“縮”のいろいろな読み方と例文
読み方割合
すく33.2%
ちぢ28.9%
ちゞ21.1%
ちぢみ5.3%
ちぢま1.6%
ちゞみ1.0%
ちじ1.0%
ちゞめ1.0%
なお1.0%
すぼ0.7%
ちぢら0.7%
ちゞま0.7%
ちゞれ0.7%
0.3%
しゅく0.3%
ちじみ0.3%
ちぢめ0.3%
ちゞこ0.3%
ちゞら0.3%
つま0.3%
なおく0.3%
なほ0.3%
ナホクバ0.3%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
と云いながらへ寄って、源三の衣領げて奇麗な指で触ってみると、源三はくすぐったいと云ったように頸をめてりながら
雁坂越 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
それでどんなえびすでも、虎狼のような猛獣でも、田村麻呂一目にらまれると、たちまち一縮みにみあがるというほどでした。
田村将軍 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
ちやんはちにれが扇子つて所爲だとつていで其扇子てました、むのをれるものゝく。
愛ちやんの夢物語 (旧字旧仮名) / ルイス・キャロル(著)
あれから一ばかりたって、お綱は、すきや小柳の引っかけ帯、髪もぞんざい結びに巻きなおし、まるで別人のようになって
鳴門秘帖:01 上方の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
一行めて団結猛然奮進にす又足を水中にずれば水勢となり、両岸の岩壁となり、之に従つて河幅は
利根水源探検紀行 (新字旧仮名) / 渡辺千吉郎(著)
 貴重尊用をさらすはこれらとはおなじくせず、別にさらし場をもうけ、よろづに心を用ひてさらす事御をおるに同じ。
あっと思わず身体をめたとき、博士の足は、その煙突から一丁も放れた或る喫茶店の窓にひっかかって、靴がポロリとげたのであったから。
空気男 (新字新仮名) / 海野十三丘丘十郎(著)
それともこれを此處に貴君の三年の壽命るがか、それでも今ぐにう御座るかな。
石清虚 (旧字旧仮名) / 国木田独歩(著)
みずからりみてからば千万人といえども、吾れかんとの独立自重の心は誰人にもなくてはならぬけれども、いわばどちらでも好いことに角立てて世俗に反抗するほどの要なきものが多い。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
是非先方より頭を低し身をめて此方へ相談に来り、何卒半分なりと仕事を割与て下されと、今日の上人様の御慈愛深き御言葉を頼りに泣きついても頼みをかけべきに、何として如是は遅きや
五重塔 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
椿紅梅の花に降る春の雪はまた永遠に友禅模様の染色の如く絢爛たるべし。婦女の頭髪は焼鏝をもて殊更さざる限り、永遠に水櫛の美しさを誇るに適すべし。
浮世絵の鑑賞 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
日射が上からつて、段々下に落ちて行く。と室の中が暗くなつたと思ふと、モウ私の窓から日が遁げて、向合つた今井病院の窓が、遽かにキラ/\とする。
菊池君 (旧字旧仮名) / 石川啄木(著)
かにちやんではなくッてよ』とちやんは、『でも、彼娘彼麽だけど、のは一だつてれちやないもの。 ...
愛ちやんの夢物語 (旧字旧仮名) / ルイス・キャロル(著)
目賀田さんと云うのと、のゝ字三つに念を入れて推されたので、恥しくもないことにぽっとし、お立ですよと婢が高く呼ぶと、ばた/\と男女二三人送りに出たのでまたくみ
油地獄 (新字新仮名) / 斎藤緑雨(著)
山伏は、耳がないように、ただだけにらんらんと、人をるような炎をたいている。金剛わらんじの足の指が、百足の背みたいに、一一縮地をにじり詰めてくる。
宮本武蔵:08 円明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
二重まわして、すらりと結び、髪は島田の長く、そこで男の衣裳と見れば、下に白地の能登おり、上は紋つき薄色一重、のぞき浅黄のぶッ羽織、胸は覚悟の打紐ぞとよ
雪柳 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
『しかしたってそれがう。』アンドレイ、エヒミチはる。『らん、おいニキタなければならんのだ!』える。『があるのだ!』
六号室 (新字新仮名) / アントン・チェーホフ(著)
と云ひながら後に随いて格子戸くゞり、寒かつたらうに能う出て来たの、生憎お吉も居ないで関ふことも出来ぬが、まつて居ずとずつと前へて火にでもあたるがよい
五重塔 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
頬かぶりをしたタオルの下からし髪の垂れかゝる細面は、色も白く、口元にはこぼれるやうな愛嬌がある。
にぎり飯 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
左様あればる所兄弟中もみなよくなりて果は父母様の御仕合、また子供が見習い候えば子孫のためこれほど目出度い事はないではないか〔聖賢の心地、家庭における松陰かくの如し〕。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
から信ずる頗る厚く、自から為す所、言う所、一として自から是認せざるはなく、則ち自から反してんば千万人といえども、吾かんの気象なり。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
〔譯〕自らみてきは、無きなり。千萬人と雖吾れ往かんは、物無きなり。
曾子の所謂「自反而。雖千萬人吾往矣」とはこれである。