こころよ)” の例文
わたくしはたれの紹介をも求めずに往ったのに、飯田さんはこころよ引見いんけんして、わたくしの問に答えた。飯田さんは渋江道純どうじゅんっていた。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
なみがうごき波が足をたたく。日光がる。この水をわたることのこころよさ。菅木すがきがいるな。いつものようにじっとひとの目を見つめている。
台川 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
しかし炭坑見学は頭株あたまかぶの人がこころよく取り計らって呉れた。それも事務員を一名つけて自動車を差し廻して貰ったのには甚だ恐縮だった。
ぐうたら道中記 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
若者わかものこころよけ、ただちにその準備したくにかかりました。もっと準備したくってもべつにそううるさい手続てつづきのあるのでもなんでもございませぬ。
いつしかこころよ気持きもちになって、はなねむりますと、ふいに、夜中よなかに、ひやりとなにかかんじたので、おどろいてをさましたのであります。
公園の花と毒蛾 (新字新仮名) / 小川未明(著)
窓硝子を洩れる真昼の冬の日に照らされて、陽炎かげろうのように立ち迷う湯気のなかに、黄いろい木実このみの強い匂いがこもっているのもこころよかった。
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
この騒動そうどうの原因は、すべて喬之助妻園絵こと伊豆屋のお園から出ているのだから、伊豆屋をもこころよく思っていないことは勿論である。
魔像:新版大岡政談 (新字新仮名) / 林不忘(著)
嫌だからとて「瓢箪ひょうたん川流かわながれ」のごとく浮世のまにまに流れて行くことはこころざしある者のこころよしとせざるところ、むしろずるところである。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
向うの隅で、あさの糸つなぎをやっている囚人たちは、絶えず視線をチラリチラリと紙風船の作業場へ送って、こころよ昂奮こうふんむさぼるのであった。
柿色の紙風船 (新字新仮名) / 海野十三(著)
剃刀かみそりが冷やりと顔に触れたとたん、どきッと戦慄せんりつを感じたが、やがてさくさくと皮膚ひふの上を走って行くこころよい感触に、思わず体が堅くなり
(新字新仮名) / 織田作之助(著)
女は女同士の気やすさの上、つい誘われるこころよい世辞のひびきをもっている。そのくせ、まだ娘かとも見えるほど、うら若いのに
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ムクの吠える声は、こころよく眠っているお君の耳には入りませんでしたけれど、幸いにそこを通り合せた馬商人うまあきんどの耳に入りました。
風早も事のあまりに暴なるをこころよしと為ざるなりき。貫一はおどろきて、撥返はねかへさんと右に左に身を揉むを、蹈跨ふんまたがりて捩揚ねぢあげ捩揚げ、蒲田は声を励して
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
要するに、予の半生はんせい将死しょうしの気力をし、ややこころよくその光陰こういんを送り、今なお残喘ざんぜんべ得たるは、しんに先生のたまものというべし。
「いいえ、僕は、こんなこころよい気持ちのときに、君の胡弓こきゅうが聴きたいのだ。どうぞ、いてください、なしの花のお雪さん。」
モルガンお雪 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
と、その液体の匂いであろうかそれとも鉢の花の匂いであろうか、こころよ牛蒡ごぼうにおいのような匂が脳にとおるように感じた。
港の妖婦 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
糸子は分らず屋として取りけられた。女二人を調停するのは眼の前にこころよからぬ言葉の果し合を見るのがいやだからである。
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
物心を覚えてから二十五の今日こんにちまで、張りつめ通した心の糸が、今こそ思い存分ゆるんだかと思われるその悲しいこころよさ。
或る女:1(前編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
水の上に軽く浮いていた彼の気持を、回想が静かにこころよくゆすった。彼は眼をうすくあけて真上に拡る夕方の空を見た。
プウルの傍で (新字新仮名) / 中島敦(著)
丁度秋の中頃の寒くも暑くもないこころよい晩で、余り景色が好いので二人は我知らず暫らく佇立たちどまって四辺あたりを眺めていた。
二葉亭余談 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
幸い持合せのちと泥臭どろくさいが見かけは立派な円筒形えんとうけいの大きな舶来はくらい唐墨とうぼくがあったので、こころよく用立てた。今夜見れば墨痕ぼくこん美わしく「彰忠しょうちゅう」の二字にって居る。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
一九一一年の初夏のことで、ロシアの国境を後にあの辺へさしかかると、車窓の両側に広大な緑色の絨毯じゅうたんが展開される。風は草木の香を吹き込んでこころよい。
戦雲を駆る女怪 (新字新仮名) / 牧逸馬(著)
そうして私はいつしか「田園交響曲でんえんこうきょうきょく」の第一楽章が人々に与えるこころよい感動に似たもので心を一ぱいにさせていた。
美しい村 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
何かに縋りつかないではおれない気持だった。冷たい夜の空気が窓から流れ込んできて、その気持を益々痛切になしてくれるのが、今は却ってこころよかった。
反抗 (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)
実際生活を暗指あんじしつつ恋愛情緒れんあいじょうしょを具体的にいって、少しもみだらな感をともなわず、ねたましい感をも伴わないのは、全体が邪気じゃきなくこころよいものだからであろう。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
ごわごわして、あらいたてのぬのだけが持っているこころよいにおいがぷーんとする。そればかりか、戸外に出ると六月のつよい陽光にまばゆいほど光るのである。
空気ポンプ (新字新仮名) / 新美南吉(著)
だから、大したこともなく、すぐにこころようなられて、大奥にお帰りになるに相違あるまい——また、うえつ方でも、浪路さまを、お手ばなしになるはずはなしさ
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
そのあつせゐだつたのだらう、にぎつてゐるてのひらから身内みうちに浸み透つてゆくやうなそのつめたさはこころよいものだつた。
檸檬 (旧字旧仮名) / 梶井基次郎(著)
害を加えた物に対してこころよくない感情を惹起ひきおこすのは人の情であって、殊に未開人民は復讐の情がさかんであるから、木石をむちうって僅に余憤を洩す類のことはすくなくない。
法窓夜話:02 法窓夜話 (新字新仮名) / 穂積陳重(著)
彼らにとってこころよく思われたかは、主家の兇変きょうへんの前に、すでに浪人していた不破数右衛門ふわかずえもん千葉ちば三郎兵衛、間新六はざましんろくが、同じように連盟に加わってきたのでも分る。
四十八人目 (新字新仮名) / 森田草平(著)
一つのこびめいた青白くもまたとき色の神秘が、着物も皮膚もとおして味覚にこころよい冷たさを与えた。その味覚をあじわう舌が身体からだ中のどこにるやらわからなかったけれど味えた。
桃のある風景 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
私はそのこころよさに身をまかせてゐたが、ぐうつと腹がなつたのには、自分で驚いて、眼をさました。腹がへつて来たのだ。苦笑すると、また、こんどはもつと大きく鳴つた。
大凶の籤 (新字旧仮名) / 武田麟太郎(著)
自分が男だもんで着物の色彩からうけるこころよさ又一種の喜びなんかと云うものは到底味わわれない。
千世子(二) (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
といって、こころよいぬしてくれました。六部ろくぶたいそうよろこんで、しっぺい太郎たろうれて、もういたあしのこともわすれて、どんどん美作国みまさかのくにかっていそいで行きました。
しっぺい太郎 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
こころよくなってはたびたびあともどりをしたので、ほんとうの両親でもいやきがさしたかもしれなかった。でもエチエネットはどこまでもがまん強く誠実せいじつをつくしてくれた。
足に少し力を入れたるに、図らず空中に飛び上り、およそ人の頭ほどのところを次第に前下まえさがりに行き、また少し力を入るれば昇ること始めのごとし。何とも言われずこころよし。
遠野物語 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
御同様文筆に従ひ居り候上は一行いちぎやうにてもかかる作品を書きたく、若し又新聞の文芸欄にもかかる作品のみることと相成り候はば、如何いかばかりこころよからんなどとも存じ候。早早さうさう
伊東から (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
すみやかにれ、われけがすことかれ。われむし(三七)汙涜をとくうち遊戲いうぎしてみづかこころようせん。くにたももの(三八)せらるることからん。終身しうしんつかへず、もつこころざしこころようせんかな
われ夏の恵み受けじといどみしが、今宵こよいついに打ち負けて、身中みうちつかるゝまでのこころよさ。
そして事実この大叔父の家では、だしぬけに頼って行った私をこころよく受け入れてくれた。
入相いりあいの浪も物凄ものすごくなりかけた折からなり、あの、赤鬼あかおに青鬼あおおになるものが、かよわい人を冥土めいど引立ひきたててくようで、思いなしか、引挟ひきはさまれた御新姐ごしんぞは、何んとなく物寂ものさびしい、こころよからぬ
春昼 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
横になるよりこころよねむりけるが、妾は一度ひとたび渡韓とかんせば、生きて再び故国ここくの土を踏むべきにあらず、彼ら同志にして、果して遊廓に遊ばんほどの余資よしあらば、これをば借りて、みちすがら郷里に立ち寄り
妾の半生涯 (新字新仮名) / 福田英子(著)
陣中にやごとなき君のいましけるが常にわれらに勧めて今暫らくここに留まるべし急ぎて故郷に帰ることかはとまたわりなくものたまふにあいなく袖をも払ひかねてとかくにこころよからぬ日を過ごしぬ。
従軍紀事 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
そんな言ひかたを體得して、弱いしどろもどろの人を切りまくつてこころよしとしてゐる人が、日本にも、ずゐぶんたくさん在る。いや、日本人は、そんな哲學で育てられて來た。い、犬も歩けば棒に當る。
ラロシフコー (旧字旧仮名) / 太宰治(著)
社会部記者と称する男は、むしこころよく支配人の部屋へしょうじられた。
二銭銅貨 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
如何いかにも支那風しなふうこころよさでぼくみゝたのしませたのにちがひない。
麻雀を語る (旧字旧仮名) / 南部修太郎(著)
一匹の薄赤い豚が、日向ひなたこころよげに横たわって眠っていた。
むろんこころよい承諾を与える気にもなれないのだが……
入江のほとり (新字新仮名) / 正宗白鳥(著)
と云いながら、こころよさそうに笑って居る。
刺青 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
こころよすさみゆくせいの秘密にや笑ふらん。
東京景物詩及其他 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)