおし。
かれ自分じぶんが一しよときたがひへだてが有相ありさうて、自分じぶんはなれるとにはかむつまじさう笑語さゝやくものゝやうかれひさしいまえからおもつてた。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
「おまえさんより、おんなだもの。あたしのほうが、どんなにいやだかれやしない。——むかしッから、公事くじかけあいは、みんなおとこのつとめなんだよ」
おせん (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
「唖といえば、有範ありのりの和子、十八公麿まつまろは、生れてからもう半歳にもなるに、ものをいわぬと、吉光のまえが、心をいためているが」
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
や、巡査じゅんさ徐々そろそろまどそばとおってった、あやしいぞ、やや、またたれ二人ふたりうちまえ立留たちとどまっている、何故なぜだまっているのだろうか?
六号室 (新字新仮名) / アントン・チェーホフ(著)
或人あるひととふていはく、雪のかたち六出むつかどなるはまえべんありてつまびらか也。雪頽なだれは雪のかたまりならん、くだけたるかたち雪の六出むつかどなる本形ほんけいをうしなひて方形かどだつはいかん。
と云いながらまえにも云う通り何も偏屈でれを嫌って恐れて逃げて廻って蔭で理屈らしく不平な顔をして居ると云うような事もとんとしない。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
まえはあくまでも萩乃の婿のつもり……だが、こちらでは、無態な田舎侍が、なんのゆかりもないのに押しこんで、動かぬものと見ますぞ。
丹下左膳:02 こけ猿の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
S、H京都けうとからたT連中れんちうが、どこかでつてゐるといふので、夫人ふじんなに打合うちあわせをして、すこまえかえつてつた。
微笑の渦 (新字旧仮名) / 徳田秋声(著)
「おまえは、なん馬鹿ばかだらう。うつかり秘密話ないしよばなしもできやしない」と、たいへんしかられました。鸚鵡あふむしかられてどぎまぎしました。
ちるちる・みちる (旧字旧仮名) / 山村暮鳥(著)
突然「お光おまえにも色々世話になったね」などとやさしい言葉を出す時もあった。母はそういう言葉の前にきっと涙ぐんだ。
こころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
帳付け お松どんおまえまた酔ってるな。酔うもいいがお前のは質がよくないからなあ。やあ、人がみんな押し出されたように横町から出てきたぞ。
一本刀土俵入 二幕五場 (新字新仮名) / 長谷川伸(著)
さてまえ述べました通り、智識は疑いもなく大勢力でありますが、性格は更に深遠重大なる意義を有する勢力であります。
国民教育の複本位 (新字新仮名) / 大隈重信(著)
なにしろ一万数千トンもある巨船が、海抜五千米のヘルナー山頂へ引掛ひっかかっていることをどう説明したらいいか、途方にくれたのはあたまえであった。
地球発狂事件 (新字新仮名) / 海野十三丘丘十郎(著)
かつての自分のほこりであった・白刃はくじんまえまじわるも目まじろがざるていの勇が、何とみじめにちっぽけなことかと思うのである。
弟子 (新字新仮名) / 中島敦(著)
人々ひとびとこころせよ、それはなんじらを衆議所しゅうぎしょわたし、会堂かいどうにてむちうたん。また汝等なんじらわがゆえによりて、つかさたちおうたちのまえかれん。
斜陽 (新字新仮名) / 太宰治(著)
おそらく田舎と江戸まえとは道具だけでも大分違うと思ったでありましょう。「なるほど、これでなくっちゃ」といって、非常に得心とくしんした風であった。
九尾きゅうびきつね玉藻たまもまえが飛去ったあとのような、空虚な、浅間しさ、世の中が急に明るすぎるように思われたでもあろう。
明治美人伝 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
島原の狭い町をぬけて南風楼なんぷうろうについたのが六時まえ、老女将じょしょう初め昔馴染なじみで、商売離れての手厚いもてなしに旅の心がどれほどくつろいだことであろう。
雲仙岳 (新字新仮名) / 菊池幽芳(著)
だから大分県の山間さんかんの村などでは、これがまたよっぽどちがって、ひき蚯蚓みみずとのまえしょうの話ともなっているのである。
母の手毬歌 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
がつあさのうちですよ。金魚きんぎょをよこせといつてきたのが、そのまえ夕方ゆうがたでしてね。どうしてだか、ひどくいそいでもつてこいつていうんでした。
金魚は死んでいた (新字新仮名) / 大下宇陀児(著)
巫女 (取次ぐ)お女中じょちゅう可恐おそろしい事はないぞな、はばかりおおや、かしこけれど、お言葉ぞな、あれへの、おんまえへの。
多神教 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
顧れば十幾年まえ芝居町しばいまちなぞでく見た折の金四郎と今日こんにちの左衛門尉とを思い比べると実に不思議な心持になる。
散柳窓夕栄 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
「もしぬすまなかったのなら、なぜくのだ?」と生徒監はいった。「わたしは何もおまえぬすんだとはいやしない。ただ間違まちがってしたろうと想像そうぞうするまでだ。 ...
身体検査 (新字新仮名) / フョードル・ソログープ(著)
湯は菖蒲の湯で、伝説にいう、源三位頼政げんざんみよりまさの室菖蒲あやめまえ豆州長岡ずしゅうながおかに生まれたので、頼政滅亡の後、かれは故郷に帰って河内かわうち村の禅長寺に身をよせていた。
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
鎌倉殿のお目に留まって以来、此の二、三年おやかたに仕えておりますが、見目みめ形は申すに及ばず、心も気質も優しい女性でございます、名は千手せんじゅまえと申します
結局けつきよく無識むしき歐米人おうべいじんをして、日本にほんでもせいあとまえ風習ふうしふであると誤解ごかいせしめ、有識ゆうしき歐米人おうべいじんをして
誤まれる姓名の逆列 (旧字旧仮名) / 伊東忠太(著)
よしむらさんは、そういいながら、こんどは、ほんとうのよっぱらいのように、いのきちのかたを、ドスンとたたいて、よろよろと、みせまえをはなれていった。
ラクダイ横町 (新字新仮名) / 岡本良雄(著)
午餐ごさんの案内に鶴子が来た。室を出て見ると、雪はぽつり/\まだ降って居るが、四辺あたりは雪ならぬ光を含んで明るく、母屋おもやまえの芝生は樫のしずくで已にまだらに消えて居る。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
十九にち雨中うちうを、つてて、おどろいた。いままでの貝塚發掘かひづかはつくつ臺地だいち東部とうぶさか上部じやうぶ左側さそくであつたが、臺地だいち南側なんそく下部かぶ菱沼鐵五郎ひしぬまてつごらう宅地たくちまえはたけを、大發掘だいはつくつしてある。
ちゃうそのまえ小額こびたひ怪我けがさッしゃって……其時そのとき亡夫やどが……南無安養界なむやんやうかい! 面白おもしろひとでなァ……ぢゃう
みんなもまえからそうおもっていましたし、きのうの夕方ゆうがたやってきた二わのカラスもそういいました。
いちょうの実 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
これまで世界じゅうで一ばんはげしかった地震火災は今から十五年まえに、イタリヤのメッシーナという重要な港とその附近とで十四万人の市民を殺した大地震と、十七年前
大震火災記 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
こおろぎが隣の部屋のすみでかすれがすれに声を立てていた。わずかなしかも浅い睡眠には過ぎなかったけれども葉子の頭は暁まえの冷えを感じてえと澄んでいた。
或る女:2(後編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
その時刻にまだ起きていた例の「涙寿なみだすし」のまえまで来て、やっと一息ついて、立止たちどまったが、後方うしろを見ると、もう何者も見えないので、やれ安心と思ってようやくに帰宅をした
青銅鬼 (新字新仮名) / 柳川春葉(著)
二十年まえの壁の穴が少し太くなったばかりである、豊吉が棒の先でいたずらにけたところの。
河霧 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
だがほんとうのことをいえば、かれはもうずいぶん前から、らずらずに作曲さっきょくしていた。彼が作曲しはじめたのは、作曲していると自分じぶんで知るよりもまえのことだったのである。
ジャン・クリストフ (新字新仮名) / ロマン・ロラン(著)
姉崎曽恵子さんというのは僕達の心霊学会の風変りな会員の一人で(風変りなのは決してこの夫人ばかりではないことが、やがて君に分るだろう)一年程まえ夫に死に別れた
悪霊 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
玉藻たまもまえとか、伊勢音頭いせおんどとか、ああ云う物はなかなか大阪とは違っていて面白いそうだよ」
蓼喰う虫 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)