おい)” の例文
おい繰言くりごとの如き、生彩のない、調子の弱い、従って読者に何の印象をも与えない、贅言をくどくどと列べ立てるのが癖だからである。
陳言套語 (新字新仮名) / 津田左右吉(著)
つまをおさいといひ、俳名を翠仙すゐせんといふ、夫婦ともに俳諧をよく文雅ぶんがこのめり。此柏筵はくえんが日記のやうに書残かきのこしたるおいたのしみといふ随筆ずゐひつあり。
いま餘波なごりさへもないそのこひあぢつけうために! そなた溜息ためいきはまだ大空おほぞら湯氣ゆげ立昇たちのぼり、そなた先頃さきごろ呻吟聲うなりごゑはまだこのおいみゝってゐる。
これまで種々の人の書いたものを見れば、大抵おいが迫つて来るのに連れて、死を考へるといふことが段々切実になると云つてゐる。
妄想 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
近頃仲違ひをして居る上、病弱で年を老つた主人の萬兵衞は、近頃あまりお常を寢室に近寄せずに、閑寂なおいを樂しむ風もあつたのです。
商売運の目出たい笑名は女運にも果報があって、おいようやきたらんとするころとうとう一のとみを突き当てて妙齢の美人を妻とした。
新井あらい宿しゅくより小出雲坂おいずもざかおいずの坂とも呼ぶのが何となく嬉しかった。名に三本木の駅路うまやじと聴いては連理のの今は片木かたきなるを怨みもした。
怪異黒姫おろし (新字新仮名) / 江見水蔭(著)
一間ひとま隔てて老夫婦の部屋があるので、彼らがおいの寝覚めの物語でも交しているのかと想像したが、それにしては人声が遠すぎる。
悪魔の紋章 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
おのれやれ、んでおにとなり、無事ぶじ道中だうちうはさせませう、たましひ附添つきそつて、と血狂ちくるふばかりにあせるほど、よわるはおい身體からだにこそ。
雪の翼 (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
この、おいたる婿と、しゅうとしゅうとめが、どうした事か、毎日の、どんな些少ささいな交渉でもみんな私のところへ、一々もってくるのだった。
形も小くなり丸かつたものが細長いものに変つて居るのです。私は生れて初めておいと云ふことと死と云ふことをその夜の涼台で考へました。
私の生ひ立ち (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
わが名をさえも三彦みつひこと書き、いつかはおい寝覚ねざめにも忘れがたない思出の夢を辿たどって年ごとに書綴りては出す戯作げさくのかずかず。
散柳窓夕栄 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
たゞおい益々ます/\其教育事業そのけういくじげふたのしみ、その單純たんじゆん質素しつそ生活せいくわつたのしんでらるゝのをてはぼく今更いまさら崇高すうかうねんうたれたのです。
日の出 (旧字旧仮名) / 国木田独歩(著)
二人はここで又もや組討くみうちを始めたが、若い重太郎は遂においたる父を捻伏ねじふせた。彼は母のかたきと叫びつつ、持ったる洋刃ないふを重蔵ののど差付さしつけたのである。
飛騨の怪談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
いはゞ世紀末的な敗頽はいたいの底を潜つて、何か清新なものをつかまうとあさつてゐる、おいと若さと矛盾むじゅんしてゐる人間に見えた。
夏の夜の夢 (新字旧仮名) / 岡本かの子(著)
眞白髯かき垂るおいの、この姿ひと日もおちず、生めよえよよく番へとぞ、日あたりを冬はよろしみ、端居はしゐますかも。
白南風 (旧字旧仮名) / 北原白秋(著)
壁の中など有るか無きかの命のほど、おいたる人、病める身などにてききたらば、さこそ比らべられて物がなしからん。
あきあはせ (新字旧仮名) / 樋口一葉(著)
男気おとこけのない奥庭おくにわに、次第しだいかずした女中達じょちゅうたちは、おれん姿すがた見失みうしなっては一大事だいじおもったのであろう。おいわかきもおしなべて、にわ木戸きどへとみだした。
おせん (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
我輩一度考えが其処そこに及ぶと若返っておいを知らぬ(拍手喝采)。運動そのものは競争である。文明の競争ということの意味は明らかに維新の大命令に在る。
吾人の文明運動 (新字新仮名) / 大隈重信(著)
おまえの、美しい、若々しい眼と、このわしのおいぼれた、ガラスのような眼と、取替えて見ようというまでさ。
怪奇人造島 (新字新仮名) / 寺島柾史(著)
一度にワーンと蜂の巣をつついたような活気が街にあふれ、長い長い冬眠から覚めて、おいも若きも、町民のおもてには、一ように、なにとなく「期待」が輝くのである。
鱗粉 (新字新仮名) / 蘭郁二郎(著)
懐紙を取り出して、つつむように顔へ押し当てると、梶川は、おいの弱腰を、べたっと下へくずしてしまった。
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
白髪にいられて、思い切りよくおいの敷居をまたいでしまおうか、白髪を隠して、なお若い街巷ちまた徘徊はいかいしようか、——そこまでは鏡を見た瞬間には考えなかった。
思い出す事など (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
たとひ信仰に無知なりとも、七千人の幼児インノセンスが無知を罰し給ふか。われも亦インノセンスといふ。しゆよ、われも彼等の如く罪は無い。おいきはみのこの身を罰し給ふ勿れ。
法王の祈祷 (新字旧仮名) / マルセル・シュウォッブ(著)
いやで厭でならないおいぼれ亭主だが、さりとて浮気するのも女の道にはずれる。そのくせ、みじめな我が身の若さと、生きた感情を殺すことは、決して不道徳じゃない。
云い終ると同時に、かれは両手で眼を押えた、兵庫のおいの眼からもはらはらと落つるものがあった。
青竹 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
お富は長女の手をひきながら、その度に晴れやかな微笑ほほゑみを見せた。勿論二十年の歳月は、彼女にもおいもたらしてゐた。しかし目の中に冴えた光は昔と余り変らなかつた。
お富の貞操 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
死に近づいた頃、弟子共に歌をよませ、自分も歌をよんだが、其歌は随分増賀上人らしい歌である。「みづはさす八十路やそじあまりのおいの浪くらげのほねにあふぞうれしき」
連環記 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
独居する芭蕉の心に、次第においが近づくのを感じて来た。さらでだに寂しい悔恨の人生である。その上にまた老年が迫って来ては、心の孤独のやり場所もないであろう。
郷愁の詩人 与謝蕪村 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
男は然程さほど注意を惹かないが、ゆきふ女がおいも若きも引る様な広いジユツプ穿いて、腰の下迄ある長い黒の肩掛を一寸ちよつと中から片手で胸の所の合目あはせめつまんで歩くのが目に附く。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
おきなはりきみました。ひめも、年寄としよつた方々かた/″\老先おいさき見屆みとゞけずにわかれるのかとおもへば、おいとかかなしみとかのないあのくにかへるのも、一向いつこううれしくないといつてまたなげきます。
竹取物語 (旧字旧仮名) / 和田万吉(著)
月日は百代はくたい過客くわかくにして、行きかふ年も又旅人なり。船の上に生涯しやうがいをうかべ、馬の口とらへておいをむかふる者は、日々旅にして、旅をすみかとす。古人も多く旅に死せるあり。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
敬之進の挨拶は長い身の上の述懐であつた。憐むといふ心があればこそ、丑松ばかりは首を垂れて聞いて居たやうなものゝ、さもなくて、誰がおい繰言くりごとなぞに耳を傾けよう。
破戒 (新字旧仮名) / 島崎藤村(著)
この弦月丸げんげつまるにもしば/\そのもようしがあつて私等わたくしら折々をり/\臨席りんせきしたが、あること電燈でんとうひかりまばゆき舞踏室ぶたうしつでは今夜こんやめづらしく音樂會おんがくくわいもようさるゝよしで、幾百人いくひやくにん歐米人をうべいじんおいわかきも其處そこあつまつて
我等二分に買ふべしといふに三五郎打笑うちわらもし々先生あたらしい時でさへ四五百文位ゐおいこんで七ツすぎ代物しろものだ二百がものもあるまいに夫を二分にかはんとは合點のゆかことなりと云ふを
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
卯の花おどしの鎧に錆色の星冑鍬形くわがた打ったのを着け、白旗の指物なびかせたおい武者がある。
長篠合戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
峠はけわしく、口を開くのも臆劫おっくうで、話も途切れた。驢馬はすべりがちで、許生員はあえぎ喘ぎ幾度も脚をめなければならなかった。そこを越える毎に、はっきりとおいが感じられた。
蕎麦の花の頃 (新字新仮名) / 李孝石(著)
き立てるおいの一徹、性急なのは恒太郎もかね/″\知って居りますが、長二の居所いどこが直に分ると申しましたのは、只年寄に心配をさせまいと思っての間に合せでございますから
名人長二 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
この春のもたらせしものは痛悔と失望と憂悶ゆうもんと、別にむなしくその身をおいしむるよはひなるのみ。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
「こりゃ申し遅れました、わしは仙台の兵助と申すやくざのおいぼれでがすよ、それでも人様が、こんな鬼のような野郎を、ほとけとおっしゃって下さいます、お見知り置かれ下さいましよ」
大菩薩峠:38 農奴の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
地獄の沿道には三途さんずの川、つるぎの山、死出しでの山、おいさか賽河原さいのかわらなどがあり、地獄には叫喚きょうかん地獄、難産地獄、無間むげん地獄、妄語地獄、殺生せっしょう地獄、八万はちまん地獄、お糸地獄、清七地獄等々があって
雲仙岳 (新字新仮名) / 菊池幽芳(著)
このあでやかな自分のすがたも、若かければこそ美麗なれ、瞬間にしてあの醜いおいの波は全身を押しひさし、やがてこの身もあの下郎とあまり変らぬむさいものとなるにきまっている——
艶容万年若衆 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
彼はいくぶん前よりか顔にもおいを見せていたが、それよりももっと目立つほど背中をかがめるようにしていた。それが何んとはなしに病院の空気を彼が恐れでもしているような様子に見せた。
風立ちぬ (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
しこうしてその利益はすなわち木村軍艦奉行ぐんかんぶぎょう知遇ちぐうたまものにして、ついわするべからざるところのものなり。芥舟先生は少小より文思ぶんしみ、また経世けいせいしきあり。常に筆硯ひっけんを友としておいの到るを知らず。
妻して水みはこばする事もかきかぞふれば二十年あまりの年をぞへにきける、あはれ今はめもやうやうおいにたれば、いつまでかかくてあらすべきとて、貧き中にもおもひわづらはるるあまり
曙覧の歌 (新字新仮名) / 正岡子規(著)
それは先年せんねん、ついウカウカと高利貸こうりがし証文しょうもん連帯れんたいの判を押したところ、その借主がポックリ死んでしまって、そのために気の毒にも明日が期限の一千円の調達ちょうたつおいの身を細らせているのだった。
疑問の金塊 (新字新仮名) / 海野十三(著)
おいの一徹短慮に息卷いきまあらく罵れば、時頼は默然として只〻差俯さしうつむけるのみ。
滝口入道 (旧字旧仮名) / 高山樗牛(著)
あるものはおいを忘れ、またあるものは立身の遅いのを忘れようとしてゐる場合だつたので、そんな物忘れをするのに効験ききめのある草が見つかつたなら、人知れず自分の宿に移し植ゑたいといふのが
春のなかばに病みして、花の盛りもしら雲の、消ゆるに近きおいの身を、うからやからのあつまりて、日々にみとりし甲斐かいありて、やまいはいつか怠りぬ、に子宝の尊きは、医薬の効にもまさるらん
妾の半生涯 (新字新仮名) / 福田英子(著)
かうしてわづかでも旅先の、しばらくぶりで見る鏡では、身の衰へと云はうか、何時の間にか忍び込んだおい——老と云ふのも気が早過ぎるが、ともかく青春は既に昨日きのふの花であることがありありと分つた。
曠日 (新字旧仮名) / 佐佐木茂索(著)