いたづら)” の例文
しかし、敵はこちらを余りに弱いものと見くびつて、油断をしてゐたので、はじめの程の砲撃はいたづらに魚を驚かしたに過ぎなかつた。
怪艦ウルフ号 (新字旧仮名) / 宮原晃一郎(著)
ねやこゑもなく、すゞしいばかりぱち/\させて、かねきこえぬのを、いたづらゆびる、寂々しん/\とした板戸いたどそとに、ばさりと物音ものおと
雪の翼 (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
彼の新なる悔は切にまつはるも、いたづらに凍えて水を得たるにおなじかるこのふたつの者の、相対あひたいして相拯あひすくふ能はざる苦艱くげんを添ふるに過ぎざるをや。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
東は悪因を有するもののいたづらに悪果を恨み歎ずるを笑ひ、西は冷〻然として平らかなるものの如何ともす可からざるを憎めるなり。
東西伊呂波短歌評釈 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
かつ取らるゝ物が置かるゝ物をるゝことあたかも六の四における如くならずば、いかに易ふともいたづらなるを信ずべし 五八—六〇
神曲:03 天堂 (旧字旧仮名) / アリギエリ・ダンテ(著)
明日にもわからない大病の師匠を看護しながら、その容態をでも心配する事か、いたづらに自分の骨折ぶりを満足の眼で眺めてゐる。
枯野抄 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
そして、筆は遲遲ちちとして進まず、意をたすやうな作は出來上らずに、いたづらにふえて行くのは苛苛いらいらと引き裂き捨てる原稿紙のくづばかりであつた。
処女作の思い出 (旧字旧仮名) / 南部修太郎(著)
然らずして、いたづらに聞見をむさぼるのみならば、則ち或はがうちやうじ非をかざらんことを恐る。謂はゆるこうに兵をし、たうりやうするなり、おもんぱかる可し。
恋人の住む町と思へば、の名をいたづら路傍ろばうの他人にもらすのが、心の秘密を探られるやうで、たゞわけもなくおそろしくてならない。
すみだ川 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
目の縁には黒いくまが出来た。声は干からびた喉から出るやうに聞える。一夜も穏に眠らない。その絶間の無い恐怖は、いたづらに無言の童を悩ますのである。
大名小路の大きなやしきが長い年月に段々つぶれてはたけになつて行くのをも見た。御殿のあつた城址しろあとにはいたづらに草がちやうじた。
(新字旧仮名) / 田山花袋(著)
宿の近くにババリヤ公園があつて、其処そこにバイエルン国の精神を表示した女神ぢよしん像が立つて居るが、いたづらに巨大なばかりで少しも崇高な感のおこらない物である。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
呉王ごわういはく、『將軍しやうぐん(一一)罷休ひきう(一二)しやけ、寡人くわじんくだりてるをねがはず』と。孫子そんしいはく、『わういたづら其言そのげんこのんで、其實そのじつもちふることあたはず』
『ではわたくしなどはいたづらくるしみ、不滿ふまんならし、人間にんげん卑劣ひれつおどろいたりばかりしてゐますから、白癡はくちだと有仰おつしやるのでせう。』
六号室 (旧字旧仮名) / アントン・チェーホフ(著)
又々あらたあらた立直たてなほ奉行所ぶぎやうしよへ申上て昨夜さくや御成門へいたづら仕りしが南無阿彌陀佛なむあみだぶつと書しは淨土宗じやうどしうのともがらねたみしと相見あひみえ申候如何計申べしや何卒なにとぞ公儀こうぎ威光ゐくわう
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
しかし私はまだ一度もそんな目に出会はなかつた。私は只いたづらに空虚な心を強ひて緊張させて往来を眺めて居た。
世の中へ (新字旧仮名) / 加能作次郎(著)
そはいたづらにおん身を惱ますに近からんと云ひつゝ、起ちて帽を取らんとせしに、夫人は忽ち我手をりて再び椅子に着かしめ、優しく我顏を目守まもりて云ふやう。
莟は日を経てもいたづらに固く閉ぢて、それのみか白いうちにほのあか花片はなびらの最も外側なものは、日々に不思議なことにも緑色の細い線が出来て来て、葉に近い性質
然れば惜むべきを、ひめ隠しおかば、荷田大人の功もいたづらなりなんと、我友皆いへればしるしつ
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
などて、いたづらに古人の教にちやくしておぢやるのぢや。此不思議を見ざるか。この不可思議を。
南蛮寺門前 (新字旧仮名) / 木下杢太郎(著)
をさなきより身を一一五翰墨かんぼくするといへども、国に忠義の聞えなく、家に孝信をつくすことあたはず、一一六いたづらに天地のあひだにうまるるのみ。兄長このかみ赤穴は一生を信義の為に終る。
家がいたづらに広いばかりで陽が当らない——一つは雪が五尺も六尺も一晩に降るために、防寒を第一の目的として建てられたこの国の家屋は、南のえんでも庇が深くて日当りがわるいから
念仏の家 (新字旧仮名) / 小寺菊子(著)
散りこすなゆめと言ひつゝ、幾許こゝだくるものを、うたてきやしこほとゝぎす、あかつき心悲うらかなしきに、追へど追へど尚ほし鳴きて、いたづらに地に散らせれば、すべをなみぢて手折たをりて、見ませ吾姉子あぎもこ
浮標 (新字旧仮名) / 三好十郎(著)
さていたづらに物を欲り、浮かれ、たばかり、盗まざりけり。偽らず、安らなりけり。
雀の卵 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
だ燃え立つ復讐ふくしうの誠意、幼き胸にかき抱きて、雄々しくも失踪しつそうせる小さき影を、月よ、汝は如何いかに哀れと観じたりけん、がるゝ如き救世の野心に五尺の体躯からだいたづら煩悶はんもんして、鈍き手腕
火の柱 (新字旧仮名) / 木下尚江(著)
切角せつかく発散した鹿台ろくたいの財を、いたづら烏合うがふの衆のつかみ取るに任せたからである。
大塩平八郎 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
いたづらにその清き光をこゝにたくしたる影ばかりの身よ
白鳥 (旧字旧仮名) / ステファヌ・マラルメ(著)
ゆゑだもなくて、いたづられたる思、去りもあへず
海潮音 (新字旧仮名) / 上田敏(著)
いたづらに汗をかゝせる金の液。
ああいたづらに手をもがき
枯草 (新字旧仮名) / 野口雨情(著)
常にわがまへにあらはる、またこれいたづらにあらず、その婆の我を乾すことわが顏の肉をぐこの病よりはるかに甚しければなり 六七—六九
神曲:01 地獄 (旧字旧仮名) / アリギエリ・ダンテ(著)
こたびとてもまた同き繰言くりごとなるべきを、何の未練有りて、いたづらに目をけがし、おもひきずつけんやと、気強くも右より左に掻遣かきやりけるなり。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
茘枝の小さきも活々いき/\して、藤豆の如き早や蔓の端も見えむるを、いたづらに名のおほいにして、其の実の小なる、葉の形さへさだかならず。
草あやめ (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
そんな事ではいくら威張つても、衒学げんがくの名にさへ価せぬではないか。いたづらに人に教へたがるよりは、まづみづから教へて来るがい。(十月五日)
雑筆 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
〔譯〕がく自得じとくたふとぶ。人いたづらに目を以て有字の書を讀む、故に字にきよくし、通透つうとうすることを得ず。まさに心を以て無字の書を讀むべし、乃ちとうして自得するところ有らん。
そしていたづらに續いて行く沈默に焦燥する心持が、抑へても抑へきれぬ程私をじりじりさせた。
猫又先生 (旧字旧仮名) / 南部修太郎(著)
さていたづらに物を欲り、浮かれ、たばかり、盗まざりけり。偽らず、安らなりけり。
観相の秋 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
いたづらに激昂したり、感傷したり、嘆いたり笑つたりした昔が思はれた。自然の無関心を嘆く心と、自然の無関心と無関心にして無関心にあらずと見る心との相違を私は山に入る汽車の中で考へた。
谷合の碧い空 (新字旧仮名) / 田山花袋田山録弥(著)
焚きつけだけはよく燃えた。それが燃え盛ると彼の心も明るくなつた。けれども火は直ぐ消えてしまつて、彼の投げ入れた二三本の薪へは決して燃えつかない。彼はただいたづらきつけを燃した。
石炭をばや積み果てつ。中等室のつくゑのほとりはいと静にて、熾熱燈しねつとうの光の晴れがましきもいたづらなり。今宵は夜毎にこゝに集ひ来る骨牌カルタ仲間も「ホテル」に宿りて、舟に残れるは余一人ひとりのみなれば。
舞姫 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
間といふ間をむなしくめぐり來ぬ。ラオコオンの群の前をもいたづらに過ぎぬ。
いたづらなりやとこは無し。
薄紗の帳 (旧字旧仮名) / ステファヌ・マラルメ(著)
いたづらに嘆くはめよ
枯草 (新字旧仮名) / 野口雨情(著)
ファーノの中のいと善き二人ふたりメッセル・グイードならびにアンジオレルロに、我等こゝにて先を見ることいたづらならずば 七六—
神曲:01 地獄 (旧字旧仮名) / アリギエリ・ダンテ(著)
さなきだに寝難いねがたかりし貫一は、益す気の澄み、心のえ行くに任せて、又いたづらにとやかくと、彼等の身上みのうへ推測おしはかり推測り思回おもひめぐらすの外はあらず。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
が、この皮肉屋を以て知られた東花坊には周囲の感情に誘ひこまれて、いたづらに涙を落すやうな繊弱な神経はなかつたらしい。
枯野抄 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
ちひさなのは、河骨かうほね點々ぽつ/\黄色きいろいたはななかを、小兒こどもいたづらねこせてたらひいでる。おほきなのはみぎはあしんだふねが、さをさしてなみけるのがある。
人魚の祠 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
彼のいたづら靜養せいやう瞑坐めいざを事とすのみならば、則ち此の學脈がくみやく背馳はいちす。
殊にいたましいのはその眼の色で、これはぼんやりした光を浮べながら、まるで屋根の向うにある、際限ない寒空でも望むやうに、いたづらに遠い所を見やつてゐる。
枯野抄 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
しかりとはいへども、雁金かりがね可懷なつかしきず、牡鹿さをしか可哀あはれさず。かぶと愛憐あいれんめ、よろひ情懷じやうくわいいだく。明星みやうじやうと、太白星ゆふつゞと、すなはち意氣いきらすとき何事なにごとぞ、いたづら銃聲じうせいあり。
月令十二態 (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)