面影おもかげ)” の例文
其後「血笑記けっしょうき」を除く外、翻訳物は大抵見た。「その面影おもかげ」はあまり面白いとも思わなかった。「平凡へいぼん」は新聞で半分から先きを見た。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
僕の訳文はつたないのに違ひない。けれどもむかし Guys のゑがいた、優しい売笑婦の面影おもかげはありありと原文に見えるやうである。
澄江堂雑記 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
が、そう考えているときのぼくに、はや、あのひとの面影おもかげがつきそっている。あのひとが、そう一緒に望んでくれる、と思うのだ。
オリンポスの果実 (新字新仮名) / 田中英光(著)
そこで神尾は、筆に現わすべき進行をやめて、その代りを頭の中に再現させ、自分の母というものの面影おもかげを脳裏に描いてみました。
大菩薩峠:34 白雲の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
まだらな雪、枯枝をゆさぶる風、手水鉢ちょうずばちざす氷、いずれも例年の面影おもかげを規則正しく自分の眼に映した後、消えては去り消えては去った。
行人 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
モルガンは、此処へ着くと急に、お雪が、昔のお雪の面影おもかげを見せて、何処どこか、のんびりとした顔つきをしているのが嬉しかった。
モルガンお雪 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
この面影おもかげが、ぬれいろ圓髷まるまげつやくしてりとともに、やなぎをすべつて、紫陽花あぢさゐつゆとともに、ながれにしたゝらうといふ寸法すんぱふであつたらしい。……
深川浅景 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
今朝けさの夢で見た通り、十歳の時のあたり目撃した、ベルナルドーネのフランシスの面影おもかげはその後クララの心を離れなくなった。
クララの出家 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
隅田川の風景によって偶然にもわが記憶の中によみがえきたった遠い過去の人物のまさに消えせんとするその面影おもかげとらえたに過ぎない。
すみだ川 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
夜明けの静寂せいじゃくをやぶるのをおそれるかのように、おりおり用心ぶかく首をかしげるその姿には、敬虔けいけん信仰者しんこうしゃ面影おもかげを見るような気もした。
次郎物語:05 第五部 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
いま思い返してみると、女の姿とか、女の愛の面影おもかげとかいうものは、ほとんど一度も、はっきりとした形をとって心に浮んだことはなかった。
はつ恋 (新字新仮名) / イワン・ツルゲーネフ(著)
他の推古仏と同じように、その顔も稍々やや下ぶくれで、古樸こぼく端麗、少しばかり陽気で、天蓋の天人にもみらるる一種の童話的面影おもかげを宿している。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
御忘れになる筈はなく、その女の弟のことですから、私に姉の面影おもかげがあって、それをやっぱり以前に逢った様に誤解なすったのではありますまいか
モノグラム (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
蝶子の唄もこんどばかりは昔の面影おもかげを失うた。赤電車での帰り、帯の間に手を差し込んで、思案を重ねた。おきんに借りた百円もそのままだった。
夫婦善哉 (新字新仮名) / 織田作之助(著)
まァおまえじいやであったか! そうえばるほどむかし面影おもかげのこっています。——だい一その小鼻こばなわき黒子ほくろ……それがなによりたしかな目標めじるしです……。
熱灰ねつかいの下より一体のかばねなかば焦爛こげただれたるが見出みいだされぬ。目も当てられず、浅ましういぶせき限を尽したれど、あるじの妻とたやすく弁ぜらるべき面影おもかげ焚残やけのこれり。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
ここにせめては其面影おもかげうつつとどめんと思いたち、亀屋の亭主ていしゅに心そえられたるとは知らでみずから善事よきこと考えいだせしように吉兵衛に相談すれば、さて無理ならぬ望み
風流仏 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
幾百里西なる人の面影おもかげ日夕にっせき心に往来するに引きかえて、浪子はさらにその人の母をば思わざりき。思わずとにはあらで、思わじと務めしなりけり。
小説 不如帰  (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
そしてたくさんあるハワイの火山の中には、現在でも、この地球創成の面影おもかげを残している火山がある。それはハワイ島にあるマウナ・ロア火山である。
黒い月の世界 (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
少女おとめねえさんの面影おもかげおもしては、こいしさのあまりきました。そして、そのくるも、また彼女かのじょ浜辺はまべては、草原くさはらなかさがしてあるきました。
夕焼け物語 (新字新仮名) / 小川未明(著)
名倉の大きな家族の面影おもかげはこの箱の中に納められてあった。風通しの好い南向の部屋で、お雪姉妹は集ってながめた。
家:01 (上) (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
町の中程にある「竹永米屋」も、彼が小僧していた頃の面影おもかげはなくて、土蔵の壁は落ち、低い軒先にシオたれた暖簾のれんの文字が読めないほど古ぼけていた。
冬枯れ (新字新仮名) / 徳永直(著)
どこか面影おもかげがそのに通ふやうでもあり、さうかと思ふと通ふやうでもなし、そのため不気味さがますます募るやうに思はれ、やりきれなかつたからです。
死児変相 (新字旧仮名) / 神西清(著)
人間はわづか六千年の短き間にいかにその自然の面影おもかげを失ひつゝあるかをつく/″\嘆ぜずには居られなかつた。
重右衛門の最後 (新字旧仮名) / 田山花袋(著)
流轉るてんうまはせては、ひめばれしこともけれど、面影おもかげみゆる長襦袢ながじゆばんぬひもよう、はゝ形見かたみ地赤ぢあかいろの、褪色あせのこるもあはれいたまし、ところ何方いづく
たま襻 (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
だが、自分がここにしるそうとするのは、権兵衛さんの面影おもかげではなく、同じくその往来の出来事でながく心に残って忘れられない白馬はくばに乗った人の事なのである。
大人の眼と子供の眼 (新字新仮名) / 水上滝太郎(著)
……以前のあのうち羽振はぶ鶏鳴けいめいの勢いは皆無だ。剣刀つるぎたち身にうる丈夫ますらお面影おもかげは全くなくなってしまった。
なよたけ (新字新仮名) / 加藤道夫(著)
それを見送っているうち、ふとそのするどい横顔から何んだか自分も見たことがあるらしいその女の若いむすめだった頃の面影おもかげかしのように浮んで来そうになった。
美しい村 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
然し、がっきとした体質で、壮年から田宮流の剣道、無辺無極流の鎗術、中島流の火術——とみな一派の師となるほどな腕があったという面影おもかげも今、しのばれる。
山浦清麿 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
威厳に満ちた父、優しい母、そして二人の間に、父の、母の面影おもかげのしのばれる、初々しい感じの若者。静かなもの、正しいもの、暖いもの、優しいものが感ぜられます。
わが師への書 (新字新仮名) / 小山清(著)
かつて庸三が丘に黄金色こがねいろ蜜柑みかんが実るころに、弟子たちを引き連れた友人とともに、一ト月足らずも滞在していたころの面影おもかげはなくなって、位置も奥の方を切り開いて
仮装人物 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
取出でていうほどの奇はないが、二葉亭の一生を貫徹した潔癖、俗にいう気難きむずかし屋の気象と天才はだの「シャイ」、俗にいう羞恥はにかみ屋の面影おもかげ児供こどもの時からほの見えておる。
二葉亭四迷の一生 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
いまその面影おもかげのこつて、この朝日島あさひたうちう武村兵曹たけむらへいそうわたくしとをのぞいたらそのつぎ撰手チヤンピオンつてもよからう、わたくし世界せかい漫遊まんゆう以來いらいひさしく「ボール」をにせぬから餘程よほど技倆ぎりようちたらうが
一言ひとこと……今一言の言葉の関を、えれば先は妹背山いもせやま蘆垣あしがきの間近き人を恋いめてより、昼は終日ひねもす夜は終夜よもすがら、唯その人の面影おもかげ而已のみ常に眼前めさきにちらついて、きぬたに映る軒の月の
浮雲 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
自国宰相じこくさいしょう面影おもかげに生きうつしで、影武者に最適なりとの評判高き御仁ごじんで、そのままの御面相でうろつかれては、宰相と間違えられていつなんどき面倒めんどうなことが発生するやも知れず
打ち駭きて、ためつ、すがめつ、見れば見るほど變り果てし面影おもかげは我ならで外になし。
滝口入道 (旧字旧仮名) / 高山樗牛(著)
安斉あんざい先生は旧藩きゅうはん時代の面影おもかげを顔のあばたに伝えている。まばらなひげが白い。その昔剣道できたえたと見えて、目がすこしやぶ傾向けいこうをおびている。にらみがきく。ナカナカこわい。
苦心の学友 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
東京には箪笥たんす町とか鍛冶かじ町とか白銀しろがね町とか人形にんぎょう町とか紺屋こんや町とかゆみ町とかにしき町とか、手仕事にちなんだ町が色々ありますが、もう仕事の面影おもかげを残している所はほとんどなくなりました。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
掛蒲団かけぶとんを裏返しにして掛けて寝ると恋しい女の面影おもかげを夢に見ると言伝えられているようですから、こんなさびしい夜にこそ、と思うのですが、さて、私にはこれぞときまった恋人も無く
新釈諸国噺 (新字新仮名) / 太宰治(著)
もし桜がなかったらどうであろう、春風長堤をふけども落花にいななけるこまもなし、南朝四百八十寺、いらか青苔せいたいにうるおえどもよろいそでに涙をしぼりし忠臣の面影おもかげをしのぶ由もなかろう
ああ玉杯に花うけて (新字新仮名) / 佐藤紅緑(著)
あんなことはちっとも厭らしいことではない、だから、苦にするには及ばないと彼は思った。それにしても、掛布団かけぶとんの下の暗闇の中に、ヴィオロオヌの面影おもかげがちらちらと浮かびあがる。
にんじん (新字新仮名) / ジュール・ルナール(著)
陸奥みちのく真野まぬ草原かやはらとほけども面影おもかげにしてゆとふものを 〔巻三・三九六〕 笠女郎
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
幼年時代ようねんじだいを通じて、その音楽家の面影おもかげは生きた手本てほんとなり、かれはそのうえをすえていた。わずか六歳の少年しょうねんたる彼が、自分もまた楽曲を作ってみようと決心けっしんしたのは、この手本にもとづいてであった。
ジャン・クリストフ (新字新仮名) / ロマン・ロラン(著)
彼女かれ恍惚くわうこつとして夢の如く、心に浮ぶ篠田の面影おもかげすがりて接吻せり
火の柱 (新字旧仮名) / 木下尚江(著)
今朝けさは家に見えねばさびし子の為にその垂乳根たらちねの母の面影おもかげ
礼厳法師歌集 (新字旧仮名) / 与謝野礼厳(著)
ぼうっと眼で追うなつかしい栄三郎さまの面影おもかげ
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
月にさるゝ面影おもかげ
花守 (旧字旧仮名) / 横瀬夜雨(著)
その時の、この人の形相ぎょうそうは、絵に見る般若はんにゃ面影おもかげにそのままであります。この人は月をながめているのではない、月を恨んでいるのです。
大菩薩峠:22 白骨の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
次に黒いひとみをじっとえて自分を見た昔の面影おもかげが、いつの間にか消えていた女の面影に気がついて、また愕然がくぜんとして心細い感に打たれた。
行人 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
私は、神近市子かみちかいちこさんの横顔を眺め、舞踊家林きん子になった、日向ひなたさんに、この人だけは面影おもかげのかわらない美しい丸髷まるまげを見た。
遠藤(岩野)清子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)