ひた)” の例文
うつくしいてて、たまのやうなこいしをおもしに、けものかはしろさらされたのがひたしてある山川やまがは沿うてくと、やまおくにまたやまがあつた。
死刑 (旧字旧仮名) / 上司小剣(著)
この壁柱かべはしら星座せいざそびえ、白雲はくうんまたがり、藍水らんすゐひたつて、つゆしづくちりばめ、下草したくさむぐらおのづから、はなきんとりむし浮彫うきぼりしたるせんく。
十和田湖 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
真物ほんものの山水のなかへひたつて、自分も景物の一つになつて暮らす気持は、雪舟の名幅を見てるよりも、ずつと気が利いてるからな。」
慎太郎は看護婦の手から、水にひたした筆を受け取って、二三度母の口をしめした。母は筆に舌をからんで、乏しい水を吸うようにした。
お律と子等と (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
ふすまごしに聞える朱実の囈言うわごとは、彼にも多少は平常ふだんにあった侍の心がまえというものを、まったく泥舟が水へひたったようにくつがえしていた。
宮本武蔵:04 火の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
つきひかりは、うすあおく、この世界せかいらしていました。なまあたたかなみずなかに、木立こだちも、いえも、おかも、みんなひたされたようであります。
月夜と眼鏡 (新字新仮名) / 小川未明(著)
浴衣ゆかたかみの白い老人ろうじんであった。その着こなしも風采ふうさい恩給おんきゅうでもとっている古い役人やくにんという風だった。ふきいずみひたしていたのだ。
泉ある家 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
瓢々斎が上半身ひたっているのを、下女のお滝が見付け、亭主の元助を呼んで一緒に引揚げると、くびには麻縄が固く結び付けてあり
面倒臭く思つて伸びをしたり、または芸術といふ不思議な幻術がき入れる物憎い恍惚こうこつひたつたりしてゐると兄はおづ/\入つて来る。
過去世 (新字旧仮名) / 岡本かの子(著)
そうしてこの中にひたる東京の上流婦人の中に、次第にサジスムス性のソレが殖えてゆくのは、男性のソレと同様止むを得ない事である。
東京人の堕落時代 (新字新仮名) / 夢野久作杉山萠円(著)
与之助は暗い坂路を呼吸いきもつかずに駈けあがって行った。坂の勾配こうばいはなかなか急で、逃げる者も追うものもひたるような汗になった。
半七捕物帳:22 筆屋の娘 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
そのほおは健康そうに張り切って、若さでつやつやしていたけれども、それよりも津村は、白い水にひたっている彼女の指に心をかれた。
吉野葛 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
我等すなはちこゝにいたりて見下みおろせるに、濠の中には民ありてふんひたれり、こは人の厠より流れしものゝごとくなりき 一一二—一一四
神曲:01 地獄 (旧字旧仮名) / アリギエリ・ダンテ(著)
手拭てぬぐひひたたびちひさな手水盥てうずだらひみづつきまつたかげうしなつてしばらくすると手水盥てうずだらひ周圍しうゐからあつまやう段々だん/\つきかたちまとまつてえてる。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
そういう時に軒の雨垂れを聞きながら静かに浴槽にひたっている心持は、およそ他に比較するもののない閑寂で爽快なものである。
五月の唯物観 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
退屈男が何をおいても、先ず第一にこの吉原へやって来たのも、その寂しい旅情にしみじみとひたりたいために違いないのでした。
冬の食物に餅茶漬もちちゃづけというのがありました。程よく焼いた餅を醤油にひたして、御飯の上に載せて、それにほうじ茶をたっぷりかけるのです。
鴎外の思い出 (新字新仮名) / 小金井喜美子(著)
小笠原はその持前の物静かな足取りで黄昏たそがれひたり乍ら歩いていたが、やがて、伊豆の心に起った全ての心理をくまなく想像することが出来た。
小さな部屋 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
風が街上の塵埃じんあいを小さな波に吹き上げて、彼等二人をひたし乍ら巡査の方へ走って消えた。彼も此ごみと共に消えたかった。否、何もかもない。
偽刑事 (新字新仮名) / 川田功(著)
日がかげってから家を出た赤瀬春吉は、窓の外に秋を告げるようなひぐらしの声を聞きながら、首だけ出して、湯の中にひたっていた。
糞尿譚 (新字新仮名) / 火野葦平(著)
またその反對はんたいにデンマルクなどのように、うみ陸地りくちををかしてたので、今日こんにちでは海中かいちゆう貝塚かひづかひたつてゐるところもあります。
博物館 (旧字旧仮名) / 浜田青陵(著)
たなの上から、うすぺらな赤い石鹸を取りろして、水のなかにちょっとひたしたと思ったら、それなり余の顔をまんべんなく一応撫で廻わした。
草枕 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
何と申しましょうか、それは、ちょうど湯加減のよい浴槽ゆぶねのなかにでもひたっているような、こころよい、しみじみとした幸福感でありました。
(新字新仮名) / ギ・ド・モーパッサン(著)
この騒ぎに少女が前なりし酒はくつがへりて、もすそひたし、卓の上にこぼれたるは、蛇の如くひて、人々の前へ流れよらむとす。
うたかたの記 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
金属のベルトの内側に海綿かいめんがはりつけてあるものを作っておきます。これを1と2の二つの滑車かっしゃにかけて、あのように一部分は水にひたします。
ふしぎ国探検 (新字新仮名) / 海野十三(著)
大体染物は色にひたけるのが本式で、近頃流行の捺染なせんのように上から色を置くのは、本筋の仕事ではないように思います。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
学窓を離れて五年ばかりの甘美な結婚生活にひたつて、憧憬あこがれ空想くうさうのほか、何一つ世間のことを知る機会のなかつた彼女が
質物 (新字旧仮名) / 徳田秋声(著)
寿司に生姜しょうがをつけて食うのは必須ひっす条件であるが、なかなかむずかしい。生姜の味付けに甘酢あまずひたす家もあるが、江戸前としての苦労が足りない。
握り寿司の名人 (新字新仮名) / 北大路魯山人(著)
はかなきゆめこゝろくるひてより、お美尾みをありれにもあらず、人目ひとめければなみだそでをおしひたし、れをふるとけれども大空おほそらものおもはれて
われから (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
そして、からだを捻じ曲げ、かぶとを脱いで、絶対の幸福にひたりながら、暖炉の薪台たきぎだいの上へ、全身を、根こそぎ、叩きつける。
にんじん (新字新仮名) / ジュール・ルナール(著)
作次は自分の回想に全身でひたってい、そこに参太が聞いていることなどは、まったく意識にないようにみえた。まわりの客は絶えず変っていた。
おさん (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
白菖マートル麝香草じゃこうそうとが咲き乱れ、花陰では三、四人の侍女たちが清冽な水に白い脚をひたして笑い戯れながら、さっきから水遊びに余念もありません。
ウニデス潮流の彼方 (新字新仮名) / 橘外男(著)
小次郎は大銀杏の影から外れた、月光の中にひたりながら、浮藻を横にして坐っていたが、心はいまだに夢のようであった。
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
(船、動く。俊寛水の中にひたる)待ってくれ。(船、動く。俊寛水に浸りたるまま、一間ばかり船に引きずられてゆく)
俊寛 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
さてさらしやうはちゞみにもあれ糸にもあれ、一夜灰汁あくひたしおき、あけあした幾度いくたびも水にあらしぼりあげてまへのごとくさらす也。
濁江の水に材木がひたしてある。浮ぶともなく浮んでいるその材木の陰に、燕子花かきつばたの花が咲いている、というのであろう。
古句を観る (新字新仮名) / 柴田宵曲(著)
本當に、「水は我が魂をひたし、我は深き海に沈みぬ。立つべき足場もなく、我は水底みなぞこに到り、洪水は我を溺らしめぬ。」
ほのほしたをくゞるときは、手拭てぬぐひにて頭部とうぶおほふこと。手拭てぬぐひれてゐればなほよく、座蒲團ざぶとんみづひたしたものはさらによし。
地震の話 (旧字旧仮名) / 今村明恒(著)
秋の日落ち谷蒼々そうそうと暮るゝゆうべ、玉の様な川水をわかした湯にくびまでひたって、直ぐそばを流るる川音を聴いて居ると、陶然とうぜんとして即身成仏そくしんじょうぶつ妙境みょうきょうって了う。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
彼の首から垂れ下った一連の白瑪瑙しろめのう勾玉まがたまは、音も立てず水にひたって、静かにを食う魚のように光っていた。
日輪 (新字新仮名) / 横光利一(著)
錦子は、水にひたった蝴蝶の、光るような、なめらかな肌が、目の前にあるように、眼をよせてながめていた。
田沢稲船 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
それではくずれてしまうと思ったものが、塩水しおみずによくひたしてから焼くようにと教えたという話しかたもある。「打たぬ太鼓の鳴る太鼓」などは何処どこにもない。
母の手毬歌 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
かくして、身体しんたいを七十日間曹達水そうだすいひたしたる後、之を取出し、護謨ごむにて接合せる麻布をもって綿密に包巻ほうかんするなり
(新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
が、やがて、もゆだったので、湯から揚げて水にひたした。それから、鍋を持ちあげて井戸端いどばたどぶのところまでもって行き、溝に煮え湯をこぼそうとした。
真白な湯槽、透きとおるお湯の中に心ゆくままひたっていると、この山奥の、別な世界にいるとは思われません。
大菩薩峠:24 流転の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
あるひくだけて死ぬべかりしを、恙無つつがなきこそ天のたすけと、彼は数歩の内に宮を追ひしが、流にひたれるいはほわたりて、既に渦巻く滝津瀬たきつせ生憎あやにく! 花は散りかかるを
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
朝の縁先えんさきに福寿草のあの黄金色こがねいろの花が開いているのを見ると、私達はなんとなく新春の気分にひたって来ます。
季節の植物帳 (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
晩方早目に銭湯に出掛けて見ると、浴客はただ一人ぎりで湯槽ゆぶねひたっていた。ほどよく沸いた湯がなみなみとたたえられて、淡い蒸気がかげろうを立てている。
「医者は単に夜間やかんしとねひたす病気ですと言った。俺もそれで想像がついたから、君も常識で判断してくれ給え」
求婚三銃士 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
この仕事をするあいだ、私は私の手足や道具などをその牝牛めうしの血にひたし、地面へも同じ血を一ぱいにまいた。