“映(うつ)” の例文
曾祖母(ひいばあ)さん、祖父(おぢい)さん、祖母(おばあ)さん、伯父(おぢ)さん、伯母(おば)さんの顏(かほ)から、奉公(ほうこう)するお雛(ひな)の顏(かほ)まで、家中(うちぢう)のものゝ顏(かほ)は焚火(たきび)に赤(あか)く映(うつ)りました。
ふるさと (旧字旧仮名) / 島崎藤村(著)
はっと、視覚から脳へそれが直感する一秒間の何分の一かわからない一瞬に、すでに眼に映(うつ)る二人の位置と姿勢はまるで変っている。
宮本武蔵:06 空の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
こは我これを眞(まこと)の鏡——この鏡萬物を己に映(うつ)せど、一物としてこれを己に映(うつ)すはなし——に照して見るによりてなり 一〇六—一〇八
神曲:03 天堂 (旧字旧仮名) / アリギエリ・ダンテ(著)
「もう何時(なんじ)」と云(い)ひながら、枕元(まくらもと)の宗助(そうすけ)を見上(みあ)げた。宵(よひ)とは違(ちが)つて頬(ほゝ)から血(ち)が退(ひ)いて、洋燈(らんぷ)に照(て)らされた所(ところ)が、ことに蒼白(あをじろ)く映(うつ)つた。
門 (旧字旧仮名) / 夏目漱石(著)
日(ひ)は漸(やうや)く朝(あさ)を離(はな)れて空(そら)に居据(ゐすわ)つた。凡(すべ)ての物(もの)が明(あか)るい光(ひかり)を添(そ)へた。然(しか)しながら周圍(しうゐ)の何處(いづこ)にも活々(いき/\)した緑(みどり)は絶(た)えて目(め)に映(うつ)らなかつた。
土 (旧字旧仮名) / 長塚節(著)
するとその麦酒罎には人の顔が一つ映(うつ)つてゐた。それは僕の顔にそつくりだつた。しかし何も麦酒罎は僕の顔を映してゐた訣(わけ)ではない。
凶 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
人(ひと)と人(ひと)との間(あひだ)に少(すこ)しでも隙間(すきま)が出来(でき)ると見(み)ると歩(ある)いてゐるものがすぐ其跡(そのあと)に割込(わりこ)んで河水(かはみづ)の流(なが)れと、それに映(うつ)る灯影(ほかげ)を眺(なが)めるのである。
吾妻橋 (新字旧仮名) / 永井荷風、永井壮吉(著)
そんな時には土耳古玉(トルコだま)のやうな夏の午前の空を、土耳古玉色に——或は側面から透して見た玻璃板(ガラスいた)の色に、映(うつ)して居るのであつた。
去(さ)っていった雨(あめ)は月(つき)にささやいてでもいったものか、月(つき)が、この平原(へいげん)を照(て)らしたときは、まずレールの上(うえ)に、その姿(すがた)を映(うつ)しました。
負傷した線路と月 (新字新仮名) / 小川未明(著)
やや離れたところから呼ばれて振り返った一男の眼に、蒼(あお)ざめた監督の顔が鉄の枠(わく)の間から自分を熱心に見つめているのが映(うつ)った。
秋空晴れて (新字新仮名) / 吉田甲子太郎(著)
一揺(ひとゆ)り揺れて、ざわざわと動くごとに、池は底から浮き上がるものに見えて、しだいに水は増して来た。映(うつ)る影は人も橋も深く沈んだ。
海の使者 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
曙色(あけぼのいろ)に松竹梅を總縫した小袖、町風に髮を結ひ上げた風情は、長局(ながつぼね)風俗に飽々(あき/\)した家光の眼には、どんなに美しいものに映(うつ)つたでせう。
一切のことが——前述のようなことが、初めて彼の頭にはっきりと映(うつ)った。その瞬間に、云いようのない感情が胸の底から湧き上った。
野ざらし (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)
あわてて枕許(まくらもと)から引(ひ)き下(さ)がったおせんの眼(め)に、夜叉(やしゃ)の如(ごと)くに映(うつ)ったのは、本多信濃守(ほんだしなののかみ)の妹(いもうと)お蓮(れん)の剥(は)げるばかりに厚化粧(あつげしょう)をした姿(すがた)だった。
おせん (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
八※岳は、したがって早くから私の眼に映(うつ)っていた。形の複雑な、どこか奇怪で神秘的なところもある一風変わった山だなと思っていた。
いつもよりハキハキと用事を勤めているように見えましたが、兄の眼には、勝見の態度が、反って変に白々しく映(うつ)ったのでした。
赤耀館事件の真相 (新字新仮名) / 海野十三(著)
傾(かたむ)けて見返(みかへ)るともなく見返(みかへ)る途端(とたん)目(め)に映(うつ)るは何物(なにもの)蓬頭亂面(ほうとうらんめん)の青年(せいねん)車夫(しやふ)なりお高(たか)夜風(よかぜ)の身(み)にしみてかぶる/\と震(ふる)へて立止(たちどま)りつゝ此雪(このゆき)にては
別れ霜 (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
右手の食指(しょくし)を口に突っこみ、ややうつ向き加減に戸によりかかって、体をゆすぶっている。ふだん次郎の眼に映(うつ)る俊三とはまるでちがう。
次郎物語:01 第一部 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
鮮かに映(うつ)して静まり返り、昇って間もない朝の陽が、赤味を加えた黄金色に水に映じて輝く様など、絵よりも美しい景色である。
八ヶ嶽の魔神 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
今云つたやうに一人の騎士に附き添はれて這入つて來た私の戀人の姿が目に映(うつ)ると、しつ/\といふ蛇聲(じやせい)が聞えて忽ち緑色の嫉妬の蛇が
月光(げつくわう)其(その)滑(なめ)らかなる葉の面(おも)に落ちて、葉は宛(さ)ながら碧玉(へきぎよく)の扇(あふぎ)と照(て)れるが、其上(そのうへ)にまた黒き斑点(はんてん)ありてちら/\躍(おど)れり。李樹(すもゝ)の影の映(うつ)れるなり。
良夜 (新字旧仮名) / 徳冨蘆花(著)
こんな子供の玩具にも、時節の変遷が映(うつ)っているのですからな。僕の子供の頃の浅草の奥山の有様を考えると、暫(しばら)くの間に変ったものです。
よほど深(ふか)いものと見(み)えまして、湛(たた)えた水(みず)は藍(あい)を流(なが)したように蒼味(あおみ)を帯(お)び、水面(すいめん)には対岸(たいがん)の鬱蒼(うっそう)たる森林(しんりん)の影(かげ)が、くろぐろと映(うつ)って居(い)ました。
向こうの並(な)み木(き)は朝日に照らされてその影をぞくぞくと畑道の上に映(うつ)していると、そこにはにわとりやすずめなどが嬉しそうに飛びまわる。
ああ玉杯に花うけて (新字新仮名) / 佐藤紅緑(著)
鳶尾草(いちはつ)の花、清淨(しやうじやう)無垢(むく)の腕(かひな)の上に透(す)いて見える脈管(みやくくわん)の薄い水色、肌身(はだみ)の微笑(ほゝゑみ)、新しい大空(おほぞら)の清らかさ、朝空(あさぞら)のふと映(うつ)つた細流(いさゝがは)。
牧羊神 (旧字旧仮名) / 上田敏(著)
見ないで! 見たらあなたは石になってしまいますよ! あなたのよく光った盾の鏡に映(うつ)ったメヅサの顔や姿を見るんです。
ぽか/\した暮春(ぼしゅん)の日光(ひざし)と、目に映(うつ)る紫雲英の温(あたた)かい色は、何時しか彼をうっとりと三十余年の昔に連れ帰るのであった。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎、徳冨蘆花(著)
真赤(まっか)な火が目に映(うつ)ったので、おどろいて両方の目をしっかり開いて見たら、戸(と)だなの中じゅうが火になっているので、二度おどろいて飛び起きた。
火事とポチ (新字新仮名) / 有島武郎(著)
まるで叫(さけ)び出すくらいに橙(だいだい)や緑(みどり)に美(うつく)しくかがやき、うめばちそうの花びらにチカチカ映(うつ)って言(い)いようもなく立派(りっぱ)でした。
燃料として、牛糞を乾し固めたる物を、傍らにほどよく積む。この篝火の映(うつ)ろいにて、舞台全面に物凄き明暗交錯する。
鼻うごめかすと俗にも云ふ如く心の色何となく此処(ここ)に映(うつ)るものなり、心に慢(おこた)りある時の如き最もよく鼻にて知らるゝものなれば意を止(とど)む可(べ)し(下略)
鼻の表現 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
そとに立ち居し西洋婦人の若きが認めて、帽に花多き顔つと映(うつ)し、物いひかけてそやし候思ひがけなさに、危く下に落つるばかりに泣きころげ来(きた)り候。
ひらきぶみ (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
すると、彼は、鬱勃として揺れ出して来ている支那の思想のように、急に専務が憎むべき存在となって映(うつ)り出した。
上海 (新字新仮名) / 横光利一(著)
「凝(こ)っては思案に及ばず」というが、なにか一つを好むと、その好きなものの長所のみが映(うつ)って短所は目に入らぬ。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
はじめは物のかたちなどほの/″\見えておりまして、おうみの湖(うみ)の水の色が晴れた日などにひとみに明(あこ)う映(うつ)りましたのを今に覚えておりまするくらい。
盲目物語 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
母はわたしの幼な年にも覺えてゐるが、色白の面(おもて)に剃つた青い眉根と、おはぐろとの映(うつ)りの好い顏だちであつた。
地方主義篇:(散文詩) (旧字旧仮名) / 福士幸次郎(著)
そこの岸辺には、こんもりと茂った常盤木(ときわぎ)の林があって、その青い中に、雑木(ぞうき)の紅葉が美しい朱(しゅ)を点じ、それが動かぬ水に、ハッキリと姿を映(うつ)していた。
魔術師 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
梅喜(ばいき)さん、此方(こつち)へお出(い)でよ。梅「へえ……こゝに大層(たいそう)人が立つてゐますな。近「なに彼(あ)りやア此方(こつち)の人が映(うつ)るんだ、向うに大きな姿見(すがたみ)が立つてゐるのさ。 ...
心眼 (新字旧仮名) / 三遊亭円朝(著)
水仙と寒菊の影、現なく映(うつ)らふ観れば現なし、寂(さび)しかりけり。近々と啼き翔る鵯、遠々とひびく浪の音(と)。誰か世を常なしと云ふ、久しとも愛(かな)しとも思(も)へ。
でもね人間の力でなくても 自然(しぜん)の力でも いまここに映(うつ)る位(ぐら)いのまつすぐな運河もできるのぢや ごらんあれを
『平民の娘』お房(ふさ)は、單(たん)にモデルとして彼の眼(め)に映(うつ)ツてゐるのでは無(な)い。お房は彼の眼よりも心(こゝろ)に能(よ)く映ツた。
平民の娘 (旧字旧仮名) / 三島霜川(著)
鈴生(すゞな)りに人(ひと)を乘(の)せた舟(ふね)が、對岸(たいがん)に着(つ)くまで、口惜(くや)しさうにして突(つ)つ立(た)つた天滿與力(てんまよりき)の、大(おほ)きな赤(あか)い顏(かほ)が、西日(にしび)に映(うつ)つて一層(そう)赤(あか)く彼方(かなた)の岸(きし)に見(み)えてゐた。——
死刑 (旧字旧仮名) / 上司小剣(著)
閉(た)てきった障子に、午後三時頃の陽があかるくあたって、庭さきの木芙蓉の影が黒くはっきりと映(うつ)っている。
艸木虫魚 (新字新仮名) / 薄田泣菫(著)
けれども校長(かうちやう)の之(かれ)に對(たい)する樣子(やうす)は郡長樣(ぐんちやうさん)に對(たい)する程(ほど)の丁寧(ていねい)なことなので、既(すで)に浮世(うきよ)の虚榮心(きよえいしん)に心(こゝろ)の幾分(いくぶん)を染(そ)められて居(ゐ)た僕(ぼく)の目(め)には全(まつた)く怪(あや)しく映(うつ)つたのです。
日の出 (旧字旧仮名) / 国木田独歩(著)
そも戀てふもの、何(いづ)こより來り何こをさして去る、人の心の隈は映(うつ)すべき鏡なければ何れ思案の外なんめり。
滝口入道 (旧字旧仮名) / 高山樗牛(著)
仁太とは反対に、身をすくめ、顔をそむけ、おまけに目をつぶっている吉次は、ふだんの小気さをそのまま映(うつ)しだされているようで、かわいそうにさえ思えた。
二十四の瞳 (新字新仮名) / 壺井栄(著)
と大聲(おほごゑ)に搖醒(ゆりさま)すものがあるので、愕(おどろ)いて目(め)を醒(さま)すと、此時(このとき)日(ひ)は全(まつた)く暮(く)れて、部室(へや)の玻璃窓(がらすまど)を透(たう)して、眺(なが)むる海(うみ)の面(おも)には、麗(うる)はしき星影(ほしかげ)がチラ々々と映(うつ)つて居(を)つた。
鏡に映(うつ)った影でも、それがどれだけ鏡をすりへらすかを見ておいて、ちゃんと金をかけておくことだ。
おや、変なことになったと三人が思っている時、うしろから三助が旦那、あまり覗(のぞ)かぬように頼んまっせ、あんたらの顔も向う側へよう映(うつ)ってまっさかいと注意した。
めでたき風景 (新字新仮名) / 小出楢重(著)
だが——瞬間眶の間から映(うつ)つた細い白い指、まるで骨のやうな——帷帳(とばり)を掴んだ片手の白く光る指。
死者の書:――初稿版―― (新字旧仮名) / 折口信夫(著)