茫然ばうぜん)” の例文
我家の庭に蝿を見るは毎年五月初旬なるを思ひ、茫然ばうぜんとこの蝿を見守みまもること多時、僕の病体、五月に至らば果して旧に復するや否や。
病中雑記 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
わたし雪籠ゆきごもりのゆるしけようとして、たど/\とちかづきましたが、とびらのしまつたなか樣子やうすを、硝子窓越がらすまどごしに、ふと茫然ばうぜんちました。
雪霊続記 (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
私は石板せきばんを手にしてむづかしい割算わりざんの答を出すのに困つてゐたが、茫然ばうぜんと窓を眺めた私の眼に、ちやうどそこを通り過ぎる人が見えた。
細君は大時計の下に腰掛けて茫然ばうぜんと眺め沈んで居る、弁護士は人々の間をあちこちと歩いて居る、丑松は蓮太郎の傍を離れないで
破戒 (新字旧仮名) / 島崎藤村(著)
殘念ざんねんでならぬので、自分じぶん持場もちばを一生懸命しやうけんめいつたけれど、なにない。幻子げんし大成功だいせいかう引替ひきかへて大失敗だいしつぱいくわつぼう茫然ばうぜんとしてしまつた。
開いて見れば不思議にも文字もんじえてたゞの白紙ゆゑ這は如何せし事成かと千太郎は暫時しばしあきはて茫然ばうぜんとして居たりしが我と我が心を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
世間せけん容赦ようしやなく彼等かれら徳義上とくぎじやうつみ脊負しよはした。しか彼等かれら自身じしん徳義上とくぎじやう良心りやうしんめられるまへに、一旦いつたん茫然ばうぜんとして、彼等かれらあたまたしかであるかをうたがつた。
(旧字旧仮名) / 夏目漱石(著)
さういふところよんどころなくすて置いていつか分る時もあらうと茫然ばうぜん迂遠うゑんな区域にとどおいて、別段くるしみもいたしませんかつた。
黄金機会 (新字旧仮名) / 若松賤子(著)
いまのぼるのをなさい、なん神々かう/″\しい景色けしきではないか』とやさしく言葉ことばをかけるまで、若者わかものなにおもひまもなく、ただ茫然ばうぜん老人らうじんかほたのです。
日の出 (旧字旧仮名) / 国木田独歩(著)
しばらく気を失つた様になつて、たゞ茫然ばうぜんとしてゐたが、我にかへつて四囲を見渡せば、我が松林は今や夕日を受けて、その緑は常にもまして美しく眺められた。
(新字旧仮名) / 相馬泰三(著)
或時あるときはデレリ茫然ばうぜんとしておいもえたも御存ごぞんじなきお目出めでたき者は当世たうせう文学者ぶんがくしやいてぞや。
為文学者経 (新字旧仮名) / 内田魯庵三文字屋金平(著)
あれ以来、娘の茫然ばうぜんとした無口にわたしは手古擦てこずつてゐる。——娘も婆やもわたしを敬遠して、その癖言ひ分ありげな様子を見せてゐる。その態度がわたしにこらへられなかつた。
愚かな父 (新字旧仮名) / 犬養健(著)
流石さすが氣根きこん竭果つきはてけん茫然ばうぜんとしてたちつくすをりしも最少もすこまゐると御座ございませうとはなごゑしてくろかげうつりぬ、てんあたひとこそつれはづすまじといさたつすゝればはてなんとせん
別れ霜 (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
火の餘燼よぢんと今出たばかりの月光に照されて、母娘巡禮の泣き濡れた姿と、平次の顏を伏し拜み伏し拜み行くのを、何が何やらわけもわからず、八五郎は茫然ばうぜんとして見送つて居るのでした。
ただ茫然ばうぜんと、まどはしき「愛」のちまたにひとり立つ。
みたばかりの死に茫然ばうぜんとして
死別の翌日 (新字旧仮名) / 中原中也(著)
金花はまばゆい眼をしばたたいて、茫然ばうぜんとあたりを見まはしながら、暫くは取り乱した寝台の上に、寒さうな横坐りを改めなかつた。
南京の基督 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
「よう。」とつて、茫然ばうぜんとしてつた。が、ちよこ/\と衣紋繕えもんづくろひをして、くるまけはじめる。とたぼ心着こゝろづいたか一寸々々ちよい/\此方こなた振返ふりかへる。
麦搗 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
せるにあらぬかといふ、夢幻むげんきやうにさまよひ、茫然ばうぜんとしてうごかずにうしろから、突然とつぜん、一黒影くろかげ出現しゆつげんした。
どうと音して牛の身体が板敷の上へ横に成つたは、足と足とが引締められたからである。持主は茫然ばうぜんとして立つた。丑松も考深い目付をして眺め沈んで居た。
破戒 (新字旧仮名) / 島崎藤村(著)
失ひたる如く只茫然ばうぜんとして居たりけり然ば段々と打ち續きたる冗費ものいりに今は家藏いへくらも云に及ばず假令家財雜具迄も賣拂うりはらへばとて勿々なか/\借金しやくきんの方に引足ず母子倶々種々に心を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
煙草たばこすつたり、自分じぶんり折りはなしかけてもだ『ハア』『そう』とこたへらるゝだけで、沈々ちん/\默々もく/\空々くう/\漠々ばく/\、三日でもうしてちますよといはぬばかり、悠然いうぜん泰然たいぜん茫然ばうぜん
湯ヶ原ゆき (旧字旧仮名) / 国木田独歩(著)
なやましげにて子猫こねこのヂヤレるはもやらでにはながめて茫然ばうぜんたりじやうさま今日けふもお不快こゝろわるう御坐ございますか左樣さうけれどうも此處こゝがとしてするむねうちにはなにがありやおもおもひをられじとかことば
五月雨 (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
二人は暫く經つてやうやく我に返りました。萬七と清吉はお谷婆さんに繩打つて引立てた後、次郎右衞門始め奉公人達一同、たゞ氣拔けたやうに茫然ばうぜんとしてゐる中を、お秀の泣聲が絶々に縫つてをります。
茫然ばうぜんとしぬ、……涙しぬ。
夏と私 (新字旧仮名) / 中原中也(著)
彼は領巾ひれをたまさぐりながら、茫然ばうぜんと室の中にたたずんでゐた。すると眼が慣れたせゐか、だんだんあたりが思つたより、薄明く見えるやうになつた。
老いたる素戔嗚尊 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
……あまりの仕儀しぎたゞ茫然ばうぜんとして、はてなみだながしたが、いや/\、こゝかたちづくられた未製品みせいひんは、かたちなかばにして、はやくも何処どこにか破綻はたんしやうじて、さくほつするものゝ
神鑿 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
斯う自分で自分に尋ねた時は、丑松はもう茫然ばうぜんとしてしまつて、其答を考へることが出来なかつた。
破戒 (新字旧仮名) / 島崎藤村(著)
切害せし證據假初かりそめにも將軍家の御落胤に有べからざる凶相きようさうなり僞物にせものと申せしがよもあやまりでござるかと席をたゝいて申ける天一坊始め皆々口をとぢ茫然ばうぜんたりしが大膳こらへ兼御墨付おすみつきと御短刀たんたう
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
薄暗うすぐらまち片角かたかど車夫しやふ茫然ばうぜんくるまひかへて
別れ霜 (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
たゞ茫然ばうぜんと眺めて居ります。
横町よこちやうみち兩側りやうがはは、ひとと、兩側りやうがは二列ふたならびひとのたゝずまひである。わたしたちより、もつとちかいのがさきんじて町内ちやうない避難ひなんしたので、……みな茫然ばうぜんとしてる。
露宿 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
編輯者も作家も声を出す事あたはず、茫然ばうぜんと覆面の人を見守るのみ。
売文問答 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
予は茫然ばうぜんとして立ちたりけるが、想ふに藪の中に住居すまへるは、狐か狸か其るゐならむ。
妖怪年代記 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
おそろしいより、ゆめれて、うれしさがさきつた。暫時しばし茫然ばうぜんとしてたが、膚脱はだぬぎにつて大汗おほあせをしつとりいた、手拭てぬぐひむか顱卷はちまきをうんとめて、確乎しつか持直もちなほして、すた/\と歩行出あるきだす。
二た面 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
おそろしいよりも、ゆめれてうれしさがさきつた。暫時しばらく茫然ばうぜんとしてた。が、膚脱はだぬぎにつて冷汗ひやあせをしつとりいた。手拭てぬぐひむか顱卷はちまき、うんとめて確乎しつかり持直もちなほして、すた/\と歩行出あるきだした。
一席話 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
また……遣直やりなほしぢや。)とつぶやきながら、のみをぶらげると、わたし茫然ばうぜんとしたあひだに、のそのそ、と越中褌ゑつちうふんどしきうのあとのしりせて、そして、やがて、及腰およびごしほこら狐格子きつねがうしのぞくのがえた。
人魚の祠 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)