トップ
>
秦
>
しん
ふりがな文庫
“
秦
(
しん
)” の例文
私は、
張良
(
ちょうりょう
)
が
秦
(
しん
)
の
始皇帝
(
しこうてい
)
を、挺身襲撃した古事を、漢学によって学び、張良の強く正しい意気を、深く敬慕していたものであった。
私の歩んだ道
(新字新仮名)
/
蜷川新
(著)
むかし
秦
(
しん
)
の良臣は、
匈奴
(
きょうど
)
の滅びざるうちは家を造らず、といいました。蜀外一歩出れば、まだ凶乱を
嘯
(
うそぶ
)
く徒、諸州にみちている今です。
三国志:09 図南の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
秦
(
しん
)
や
隋
(
ずい
)
や
王莾
(
おうもう
)
や、
晋宋
(
しんそう
)
・
斉梁
(
せいりょう
)
や、
則天
(
そくてん
)
や
符堅
(
ふけん
)
や、
此
(
これ
)
皆これをして天下を有せしむる数百年に
踰
(
こ
)
ゆと
雖
(
いえど
)
も、正統とす
可
(
べ
)
からずと
為
(
な
)
す。
運命
(新字新仮名)
/
幸田露伴
(著)
韓王
(
かんわう
)
始
(
はじ
)
め
非
(
ひ
)
を
用
(
もち
)
ひず、
急
(
きふ
)
なるに
及
(
およ
)
んで
廼
(
すなは
)
ち
非
(
ひ
)
を
遣
(
や
)
りて
秦
(
しん
)
に
使
(
つか
)
はす。
秦王
(
しんわう
)
之
(
これ
)
を
悦
(
よろこ
)
び、
未
(
いま
)
だ
信用
(
しんよう
)
せず。
李斯
(
りし
)
・
姚賈
(
えうか
)
、
之
(
これ
)
を
害
(
い
)
み
之
(
これ
)
を
毀
(
そし
)
つて
曰
(
いは
)
く
国訳史記列伝:03 老荘申韓列伝第三
(旧字旧仮名)
/
司馬遷
(著)
「なら、胡というのは、どうだ。
胡馬
(
こば
)
北風にいななくの胡だ。
秦
(
しん
)
を亡ぼすものは胡なり、の胡だ。これなら、
貞任
(
さだとう
)
、
宗任
(
むねとう
)
の子孫らしいぞ」
胡堂百話
(新字新仮名)
/
野村胡堂
(著)
▼ もっと見る
長城を築く——毛人らが
何故
(
なぜ
)
それを恐れるかというと、かれらはその昔、
秦
(
しん
)
の
始皇帝
(
しこうてい
)
が万里の長城を築いたときに駆り出された
役夫
(
えきふ
)
である。
中国怪奇小説集:16 子不語(清)
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
ニムロデのごとき、
秦
(
しん
)
の始皇のごとき、もしくはロムルスのごとき、メネスのごとき、ライカルガスのごとき人々の社会に出でたればなり。
将来の日本:04 将来の日本
(新字新仮名)
/
徳富蘇峰
(著)
「そういえば、私の一人の姉が、
秦
(
しん
)
へ嫁入ってたことは確かだが、没くなってもう久しくなっているのに、なんでまた生きているものかね。」
嬰寧
(新字新仮名)
/
蒲 松齢
(著)
秦
(
しん
)
の
徐福
(
じょふく
)
が童男女三百人をつれて、仙薬を求めて東方の島に渡ったということは世に知られ、
我邦
(
わがくに
)
でも
熊野
(
くまの
)
の
新宮
(
しんぐう
)
がその居住地であったとか
海上の道
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
趙
(
てう
)
の
恵王
(
けいわう
)
が夜光の玉を、
秦
(
しん
)
の
照
(
せう
)
王が
城
(
しろ
)
十五を以て
易
(
かへ
)
んといひしは、加嶋屋が北国の
明玉
(
めいぎよく
)
を
身上
(
しんしやう
)
尽
(
つく
)
して
買
(
かは
)
んと
約
(
やく
)
せしに
類
(
るゐ
)
せり。
北越雪譜:06 北越雪譜二編
(新字旧仮名)
/
鈴木牧之
、
山東京山
(著)
小「
吾
(
わが
)
身不肖にして本懐を遂げずとも、
秦
(
しん
)
の
豫讓
(
よじょう
)
の故事に
擬
(
なぞ
)
らえ、この頭巾を突き破るは実父の
仇
(
あだ
)
大野の首を掻き取る心思い知れや、大野惣兵衞」
粟田口霑笛竹(澤紫ゆかりの咲分):02 粟田口霑笛竹(澤紫ゆかりの咲分)
(新字新仮名)
/
三遊亭円朝
(著)
「私は
秦
(
しん
)
の
閔王
(
びんおう
)
の
女
(
むすめ
)
でございましたが、この
曹
(
そう
)
の国に迎えられてきて、二十三年間、独りでおる者でございます」
黄金の枕
(新字新仮名)
/
田中貢太郎
(著)
楽長の
摯
(
し
)
は斉に去った。
亜飯
(
あはん
)
の
干
(
かん
)
は
楚
(
そ
)
に去った。三飯の
繚
(
りょう
)
は
蔡
(
さい
)
に去った。四飯の
欠
(
けつ
)
は
秦
(
しん
)
に去った。
鼓師
(
つづみし
)
の
方叔
(
ほうしゅく
)
は河内に逃げた。
振
(
ふ
)
り
鼓師
(
つづみし
)
の
武
(
ぶ
)
は漢に逃げた。
現代訳論語
(新字新仮名)
/
下村湖人
(著)
しかも当時はこの国が、まだ生まれたばかりだったのです。支那の哲人たちは道のほかにも、
呉
(
ご
)
の国の絹だの
秦
(
しん
)
の国の玉だの、いろいろな物を持って来ました。
神神の微笑
(新字新仮名)
/
芥川竜之介
(著)
司馬氏は
元
(
もと
)
周
(
しゅう
)
の史官であった。後、
晋
(
しん
)
に入り、
秦
(
しん
)
に仕え、
漢
(
かん
)
の代となってから四代目の
司馬談
(
しばたん
)
が武帝に仕えて
建元
(
けんげん
)
年間に
太史令
(
たいしれい
)
をつとめた。この談が遷の父である。
李陵
(新字新仮名)
/
中島敦
(著)
缶
(
ほとぎ
)
は瓦器にして酒を盛る者なるを、
秦
(
しん
)
人はこれを撃て楽器となすとかや。五車の書といふこと支那の故事を引きたれば、脇もまた
缶
(
ほとぎ
)
といふ支那の楽器を引用したるなり。
俳諧大要
(新字旧仮名)
/
正岡子規
(著)
甚
(
はなはだ
)
しく乱暴ですね、
秦
(
しん
)
の
始皇
(
しこう
)
といえども、そういう乱暴はしませんでした、出来のいい奴にだけ女をあてがって、ドンドン子を産ませる、出来の悪い奴には女にさわらせない
大菩薩峠:38 農奴の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
また
一方
(
いつぽう
)
には
古
(
ふる
)
くからある
圓
(
まる
)
い
塚
(
つか
)
から、だん/\
變化
(
へんか
)
して
四角
(
しかく
)
な
形
(
かたち
)
の
古墳
(
こふん
)
も
出來
(
でき
)
て
來
(
き
)
ましたが、この
四角
(
しかく
)
の
形
(
かたち
)
の
塚
(
つか
)
は、
支那
(
しな
)
では
古
(
ふる
)
く
秦
(
しん
)
や
漢
(
かん
)
の
時代
(
じだい
)
から
天子
(
てんし
)
の
墓
(
はか
)
などにあつたもので
博物館
(旧字旧仮名)
/
浜田青陵
(著)
強
秦
(
しん
)
に対抗すべく聯盟した趙、燕、韓、魏、斉、楚、の
合従
(
がっしょう
)
は破れはじめ、これに代って各国別々に秦に従属しようとする
連衡
(
れんこう
)
の気運が
盛
(
さかん
)
になって来た。従って人も変りつつあった。
荘子
(新字新仮名)
/
岡本かの子
(著)
秦
(
しん
)
の哀公が会を設けて、覇を図る処があつて、
斉
(
せい
)
国の
夜明珠
(
やめいしゆ
)
、
魯
(
ろ
)
国の雌雄剣、
晋
(
しん
)
国の
水晶簾
(
すゐしやうれん
)
などとならぶ中に、子胥先生、
我
(
わが
)
楚国
以
(
もつ
)
て宝とするなし、唯善を以て宝とすとタンカを切つて
いろ扱ひ
(新字旧仮名)
/
泉鏡花
(著)
壮烈なるは
匕首
(
ひしゅ
)
を
懐
(
ふところ
)
にして不測の
秦
(
しん
)
に入り、頑固なるは首陽山の
薇
(
わらび
)
に余命を
繋
(
つな
)
ぎ、世を茶にしたるは竹林に
髯
(
ひげ
)
を
拈
(
ひね
)
り、
図太
(
づぶと
)
きは南禅寺の山門に昼寝して王法を
懼
(
おそ
)
れず、一々数へ来れば日も亦足らず
人生
(新字旧仮名)
/
夏目漱石
(著)
各時代の歴史はそれぞれの偉大な王侯や、英雄を有ち、また重く強い民衆をひかえているのであります。
周
(
しゅう
)
や
秦
(
しん
)
や漢や
六朝
(
りくちょう
)
、つづいて
唐
(
とう
)
宋
(
そう
)
元
(
げん
)
、
明
(
みん
)
清
(
しん
)
の各時代は、それぞれ巨大な歴史を有って居ります。
北支の民芸(放送講演)
(新字新仮名)
/
柳宗悦
(著)
趙
(
てう
)
の
恵王
(
けいわう
)
が夜光の玉を、
秦
(
しん
)
の
照
(
せう
)
王が
城
(
しろ
)
十五を以て
易
(
かへ
)
んといひしは、加嶋屋が北国の
明玉
(
めいぎよく
)
を
身上
(
しんしやう
)
尽
(
つく
)
して
買
(
かは
)
んと
約
(
やく
)
せしに
類
(
るゐ
)
せり。
北越雪譜:03 北越雪譜初編
(新字旧仮名)
/
鈴木牧之
、
山東京山
(著)
然
(
しか
)
れども
韓非
(
かんぴ
)
は
説
(
ぜい
)
の
難
(
かた
)
きを
知
(
し
)
り、
説難
(
ぜいなん
)
の
書
(
しよ
)
を
爲
(
つく
)
ること
甚
(
はなは
)
だ
具
(
そな
)
はれるも、
終
(
つひ
)
に
秦
(
しん
)
に
死
(
し
)
し、
自
(
みづか
)
ら
脱
(
のが
)
るること
能
(
あた
)
はざりき。
国訳史記列伝:03 老荘申韓列伝第三
(旧字旧仮名)
/
司馬遷
(著)
この線の開通で他日地主の原始林が高く売れ、清い渓流の岸で古いサイダーを賞することができるなら、いわば
張儀
(
ちょうぎ
)
を
秦
(
しん
)
にやった汽船会社のお蔭である。
雪国の春
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
やがて
紅
(
くれない
)
の
縁
(
ふち
)
をとった紅炎旗に「兵馬総監
秦
(
しん
)
、統制」と書いた
大旆
(
たいはい
)
を朝風にひるがえして、兵五百の先頭に立った秦明は、馬上から
鼓楼
(
ころう
)
の
床几
(
しょうぎ
)
へ向って
新・水滸伝
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
往古東洋の暴主
秦
(
しん
)
の
始皇
(
しこう
)
は石をもって万里の長城を築けり。しかして今や泰西の帝王宰相らは人をもって万里の長城を築かんとす。あにまた大胆ならずや。
将来の日本:04 将来の日本
(新字新仮名)
/
徳富蘇峰
(著)
楚
(
そ
)
の
項羽
(
かうう
)
や漢の高祖が未だ事を挙げざる前、
秦
(
しん
)
の始皇帝の行列を観て、項羽は取つて以て代るべしと言ひ、高祖は大丈夫
応
(
まさ
)
に是の如くなるべしと言つたといふ
平将門
(新字旧仮名)
/
幸田露伴
(著)
私の苗字は
秦
(
しん
)
だよ。ついぞ子供はなかったが、
妾
(
めかけ
)
にできた小さな子供があって、その母親が他へ嫁にいったものだから、私が育てているが、それほど馬鹿でないよ。
嬰寧
(新字新仮名)
/
蒲 松齢
(著)
かれら自身の説明によると、その祖先が
秦
(
しん
)
の暴政を避くるがために、妻子
眷族
(
けんぞく
)
をたずさえ、村人を伴って、この
人跡
(
じんせき
)
絶えたるところへ隠れ住むことになったのである。
中国怪奇小説集:04 捜神後記(六朝)
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
不老長壽の藥は、
秦
(
しん
)
の
始皇
(
しくわう
)
以來の、馬鹿を釣るための
餌
(
ゑさ
)
で、それを賣出して、二三年の間に巨萬の富を積んだ百壽園壽齋は、この上もない利口な釣師だつたに違ひありません。
銭形平次捕物控:322 死の秘薬
(旧字旧仮名)
/
野村胡堂
(著)
さて
支那
(
しな
)
では
周
(
しゆう
)
のすゑ
秦
(
しん
)
の
時代頃
(
じだいころ
)
から、
鏡
(
かゞみ
)
が
作
(
つく
)
られてゐたらしいのでありますが、
漢
(
かん
)
の
時代
(
じだい
)
になつてから
非常
(
ひじよう
)
にたくさんに
作
(
つく
)
られ、
六朝時代
(
りくちようじだい
)
を
經
(
へ
)
て
唐
(
とう
)
の
時代
(
じだい
)
まで、
盛
(
さか
)
んに
立派
(
りつぱ
)
な
鏡
(
かゞみ
)
が
現
(
あらは
)
れましたが
博物館
(旧字旧仮名)
/
浜田青陵
(著)
美食家の
斉
(
せい
)
の
桓公
(
かんこう
)
が己のいまだ味わったことのない
珍味
(
ちんみ
)
を求めた時、
厨宰
(
ちゅうさい
)
の
易牙
(
えきが
)
は己が
息子
(
むすこ
)
を
蒸焼
(
むしやき
)
にしてこれをすすめた。十六
歳
(
さい
)
の少年、
秦
(
しん
)
の始皇帝は父が死んだその晩に、父の
愛妾
(
あいしょう
)
を三度
襲
(
おそ
)
うた。
名人伝
(新字新仮名)
/
中島敦
(著)
椎秦博浪沙(
秦
(
しん
)
を
椎
(
つい
)
す
博浪沙
(
ばくろうしや
)
)
大菩薩峠:27 鈴慕の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
北宋の
朝
(
ちょう
)
は、歴史では、金に敗れたとなるだろうが、実は
疾
(
と
)
くに自分自体で敗れていたのさ。遠い前の、唐、
晋
(
しん
)
、
後漢
(
ごかん
)
、前漢、
秦
(
しん
)
、周——の前例どおりさ。
人間山水図巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
吾人は徳川政府の
顛覆
(
てんぷく
)
をば毫も怪しまざるなり。なんとなれば、昨日は東周今日は
秦
(
しん
)
。
咸陽
(
かんよう
)
の煙火
洛陽
(
らくよう
)
の
塵
(
ちり
)
。
将来の日本:04 将来の日本
(新字新仮名)
/
徳富蘇峰
(著)
「
始
(
はじ
)
め
秦
(
しん
)
、
周
(
しう
)
と
合
(
がつ
)
して
離
(
はな
)
れ、
離
(
はな
)
れて五百
歳
(
さい
)
にして
復
(
ま
)
た
合
(
がつ
)
し、
合
(
がつ
)
して七十
歳
(
さい
)
にして
霸王
(
はわう
)
たる
者
(
もの
)
出
(
い
)
でん」と
曰
(
い
)
ふ
国訳史記列伝:03 老荘申韓列伝第三
(旧字旧仮名)
/
司馬遷
(著)
秦
(
しん
)
の時、
武都
(
ぶと
)
の故道に
怒特
(
どとく
)
の
祠
(
やしろ
)
というのがあって、その祠のほとりに大きい
梓
(
あずさ
)
の樹が立っていた。
中国怪奇小説集:03 捜神記(六朝)
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
秦
(
しん
)
晋
(
しん
)
燕
(
えん
)
周
(
しゅう
)
等に王とし、
其
(
その
)
甚
(
はなはだ
)
しきは、生れて
甫
(
はじ
)
めて二歳、
或
(
あるい
)
は生れて
僅
(
わずか
)
に二ヶ月のものをすら藩王とし、
次
(
つ
)
いで洪武十一年、同二十四年の二回に、幼弱の諸子をも封じたるなれ
運命
(新字新仮名)
/
幸田露伴
(著)
秦
(
しん
)
の
始皇
(
しこう
)
の世に、銅を通貨に
鋳
(
い
)
るようになったまでは、中国の至宝は宝貝であり、その中でも二種のシプレア・モネタと称する
黄
(
き
)
に光る
子安貝
(
こやすがい
)
は、一切の利慾願望の中心であった。
海上の道
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
「
秦
(
しん
)
さん、秦さん、
阿英
(
あえい
)
さんはなぜ来ないの。」
阿英
(新字新仮名)
/
蒲 松齢
(著)
「
秦
(
しん
)
総監。——夜来の失礼はおゆるし下さい。あなたを殺すなといっているのは、そちらにおられるお方です」
新・水滸伝
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
起
(
き
)
曰
(
いは
)
く、『
西河
(
せいが
)
を
守
(
まも
)
りて、
秦
(
しん
)
の
兵
(
へい
)
敢
(
あへ
)
て
東
(
ひがし
)
に
郷
(
むか
)
はず、
韓
(
かん
)
・
趙
(
てう
)
・
(九二)
賓從
(
ひんじう
)
するは、
子
(
し
)
、
起
(
き
)
に
孰
(
いづ
)
れぞ』と。
国訳史記列伝:05 孫子呉起列伝第五
(旧字旧仮名)
/
司馬遷
(著)
洪水
(
こうずい
)
天に
滔
(
はびこ
)
るも、
禹
(
う
)
の功これを治め、
大旱
(
たいかん
)
地を
焦
(
こが
)
せども、
湯
(
とう
)
の徳これを
済
(
すく
)
えば、数有るが如くにして、
而
(
しか
)
も数無きが如し。
秦
(
しん
)
の始皇帝、天下を一にして
尊号
(
そんごう
)
を称す。
威燄
(
いえん
)
まことに当る
可
(
べ
)
からず。
運命
(新字新仮名)
/
幸田露伴
(著)
秦
(
しん
)
の時代に、南方に
落頭民
(
らくとうみん
)
という人種があった。その
頭
(
かしら
)
がよく飛ぶのである。その人種の集落に祭りがあって、それを
虫落
(
ちゅうらく
)
という。その虫落にちなんで、落頭民と呼ばれるようになったのである。
中国怪奇小説集:03 捜神記(六朝)
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
「
秦
(
しん
)
というのです。」
阿英
(新字新仮名)
/
蒲 松齢
(著)
同じに、支那からも、
秦
(
しん
)
や
漢代
(
かんだい
)
の人々が、無数に日本へ移り住み、それはすでに、この国の民くさとなって、血も立派に一つとなって今日に流れて来ている。
新書太閤記:01 第一分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
文矦
(
ぶんこう
)
、
呉起
(
ごき
)
が
善
(
よ
)
く
兵
(
へい
)
を
用
(
もち
)
ひ・
(七五)
廉平
(
れんぺい
)
にして
能
(
のう
)
を
盡
(
つく
)
し
士
(
し
)
の
心
(
こころ
)
を
得
(
え
)
たるを
以
(
もつ
)
て、
乃
(
すなは
)
ち
以
(
もつ
)
て
西河
(
せいが
)
の
守
(
しゆ
)
と
爲
(
な
)
し、
以
(
もつ
)
て
秦
(
しん
)
・
韓
(
かん
)
を
拒
(
ふせ
)
がしむ。
魏
(
ぎ
)
の
文矦
(
ぶんこう
)
既
(
すで
)
に
卒
(
しゆつ
)
す。
起
(
き
)
、
其子
(
そのこ
)
武矦
(
ぶこう
)
に
事
(
つか
)
ふ。
国訳史記列伝:05 孫子呉起列伝第五
(旧字旧仮名)
/
司馬遷
(著)
秦
(
しん
)
の
始皇
(
しこう
)
の時、
長水
(
ちょうすい
)
県に一種の童謡がはやった。
中国怪奇小説集:03 捜神記(六朝)
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
秦
(
しん
)
の時代や、
漢
(
かん
)
や
唐
(
とう
)
の頃にも、かの地から日本へ、多くの者が移住して来て、日本に帰化していること。
新書太閤記:01 第一分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“秦”の解説
歴史学/東洋史中国
秦(しん、Qín、紀元前905年 - 紀元前206年)は、中国の王朝である。周代・春秋時代・戦国時代にわたって存在し、紀元前221年に史上初めて中国全土を統一、紀元前206年に滅亡した。統一から滅亡までの期間を秦朝、秦代と呼ぶ。紀元前221年に中国史上初めて天下統一を果たした王の姓は、氏は趙。統一時の首都は咸陽。
(出典:Wikipedia)
秦
漢検準1級
部首:⽲
10画
“秦”を含む語句
秦王
太秦
秦淮
秦野
秦檜
秦吉了
秦人
秦川
秦清文
秦皮
秦皮樹
秦漢
秦楚
秦豊吉
秦腔
秦蔵六
秦星池
秦亀
秦氏
彊秦
...