へい)” の例文
(四三)しんへいは、もと(四四)悍勇かんゆうにしてせいかろんじ、せいがうしてけふす。たたかもの(四五)其勢そのいきほひつてこれ利導りだうす。
るにはるがあづけてある。いきほへいわかたねばらない。くれから人質ひとじちはひつてゐる外套ぐわいたう羽織はおりすくひだすのに、もなく八九枚はつくまい討取うちとられた。
火の用心の事 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
琵琶湖びわこの湖北に迫って、へいをうちたたき、声をうしおと揚げて、京洛みやこに近づきつつあるという情報の頻々ひんぴんたるものがある。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
天子てんしさまはたいそうおおどろきになり、伊豆いず国司こくし狩野介茂光かののすけしげみつというものにたくさんのへいをつけて、二十余艘よそうふね大島おおしまをおめさせになりました。
鎮西八郎 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
いま世界せかい各國かくこくたがひへいみがき、こと海軍力かいぐんりよくには全力ぜんりよくつくして英佛露獨エイフツロドクわれをとらじと權勢けんせいあらそつてる、しかして目今もくこんその權力けんりよく爭議さふぎ中心點ちゆうしんてんおほ東洋とうやう天地てんち
こちらは寡勢かぜいへいすくないこと)で、てきのほうは大部隊だいぶたいであるうえに、てき拠点きょてん(よりどころ)でもあったから、すたまは、さながらあめるように集注しゅうちゅうされました。
しらかばの木 (新字新仮名) / 小川未明(著)
しゅう武王ぶおういん紂王ちゅうおうたんと出征したとき、民みな武王ぶおうの意を迎えたが、伯夷叔斉はくいしゅくせいのみは独立行動にでて、武王ぶおうの馬をたたいていさめた。左右の者ども両人をへいせんとした。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
李克りこくいはく、『たんにしていろこのむ。しかれどもへいもちふるは、司馬穰苴しばじやうしよぐるあたはざるなり』と。ここおい文矦ぶんこうもつしやうす。
すでにへいみ、兵糧ひょうろうもとぼしく、もとより譜代ふだいの臣でもない野武士のぶしの部下は、日のたつほどひとり去りふたりにげ、この陣地をすて去るにちがいない。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
するとふねはみごとに大穴おおあながあいて、たくさんのへいせたまま、ぶくぶくとうみの中にしずんでしまいました。てきはあわててうみの中でしどろもどろにみだれてさわぎはじめました。
鎮西八郎 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
へいさん、このごろは、どうですい。」と、くものがいると、兵蔵へいぞうは、にやりとわらって
生きている看板 (新字新仮名) / 小川未明(著)
景公けいこう穰苴じやうしよしてとも兵事へいじかたり、おほいこれよろこび、もつ將軍しやうぐんし、へいひきゐてえんしんふせがしむ。穰苴じやうしよいは
奔々ほんぽんひらめく川水は前方に見えるが、柿崎隊の大蕪菁おおかぶら馬簾ばれんや、中軍の中之丸旗、毘沙門旗びしゃもんきのいたずらに啾々しゅうしゅううそぶくばかりで、いつまで経っても馬すすまずへいわたらず
上杉謙信 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
てんわりて不義ふぎつ、忠勇無双ちゅうゆうむそうへいは……。」と、まるはたった、子供こどもがうたっていました。きっと、さっきった兵士へいし見送みおくった子供こどもたちでありましょう。
昼のお月さま (新字新仮名) / 小川未明(著)
すぐ阿蘇忠国あそのただくに案内者あんないしゃにして、わずかな味方みかたへいれたなり、九州きゅうしゅうしろというしろかたっぱしからめぐりあるいて、十三のとしはるから十五のとしあきまで、大戦おおいくさだけでも二十何度なんど
鎮西八郎 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
いはく、『西河せいがまもりて、しんへいあへひがしむかはず、かんてう(九二)賓從ひんじうするは、いづれぞ』と。
陛下へいかは、これまでたたかいにけられたことがありません。なんでもおもうままに、なしとげられてこられました。」と、うらなしゃはいって、あるとき、おうさまがわずかなへい大軍たいぐんやぶられたこと
北海の白鳥 (新字新仮名) / 小川未明(著)
鵞毛がもうへい
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
(一三)區區くくせいもつて、(一四)海濱かいひんり、(一五)くわつうざいみ、くにましへいつようし、(一六)ぞく好惡かうをおなじうすゆゑ(一七)其稱そのしよういはく、(一八)
ここおい韓非かんぴ、((韓王ノ))くにをさむるに、その法制はふせい修明しうめいし・(四七)いきほひつてもつその臣下しんかぎよし・くにましへいつようして・もつひともとけんにんずるをつとめず
三日みつかにしてのちへいろくす。病者びやうしやみなかんことをもとめ、あらそふるつて、でてこれめにたたかひおもむけり。しんこれき、めにり、えんこれき、みづわたつてく。
ここおいこれ追撃つゐげきして、つひうしなところ封内ほうない(三〇)故境こきやうりて、へいいてかへる。いまくにいたらず、(三一)兵旅へいりよき、約束やくそくき、誓盟せいめいしてしかのちいふれり。
むかしてい武公ぶこうたんとほつし、すなは(一〇二)其子そのこもつこれめあはせたり。つて羣臣ぐんしんうていはく、「われへいもちひんとほつす、たれものぞ」と。關其思くわんきしいはく、「し」と。
昭矦せうこうもつしやうし、うち政教せいけうをさめ、ほか諸矦しよこうおうずること十五ねん申子しんしをはるまで、くにをさまりへいつよく、かんをかものかりき。申子しんしがくは、(四二)黄老くわうらうもとづき、(四三)刑名けいめいしゆとせり。
... しんもつきみす、じんけんや』と。(三〇)左右さいう(三一)これへいせんとほつす。(三二)太公たいこういはく、『義人ぎじんなり』と。たすけてらしむ。武王ぶわうすでいんらんたひらげ、天下てんかしう(三三)そうとす。