小供こども)” の例文
桂は顔を挙げて小供こどもに解りやすいようにこの大発明家のことを話して聞かし、「坊様も大きくなったらこんなえらい人におなりなさいよ」
非凡なる凡人 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
それも神様かみさまのお使者つかいや、大人おとなならばかくも、うした小供こどもさんの場合ばあいには、いかにも手持無沙汰てもちぶさたはなは当惑とうわくするのでございます。
鳴戸のお弓の涙などと小供こどもだましでなく、大人でも感服しそうな因縁書などを野見の老人がやって、一切、内外ともに出来上がりまして
「さう? でもうちぢや小供こどもがないから、夫程それほどでもなくつてよ」とこたへた御米およねのりふくました刷毛はけつてとん/\とんとさんうへわたした。
(旧字旧仮名) / 夏目漱石(著)
そこには黄色くなった雑草がえしげっていて、いつもはスポンジ・ボールの野球をやるのに、近所の小供こども大供おおどもが使っているところだった。
○○獣 (新字新仮名) / 海野十三(著)
だが、気弱なほおが月のようにはにかんでいる。無器用ぶきよう小供こどものように卒直に歩く——実は長い洋行後駒下駄こまげたをまだ穿れて居ないのだ。
かの女の朝 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
おほきな子供こどもはそれつといつて惡戯いたづらそれとらうとする。子供等こどもら順次じゆんじみなそれにならはうとする。さうするとちひさな小供こどもたゞいたやうにく。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
近所の小供こどもらのこれをて異様の感を抱き、さてこそ男子とも女子ともつかぬ、いわゆる「マガイ」が通るよとは罵りしなるべし。これをおもうごとに、今も背に汗のにじむ心地す。
妾の半生涯 (新字新仮名) / 福田英子(著)
二枚半以上のおお紙鳶は、職人か、もしくは大家たいけの書生などが揚げることになっていた。松の内は大供おおども小供こども入り乱れて、到るところに糸を手繰たぐる。またその間に娘子供は羽根を突く。
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
行手ゆくての道の両側には見物みせもの店や、食物店が、それはそれはちょうど九段の招魂社しょうこんしゃの祭りに行ったように奇麗に居並んでいて、其処そこ往来ゆききするお姫様や、小供こどもの姿が手に取るように見えます。
迷い路 (新字新仮名) / 小川未明(著)
けれども、何といっても、まだ小供こどもですよ。あなたの色紙を貰ってくれというのは、何んでも数学をやる友人の中に、あなたの家の標札を盗んで持ってるものがいるので、よし、おれは色紙を
微笑 (新字新仮名) / 横光利一(著)
それは毛巡税もうじゅんえつと云う者の住んでいた家で、五六年前に瘟疫おんえきで一家の者が死絶えて、今では住んでいる者は無いはずであるが、それでも時どき小供こどもが出て来て東西ものを買うのを見たことがあるから
蛇性の婬 :雷峰怪蹟 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
小供こどもも次第に多くなりし為、文事にいとまなきよし承候。
鴎外の思い出 (新字新仮名) / 小金井喜美子(著)
小供こどもがたべてどくなもの
どんたく:絵入り小唄集 (新字旧仮名) / 竹久夢二(著)
やがて、小供こども明日あした下読したよみをする時間だと云ふので、はゝから注意を受けて、自分の部屋へやへ引きつたので、あとは差しむかひになつた。
それから (新字旧仮名) / 夏目漱石(著)
が、このとしてはそうした方便ほうべん必要ひつよう毛頭もうとうなく、もともと純潔じゅんけつ小供こども修行しゅぎょうには、最初さいしょから幽界ゆうかい現実げんじつ目覚めざめさせるにかぎるのじゃ。
けれど小供こどもこそまこと審判官しんぱんくわんで、小供こどもにはたゞ變物かはりもの一人ひとりとしかえない。嬲物なぶりものにしてなぐさむに丁度ちやうどをとことしかえない。
怠惰屋の弟子入り (旧字旧仮名) / 国木田独歩(著)
小供こども心に考えて、父富五郎は体こそ利かぬようになったが、手先はまことに器用な人であったから、「おとうさん、何かこしらえておくれ、わたしが売って見るから」
人にしても、辞令じれいたくみ智識ちしき階級の狡猾ずるさはとりませんが、小供こどもや、無智むちな者などに露骨ろこつなワイルドな強欲ごうよく姦計かんけい見出みいだす時、それこそ氏の、漫画的興味は活躍かつやくする様に見えます。
花籠はなかごまたそこかみいてんだものゝ年齡としかずだけ小錢こぜにれて、それをかざしたひと時々ときどきざら/\とつてはかごから小錢こぜにおとした。むら小供こどもあらそつてそれをひろつた。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
こと浮世うきよ罪穢つみけがされていない小供こども例外れいがいなしにみなそうで、そのめこのなども、帰幽後きゆうごすぐにわし世話せわすることになったのじゃ。
けれども三にんともあしうごかさない。そして五六にんおな年頃としごろ小供こどもがやはり身動みうごきもしないでばあさんたち周圍まはりいてるのである。
湯ヶ原ゆき (旧字旧仮名) / 国木田独歩(著)
そこへとおぐらいの小供こどもけて来て犬をしかり付けた。小供は徽章きしょうの着いた黒い帽子をかぶったまま先生の前へまわって礼をした。
こころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
を好かぬ小供こどもず少ないとしてそのうちにも自分は小供の時、何よりも画が好きであった。(と岡本某が語りだした)。
画の悲み (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
はなしんだ小供こどもの事をとう/\はなれて仕舞つた。さうして、た時よりは幾分か空気に暖味あたゝかみ出来できた。平岡は久し振りに一杯飲まうと云ひした。
それから (新字旧仮名) / 夏目漱石(著)
かぬ小供こどもすくないとして其中そのうちにも自分じぶん小供こどもときなによりもきであつた。(と岡本某をかもとぼうかたりだした)。
画の悲み (旧字旧仮名) / 国木田独歩(著)
生徒は小供こどもの上に、生意気で、規律を破らなくっては生徒の体面にかかわると思ってる奴等やつらだから、職員が幾人いくたりついて行ったって何の役に立つもんか。
坊っちゃん (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
たしかに男である、また小供こどもでもない。何かしきりに拾ってはかごおけかに入れているらしい。二三歩ふたあしみあしあるいてはしゃがみ、そして何か拾っている。
忘れえぬ人々 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
宗助そうすけ小供こどもときから、この樟腦しやうなうたかかをりと、あせ土用どようと、砲烙灸はうろくぎうと、蒼空あをぞらゆるとびとを連想れんさうしてゐた。
(旧字旧仮名) / 夏目漱石(著)
別荘と畑一つ隔たりて牛乳屋ちちやあり、かしの木に取り囲まれし二棟ふたむねは右なるに牛七匹住み、左なるに人五人住みつ、夫婦に小供こども二人ふたり一人ひとり雇男おとこ配達人はいたつなり。
わかれ (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
御出おいでになりませんか」とくと、先生はすこわらひながら、無言むごんの儘、くびよこつた。小供こどもの様な所作をする。然し三四郎には、それが学者らしく思はれた。
三四郎 (新字旧仮名) / 夏目漱石(著)
温泉宿をんせんやど欄干らんかんつてそとながめてひとしさうな顏付かほつきをしてる、軒先のきさき小供こどもしよつむすめ病人びやうにんのやうで小供こどもはめそ/\といてる。
湯ヶ原より (旧字旧仮名) / 国木田独歩(著)
其所そこには福岡ふくをかくなつた小供こども位牌ゐはいと、東京とうきやうんだちゝ位牌ゐはい別々べつ/\綿わたくるんで丁寧ていねいれてあつた。
(旧字旧仮名) / 夏目漱石(著)
ええ、あの小供こども食物たべものの事をうまうまと云いましょう。あれの来歴ですね。その人の説によると小供が舌が回り出してから一番早く出る発音がうまうまだそうです。
野分 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
この分にては小生が小供こどもの時きき候と同じ昔噺むかしばなしを貞坊が聞き候ことも遠かるまじと思われ候、これを思えば悲しいともうれしいとも申しようなき感これありこれ必ず悲喜両方と存じ候
初孫 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
当時余はほんの小供こどもであったから、先生の学殖がくしょくとか造詣ぞうけいとかを批判する力はまるでなかった。第一先生の使う言葉からが余自身の英語とはすこぶる縁の遠いものであった。
『いいとしをしてもう今度で三度めですよ、第一小供こどもがかあいそうでさア。』
郊外 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
それでKの小供こどもの時分には、継母ままははよりもこの姉の方が、かえって本当の母らしく見えたのでしょう。
こころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
されば小供こどもへの土産みやげにと城下にて買いし菓子の袋開きてこの孤児みなしごに分つ母親もすくなからざりし。父は見知らぬ風にて礼もいわぬが常なり、これも悲しさのあまりなるべしと心にとむる者なし。
源おじ (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
私はこのKと小供こどもの時からの仲好なかよしでした。小供の時からといえば断らないでも解っているでしょう、二人には同郷の縁故があったのです。Kは真宗しんしゅうの坊さんの子でした。
こころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
僕の小供こどもの時からの友に桂正作かつらしょうさくという男がある、今年二十四で今は横浜のある会社に技手として雇われもっぱら電気事業に従事しているが、まずこの男ほど類のちがった人物はあるまいかと思われる。
非凡なる凡人 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
三千代みちよ小供こども着物きものを膝のうへせた儘、返事もせずしばらく俯向うつむいて眺めてゐたが
それから (新字旧仮名) / 夏目漱石(著)
これも普通の小供こどもならもなく忘れてしまっただろうと思いますが、僕は忘れるどころか、がなすきがな、何故なぜ父はのような事を問うたのか、父がくまでに狼狽ろうばいしたところを見ると、余程の大事であろうと
運命論者 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
当代の豪傑を小供こども呼ばわりにしてひそかに快しとしている。
まぼろし (新字新仮名) / 国木田独歩(著)