しん)” の例文
私は、張良ちょうりょうしん始皇帝しこうていを、挺身襲撃した古事を、漢学によって学び、張良の強く正しい意気を、深く敬慕していたものであった。
私の歩んだ道 (新字新仮名) / 蜷川新(著)
むかししんの良臣は、匈奴きょうどの滅びざるうちは家を造らず、といいました。蜀外一歩出れば、まだ凶乱をうそぶく徒、諸州にみちている今です。
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しんずい王莾おうもうや、晋宋しんそう斉梁せいりょうや、則天そくてん符堅ふけんや、これ皆これをして天下を有せしむる数百年にゆといえども、正統とすからずとす。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
韓王かんわうはじもちひず、きふなるにおよんですなはりてしん使つかはす。秦王しんわうこれよろこび、いま信用しんようせず。李斯りし姚賈えうかこれこれそしつていは
「なら、胡というのは、どうだ。胡馬こば北風にいななくの胡だ。しんを亡ぼすものは胡なり、の胡だ。これなら、貞任さだとう宗任むねとうの子孫らしいぞ」
胡堂百話 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
長城を築く——毛人らが何故なぜそれを恐れるかというと、かれらはその昔、しん始皇帝しこうていが万里の長城を築いたときに駆り出された役夫えきふである。
ニムロデのごとき、しんの始皇のごとき、もしくはロムルスのごとき、メネスのごとき、ライカルガスのごとき人々の社会に出でたればなり。
将来の日本:04 将来の日本 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
「そういえば、私の一人の姉が、しんへ嫁入ってたことは確かだが、没くなってもう久しくなっているのに、なんでまた生きているものかね。」
嬰寧 (新字新仮名) / 蒲 松齢(著)
しん徐福じょふくが童男女三百人をつれて、仙薬を求めて東方の島に渡ったということは世に知られ、我邦わがくにでも熊野くまの新宮しんぐうがその居住地であったとか
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
てう恵王けいわうが夜光の玉を、しんせう王がしろ十五を以てかへんといひしは、加嶋屋が北国の明玉めいぎよく身上しんしやうつくしてかはんとやくせしにるゐせり。
小「わが身不肖にして本懐を遂げずとも、しん豫讓よじょうの故事になぞらえ、この頭巾を突き破るは実父のあだ大野の首を掻き取る心思い知れや、大野惣兵衞」
「私はしん閔王びんおうむすめでございましたが、このそうの国に迎えられてきて、二十三年間、独りでおる者でございます」
黄金の枕 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
楽長のは斉に去った。亜飯あはんかんに去った。三飯のりょうさいに去った。四飯のけつしんに去った。鼓師つづみし方叔ほうしゅくは河内に逃げた。鼓師つづみしは漢に逃げた。
現代訳論語 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
しかも当時はこの国が、まだ生まれたばかりだったのです。支那の哲人たちは道のほかにも、の国の絹だのしんの国の玉だの、いろいろな物を持って来ました。
神神の微笑 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
司馬氏はもとしゅうの史官であった。後、しんに入り、しんに仕え、かんの代となってから四代目の司馬談しばたんが武帝に仕えて建元けんげん年間に太史令たいしれいをつとめた。この談が遷の父である。
李陵 (新字新仮名) / 中島敦(著)
ほとぎは瓦器にして酒を盛る者なるを、しん人はこれを撃て楽器となすとかや。五車の書といふこと支那の故事を引きたれば、脇もまたほとぎといふ支那の楽器を引用したるなり。
俳諧大要 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
はなはだしく乱暴ですね、しん始皇しこうといえども、そういう乱暴はしませんでした、出来のいい奴にだけ女をあてがって、ドンドン子を産ませる、出来の悪い奴には女にさわらせない
大菩薩峠:38 農奴の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
また一方いつぽうにはふるくからあるまるつかから、だん/\變化へんかして四角しかくかたち古墳こふん出來できましたが、この四角しかくかたちつかは、支那しなではふるしんかん時代じだいから天子てんしはかなどにあつたもので
博物館 (旧字旧仮名) / 浜田青陵(著)
しんに対抗すべく聯盟した趙、燕、韓、魏、斉、楚、の合従がっしょうは破れはじめ、これに代って各国別々に秦に従属しようとする連衡れんこうの気運がさかんになって来た。従って人も変りつつあった。
荘子 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
しんの哀公が会を設けて、覇を図る処があつて、せい国の夜明珠やめいしゆ国の雌雄剣、しん国の水晶簾すゐしやうれんなどとならぶ中に、子胥先生、わが楚国もつて宝とするなし、唯善を以て宝とすとタンカを切つて
いろ扱ひ (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
壮烈なるは匕首ひしゅふところにして不測のしんに入り、頑固なるは首陽山のわらびに余命をつなぎ、世を茶にしたるは竹林にひげひねり、図太づぶときは南禅寺の山門に昼寝して王法をおそれず、一々数へ来れば日も亦足らず
人生 (新字旧仮名) / 夏目漱石(著)
各時代の歴史はそれぞれの偉大な王侯や、英雄を有ち、また重く強い民衆をひかえているのであります。しゅうしんや漢や六朝りくちょう、つづいてとうそうげんみんしんの各時代は、それぞれ巨大な歴史を有って居ります。
北支の民芸(放送講演) (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
てう恵王けいわうが夜光の玉を、しんせう王がしろ十五を以てかへんといひしは、加嶋屋が北国の明玉めいぎよく身上しんしやうつくしてかはんとやくせしにるゐせり。
しかれども韓非かんぴぜいかたきをり、説難ぜいなんしよつくることはなはそなはれるも、つひしんし、みづかのがるることあたはざりき。
この線の開通で他日地主の原始林が高く売れ、清い渓流の岸で古いサイダーを賞することができるなら、いわば張儀ちょうぎしんにやった汽船会社のお蔭である。
雪国の春 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
やがてくれないふちをとった紅炎旗に「兵馬総監しん、統制」と書いた大旆たいはいを朝風にひるがえして、兵五百の先頭に立った秦明は、馬上から鼓楼ころう床几しょうぎへ向って
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
往古東洋の暴主しん始皇しこうは石をもって万里の長城を築けり。しかして今や泰西の帝王宰相らは人をもって万里の長城を築かんとす。あにまた大胆ならずや。
将来の日本:04 将来の日本 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
項羽かううや漢の高祖が未だ事を挙げざる前、しんの始皇帝の行列を観て、項羽は取つて以て代るべしと言ひ、高祖は大丈夫まさに是の如くなるべしと言つたといふ
平将門 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
私の苗字はしんだよ。ついぞ子供はなかったが、めかけにできた小さな子供があって、その母親が他へ嫁にいったものだから、私が育てているが、それほど馬鹿でないよ。
嬰寧 (新字新仮名) / 蒲 松齢(著)
かれら自身の説明によると、その祖先がしんの暴政を避くるがために、妻子眷族けんぞくをたずさえ、村人を伴って、この人跡じんせき絶えたるところへ隠れ住むことになったのである。
不老長壽の藥は、しん始皇しくわう以來の、馬鹿を釣るためのゑさで、それを賣出して、二三年の間に巨萬の富を積んだ百壽園壽齋は、この上もない利口な釣師だつたに違ひありません。
さて支那しなではしゆうのすゑしん時代頃じだいころから、かゞみつくられてゐたらしいのでありますが、かん時代じだいになつてから非常ひじようにたくさんにつくられ、六朝時代りくちようじだいとう時代じだいまで、さかんに立派りつぱかゞみあらはれましたが
博物館 (旧字旧仮名) / 浜田青陵(著)
美食家のせい桓公かんこうが己のいまだ味わったことのない珍味ちんみを求めた時、厨宰ちゅうさい易牙えきがは己が息子むすこ蒸焼むしやきにしてこれをすすめた。十六さいの少年、しんの始皇帝は父が死んだその晩に、父の愛妾あいしょうを三度おそうた。
名人伝 (新字新仮名) / 中島敦(著)
椎秦博浪沙(しんつい博浪沙ばくろうしや
大菩薩峠:27 鈴慕の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
北宋のちょうは、歴史では、金に敗れたとなるだろうが、実はくに自分自体で敗れていたのさ。遠い前の、唐、しん後漢ごかん、前漢、しん、周——の前例どおりさ。
人間山水図巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
吾人は徳川政府の顛覆てんぷくをば毫も怪しまざるなり。なんとなれば、昨日は東周今日はしん咸陽かんようの煙火洛陽らくようちり
将来の日本:04 将来の日本 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
はじしんしうがつしてはなれ、はなれて五百さいにしてがつし、がつして七十さいにして霸王はわうたるものでん」と
しんの時、武都ぶとの故道に怒特どとくやしろというのがあって、その祠のほとりに大きいあずさの樹が立っていた。
しんしんえんしゅう等に王とし、そのはなはだしきは、生れてはじめて二歳、あるいは生れてわずかに二ヶ月のものをすら藩王とし、いで洪武十一年、同二十四年の二回に、幼弱の諸子をも封じたるなれ
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
しん始皇しこうの世に、銅を通貨にるようになったまでは、中国の至宝は宝貝であり、その中でも二種のシプレア・モネタと称するに光る子安貝こやすがいは、一切の利慾願望の中心であった。
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
しんさん、秦さん、阿英あえいさんはなぜ来ないの。」
阿英 (新字新仮名) / 蒲 松齢(著)
しん総監。——夜来の失礼はおゆるし下さい。あなたを殺すなといっているのは、そちらにおられるお方です」
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
いはく、『西河せいがまもりて、しんへいあへひがしむかはず、かんてう(九二)賓從ひんじうするは、いづれぞ』と。
洪水こうずい天にはびこるも、の功これを治め、大旱たいかん地をこがせども、とうの徳これをすくえば、数有るが如くにして、しかも数無きが如し。しんの始皇帝、天下を一にして尊号そんごうを称す。威燄いえんまことに当るからず。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
しんの時代に、南方に落頭民らくとうみんという人種があった。そのかしらがよく飛ぶのである。その人種の集落に祭りがあって、それを虫落ちゅうらくという。その虫落にちなんで、落頭民と呼ばれるようになったのである。
しんというのです。」
阿英 (新字新仮名) / 蒲 松齢(著)
同じに、支那からも、しん漢代かんだいの人々が、無数に日本へ移り住み、それはすでに、この国の民くさとなって、血も立派に一つとなって今日に流れて来ている。
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
文矦ぶんこう呉起ごきへいもちひ・(七五)廉平れんぺいにしてのうつくこころたるをもつて、すなはもつ西河せいがしゆし、もつしんかんふせがしむ。文矦ぶんこうすでしゆつす。其子そのこ武矦ぶこうつかふ。
しん始皇しこうの時、長水ちょうすい県に一種の童謡がはやった。
しんの時代や、かんとうの頃にも、かの地から日本へ、多くの者が移住して来て、日本に帰化していること。
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)