“愧”のいろいろな読み方と例文
| 読み方 | 割合 |
|---|---|
| は | 71.4% |
| はず | 9.3% |
| はずか | 7.1% |
| はじ | 5.7% |
| はぢ | 3.6% |
| はづ | 2.1% |
| はづか | 0.7% |
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
“愧”の解説
愧(き)(sa: apatrāpya、अपत्राप्य)は、仏教が教える善のひとつ。「自己の罪に対する畏怖」、もしくは「他を観察することによっておのれの過失を恥じること」。他人に対して恥じること。しばしば「慚愧」として扱われる。
涅槃経には、「慚はみづから罪を作らず、愧は他を教へてなさしめず。慚は内にみづから羞恥す、愧は発露して人に向かふ。慚は人に羞づ、愧は天に羞づ。これを慚愧と名づく。無慚愧は名づけて人とせず、名づけて畜生とす。」と説かれている。
(出典:Wikipedia)
涅槃経には、「慚はみづから罪を作らず、愧は他を教へてなさしめず。慚は内にみづから羞恥す、愧は発露して人に向かふ。慚は人に羞づ、愧は天に羞づ。これを慚愧と名づく。無慚愧は名づけて人とせず、名づけて畜生とす。」と説かれている。
(出典:Wikipedia)