いたづ)” の例文
馬琴を論ずるもの、いたづらに勧善懲悪を以て彼を責むるを知つて、彼の哲学的観念の酬報説に論入せざる、評家の為に惜まざるを得ず。
いたづらに喰ひ盡しむしり取り名は美しく毛だらけにてヂイ/\と濁聲だみごゑに得意を鳴らすもの嗚呼なきにはあらざりけり枯るゝ松こそ哀なれ
木曽道中記 (旧字旧仮名) / 饗庭篁村(著)
私のいたづらに願ひてえ果さず、その人の幸ありて成し遂げ給ふなる、君が偕老のちぎりの上とに在るのみなることを、御承知下され度存※。
いかに、わが世の、あだなるや、くうなるや、うつろなるや。げに、人間のあとかたの覺束おぼつかなくて、數少なき。いたづらなるは月日なり。
すると、これもまたいたづらに粗雑な文句ばかりが、糅然じうぜんとしてちらかつてゐる。彼は更にその前を読んだ。さうして又その前の前を読んだ。
戯作三昧 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
しかるを何者の偏視眼者流ぞ、いたづらに学風を煩瑣はんさにし、究理と云ひ、探求と称して、貴とき生命を空しく無用の努力に費やし去る。
閑天地 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
今は薄日も漏れない暗い納屋の中に寢そべつていたづらに死を待つやうにして餘生を送つてゐる老年の運命にも、圭一郎は不愍ふびんな思ひを寄せた。
崖の下 (旧字旧仮名) / 嘉村礒多(著)
私は雑誌や小説本などを見せて貰つたが、只いたづらに頁をはぐりながら、全く落ち着かぬ心持で、三十分余りも居て暇を告げた。
世の中へ (新字旧仮名) / 加能作次郎(著)
見て、ただいたづらに笑つてをるとは何のことです?——失敬ぢやないか?——無情といふものではないか?——諸君は實にあさましい人々だ!
泡鳴五部作:05 憑き物 (旧字旧仮名) / 岩野泡鳴(著)
地震ぢしん出會であつた一瞬間いつしゆんかんこゝろ落着おちつきうしなつて狼狽ろうばいもすれば、いたづらにまど一方いつぽうのみにはしるものもある。平日へいじつ心得こゝろえりないひとにこれがおほい。
地震の話 (旧字旧仮名) / 今村明恒(著)
だが事実はもう余程酔つてゐたので、嘘でもそんな言葉を吐いて見ると、心もそれにれて、もつと何かいたづらなことでも云つて見たい気がした。
熱海へ (新字旧仮名) / 牧野信一(著)
而して今にして知りぬ、古人が自家見証につきて語る所の、毎々つね/″\いたづらに人をして五里霧中に彷徨はうくわうせしむるの感ある所以ゆゑんを。
予が見神の実験 (新字旧仮名) / 綱島梁川(著)
正月しやうぐわつまへひかえたかれは、實際じつさいこれといふあたらしい希望きばうもないのに、いたづらに周圍しうゐからさそはれて、なんだかざわ/\した心持こゝろもちいだいてゐたのである。
(旧字旧仮名) / 夏目漱石(著)
然れども又いたづらに晦渋かいじゆうと奇怪とを以て象徴派を攻むる者に同ぜず。幽婉奇聳きしようの新声、今人胸奥の絃に触るるにあらずや。
海潮音 (新字旧仮名) / 上田敏(著)
以ていたづら者これなきやう仰付られ下し置れ度願ひ奉るとぞうつたへおけるが大岡越前守是を聞給ひもつともの願ひなり御成門のは大切にかきりなし夫を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
いたづらに事業を賤しみ、之を俗人の事となし、超然として物外に徜徉しやうやうせんとするに至つてはそもそも亦名教の賊に非ずや。
それから墓石はかいしつてしてたが、もとよりうすればくであらうといふのぞみがあつたのではなく、たゞるよりもと、いたづらにこゝろみたばかりなのであつた。
星あかり (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
また何等の目的を持ツて生まれなかツた。いたづらに出來た子は、何處までも徒らに出來た子になツてゐたからと謂ツて、誰からも不足ふそくを聞く譯は無い筈だ。
平民の娘 (旧字旧仮名) / 三島霜川(著)
それを引分ひきわけうとて拔劍きましたる途端とたんに、のチッバルトの我武者がむしゃめがけんいて駈付かけつけ、鬪戰たゝかひいどみ、白刃しらは揮𢌞ふりまはし、いたづらに虚空こくうをばりまするほど
かれ什麽どんなをしんでもかますなかつてくのをふせぐことは出來できない。しか寡言むくちかれいたづらに自分じぶんひとりみしめて、えずたゞ憔悴せうすゐしつゝ沈鬱ちんうつ状態じやうたい持續ぢぞくした。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
『たゞ無用むようなる吾等われらが、いたづらに貴下等きからわずらはすのをうれふるのみです。』とかたると、大佐たいさいそそのげんさへぎ
欣之介の傷ついた心には、その後の曇天が以前にも増して一層暗欝に一層いとはしいものに感じられた。彼は、世にれられない不遇の詩人のやうにいたづらに苛々いら/\した。
新らしき祖先 (新字旧仮名) / 相馬泰三(著)
そこでは焼いたり切つたりするのは、いたづらに目蓋まぶたを傷つけるばかり、かへつて目容めつきを醜くするし、気永に療治した方がいゝといふので、其の通りにしてゐるのであつた。
チビの魂 (新字旧仮名) / 徳田秋声(著)
夫 (それにかまはず)「が、そこにたゝずむものとてはほかにないから、男ごころをときめかす香りも、伊太郎以外には、たゞいたづらに暗きにたゞよひ、吹き消されるばかり」
世帯休業 (新字旧仮名) / 岸田国士(著)
西洋の婦人と自在に會話を取りかはしてゐる得意な有樣に胸を轟かせたりしていたづらに時を過した。
入江のほとり (旧字旧仮名) / 正宗白鳥(著)
長順 ふむ、何を隠さう——いたづらに俗世間の義理人情に囚へられ、新しき教の心もえさとらぬ俗人ばら、あの老耄の痩首丁切ちよんぎり、吉利支丹宗へわが入門の手土産てみやげにな致さむ所存。
南蛮寺門前 (新字旧仮名) / 木下杢太郎(著)
自分は伯林ベルリンgarçonガルソン logisロジイ の寐られない夜なかに、幾度も此苦痛をめた。さういふ時は自分の生れてから今までした事が、上辺うはべいたづごとのやうに思はれる。
妄想 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
ただ冒進ぼうしんの一事あるのみと、ひとり身をぬきんで水流をさかのぼり衆をてて又顧みず、余等つゐで是にしたがふ、人夫等之を見て皆曰く、あに坐視ざしして以ていたづらに吉田署長以下のたんやと
利根水源探検紀行 (新字旧仮名) / 渡辺千吉郎(著)
日蔭になつて、五月になつても、八月の半頃になつても青い葉一枚とてはなく、ただ茎ばかりが蔓草のやうにいたづらによろめいて延びて居た、この家の井戸端のあの薔薇の木の生活だ。
僕は実に失望落胆の為めほとんど発狂するばかりに精神を痛めたです——乍併しかしながら更に退しりぞいて考へると、れはいたづらに愁歎しうたんして居るべき時でない、僕の篠田を崇拝したのは其の主義に在るのだ
火の柱 (新字旧仮名) / 木下尚江(著)
「若菜集」一度ひとたび出でて島崎氏の歌を模倣するもの幾多相踵あひついであらはれたが、いたづらに島崎氏の後塵を拜するに過ぎなかつたことは、「若菜集」の價値を事實に高めたものとも言へやう。
新しき声 (旧字旧仮名) / 蒲原有明(著)
陪審官等ばいしんくわんら身體からだふるえがとまるやいなや、ふたゝ石盤せきばん鉛筆えんぴつとをわたされたので、みんな一しんこと始末しまつしました、ひと蜥蜴とかげのみは其口そのくちいたまゝ、いたづらに法廷はふてい屋根やね見上みあげて
愛ちやんの夢物語 (旧字旧仮名) / ルイス・キャロル(著)
「智は畢竟つまり狐で、いたづらに疑ひが多くて、かへつて事業の妨げとなつたんである。」
りながらをりふし地方遊説ちはうゆうぜいなどゝて三つき半年はんとしのお留守るすもあり、湯治塲たうぢばあるきのれとことなれば、此時このときにはあまゆることもならで、たゞいたづらの御文通ごぶんつうたがひのふうのうちひとにはせられぬことおほかるべし。
われから (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
汽船では乗客を皆な別の船に移して、荷を軽くして船員そうがゝりで、長い竿棹さをを五本も六本も浅い州に突張つつぱつて居た。しかも汽船は容易に動かなかつた。煙突からは白い薄いけぶりいたづらに立つて居た。
(新字旧仮名) / 田山花袋(著)
自分は一生結局つまり之と云ふ何の仕事もせず、いたづらに生の悪夢にひたつて平凡に死んで行く運命の者ではなからうか。併しその事は案外此頃の彼には簡単に諦められる事のやうな気もしてゐたのだつた。
正月はいたづらにつてく。
晶子詩篇全集 (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
いたづらに説き、徒らに談じ、徒らに行ひ、徒らに思ひ、第一の門までは蹈入らしめて第二の門を堅く鎖すもの、比々皆是れなるにあらずや。
各人心宮内の秘宮 (新字旧仮名) / 北村透谷(著)
そは世間幾多の人の具ふる所にして、又能くする所なり。これに惑ひていたづらに思ひ上がりなどせば、生涯の不幸となるべきものぞといふ。
いたづらに愉快な、もしくは徒らに快濶な、つまり樂天的な男とし、女の絶えない苦勞を忘れようとするばかりに、一時惚れ込まれたのであつたにせよ
泡鳴五部作:04 断橋 (旧字旧仮名) / 岩野泡鳴(著)
と冬子は、自分の冗談めかした独り決めを笑ひながら、厭にぼんやりしてゐる小樽の両手を執つていたづら気に振つた。
黄昏の堤 (新字旧仮名) / 牧野信一(著)
の千載一遇の好機会に当り、同胞にしてし悠久の光栄を計らず、いたづらに一時の旗鼓きこの勝利と浮薄なる外人の称讃に幻惑するが如き挙に出でしめば
渋民村より (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
九助と配偶めあはせたき由申により私し養女に仕つり同人方へつかはせし儀に御座れば何も不義ふぎいたづら者のと私養女に難曲なんくせ
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
従つて彼は艇長としての報告を作らんがために、すべての苦悶を忍んだので、ひとによく思はれるがために、いたづらな言句げんくを連ねたのでないと云ふ結論に帰着する。
艇長の遺書と中佐の詩 (新字旧仮名) / 夏目漱石(著)
遠慮ゑんりよ女房等にようばうらにおしなはなしをされるのはいたづらに哀愁あいしうもよほすにぎないのであるが、またぼうにははなしをしてもらひたいやうな心持こゝろもちもしてならぬことがあつた。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
英雄の事業一成し一敗す、維新の大立者たる西郷隆盛は城山の露と消え残るは傷夷しやういと国債とのみ。松菊、甲東むなしく墓中に眠りて、而して門下の故吏いたづらに栄ふ。
明治文学史 (新字旧仮名) / 山路愛山(著)
だが、今度のことだつて考へてみれば——、僕は思ふんです——あなたにとつては全く何の損失でもありませんよ。たゞ、いたづらに悩ましい青春が去つただけです。ほんとに事を
新らしき祖先 (新字旧仮名) / 相馬泰三(著)
儕輩さいはいの詩人皆多少憂愁の思想をそなへたれど、厭世観の理義彼に於ける如く整然たるはまれなり。衆人いたづらに虚無を讃す。彼は明かにその事実なるを示せり。その詩は智の詩なり。
海潮音 (新字旧仮名) / 上田敏(著)
讀書どくしよいたづらに人の憂患わづらひすのみのなげきは、一世いつせい碩學せきがくにさへあることだから、たん安樂あんらくといふ意味から云ツたら其もからうけれど、僕等はとても其ぢや滿足出來ないぢやないか。
虚弱 (旧字旧仮名) / 三島霜川(著)
今の作家がいたづらに人生の暗処、弱処、悲惨事をのみ描きて時に詩的正義の大道をだに逸し去らんとするの観あるに対して、国民性を描けといふか、真意は更に人生の美所、高所
国民性と文学 (新字旧仮名) / 綱島梁川(著)