のば)” の例文
お茂與といふ美しい年増は、帶の間から紙入を出して、その中から小さく疊んだ半紙を拔き、しわのばして平次の方へ滑らせたのです。
過ぎ行く舟の奥床おくゆかしくも垂込たれこめた簾の内をば窺見うかがいみようと首をのばしたが、かの屋根船は早くも遠く川下の方へと流れて行ってしまった。
散柳窓夕栄 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
マルコポーロの紀行の研究は近頃大いに進み、この中には他にもこの時代の資料が得られそうに思うのだが、まだ手をのばす力がない。
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
「お見せ。」……とも言はず、女太夫おんなたゆうが、間近まぢかから手をのばすと、逆らふさまもなく、頬を横に、びん柔順すなおに、ひざの皿に手を置いて
光籃 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
面は火のように、眼は耀かがやくように見えながら涙はぽろりとひざに落ちたり。男はひじのばしてそのくびにかけ、我を忘れたるごとくいだめつ
貧乏 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
少女は素足のすねを幾分寒さうにのばしながら、奥まつた一隅に朝着のまま立つてゐる伊曾の方へおくした様子もなく進んで行つた。
青いポアン (新字旧仮名) / 神西清(著)
彼女かのぢよ恐怖きようふは、いままでそこにおもいたらなかつたといふことのために、餘計よけいおほきくかげのばしてくやうであつた。彼女かのぢよあらたなるくゐおぼえた。
(旧字旧仮名) / 水野仙子(著)
でたくらいで割り切れる訳のものではない。今度はひだりの方をのばして口を中心として急劇に円をかくして見る。そんなまじないで魔は落ちない。
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
川端の柳の枝につかまつて水の中へ手をのばして見たり、枯枝を差出して見たりしたが、親猿の浮いて居る所へは届きません。
山さち川さち (新字旧仮名) / 沖野岩三郎(著)
此の引力が、やがて無能力者に絶大の權力を與へるやうなことになるのだから、女が威張ゐばりもすれば、ありもせぬはねのばさうとするやうになる。
青い顔 (旧字旧仮名) / 三島霜川(著)
茶釜ちやがまがちう/\とすこひゞきてゝしたとき卯平うへいひからびたやうにかんじてのどうるほさうとしてだるしりすこおこしてぜんうへ茶碗ちやわんのばした。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
「それでもあなたは、二三日おきには髯を剃っていられるじゃありませんか。なぜ長くおのばしなさらないのですか。」
悪夢 (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)
いひながらそばにあつた小形の風琴をとり、両手をかけて引きのばすと雑作もなく「てふちよ、てふちよ」と何ともいはれぬ面白い調子に鳴り出しました。
黄金機会 (新字旧仮名) / 若松賤子(著)
はらすいると、のばしてとゞところなつ無花果いちじく芭蕉ばせうもぎつてふ、若し起上たちあがつてもぎらなければならぬなら飢餓うゑしんだかも知れないが
怠惰屋の弟子入り (旧字旧仮名) / 国木田独歩(著)
そう思って私は手をのばしかけたとき、いきなり私の洋服をグッと引張ったものがある。はッと思って見廻わすと、引張ったのは、まぎれもなく帆村だった。
ゴールデン・バット事件 (新字新仮名) / 海野十三(著)
さうかとおもふと、其青年そのせいねん高等商業かうとうしやうげふ生徒せいとらしく、実業界じつげふかいはねのばさうと前途ぜんと抱負はうふなども微見ほのめかしてある。
背負揚 (新字旧仮名) / 徳田秋声(著)
石井氏は後日の健全な家庭をつくるためにと、綾之助を慰めておいて、雄々おおしくも志望を米国へのばしに渡った。
竹本綾之助 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
私は小学校へは入るために、八つの春、大聖寺町の浅井一毫あさいいちもうという陶工の家に預けられた。その頃七十幾つかで、白いひげを長くのばしたよいおじいさんであった。
九谷焼 (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
身形みなりの端正なのにそぐわず、髪の毛を馬鹿にモジャモジャとのばした、相手の青年は、次の様に語り出した。
一枚の切符 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
水野さんがのばし、吉田さんがけ出すと、コドモ委員の男の子や女の子が、もう二三人づれで泣く子をつれて、こつちへ駈け足でやつて来るところでした。
原つぱの子供会 (新字旧仮名) / 槙本楠郎(著)
男が伸々のびのび拘束こうそくなしに内側の生命をのばす間に、女は有史以来おさえためられてそれを萎縮いしゅくされてしまった。
女性の不平とよろこび (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
一人の賊は後より小手こてのばして袈裟掛けさがけに左の肩先かたさき四五寸ばかりエイト云樣切下れば左仲はアツと反返そりかへるを
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
自分の居るのはこの半円のの三層目に当るのである。内方うちらからは左になる窓のむかうには庭のアカシヤが枝をのばして居る。木の先はだ一丈ばかりも上にそびえて居るのである。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
しかも𤢖とは大差ない程に見ゆる下級労働者らしい扮装いでたちで、年の頃は五十前後でもあろう、髪を長くのばして、とがった顔に鋭い眼をひからせ、身には詰襟つめえりの古洋服の破れたのを着て
飛騨の怪談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
音楽家は黙つて、後方うしろを振りかへつた。そこには五六人の客が居合はせたが、誰一人見知みししの男は居なかつた。剽軽な男は椅子の上から、身体からだのばしざま、ホフマンに言つた。
蒲団の上に足をのばしながら、何か近頃この街で珍らしくかわった話は無いか? 私が問うと、老按摩あんま皺首しわくび突出つんだして至って小声に……一週間前にしかもこの宿で大阪おおさか商家あきゅうどの若者が
菜の花物語 (新字新仮名) / 児玉花外(著)
ヴェスヴィオは西暦せいれき七十九年しちじゆうくねん大噴火前だいふんかぜんまでは、このソムマの外側そとがはのばしたほどの一箇いつこ偉大いだい圓錐状えんすいじよう火山かざんであつたのが、あのをりの大噴火だいふんかのために東南側とうなんがは大半たいはんばし
火山の話 (旧字旧仮名) / 今村明恒(著)
物をただすと、あべこべに、おぬしは何者だなどと大言を吐きますから——当地の御被官ごひかん、松下嘉兵衛かへえ様でいらせられると、申し聞かせましたところ、ふーむと、怖れ気もなく腰をのば
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
私はた。それから火を掻き起しても、一度視た。しかし彼女は帽子と紐とを顏のあたりにひき寄せて、再び立ち去るやうにといふ手振をした。焔が、のばした彼女の手を照らしてゐた。
と、イワン、デミトリチはかゞやかして立上たちあがり、まどはうのばしてふた。
六号室 (旧字旧仮名) / アントン・チェーホフ(著)
一散いっさんに飛上ってくだんの盗人を噛倒かみたおし、尚お驚いて逃出そうとする一賊のうしろから両手をのばしてかじり付き、あわや喰殺し兼まじき見幕けんまく、山賊も九死一生きゅうしいっしょうの場合ですから、持合しましたお町の短刀
後の業平文治 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
その犠牲に手をのば貪婪どんらんさを彼ぐらい露骨に示したものも少かろう。鶴見が銭湯にさそわれたのを犠牲と呼ぶには当らないが、どういうものか、そういうような気持がふと心のなかをかすめて行った。
髪を長くのばした、色の蒼い男である。又何か小声で熱心に話し出した。
青年 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
の西山に登り、広原沃野を眼下に望み、俗界の上に立つこと千仞せんじん、独り無限と交通する時、軟風背後の松樹に讃歌を弾じ、頭上の鷲鷹しゅうよう比翼をのばして天上の祝福を垂るるあり、夕陽せきようすでに没せんとし
基督信徒のなぐさめ (新字新仮名) / 内村鑑三(著)
なかには、かおさえあらやもうようはねえと、ながしのまんなか頑張がんばって、四斗樽とだるのようなからだを、あっちへげ、こっちへのばして、隣近所となりきんじょあわばすひま隠居いんきょや、膏薬こうやくだらけの背中せなかせて、弘法灸こうぼうきゅう効能こうのう
おせん (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
そうして大きな枯木が一本、彼の前に枝をのばしていた。
素戔嗚尊 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
榮子は夏子ののばした手の中へ来た。
帰つてから (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
と柳下君が首をのばして訊いた。
ガラマサどん (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
凍鶴いてづるの首をのばしてたけ高き
五百五十句 (新字旧仮名) / 高浜虚子(著)
本村町の電車停留場はいつか通過ぎて、高力松こうりきまつが枝をのばしている阪の下まで来た。市ヶ谷駅の停車場と八幡前の交番との灯が見える。
つゆのあとさき (新字新仮名) / 永井荷風(著)
丈太郎は大急ぎで手をのばすと、石の凹みにあった二三本の白いものを掴み、まだ足元の岩の上で燃えて居る懐中蝋燭から、灯を移しました。
大江戸黄金狂 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
そうして半帕を畳みながら、行儀よく膝に両の手を重ねて待ったお嬢さんに、顔へ当てるように、膝をのばしざまに差出した。
薄紅梅 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
相手はせた体躯からだを持ち上げたひじを二段にのばして、手の平に胴をささえたまま、自分で自分の腰のあたりをめ廻していたが
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
しかしながらはやしくぬぎいくとほのばして迅速じんそく生長せいちやうげようとしても、ひやゝかなあきふゆ地上ちじやうみちびくのである。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
「じゃ、そろそろ実験にとりかかろうじゃないか」と星宮理学士が、腰をあげて、長身をスックリとのばした。
恐しき通夜 (新字新仮名) / 海野十三(著)
またその次の細君の時代は、羽左衛門の一生に、一番のばしかけた上り口からで、好運な彼女は、前の人たちの苦心の結果を一攫いっかくしてしまったのであった。
一世お鯉 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
父親は電球のひものばして、水泳場の下へ入って行った。そこでしばらくごそごそしている様子だった。
渾沌未分 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
其事そのこと彼事かのこと寂然じゃくねんと柱にもたれながら思ううち、まぶた自然とふさぐ時あり/\とお辰の姿、やれまてと手をのばしてすそとらえんとするを、果敢はかなや、幻の空に消えてのこるはうらみばか
風流仏 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
「おい! 万作さん!」と大きな声で呼んだものがあるので万作は吃驚びつくりしてを開けてみると、そこに白いひげを長くのばした老爺ぢいさんが真白まつしろい着物を着て立つてゐました。
蚊帳の釣手 (新字旧仮名) / 沖野岩三郎(著)
私は知らず/\となり店の方へ首をのばし、しきりにそちらへ気をとられて居るのを見て、仕立家の主婦あるじ
黄金機会 (新字旧仮名) / 若松賤子(著)